0365 四司教
次の日。
涼はいつものように九時に教皇庁に書類を届けてから、王国使節団宿舎に戻ってきた。
そしてすぐに、隣の連合使節団宿舎に向かった。
同じ、中央諸国からの使節団であり、それなりに多くの情報を共有するため、宿舎同士の行き来は頻繁に行われている。
もちろん、涼ではなく、文官による行き来であるが。
そのため、涼が連合の宿舎に向かってもそれほど目立ちはしない。
ただ、受付で伝えた内容が、少し目立っただけだ。
「王国使節団の者ですが、団長のロベルト・ピルロ陛下に、取次ぎをお願いします」
「え……」
中央諸国三カ国に割り当てられている宿舎は、元々は普通に運営されている宿である。
それを、この期間中、教皇庁が借り上げている。
そのため、宿舎には宿の受付所がある。
ただ、その受付に入っているのは、連合使節団の者だが。
「失礼ですが、陛下との面会のお約束はございますか」
受付に入っているのは、冒険者ではないらしい……何となく応対が洗練されている。
涼は、そんな、とっても失礼な感想を抱いた。
「いえ、ありません。ただ、王国の冒険者、リョウが会いたがっているとお伝えいただければ、先王陛下は連れてこいとおっしゃるはずです」
涼は自信満々にそう言った。
((なぜ、いつも、そう自信満々に言えるんだ……))
何やら、別の『陛下』の呆れを含んだ声が聞こえてくる。
((アベルは知らないかもしれませんけど、国同士の交渉も、最後は、トップ同士の個人的な信頼関係がその成否を左右してしまう場合があるのです。ですから、きちんとした関係を築いておくに越したことはないのです))
((……リョウの方が、国のトップにふさわしい気がしてきた))
((それは誤解です。僕には、アベルのような書類まみれを乗り切れる耐久力はありません))
((うん、そこだけはリョウにも負けていない自信がある……))
アベルは深いため息をつきながら、そう答えた。
涼が受付で待っていると、階段を下りて、一人の騎士がやってきた。
確か、ロベルト・ピルロ陛下の護衛隊長……。
「陛下の護衛隊長グロウンです。リョウ殿、どうぞこちらへ」
そう言うと、先に立って歩きだした。
涼はそのままついて行った。
四階の中央の部屋。
「ああ、リョウ殿。珍しいですな。どうぞそちらへ」
涼が入っていくと、先王ロベルト・ピルロは立って迎え入れた。
一介の冒険者に対してというよりも、王国筆頭公爵に対しての接遇なのだろう。
「ふむ。対象は分からぬが、我が使節団の誰かが、そのグーン大司教の手の者によって監視されていると」
「はい」
ロベルト・ピルロは一度頷くと、顎に手を持っていって、少し考えた。
「そう……実は、同じような報告が入ってきてはおったのです」
「なんと!」
「グロウン、詳しい説明を」
ロベルト・ピルロは、部屋の隅に立って護衛をしている護衛隊長グロウンに、そう言って説明を促した。
「ここ十日ほど、『歓迎班』の監視とは別に、潜みながらの監視が行われていることが分かっております。監視者は四人。監視対象は、先王陛下の可能性が高いと思われます」
「なるほど……」
連合使節団では、監視されていることに気付いていたのだ。
監視対象が、団長ということであれば、確かに気づきやすいかもしれない。
最も厳重に守られている人物でもあるからだ。
「まあ、わしは監視されたり狙われたりというのは慣れておるからの」
ロベルト・ピルロはそう言うと、笑った。
そう、現役の国王であった頃、連合の執政オーブリー卿に、常に命を狙われていたと言われている……。
それが事実であったのかどうかは分からない。
オーブリー卿しか知らないはずだ。
「じゃが……そういう報告を受けはしたが、正直受け入れにくいのもまた事実」
