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水属性の魔法使い  作者: 久宝 忠
第二部 第五章 教皇庁
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0361 信仰

涼は気付いていた。

彼を見る視線の中に、以前会ったことのある視線が混じっていることに。


だが、動きというか所作というか……大きさや息遣いなどは以前のままなのだが、『動き方』が若干違うような気がしていた。


相手に、こちらが探っていることを知られたくないため、<パッシブソナー>のみなのだが……。

まあ、以前に比べて<パッシブソナー>の精度も上がっている。



日々の努力こそ大切!



あえて涼が、<台車>を使って目立ったのも、裏で<パッシブソナー>で探るためだ。

どうしても人の目は、目立つ<台車>の方に向かう。

そんなことをしている人間が、同時にソナーの魔法で探っているとは思うまいと……。



涼は、前を歩くカールレ修道士に問うた。

「その中庭の向こう側、三階って、いったい何があるんですか?」

「え……」

カールレの反応は、普通ではなかった。


涼は、悔やんだ。誤った質問だったのだ。


「あ、あの辺りは、私たち一介の修道士は足を踏み入れることのできない一角です。できればリョウさんも、近づこうとは思わない方が……」

若干、声も震えている。


「はい、わかりました。近づきません」

涼がそう言うと、カールレ修道士はほっと息をついた。


心の底から涼の事を心配してくれたらしい。

善い人である。



カールレのように善い人もいれば、視線の主のように恐ろしい人もいる……。

以前会った時には、確か『司教』だったはずだ。

同じ『聖職者』でも、いろいろらしい。



涼自身は、宗教にたいしては、忌避感も、逆にのめり込んだこともない。

地球にいた頃、いわゆる『聖書』は、学問の一環として読んだことはある。

旧約聖書も、新約聖書も。

西洋史学専修ならば当然だろう。


同級生には、有名な神社の宮司を継いだ者もいる。


室町から続くお寺を継いだ国語の先生もいた。


結論としては、宗教に関わっている人たちも、関わっていない人たち同様に、善い人もいればそうでない人もいる。

勝手に、そんな結論を下していた。


その観点から見るなら、目の前のカールレ修道士も、視線の主も、あるいはちょっと陰があって、時々怖い部分も感じさせるグラハム枢機卿も、特に異質ということはないのだろう。


そう。

そもそも、涼が引き継いだ黒い冊子の錬金術は、暗殺『教団』を作り上げたハサンによるものだ。

つまるところ、暗殺者だって悪い人ではない……。



……いや、さすがに暗殺者は悪い人な気がする。




「グラハムさん、こちらが本日の書類です」

「ああ、ご苦労様です」


涼は、今日も無事にお仕事をこなした。


ここから先は、プライベートだ。

そのために、ちょっとした質問を、目の前の枢機卿にすることもある。


「グラハムさん、ちょっとお尋ねしたいことがあるのですが」

「ん? どうしました。今日は余裕がある、というほどではないですが、二、三分なら大丈夫ですよ」

グラハムは、枢機卿という西方教会における頂点近くの地位にいるのだが、どこかの王様のように書類まみれにはなっていない。


以前聞いたところによると、枢機卿の仕事の多くは、書類ではなく言葉によるものらしい。



素晴らしい!



