0335 勇者と魔王
それから一週間、一行は、一度聖都マーローマーに戻った。
使節団への報告のために。
使節団宿舎一階ロビー奥のラウンジ。
「なるほど。状況は理解した」
団長ヒュー・マクグラスは報告を受け、大きく頷いた後、そう言った。
「テンプル騎士団とかいうのが動いているというのも、オスキャル枢機卿から聞いてはいたが……」
オスキャル枢機卿は、中央諸国使節団をもてなす教会側責任者の一人だ。
特にハロルドの件においては、『聖印状』の発行など、事の最初から、使節団にかなりの融通を図ってくれていた。
「氷の床と雹か……リョウらしいと言えばリョウらしいか……」
その呟きは小さかったため、美味しそうにケーキとコーヒーを堪能する涼の耳には届かなかった。
ヒューのすぐ目の前で報告していたニルスとエトには、聞こえたが。
「まあ、力づくで排除したわけじゃないのなら、問題ないだろ。何とでも言い訳はつくしな」
ヒューは特に問題にしなかった。
「ということはだ、後は魔王の血だな。教会上層部に届けろということだが、まあ、届ける相手は一択だ……」
「その、オスキャル枢機卿ですね」
「ああ。使節団との交渉役の一人として、聖都に詰めているから、まあいつでも会ってくれるだろう。もちろん、オスキャル枢機卿がずっと味方である保証はないが……。まあ、そこは仕方ない。しかし、マーリンが魔人とはな……」
ヒューは、マーリンが魔人であることが気になっているようだ。
「グランドマスター?」
「いや……南の魔人が解放された時に遭遇しただろ? で、今回の魔人だろ? どちらの魔人も、伝承で聞く『破壊的な』感じではない気がしてな……」
ヒューは、思い出しながらそう答えた。
「確かに、南の魔人はそうでした。ただ、今回のマーリンは、ずっと魔王軍の参謀役として、何千年も人と争ってきたらしいですから……本来の姿がどうなのかは分からないかと」
ニルスは言う。
「なるほどな。今回、友好的とも言っていいのは……」
ヒューは、そこで区切ると、美味しそうにケーキを食べている涼を見た。
「リョウがいるからか」
「ええ」
ヒューの確認に、ニルスが頷く。
「まあ、魔人などというものは、どうせ人が争って勝てるものではないからな……」
ヒューのその呟きは、ため息交じりであった。
マーリンと約束した一週間後。
一行は、八十層に潜った。
転送後、すぐにマーリンが目の前に現れた。
「よく来た。では、参るか」
その言葉が終わるか終わらないか……すぐに、一行を浮遊感が襲い、すぐに地面に降り立った。
足元は草原。
見上げれば青い空がある。
見える範囲に、小さな家が一軒。
遠くには、森が見える。
「む? 何か変じゃな」
マーリンが小さく呟く。
その瞬間であった。
影が飛び込んできて、一行の一番外側にいたニルスに……。
ガキンッ。
影の、高速の打ち下ろしを……氷の剣が受け止めていた。
「ローマン、危ないですよ?」
「え……え? リョウ、さん……?」
飛び込んできた影は、勇者ローマンであった。
「申し訳ありませんでした……」
勇者ローマンが謝る。
「いや……」
ニルスは、それ以上言葉を繋げられない。
「ローマンの聖剣アスタロトは、普通の剣で受けたら砕け散るんですよね? 僕の村雨でよかったです」
涼が、したり顔で頷きながら答える。
「勇者よ、いったいどうしたのじゃ?」
「マーリン殿、ここは敵に……教会に包囲されたようなのです」
「なんじゃと……」
勇者ローマンは現状を説明し、マーリンは絶句した。
「それで、いきなり気配を感じたので、敵が突入してきたのかと……」
「だから突っ込んできたと……」
ローマンが説明を続け、エトは頷いて答えた。
「さて、どうするか……せめて説明くらいはしたかったのじゃが」
マーリンが呟く。
「時間を稼ぐだけなら、この辺りを氷の壁で覆いましょうか? 突破するのに、多少の時間はかかるはずです」
「<アイスウォール>ですね!」
涼の提案に、勇者ローマンが頷く。
「うむ、では頼むかの」
マーリンも頷く。
「<アイスウォールパッケージ>」
家と、その周囲をまとめてアイスウォールで覆う。
これで、説明の時間くらいは稼げるであろう。
家の中にいたのは、可愛らしい顔立ちの、一人の少女であった。
十五歳か十六歳くらいであろうか?