「え? それはどういう……」
「うむ……。自分に向けられた監視や暗殺の視線は分かる。さすがに、半世紀も向けられ続ければ、嫌でも分かるようになる。じゃが今回、そういう、感じというか圧力というか……それを感じぬ。対象はわしではなく、わしの持つ何か。あるいは、わしの周りの何か……な気がするのじゃ」
「な、なるほど……」
半世紀もの間、常に監視や暗殺の視線にさらされる……。
涼には想像もできない世界。
その凄まじい経験に基づく意見……それは、無視していいものではない。
「陛下の、持ち物を狙って……の可能性が高いと」
「うむ。じゃが、こう見えても国の使節団のトップの一人じゃ。そんな人間の物を狙うか? 表沙汰になれば、交渉は破綻する。そこまでして奪いたい物など、持ってきてはおらんぞ」
そう言うと、ロベルト・ピルロは苦笑した。
国の宝物と呼べるようなものは、当然持ってきていない。
そもそも、そんなものは、ほとんど現国王が引き継いでいる……。
「よく分かりませんね……」
「そうじゃな……」
涼が小さく首を振りながら言い、ロベルト・ピルロも首を振って同意した。
涼が、ロベルト・ピルロ陛下と面会した次の日。
いつものように、グラハム枢機卿に書類を届けた。
そして、修道士カールレに案内されて、教皇庁の廊下を歩いていると、声を掛けられた。
「王国使節団のリョウ殿ですね?」
廊下の横から声を掛けられた。
とても落ち着いた声。
涼とカールレ修道士がそちらを向くと、三人の男女がいた。
三人を見た瞬間、カールレの体が震えたのを、涼は感じた。
「し、司教様」
カールレは震える声ながら、頭を下げる。
「ナイトレイ王国のリョウです」
涼はそう答えて、頭を下げた。
その時点で、目の前の三人が誰なのかは、なんとなく分かった。
こんな空気を纏った『司教』を、一人知っているから……。
「初めまして。アベラルド司教、ブリジッタ司教、ディオニージ司教」
涼が三人の名前を呼ぶと、最初に声をかけた男はにっこり微笑んだ。
「我々の名前を知ってくださっているとは、話が早い。ぜひお話したいと思いまして。時間をいただけますか」
それは提案ではあるが、断ることのできない提案。
言い換えるなら、「今すぐついてこい」であろう。
「し、司教様、リョウさんは……」
「カールレ修道士、申し訳ないが、グラハム枢機卿にはそのようにお伝えください」
微笑みながら、最初に声をかけた男が、カールレに言った。
微笑みながら……だが、怖さを滲ませて。
「カールレさん、ちょっとお話をしてきます。グラハムさんには、四司教の方々とお話をしてきます、大丈夫だとお伝えください」
涼はにっこり微笑んで言った。
こちらは、邪気などかけらもない微笑み。
「かしこまりました……」
カールレは、なんとかそう言って、頭を下げた。
涼が連れていかれた先は、中庭の向こう側の三階……例の角部屋の、隣の部屋であった。
その間、涼を含めた四人は無言。
途中、何人かの聖職者たちとすれ違ったが、全員が恭しく頭を下げた。
そもそも、『司教』という地位は決して低くない。
トップに教皇を戴き、枢機卿、大司教、そして司教……。
その下に、司祭、助祭など連なっていくが、司祭より下の人数が異常に多い。
西方教会においては、聖職者の内、司教以上の者は0.001%もいない……。
ここは教皇庁であるため、ここにいるだけでもある種のエリートであるが、それでも司教以上は極めて少ない。
そんなトップエリートとも言える司教の中でも、彼ら『四司教』は別格だ。
何と言っても、教皇直属の四司教。
しかも、ある程度事情に通じている者たちは、彼らが何をする者たちなのかも知っている。
そうであるならば、恭しく頭を下げておく方がいいに決まっているのだ!