というわけで、あまり時間があるわけではないので、涼はずばり聞くことにした。

「教皇直属第三司教のチェーザレについて知りたいのです」

「それは……」

さすがのグラハムも、そんなことを聞かれるとは想像していなかったのだろう。

言葉に詰まった。


涼が、その情報を知っているのは、もちろん、マファルダ共和国でバンガン隊長とアマーリア副隊長の命を救った時に、二人の会話に出てきた言葉だからだ。


「教皇直属の暗殺部隊を率いる四司教の一人」

そこまでが、涼が知っているチェーザレの地位に関する情報のほぼ全て。



「答える前に、なぜリョウさんがチェーザレについて知っているか教えてもらえますか?」

「ああ、そうですね。実は、ちょっと前に、ヒューさんに依頼されてマファルダ共和国に行っていたのですが、その時に少しだけ戦うことがありまして……」

「もしや……彼を倒しました? 倒されたチェーザレは、共和国の官憲に引き渡されたりしました?」

「はい、よくご存じで」

「なるほど……」


涼の説明に、グラハムは何か思い当たる節があったのであろう。

少し考えた後で、言葉を続けた。


「チェーザレが、共和国に捕まったらしいという話は流れてきていました。数日後には脱獄したようですが」

「ああ、そうなんです」


確かに、共和国を出る前に寄った特務庁でそんな説明を受けた。



グラハムは、チェーザレと四司教について説明を始めた。


「彼らは、『教皇の四司教』と呼ばれます。その名の通り、教皇聖下直属ですので、他の司教たちとは比べ物にならないほどの地位と権力を有しています。場合によっては、司教の上の大司教よりも。四人の名前は、アベラルド、ブリジッタ、チェーザレ、ディオニージです。それぞれ、二十人ほどの暗殺部隊を率いており、今回の共和国への干渉のような、裏の仕事を行っています」


グラハムはここで言葉を一度切り、コーヒーで喉を(うるお)してから言葉を続けた。


「率いる暗殺部隊も厄介ですが、それ以上に、彼ら四人の個人戦闘力の高さが、最も厄介と言えるでしょう。一国の国主の寝所に忍び込み、寝首をかくなど造作もない……そう言われています。西方諸国のほとんどが、教会の意向に逆らうことがない理由の一つは、彼らの存在だという者すらいるほどに」

「なるほど……」

グラハムの説明に、涼は頷いた。


「基本的に、彼らは、この教皇庁内ではその力を振るうことはないと言われています。『制約』があるとか。ですが、私個人としてはそんなものは信じていません。リョウさんも……まあ、リョウさんの戦闘力なら大丈夫かもしれませんが、それでも気をつけてください。いつも、一対一とは限りませんから」

「はい。肝に銘じておきます」



「カールレ修道士」

グラハムが、少し大きめの声で呼ぶと、隣の部屋に控えていたらしいカールレが入ってきた。

「はい、猊下(げいか)

「リョウさんを外まで案内してください。私は、第八司祭団の方々との研究に行きますので」

「畏まりました」




グラハム枢機卿が第八司祭団との研究に向かう途中の廊下。

「グラハム枢機卿」

「ああ、これはアドルフィト枢機卿、こんにちは」


アドルフィトと呼ばれた男は、六十代半ば、一メートル五十センチほどの身長、髪の毛は全て剃り落とした、ある意味、非常に印象的な……無視できない雰囲気を持つ男。


もちろん、表情はにこやかに微笑んでいる。


十二人の枢機卿の中でも、最も搦手(からめて)を得意とし、裏の仕事に通じ、目的のためなら手段を選ばない人物だと言われているが……。

そんな評判は、見た目からは、全く推し量ることはできない。


もちろんそれは、アドルフィトだけに言えることではなく、他の枢機卿に関しても言えることだ。


いずれも、(よこしま)さのかけらもない……それは当然。

なぜなら、西方教会の高位聖職者なのだから。


そんな邪な雰囲気なりなんなりを漏らしているような人物が、高い地位に上がれるわけがない。

当たり前の話なのだ。



それはもちろん、グラハムに関しても言えること。



「これから研究ですかな?」

「はい。第八司祭団の方々と、ニュー様の秘蹟(ひせき)について」

にこやかにアドルフィトが問い、グラハムもにこやかに答える。


ニュー様とは、西方教会の開祖のことだ。


「グラハム枢機卿の、ニュー様に関する論文は、いずれも高い評価を受けておりますからな。いつか私も、研究に混ぜていただきたいものです」

「ええ、ぜひ」

にこやかにアドルフィトが言い、グラハムもにこやかに答える。


「それでは」

「はい、失礼します」

挨拶を交わし、二人は別れた。



もちろん、にこやかなままに。



当然、舌打ちも、ため息も、呟きもない。

呼吸すら、正常時のまま。



それが、教皇庁。



(今も昔も、息苦しい場所だ)

グラハムは、表情も変えず、呼吸も変えず、もちろん歩調も変えずに、心の中でそんなことを思った。


心の底から敬愛する、開祖ニューの事を考え、その秘蹟を想像し、辿った道を調べる時だけ、本当の癒しを得ることができた。


(ここはもはや、ニュー様の望んだ場所ではなくなっている……)


グラハムは、心の中でため息をついて、研究に向かうのであった。


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