一行が入っていくと、立ち上がって挨拶した。
「は、はじめまして。ナディアです」
緊張しているのか、少し顔が赤い。
「あ、はい、はじめまして」
涼は言葉を発し、他の六人は無言のまま頭を下げた。
「ナディアは、今代の魔王じゃ」
「ああ、なるほ……ど……?」
マーリンが、特にもったいぶらずに説明し、涼が頷こうとして失敗し……他の六人は、そのまま固まった。
固まった六人がまだ固まったまま……真っ先に回復したのは涼であった。
体形は人間。少女。
頭にツノは……ないっぽい。
尻尾は……これもないっぽい。
目の色は……こげ茶色。赤や金ではない。
指は五本……すごく爪がとがっている様子もない。
歯は……特に犬歯が発達している様子もない。
結論、人間種。
「ナディアさんは、人間……ですよね?」
「はい」
涼の確認に、ナディアは頷いた。
つまり……。
「人間が魔王になることもあると。魔王子が魔王に進化したパターンじゃないやつ」
「マジか……」
涼が確認し、ニルスが呟いた。
「非常に稀な例じゃ。常に、代々の魔王に付き従い、百人を超える魔王を見てきたが、人の魔王はナディアともう一人しか知らぬ」
マーリンですら、稀な例という。
「あれ?」
涼は気づいた。どうみても、目の前のナディアは、十代半ばだ。
人間らしいので、多分、見た目通りなのではないか。
そうであるのなら……。
「もしかして、三年前に魔王を討伐したとか発表されたけど……実は、討伐なんてしていない?」
「はい、していません。教会には偽の証拠を出しました」
勇者ローマンは、あっさりと認めた。
まあ……こんな可憐な少女が出てきたら……魔王だから倒せ、と言われても、ローマンは倒せないだろう。
涼は納得した。
しかも、魔王軍を起こして人類と敵対しているならともかく、ここ百年はそんなこともないらしい。
となれば、無理に倒す必要は無いのかもしれない……。
「さて、まずは、使節団の問題を解決するかの」
マーリンが、ハロルドの方を見て言う。
「あ、はい。お願いします」
ハロルドが進み出る。
ローマンが聖剣を抜き、切っ先をナディアに向ける。
ナディアが、右手の人差し指の先を、聖剣に当て、斬った。
そして手を伸ばし……流れる血を、ハロルドの額に垂らす。
その瞬間、光が弾けた。
「おぉ……」
思わず、そう呟いたのは、ジークだったか、ゴワンだったか……。
光が収まる。
「霊呪は、解けました」
ナディアは笑顔で、そう言った。
「あ……ありがとうございます……」
ハロルドの目の端には、少しだけ光るものが……。
そんなハロルドに抱きつくジークとゴワン。
「よかった……」
「うんうん」
涼が呟き、アモンが同意する。
ニルスとエトは、お互いに頷いた。
ようやく、ハロルドは、破裂の霊呪から解放されたのだった。
「さて、次は、こちら側の問題じゃ」
マーリンがそう言うと、勇者ローマンが一つ頷いて、奥から壺を持ってきた。
陶製ではなく、金属製の壺。装飾はなかなか豪奢だ。
容量は二リットルほどだろうか。
「簡単な錬金術を施した壺じゃ。教会のやつのように、何十年もの保存はできんが、数か月なら血は劣化せぬ」
マーリンはそう言って蓋を開けた。
それをニルスが覗き込むと、血がたっぷり入っているのが見えた。
「わかった。責任をもって、教会に届ける。手はずは整っている」
「うむ、頼んだ」
ニルスが引き受け、マーリンが頷いた。
「とはいえ、ここを脱出しないことには、あれだがな」
「それは問題ない。先ほどと逆で、わしのダンジョンに転移すればよい。じゃが、問題は……」
マーリンはそこで言葉を切って、ナディアとローマンを見た。
「二人も、もうここには居れぬ」
「はい……」
マーリンが告げ、ナディアとローマンが異口同音に答える。
周囲を、教会の手勢が包囲しているのだ。
氷の壁で囲っているとはいえ、教会にだって強力な魔法使いはいるだろう。
あるいは、涼たちの知らない西方諸国の魔法もあるかもしれない。
いずれは突破される……。
「逃げるのは簡単じゃ。わしのダンジョンに行けばいいが……問題はその先じゃ」
「ずっとダンジョンに引きこもっているのは……?」
「ダンジョンは魔力が籠もりすぎておる。魔王にはつらい環境じゃ」
エトがまっさきに考えつく提案をし、マーリンが却下する。
「どこか教会の手の届かないところがよいのじゃが、そんな国は無い……」
西方諸国のほとんどは、西方教会の多大な影響下にある。
「唯一、完全政教分離を唱え、西方教会の支配下にないといえる国は、マファルダ共和国だけじゃが……あそことて、教会のスパイはいたるところに入っておる。二人が入れば、すぐばれるわい」
マーリンが呟く。
(共和国とかあるんだ……)
涼が驚いたのは、そこであった。
中央諸国には、涼の知る限り共和国は無い。
少しだけ興味を持った。
「二人は……一緒に隠れるんですね?」
「はい……」
ジークの確認に、ナディアとローマンが異口同音に答える。
ナディアは、顔を真っ赤にしている。
ローマンは、しっかりとジークを見て答えている。
「まあ、そういう事じゃ」
マーリンは、ニヤリと笑ってそう答えた。
「なるほど」
涼はしたり顔で何度も頷く。
そう、愛があれば種族の違いなんて……あ、いや、二人とも人間。
そう、愛があれば魔王と勇者だって……まあ、ラノベにありそうな展開だ。
「西方諸国に無いとなると……」
涼の呟きは、横にいたニルスにだけ聞こえた。
((アベル、アベル、アベル。至急至急、急いで応答してください!))
