0359 教皇庁という場所
「第五章 教皇庁」開幕です。
次の日。
王国使節団団長ヒュー・マクグラスは、供の者を連れて教皇庁に出向いた。
供の者とは、ニルス、エト、アモン、涼、ハロルド、ゴワン、そしてジークである。
「ナイトレイ王国使節団団長ヒュー・マクグラスだ。グラハム枢機卿に就任祝いを伝えにまいった。約束はしてある」
一行はすぐに、教皇庁の奥に通された。
普段、オスキャル枢機卿と面談をする表に近い部屋ではなく、かなり奥……。
おそらく、教会関係者以外はなかなか入ることはないであろう場所。
行き交うのは、教会のローブに身を包んだ者ばかりだ。
「いきなり襲撃を受けたら、さすがにヤバいですね!」
なぜか嬉しそうに、危機を嬉々として語る涼。
「いや、なんで嬉しそうなんだよ」
ニルスはちゃんとつっこむ。
最近は、アベルにも匹敵するつっこみだと、涼は高く評価している。
そしてエトは笑いをこらえ、アモンは苦笑する。
十一号室の三人は、賢明にも表情を変えずに聞き流す……。
「リョウ、不吉なことを言うな」
とてもまともな言葉で窘めたのは、ヒューであった。
この八人の中で最も常識人なのは、強面巨漢の団長なのだ……。
一見脳筋に見えるが、常識人で、なおかつ頭脳もきちんとしている……。
一行が通された部屋は、驚くほど広かった。
学校の体育館ほどの広さといえば分かるだろうか。
バスケットコート二面分。
その中に、二十人は座れる会議机、十人以上は座れる応接セット。
そして、一番奥に、執務机と人が一人……。
それは、枢機卿となったグラハムであった。
「よく来てくれました、マスター・マクグラス。それと皆さん。……ん?」
そこまで言って、グラハムは訝しげに一行を見た。
そして言葉を続けた。
「失礼ですが……また、怪異に会われましたか?」
「はい……」
グラハムの問いに、エトが答えた。
他の五人も頷く。
目を見開いて驚いているのはヒュー。
もちろん、一行が超常の者に会ったという報告は聞いているが、なぜグラハムがそれに気づいたのかが分からないからだ。
「ちょっと失礼。<イビルサーチ>」
グラハムは、唱えると、しばらくして何度か頷いた。
「やはり、この前と同じものですね。聖煙で払っておきましょう。ちょうど、そこに焚いてありますから」
なぜ焚いてあるのか分からないが、一行にとっては幸運であった。
一行の知らない、何か深い理由がありそうだが……何となく、今は聞けなそうな感じなので、涼ですら黙っていることにした。
だが……。
「この聖煙は、毒を浄化する事もできます。この部屋にいても、毒を撒かれる可能性がありますからね。不可視の毒である可能性を考えて、常に焚いているのです。それと、この聖煙は、魔法などによる盗聴を防ぐこともできます。なかなか万能な煙なんですよ」
グラハムの方から説明してくれた。
それも笑顔で。
自らの命が危険にさらされているかもしれないというのに……笑顔で。
「それは……大丈夫なのか?」
ヒューが案じて尋ねる。
「まあ、仕方ありません。ここはそういう場所なのです」
グラハムの笑顔は、今度は苦笑いに変わった。
「開祖ニュー様が望まれた姿からは、大きくかけ離れてしまったのですがね」
そう言うと、グラハムは小さく首を振った。
「特に、私は新入りですので、他の枢機卿に比べれば権力基盤は脆弱です。いわゆる、暗殺部隊も持っていませんからね」
「聖職者が暗殺部隊とか……」
グラハムの説明に、ヒューが首を振りながら呟いた。
もちろん、非難してではない。
理想と現実の乖離を受け入れつつ、理想までの距離の遠さを嘆いてだ。
「個人の間では、法律や契約書や協定が、信義を守るのに役立つ。しかし、権力者の間で信義が守られるのは、力によってのみである……」
涼の呟きに、グラハムは少しだけ驚いて目を見開いて言った。
「そう、リョウさんのおっしゃる通り。どこかで、権力の掌握について学ばれましたか?」
「いえ……昔、故郷の図書館にあった本に書いてあっただけです」
「権力者の心得が書いてある本がある図書館とか……」
ハロルドのその呟きは、隣のジークにだけ聞こえた。
ジークも同意して頷く。
もちろん、涼が諳んじた一節は、マキャヴェッリの『君主論』の一節だ。
君主論なのだから、君主の心得的なことが書いてあるのは当然である……。
「何よりもまず最初に、しかもただちに、土台を固めなければならない。他の者がずっと以前から用意してきたことと同じことを、就任と同時に、時をおかずに実行する心構えが不可欠だ……とも書いてありました」
「そう……そうなのです。そのため、枢機卿就任と同時に、昔馴染みの者たちを、いくらか呼び寄せました。その中には、ローマンパーティーで一緒だった魔法使いたちも」
涼の言葉に、グラハム枢機卿は大きく頷いて、そう言った。
ローマン……勇者ローマンと共に活動したパーティーメンバー……。
ヒューは、一人ひとりを思い浮かべた。
斥候モーリスは、ヒューの部屋に忍び込んできたので知っている。
火属性魔法使いのゴードン、風属性魔法使いのアリシア、土属性魔法使いのベルロック……そして、エンチャンターのアッシュカーン。
いずれも、一流の冒険者たち。
勇者ローマンは、魔王と共に中央諸国へ秘密裏に亡命したが、それでも残された者たちが、強力なメンバーであることに変わりはない。
自らの陣営に強力な手駒を集めるのは、権力争いをする者たちとしては当然の行動だが……。
(俺はやりたくない……)
ヒューは心の中でそう思い、心の中で首を振った。
「今日中にも、正式に通達されると思いますが、中央諸国使節団の交渉窓口が、オスキャル枢機卿から私に代わります」
「そうなのか?」
グラハムの言葉に、驚いて問い返すヒュー。
「まあ、私は、マスター・マクグラスはもちろん、デブヒ帝国の先帝陛下とも面識がありますので、適任と言われれば適任です。そういうわけで、いろいろとやり取りも増えると思いますので、よろしくお願いします」
「いや、こちらこそ」
一行はグラハムの下を辞し、廊下に出た。
そこは三階の廊下。
窓から、中庭が見える。
涼はふと、その中庭を見た。
その中庭を、見知った顔が歩いていた。
四人の修道士に囲まれて。
「ニールさん?」
そう、共和国で錬金術について語り合ったニール・アンダーセン。
彼だ。
見間違えたりはしない。
(暗黒大陸に行くって言ってたはずだけど……予定が変わったのかな?)
理由を知る術はない。
ただ、少しだけ、涼の心に引っかかった……。