涼はそんなことを考えながら、頭を下げていく聖職者たちを見ていた。
ちなみに、頭を下げる者たちに対して、三人は全く頭を下げない。
涼が思い浮かべた四字熟語は、傲岸不遜であった。
「どうぞ、そちらへ」
部屋に入って、涼が勧められた席は部屋の中央。
涼の正面に、先ほどから口を開いている落ち着いた男。
涼の右に、深くフードをかぶった女。
涼の左に、決して太くはないが、かなり筋肉がついているのが、見える首筋から判断できる男。
そんな配置。
(正面に三人並んでくれれば良かったのに……)
涼はそんなことを考えた。
半包囲された状態というのは、気持ちの良いものではない。
何もないとは思うが、何かあってからでは遅い……。
(<動的水蒸気機雷Ⅱ>)
いわば、自動迎撃システムのような魔法で備えた。
自分の周囲にある空気中の水蒸気が、敵の魔法が来た場合に自動的に凍りつく。
短剣のような物理攻撃であっても凍りつく。
以前開発した<動的水蒸気機雷>を、物理攻撃にも対処できるようにしたのが、<動的水蒸気機雷Ⅱ>なのだ。
これで、涼は、少しだけ安心することができた。
「さて、我々の名前を知っていらっしゃるということは、残りの一人もご存じですね?」
正面に座った、落ち着いた声の男……恐らく彼が、アベラルド司教なのだろうと、涼は勝手に思った。
もちろん、いつもの適当推測だ。
アベラルド、ブリジッタ、チェーザレ、ディオニージ……頭文字はそれぞれ、A、B、C、D……。
そういう場合は、きっと、Aで始まる男がリーダーだろうという、適当推測。
だから、正面に座り、話を進める男がAのアベラルド司教に違いない!
「もう一人というのは、チェーザレさんですね。共和国の官警に引き渡したのですが、脱走されたとか。いったいどちらに行かれたのか……」
涼は穏やかに話した。
コーヒーなどの飲み物がないからイライラして……いたりはしない。
「チェーザレは、俺ら四司教の中で最弱」
左に座るディオニージに、涼の質問は黙殺された。
だが、そんな事は関係ないと思わせる、涼を歓喜させるセリフが!
(まさか、ここで近代日本最高セリフの一つに出会えるなんて! 四天王が四司教だけど、それくらいは誤差です! ああ、なんて素晴らしい)
涼は嬉しかった。
純粋に嬉しかった。
だから、思わず笑みがこぼれた。
「何がおかしい!」
ディオニージが怒鳴る。
まあ、このタイミングで笑みがこぼれたら、馬鹿にされたと思うのは仕方ないであろう……。
だが、考えてみれば、この教皇庁に入って、初めて怒鳴り声を耳にしたことに涼は気付いた。
本当に、この教皇庁というのは、静かなのだ。
宗教施設というのは、共通して、静謐な場所である……。
ともかく、左に座るディオニージが怒っている。
何か言うべきなのだろうが……。
「四司教の中で最弱……素晴らしいセリフだったもので、つい……」
とても素直に言ってしまった。
それには、正面に座るアベラルドも、少しだけ目を見開き、驚いたのが分かった。
まあ確かに、このタイミングで言うべきセリフかと言われれば……。
((絶対に、タイミングを間違っているな))
遠く離れた王都の王様が、茶々を入れる。
困ったものだ。
「貴様……」
ディオニージが怒って立ち上がり、右手を閃かせようとして……。
その瞬間。
「待て!」
右に座った女、ブリジッタの鋭い声がディオニージを打った。
止まるディオニージ。
「罠が張られているぞ」
言った瞬間、ブリジッタがフードの奥で、笑うのが見えた。
禍々しく。
「罠……だと?」
ディオニージは、ハッとして右手を再びだらりと垂らした。
そして、何かを探るように見る。
「くそっ、俺にはわからん」
だが、小さく、鋭くそう呟いた。
「面白いな……非常に面白い」
ブリジッタのその声は、小さいのだが、よく通る声。
「初めて見る魔法だが……これは……凍りつくのか? 異物が範囲内に入ると凍りついて、それ以上の侵入を拒む……クックック、これはすごいな」
やはり小さいままなのだが、笑い声が混じりながら、そんなことを言うブリジッタ。
さすがに、これには涼も驚いた。
待機状態の魔法効果を見抜いた?
