0344 賭け金
七人の警備兵らしき者たちが、涼が座るソファーを、遠巻きに取り囲んでいる。
涼はあっけにとられて、ソファーに座ったまま。
最後に、扉をくぐって入ってきた男が、指揮を執っているらしい。
「局長、どういうことですか!」
その男に向かって、語気荒く問いかけているのは、バンガン隊長。
そのすぐ後ろには、アマーリア副隊長もいる。
「バンガン、この男はナイトレイ王国の公爵などではない。我らが何も知らぬと思って、騙しおったのだ」
「いや、ですが……国境で、身分プレートでの確認を行ったと聞きました。身分プレートの偽造は、事実上不可能です」
「我々の知らない何らかの方法で偽造したのであろう。我らとて、教会の内部情報を手に入れることはできる。当然、そこには、中央諸国使節団一行の情報もある。使節団の中には、王国の公爵などはいなかった」
「なんですって……」
局長と呼ばれた男が説明し、バンガンは絶句した。
そこで、涼はようやく理解した。
理解できれば落ち着く。
人とはそういうものだ。
(<アイスウォール10層>)
いちおう、自分の周囲に氷の壁を張る。
突然、飛び掛かられたら面倒だ。
調整して、目の前に置かれたコーヒーは、ちゃんと壁の内側に入るように……。
そこで、涼は小さくため息をついた。
どうしたものかと。
今回の件、涼には全く非がない。
二人の命を救った。
それなのに、誤解されて逮捕されようとしている。
つまり……これは、絶対に勝てる勝負。
涼は心の中でニヤリと笑う。
ただ、この場では誤解は解けないであろう。
それは仕方ない。
勝負は、いつもいつも、その場で決着がつくとは限らないのだ。
しかしながら、今回涼が持つ手札は強い。驚くほど強い。
手札が負けないものならば……ロイヤルストレートフラッシュであるのならば、降りる必要は全くない。
むしろ、ここでやるべきは、できる限り賭け金を吊り上げること。
「理解しているのでしょうね?」
あえて、涼はゆっくりと、言う。
わざわざ足を組み、さらに、ゆっくりとコーヒーを飲む。
「中央諸国の中でも大国であるナイトレイ王国、その筆頭公爵を逮捕するという意味を」
あえて言葉を切り、局長と呼ばれた男を見る。
その目には、抑えた怒りを滲ませながら……。
「私も鬼ではない。誤りであったことを認めるのであれば、今、この場で謝罪するのであれば、許してあげましょう」
いつもとは違う、だが、高い地位にある人間の持つ余裕と、力強さを伴った声。
そして、もう一口、コーヒーを飲む。
「ふ、ふざけるな!」
局長は怒鳴った。
謝るつもりはないらしい。
「証拠は挙がっている!」
絶対の自信を持っているのだ。
だが、証拠の出処が間違っていれば……?
「何が間違っているのか、教えてあげましょう」
涼はうっすらと、本当にうっすらと、微笑む。
それは、周りを囲んでいる者たちにとっては、驚くほど不気味であった。
局長にとっては、不気味さを通り越して、恐怖に近い……。
明確に、涼の『圧』に、当てられていた……。
「あなた方が確認すべき先は教会ではない。使節団そのものに確認すべきだ」
「なんだと……?」
実際、涼の事を知っている中央諸国使節団員はそれなりにいるが、涼が『王国筆頭公爵』であることを知る者は、そう多くない。
もちろん、王国の護衛冒険者たちは、ほとんど知っているのだが……涼が、冒険者として振る舞う時には、『C級冒険者リョウ』として扱ってほしいということを分かっているので、以前の通り接している……。
コーヒーを飲み干すと、涼は立ち上がった。
「では、私は宿に帰らせてもらいましょう」
「待て!」
局長のその声に合わせて、涼の後ろにいた警備兵が手を伸ばすが、何やら見えない壁に遮られた。
「なんだ?」
「物理障壁?」
完全に透明な氷の壁と、物理障壁は、普通の人間には見分けがつかないのかもしれない。
文字通り、誰も手を出せない。
涼が進むと、前方にいた人たちは、<アイスウォール>に押し出される。
遠巻きにしたまま、誰も手を出せず、涼は諜報特務庁の門を出るのだった。
局長の向こう側で、バンガン隊長とアマーリア副隊長が、深々と頭を下げたのが見えた。
二人は善い人らしい……。
涼が抱いた、諜報特務庁全体に対する悪印象は、二人によって幾分和らいだ。
「おかえりなさいませ、リョウ様」
涼が泊まる宿ドージェ・ピエトロの受付は、涼を認識すると、恭しく一礼して言った。
この時間の受付は、素敵なお兄さんだ。
情報共有が完璧になされているのであろう。
名乗らずとも、涼を認識している。
「ただいま」
涼は答えながらも、左手にあるラウンジの小さな黒板に目を奪われていた。
「すいません、あのラウンジの、『今月の黒板ケーキ』って……」
「はい。今月は、『グラサージュショコラで覆ったムースショコラ』で、当店パティシエの新作オリジナルとなっております」
何やらよく分からないが、美味しそうなケーキなのは確かだ。
だが、それ以上に重要な単語があった。
グラサージュ……『ショコラ』、ムース……『ショコラ』と。
「ありがとう、食べてみます」
涼はそう言うと、ラウンジに移動し、『今月の黒板ケーキ』とモカコーヒーを注文した。
出てきたケーキは……。
「やはり……チョコレート……」
そう、涼は『ファイ』に転生して、初めて、チョコレートに出会った。
そのケーキは、円柱状で、表面をグラサージュショコラ、要は溶かしたチョコレートに覆われているというべきか……コーティングされたというべきか。
当然、今は固まっているのだが。
そこにフォークを入れる。
パリッと表面のチョコが割れる。
一口大を切り出し、口に運ぶ……。
「おお、甘い……」
そのチョコレートは甘かった。
カカオ100%のようなものではなく、普通の地球人が『チョコレート』と聞いて思い浮かべる、甘いチョコレート……。
そう、こういうチョコレートは特に……、
「コーヒーに合う……」
涼は、ひと時の至福の時間を過ごした。
ケーキを食べ終え、コーヒーを飲んでいると、何やら聞こえてきた。
((リョウさん? 聞こえますか?))
