0327 高級宿
探索一行は、ヒューに報告すると、すぐに聖都を発ち、西のダンジョンに移動した。
「補給を受けられたのは良かったですね!」
「うんうん」
涼とエトが、使節団から受けた補給……主にお金とコナコーヒー……を見て、喜んだ。
「いや、たいして減ってなかっただろう?」
「まったく……ニルスは何を言っているのですか。万全の補給、これこそが、作戦遂行に当たって最も重要な要素になるというのは、古今東西変わらぬ真実です! リーダーがそんな見識では、成功するものも成功しませんよ」
「え……あ……なんか、すまん……」
涼が偉そうに上から目線で講釈し、ニルスがなぜか謝った。
言っていることは間違いではない。
間違いではないのだが……やはり、言い方というのは重要なのではないだろうか……。
聖都マーローマーの西のダンジョン、そのまま『西ダンジョン』と呼ばれているダンジョンの周りには、巨大な街が形成されていた。
使節団が、聖都マーローマーに到着する前、北にあるダンジョンを横目に見ながら近づいてきたのだが、その北ダンジョンの周りにも街は形成されていた。
だが、この西ダンジョンの街とは、規模が違い過ぎる!
はっきり言って……。
「ルンと同じ規模の街……?」
「城壁がない分、外に外に拡張されていってますね……」
「転送機能のあるダンジョンって、西方諸国でも三つしかないらしくて、しかも他の二つは辺境らしいです……」
「聖都マーローマー自体が、西方諸国の中心的なものだから、そのすぐそばにある転送機能のあるダンジョンは、やはり魅力的かと……」
エトがその規模に驚き、アモンが街の拡張を指摘し、ジークが『旅のしおり』からの情報を提示し、ハロルドが冒険者の偽らざる心情を述べ、ゴワンが隣で頷く。
「これだけ人が集まってきてるってことは、当然……」
「ええ。美味しいものが大量に集まってきているということです」
ただ二人……ニルスと涼だけは、少しずれた感想を……。
いや、食の重要性を考えれば、誰よりもまっとうな感想なのだろうか。
少なくとも、二人の感想を聞いて、それを否定する者は、この場にはいなかった。
探索一行が逗留先に決めた宿は、街で一番の宿であった。
宿の名は、『聖都吟遊』
ちなみに、宿代を、一行は負担しない。
ヒューの交渉により、西方教会が、宿代を持つことになっていた。
国の使節団に、約束した物……つまり魔王の血を提供できなかったというのは、かなり重い問題なのだ。
さらに、一行は『聖印状』も受付で提示した。
完璧だ。
『聖印状』を持ち、教会が宿泊費を払い、しかも外国の使節団関連の者たち。
街一番の宿ですら、トップクラスの待遇をすべきお客様になる。
宿の名誉とプライドをかけて、不手際のない対応をしなければならない。
「これで、宿での安全は、かなり保障されましたね」
涼は誰とはなしに呟き、エトとジークは頷いた。
ニルス、アモンそしてゴワンは、これほどの高級宿での宿泊経験はあまりないために、緊張している。
ハロルドは、元々が王族なので、全く緊張していない。
ダンジョン攻略とはいえ、転送機能のあるダンジョン。
つまり極端な話、毎日、何層か攻略したら宿に戻ってきてリフレッシュして、それから再び攻略に向かう……そんな方法をとることが可能だ。
そう考えると、疲労を回復する場である宿屋は、妥協すべきではない。
最上階には、十室、部屋がある。
全てが、露天風呂付客室。
そのうちの七部屋を、一行が占めた。
「これで、ニルスのいびきを気にしないで寝られます」
「俺……いびき、ないだろ……?」
涼が言い、ニルスは、若干不安げに問う。
そう、ニルスはいびきをかかない。
イメージとしては、寝ている時、酷いいびきをかきそうだが……それは、ただのイメージだ。
さて、話し合いの時などは、今のように、ニルスの部屋に集まることになる……。
「これで、宿に関しては万全かな?」
エトが誰とはなしに問う。
「僕らがいる時には、宿の方もかなり気にするでしょうけど、問題はダンジョンに潜っている間ですね。不審者が、勝手に部屋に入るかもしれません」
「可能性はあるけど……取られて困る物は置いていかないでしょ?」
涼の指摘に、エトが首を傾げて答える。
貴重品は、基本的に身に着けている……お金や『聖印状』なども。
そうなると、別に盗まれて困る物は……。
「あれです」
涼はそう言って、指さした。
指さしたものは、このニルスの部屋と涼の部屋に分けて置かれている……。
「コナコーヒー……」
ニルスが呟くように言った。
他は、誰も何も言わない。
ニルスが、続けて呟いた。
「そもそも、なぜ、俺の部屋にも置かれているんだ?」
「もちろん、みんながこうして集まった時に、飲むためです」
「な、なるほど……」
涼には珍しく、理路整然とした完璧な回答。
さすがのニルスも反論できなかった。
それどころか、「確かに……」という呟きすら聞こえた。
呟いたのは、エトであったかアモンであったか……。
とにかく、一行七人、全員がコーヒー好きなのは確かなのだ。
そして、おもむろに、涼はコーヒー豆を取り出し、一瞬で生成した氷製のミルで挽き始める。
それだけで、香しいコーヒーの香りが、辺りに漂う。
新たに生成した氷製フレンチプレスに挽き終えた豆を入れ、お湯を生成する。
蓋をして、さらに生成した氷製砂時計をひっくり返した。
ここまで、全くよどみのない、流れるような手際。
その間、六人全員が見とれたほどに。
コーヒーの準備に見とれるというのも、普通はあまりない光景かもしれない……。
「おっと、それでだ」
我に返ったニルスが口火を切る。
「置いていく豆は、リョウが氷漬けにするしかないと思うんだが?」
「まあ、そうですね。それが一番現実的ですよね」
ニルスが提案し、涼も頷いて同意する。
氷漬けされるコーヒー豆……字面だけで見れば、とても『現実的』とは言えないが、彼らの間では、最も現実的……。
世界にはいろいろな人たちがいる……。
「そういえば、受付の人がこれをくれたんだよ」
エトはそう言うと、小さなメモ帳のようなものを取り出した。
『ダンジョン地図』と書いてある。
「ダンジョン上層、第一層から第十層までの地図と、階層ごとに出る魔物の種類と特徴が書いてあるみたい」
「マジか」
エトが説明し、ニルスが驚く。
「高級宿はこういうのがあるからいいですよね。サービスが行き届いています。ただハードを提供すればいいというものではありません。お客様が喜び、またここに泊まりにこようと思う……そう思わせなければいけません。経営の基本は、リピーターの確保なのです」
「なるほど……」
「ハード、って何だ?」
涼が言い、ジークが納得して頷き、ハロルドが分からない単語に首を傾げる。
経営にしろ、宿泊業にしろ、地球でもこの『ファイ』でも、根本は変わらない。
これほどの高いグレードの宿ともなれば、王侯貴族や有名冒険者が宿泊することも珍しくない……というか、そういう者たちしか宿泊しないであろう。
であればこそ、行き届いたサービスを提供するのが当たり前となっているのだ。
「もしや……受付に言えば、ダンジョン探索に必要な一通りの装備も準備してくれるのでは?」
「え……まさか……」
涼の提案に、さすがに驚くエト。
受付の返答は、「翌朝、受付に準備しておきます」であった……。
恐るべし、高級宿。
結局、一行は、涼が淹れたコーヒーを飲み、何の準備の苦労もなく、その日を終えた。




