0334 暗黒時代と暗黒大陸
宿『聖都吟遊』の中は、安全であった。
もちろん、テンプル騎士団は、宿にまで面会を求めてきたのだが、宿側が丁重にお断りしたのだ。
後で聞いたところによると、宿の主は、教会のなんとか言う枢機卿と仲がいいとかで、テンプル騎士団といえども無体なことはできないということであった。
やはり、高いお宿には、高いお宿の利点がある。
翌朝、『聖都吟遊』が用意した馬車で、一行は西ダンジョンの入口まで移動した。
歩いても五分ちょっとの距離なのだが、宿側が色々と配慮してくれたのだ。
高級宿のホスピタリティ、おそるべし。
こうして、一行によるダンジョン攻略は再び始まった。
結局、ダンジョン攻略を続けた一行が、赤い老人であるマーリンに会ったのは、八十層の攻略を終えた時であった。
「地図もないのに、一日十層ずつ攻略するとは、とんでもないのお」
白髪、幅広の赤い帽子、赤いローブ、杖をつき、少し俯いた老人が一行の前に突然現れ、そう言ったのは八十層の『石碑』前であった。
「マーリン殿に、できるだけ早く会うために」
ニルスは答えた。
「む? そうであったか。それはすまんかったの。昨日戻ったでな。記録を見て驚いたわい……。いや、それはよい。で、わしに会いたかった理由は……」
「はい、魔王の居場所を教えていただきたく」
「それは……その者の『破裂』を解くためか?」
ニルスの答えに、マーリンはハロルドの方を見て問うた。
「はい。もちろんマーリン殿に解いていただければ一番早いですが……」
「うむ、わかっておるようじゃが、わしでは解けん。かけた本人か、魔王の血でしか無理じゃ」
マーリンは、小さく首を振って、言った。
「まあ、立ち話もなんじゃ、ちと、わしの部屋に来い」
マーリンがそう言った瞬間、全員を、一瞬の浮遊感が襲った。
そして、気づけば、執務室のような部屋の中にいた。
中央には、会議に使えるようなかなり大きめな円卓がある。
椅子は八脚。
「まあ、そこに座るがよい」
マーリンはそう言うと、自分もさっさと座った。
一行は顔を見合わせる。
だが、座る以外の選択肢はない。
ばらばらと座ると……。
その前に、コーヒーが現れた。
マーリンは、そのコーヒーを説明した。
「暗黒大陸から取り寄せた、なかなかの逸品じゃぞ」
「暗黒大陸!」
涼は小さく叫ぶ。
これまた、心躍る単語だ。
ファンタジー的な単語であるが、実は歴史学用語でもある。
地球の歴史学において、『暗黒時代』や、『暗黒大陸』という言葉を使っていた時期がある。
スラングの類ではなく、論文の中などでもだ。
暗黒時代(Dark Age)は、中世ヨーロッパを指していた。
暗黒大陸(Dark Continent)は、アフリカ大陸の事であった。
それらの言葉が使われなくなっていった経緯は……それはまた別の機会に。
まあ、とにかく、西洋史学出身の涼としては、暗黒大陸=アフリカ大陸と、頭の中で勝手に結びついてしまう。
アフリカで採れるコーヒーで、最も有名な銘柄と言えば……キリマンジャロだろうか……。
もちろん、他にも多くの銘柄があるが……。
涼は嬉しそうに、一口、口に含む。
酸味と苦みの完璧なバランス。
さらに、口の中に広がる……美味。
完璧な香りも相まって、それはそれは素晴らしいコーヒー。
「ほぅ……」
思わず、涼の口から漏れる満足の吐息。
それを見て、他の六人も口をつけた。
マーリンは小さく頷き、自分も飲み始めた。
誰も、何もしゃべらない。
コーヒーの香りに満たされた空間。
『満足』を形にしたなら、おそらくこの空間のようになるであろう……。
「美味しかった」
涼は、素直にそう言った。
もちろん、コナ村で採れるコーヒーは大好きだ。
地球で飲んでいた、ハワイコナも大好きだ。
だが、このコーヒーも良い。
美味いものは美味い。
美味いものは正義。
「満足してもらえたようで重畳」
マーリンは少し微笑みながら、そう言った。
「はい、とても美味しかったです」
満足した表情のまま、涼は答えた。
「さて、では本題に入るかのぉ」
マーリンのその一言で、全員の心が現実に引き戻された。
「まず、結論から言おう。わしとしては、お主らを魔王に会わせることには反対ではない」
マーリンのその言葉に、一行は驚いた。
会わせてもらえるかどうかは、五分五分と思っていたからだ。
魔王やマーリンの側から見た場合、一行を魔王に会わせるメリットがあるとは思えない……それが正直なところだ。
「魔王にお会いできるのはありがたいです。ですが、それはそちらにとってどんな利点があるのでしょうか?」
ジークが問う。
そう、一行にとってはメリットしかないのだが、魔王側には特にメリットがあるとは思えない。
「うむ。それが、今回の肝でな。魔王側としては、その『破裂の霊呪』を解く。その代わりに、血を提供するから、それを教会上層部に渡してほしいということじゃ」
「なんと……」
絶句したのは涼であったが、他の六人も言葉を発することはできなかった。
魔王が、自分から血を提供する?