((あれ? ケネス?))
基本的に、涼が耳につけているのは『アベルの魂の響』なので、聞こえてくるのはアベルの声のはずなのだが……今回は、ケネスの声が聞こえてきた。
まあ、確かに、ケネスが開発した錬金道具ではあるのだが……。
((あ、はい。ちょっと、急いで新たな錬金道具を作りまして、リョウさんと直接話せるようにしました。とはいえ、もちろんアベルさんの『魂の響』ですので、今も、ずっとアベルさんにその新しい道具を触ってもらっています。その間は、こうして話すことができます))
何やら、新たな道具を作ったらしい。
しかも、それを通して涼と会話するためには、アベルが常に、その道具に触っていないといけないらしい。
きっとアベルは、左手でその道具に触れながら、右手はいつも通り書類にサインをしているに違いない……。
国王陛下は、いつも大変なのだ……。
((うん……なんとなくわかった。で、ケネスが来てくれたってことは、例の『融合魔法』についてだよね?))
((はい。リョウさんが、西方諸国で、融合魔法に遭遇したと聞きまして))
((うん、多分ね))
そう言うと、涼は、チェーザレと呼ばれた男と、周りの者たちの事を話した。
魔法の威力や、ブローチなども。
((なるほど。それほどの威力なら、融合魔法の可能性は高いですね。西方諸国の魔法レベルは、中央諸国よりも高いと言われてはいますけど、それでもさすがに、リョウさんの氷の壁を、一撃で九層も破るというのは考えにくいです。ですけど、融合魔法を使えば……不可能ではなくなります))
((おぉ……))
それは恐るべきことだ。
魔法の威力を上げたい……それは、魔法使いならば誰しも思い、願うことの一つであろうし。
それを可能にする錬金術、そして融合魔法……油断できる相手ではない。
((以前も言いましたけど、融合魔法の中でも最もやりやすくて、効果が出やすいのは、魔法の重ね掛けです。おそらくその人たちも、同じ魔法を重ね掛けして出力を増やしたのだと思います))
((つまり、一回の詠唱で、何回分もの魔法を放った、ってこと?))
((ええ、そうです。そういう認識で間違っていません))
((でもそうなると、魔力が……))
((そうなんです。五回分重ね掛ければ、五回分の魔力を消費します……))
((なるほど。持久力を犠牲にして、最大瞬間出力を上げた、か……))
だが、単純にそれだけではない可能性があるらしい。
((基本的には、五回重ね掛けすれば五回分の魔力を消費するのですが、使う魔法式と錬金道具に使う魔石などの品質によっては、三回分くらいの魔力でもいけるような……省魔力化が可能になることが、最近になってわかりました))
((なんと……))
((魔法式の中のループ機構の部分を、少し工夫するんですが……))
三年前に比べれば、格段に進歩した涼の錬金術関連の知識であるが、それでも完全理解はまだできないほどの説明……。
涼は、もっと勉強しようと、心に誓った……。
とはいえ、ある程度のことは理解できた。
持久力を犠牲にして、瞬間火力を上げる。
((でも、融合魔法ってケネスが発表したんでしょう? それをすぐに取り入れて、ここまでの完成度に仕上げるって、けっこう凄いんじゃ……))
((ええ、凄いですね))
ケネスが、向こう側で、何度も大きく頷いているのが、涼には見えた気がした。
((フランク……連合で人工ゴーレムを作った、フランク・デ・ヴェルデなどであれば、やれそうですよね。西方諸国だと……よくわかりませんけど。でも、かなりの錬金術師がいるのだと思います。リョウさん、くれぐれも気を付けてください))
((うん、分かった。ありがとう))




