0034 アベルを犠牲に
翌早朝。
昨晩の見張りも、前半が涼、後半がアベルであった。
朝、涼が目を覚ますと、焚火の前にアベルはいなかった。
少し離れたところで、剣を振っていた。
その姿は、『剣舞』と言われても違和感が無いほど、洗練されて見えた。
ゆっくりと、だが一瞬の遅滞もなく、動きを確かめるように剣が振るわれる。
涼の剣道、あるいは日本の剣術をベースとした動きとは、全く違う。
だが、『ファイ』の剣術は完全に門外漢の涼ですらも、その動きには魅了された。
基礎、基本を全く手を抜くことなく、一つ一つを丁寧に積み上げてきて到達した剣。
天賦の才と努力の結晶、両方ともに手に入れるというのはこういうことなのかもしれない。
おそらくアベル自身は、「努力してきたんだ!」などとは思っていないだろう。
「それが当たり前」「普通のこと」……そう思って剣を振るってきただろう……それは、傍から見れば努力していると見えるのだが。
努力したからといって、欲しい結果が、欲しいタイミングで手に入るとは限らない。
だから、「努力しても報われない」という人がいる。
悲しい話だ。
だが、涼は思うのだ。努力は裏切らないと。
欲しいタイミングで欲しい結果が得られるとは、確かに限らない。
だが、努力した結果は、いずれ必ず返ってくる。
とはいえ、それは、何度言っても通じないのもまた事実……結局、自分が経験したことが無いことを、人は理解できないのかもしれない。
人は、信じたいことを信じる……そういう生き物なのだ。
アベルのような人を間近で見れば、少しは変わるんだろうけどな~涼はそう思いながら、アベルの『剣舞』を見ていた。
魅了され、感心しつつも、アベルの動き一つ一つを、涼は無意識のうちに分析しつつ記憶していた。
「お、リョウ、起きたか」
一連の動きが終わり、アベルが涼に声をかけた。
もちろん、アベルはだいぶ前から涼が見ていることには気づいていた。
まあ静かに見てくれているし、自分ももう少し身体を動かしておきたいと思ったので、そのまま剣を振り続けた。
見られることそのものは、昔から慣れているので、そこは全く気にならなかった。
「すごいですね。アベルの剣は綺麗だと思ってましたけど、本当に洗練されていて美しいです」
涼は心の底から、手放しで称賛した。
「よせやい。昔からやってるから身体が覚えただけだ。ちょっと川で汗流したらすぐそっち行くから」
(ああ、川があるから朝練したのか。川で水浴びれば、僕の<シャワー>をわざわざ出す必要も無いから。アベルもいろいろ考えてるなあ)
朝食も、アベルが水浴びのついでに獲ってきた魚を焼いて食べた。
朝食は大切。
これは古今東西、変わらぬ真実。
「この川は、だいたい北の方から流れてきているみたいだし、川に沿って上流に向かってみるか?」
「ええ、僕もそれがいいと思っていました」
(もしかしたら……)
涼はそう思い、アベルに情報を開示することにした。
「アベル、我々がいるこの土地は、東南西の三方を海に囲まれています」
「ああ、だから北に向かえばいい、ということだったのか」
「ええ。ただ、北には山脈があるそうなのです。東西に横たわるものと、それと繋がったもう一つの山脈。それらによって、北から蓋をされている形なのだと。そして人間が住んでいるのは、その山脈を越えた先、山脈の北側なのだそうです」
それを聞いて訝しむアベル。
「リョウ、疑っているわけではないのだが……それは誰からの情報なんだ」
「それは聞かない方がいいでしょう。ただ、人知を超えた存在からの情報である、ということだけ」
そう言って、涼はアベルをまっすぐ見据えた。
こういう時は、目が口ほどにものを言うのだ。
目を逸らしてはいけない。
その涼を見て、アベルは一つ頷いた。
「わかった、リョウが言うことだ、信じよう。どっちみち、他に頼るべき情報は無いしな」
「ありがとうアベル」
そう言って、涼は頭を下げた。
「いや、感謝するのは俺の方だ。このタイミングで言い出したってことは、この北に続く川が、その山脈から流れてきている可能性がある、ってことだよな?」
「そうです。ただ、あくまで可能性です。とりあえずは、北に進みますし、いずれは山脈越えをしなければいけない、というのを頭の片隅に置いておいてください」
「わかった」
二人は川沿いを、北に向かって歩いて行った。
しばらく歩くと、ホーンバイソンが水を飲んでいるのに出会った。
昔、涼が家の近くの河で、ワニに角を突き刺しているのを見た、あの牛の魔物だ。
このホーンバイソンは、アベルによって容赦なく狩られ、その日の昼食となった。
このホーンバイソンに出会った時に涼は思い出したのだ。
ワニに角を突き刺していたけど、そういえばあの河にはピラニアがいた、と。
でも、この川にはどうも、そんな凶悪な魚はいないらしい、と。
いたら、昨夕の時点でアベルはピラニアに食べられていただろうと。
思えば恐ろしいことを頼んだということに、涼は今更ながらに気づいたのであった。
「なあ、リョウ」
「え、あ、アベル、どうしました?」
「何か、俺に不都合なこと、隠してるだろう?」
(エスパーか!)
涼の心の中には、劇画調の顔で『驚愕』の表情を浮かべた自身の顔が映っていた。
だが、ここはごまかすに限る。
こういう場合、目は口ほどに物を言うのだ。
目を逸らしてはいけない。
「な、何のことを言っているのか全く分かりませんね」
「ああ、目はしっかりして見えるけど、汗が出ているし、言葉もぶれてて、嫌でもわかるぞ?」
アベルは完全にジト目で涼を見ていた。
その後も必死にごまかそうとした涼であったが、しばらくすると、諦めてホーンバイソンとピラニアの件をアベルに話した。
「そんな恐ろしい魚がいやがったのか……」
「もちろん、分かっていてアベルを生贄に差しだしたわけではないんですよ?」
「当たり前だ……まあ、昨日も今朝もそんな魚はいなかったから、この川にはいないのかもしれないが……。涼、他にも俺に伝えておいた方がいいことがあるんじゃないか? もう、俺の命に関わるような情報を隠蔽してたりはしてないか? 大丈夫か?」
「大丈夫です。全ての情報はアベルに与えてあります」
もちろん嘘だ。
ドラゴンのことも、デュラハンのことも、何一つ伝えていない。
だが、まあ伝えない方がいいだろう、と涼が判断したうえでのことなので、完全に忘れていて伝えなかったピラニアの事とは別物。
涼は勝手にそう判断していた。
その日の夕方、川での食料調達時、アベルが昨日よりも慎重に川に入ったのは言うまでも無かった。