((いや、聞いてたから。どうせ、そういう提案をするだろうと思っていたさ))
((え? 僕が何を聞きたいか分かっているんですか?))
((ローマンとそのナディアを、ナイトレイ王国で受け入れてくれないか、だろ?))
((その通りです! さすがアベル! どうですかね? もしお金が足りないなら、僕が貰っている貴族年金を少し減らしても……))
((金は問題ない。そもそもリョウには、国から年金などやっていない。国王特別顧問とかいう職位手当を少しやってるだけだ。まあ、それはいいとして、もちろん王国は二人を受け入れる用意がある。幸い、貴族の数もまだ少ないままだから、望むなら貴族位につけてもいいし、静かに生活したいなら田舎暮らしもいいだろう。その辺りは、しばらく王国で暮らした後で決めてもいい。おいおい決めるのでも大丈夫だぞ))
即決であった。
この辺りの判断の早さは、涼がアベルを高く評価している点の一つだ。
年金を貰えていないというのはちょっとショックだったが。
ラノベ的知識は、誤りが多いのかもしれない……。
「ローマン、それとナディア。中央諸国に来ませんか?」
「え?」
涼の提案に、二人は驚いた。
さすがに、中央諸国に移住することまでは考えていなかったのだろう。
「今、確認が取れました。中央諸国、ナイトレイ王国は、二人の移住を歓迎するそうです」
「それってどういう……」
「ナイトレイ王国国王アベル一世の、直接の許可をいただきました」
「アベル? もしかして、『赤き剣』のアベルさん?」
ローマンは、アベルが国王になったことは知らなかったようだ。
西方諸国に住んでいたのだから仕方ないだろう。
「そう、そのアベルです。いろいろあって、僕はアベルと直接話せるのですが、今、許可をもらいました。どうでしょうか? ローマンは、一度王国に来たこともありますし、アベルの事もよく知っていますよね。何せ、王都の路上で、死闘を繰り広げた仲ですし」
「あはは……」
涼の言葉に、苦笑するローマン。
だが、初めてそれを聞いた一行六人は驚いている。
そして、ナディアも驚いていた。
「その、私は、魔王なのですが……それでも良いと……?」
「はい。勇者ローマンと魔王ナディア、二人とも受け入れるそうです」
ナディアの確認に、笑顔で頷く涼。
「面白い……実に面白いな」
マーリンが、何か嬉しそうだ。
「ナイトレイ王国と言えば、あのリチャードが王じゃった国であろう? 血は争えんな……懐の深さというか、器の大きさというか……実に面白い」
マーリンは、中興の祖リチャード王を知っていたらしい。
そして、衝撃的なことを言った。
「わしのダンジョンからであれば、ナイトレイ王国の王都クリスタルパレスまで、転移で送ってやれるぞ」
「マジか……」
思わず呟くニルス。
「まあ、一度送って、戻ってきたら、貯蔵魔力が足りなくなるゆえ、数年は使えなくなるがな。それも、二人のためというのなら惜しくはない」
マーリンは微笑みながら言う。
ローマンとナディアは、見つめ合った。
何も言葉は交わさない。
眉が揺れることなく、唇が動くこともない。
だが……。
どちらからともなく、頷く。
そして、ローマンが口を開いた。
「王国に参ります」
全ては、第二部最終章のため。
そして、第三部以降のために。
勇者と魔王がくっつくのは、王道ですよね!