(どんな原理なのかわかりませんが、それはとんでもない能力です……)
教皇庁に入って初めて、涼は、言い知れぬ恐怖を感じた。
絶望、ではない。
心が折れる、というのとも違う。
理解できない、恐怖……。
そんな時は、できる限り情報を集めるに限る。
「凄いですね! おっしゃる通りです。<動的水蒸気機雷>といって、敵対的な魔法を自動防御します。よく分かりましたね」
涼は自分から情報を開示した。
どうせ、何が起きるかばれているのだ。
それを餌に、情報を引き出すことが出来れば僥倖。
取られる駒は、取られる直前にこそ、最も働く。
「動的水蒸気機雷……面白い名前。敵対的な魔法……? 人が近づいても凍るんじゃないの?」
ブリジッタは、禍々しい笑みをフードの奥に浮かべたまま、そう問うた。
フードのために見えるのは口元だけだが……目元も見えていたら、もっと怖かったかもしれない……。
だが、涼はこれで一つの推測を得ることができた。
(この女性は、シミュレートする能力というか、先読みというか……条件を設定して、その後どんな展開になるかを頭に描くことができるのかもしれない。それが魔法なのか、それとも特殊技能なのかは分からないけど)
少しだけ、理解できた気がした。
恐怖心は和らいだ。
人は、やはり、全く分からない時、あるいは全く理解できない時に、最大の恐怖を感じるらしい。
お化けや幽霊を怖がるのと同じ原理。
少しだけでもわかれば、少しだけだが恐怖は和らぐ。
「面白いな。いや、私はその魔法以上に、リョウ殿が面白い」
「え?」
正面のアベラルドの言葉に、涼は首を傾げた。
何か面白い事を言っただろうか?
「今の会話だけで、ブリジットの能力を読み解いただろう?」
「いえいえまさか」
アベラルドの指摘に、涼は舌を巻きながら、否定してみせる。
当然、アベラルドが信じないであろうと思いながら。
「戦闘馬鹿のチェーザレだけでは話にならない相手だな。奴が負けたのも仕方がない」
アベラルドは小さく頷く。
「そういう人には、正面から聞いた方がいい。今日、リョウ殿に来てもらったのは、リョウ殿が教会に仇なすものなのかどうかを見極めるためだ」
「仇なす?」
「少なくとも、共和国では敵対した」
「ああ……。それは否定しませんが……でも、あれも、我が身を守っただけです。共和国と法国の戦争は、見ていただけでしたし」
アベラルドの指摘に、涼はきちんと説明をした。
基本的に、人助けと自分の身を守っただけだ。
「何にしろ、教会の害になると判断されれば、我々はリョウ殿を排除する」
「えっと……害になるかどうかは、誰が判断されるので?」
「無論、教皇聖下です」
そう言うと、アベラルドは座ったまま、深々と頭を下げた。
アベラルドだけではなく、ブリジットとディオニージも。
教皇への忠誠は絶対らしい。
この辺りは、確かに『司教』という高位聖職者だ。
「そうですか……害にならないといいですね」
「そうだな。リョウ殿が、どれほど強力な魔法使いであったとしても、我々には勝てぬからな」
涼が殊勝な表情で言うと、アベラルドは鷹揚に頷いた。
そこには、これまでの実績に裏打ちされた自信と、教会を代表する力……裏の力としての自負を感じさせた。
教会と教皇のためならば、表だろうが裏だろうが関係ないのかもしれない。
自分がその役に立てるのならそれでいい。
それを、狂信的と呼ぶ人もいるのかもしれない……。