「血のために、魔王が殺される必要はなかろう?」
マーリンが言う。
「確かに」
そう言って頷いたのはエト。
教会が欲しているのは、あくまで魔王の血。
それも、『破裂の霊呪』にかかった者たちの霊呪を解くためという、必要に迫られてのものだ。
そうであるなら、魔王側から提供しても問題ないと。
ニルスは、他の六人を見る。
エトとジークが真っ先に頷いた。
アモンも頷く。
ハロルドとゴワンも、何度も頷いた。
「リョウ?」
ただ一人、涼が首を傾げている。
「あ、いえ、その提案には賛成です。一番素晴らしい解決法だと思います。ただ……どうして、僕たちなのでしょうか?」
「どうして、とは?」
涼の疑問に、マーリンも疑問で返す。
「ご自分たちで届けるのが一番確実……いや、まあ、教会になので、いろいろ難しいのは理解しますけど。でも、僕たちが裏切る可能性もありますよ?」
「おい……」
涼の言葉に、ニルスがつっこむ。
「ふははははは。面白いな、うむ、面白い」
マーリンが笑った。
声をあげて笑ったのは、多分、会って以来初めてだ。
「なぜ信じるのかと問われれば、その理由はお主じゃ」
「僕?」
マーリンは、はっきりと涼を見て言った。
一行を信じる理由は、涼だと。
意味が分からない。
「妖精王の寵愛を受けた者を、信じないわけないであろう」
「えっと……」
全く、意味が分からない。
「なんか凄いな、リョウ……」
ニルスが何か言っている。
何だろう、意味の分からない褒められ方。
全然嬉しくない……。
「え~っと、どうして寵愛と……?」
涼は、よく分からないために問うた。
この魔人も、セーラたちのように、リョウから溢れているらしい『妖精の因子』とかいうものが見えるのだろうか?
「ふむ? お主が身に着けておるローブと剣じゃ。妖精王にもらったものであろう?」
「ああ……」
それなら納得。
なぜ、妖精王の寵愛を受けている者なら信じられるのか、というのは全く分からないが……まあ、いいか……。
涼は、考えるのを止めた。
この系統のやつは、どうせよく分からない。
しかも、涼自身にも、人間にも、全く恩恵はないと言われているし……。
「それで……具体的には、我々はどうやって魔王に会えるのでしょうか」
エトが話を戻した。
「そうじゃのお……万が一、後をつけられて教会の者たちが魔王の元に行っても厄介じゃ。まあ、勇者以外で魔王を倒すことができる者はおらんから、魔王の身が心配というより、教会の者が殺されてそれが明らかになった場合に、いろいろとな……」
「確かに」
ニルスが頷く。
そう、魔王は、勇者以外には倒せない。
少なくとも、勇者以外が倒したという記録はない。
そして今代の勇者はローマン。そのローマンは行方不明。
つまり現状、魔王を倒せる者はいない……。
「魔王の血を準備するのに、しばらく時間がかかる。毎日、少しずつ溜め始めたところでな。うむ、一週間後が良いか。このダンジョンから、わしが転移させる」
「なんと!」
マーリンの言葉に、驚きの声を挙げたのは、やはり涼。
だが、他の六人も口をあんぐりと開けている。
人は驚くと口が開く。
少なくとも、驚いているのに口が閉じたままというのは……多分、あんまりない。
「なので、また一週間後に来るがよい」
ついに、ハロルドにかかった『破裂の霊呪』が解ける目処が立ったのであった。




