0307 目標ZMP制御
翌朝。
王国使節団が、宿舎の食堂に集まったところで、衝撃の事実が知らされた。
「……今日、出発?」
その時の、涼の表情をたとえて言うなら、『愕然』であったろう。
「川の増水が治まったらしく、今日出発する。かなり巨大な船だそうで、二隻ずつしか接舷できんらしい。いつも通り、帝国、連合、王国の順だ。帝国は、すでに乗り込み始めている。我々の乗船は二時間後。それぞれ準備を進めてほしい」
団長ヒュー・マクグラスの言葉に、ほとんどの使節団員は頷いた。
頷いていない水属性の魔法使いが、約一名……。
「ゴーレム見学会二日目の予定が……」
「いや、元々二日目なんてないぞ」
涼の嘆きに、つっこむヒュー。
公国が見学許可を出したのは、一日、二時間だけだ。
そもそも、他国の人間に、見学許可が出されたこと自体が異例なわけで……。
「リョウ、これから向かうファンデビー法国のゴーレムが、西方諸国最強なのでしょう? そっちを早く見たくないですか?」
「なるほど! 確かにエトの言う通り、ここは気持ちを切り替えましょう。さあ、皆さん急いで準備をしてください!」
神官エトの言葉に、くるりと変わる涼。
さすが、付き合いの長い『十号室』の人間は、涼の扱いを心得ているらしい……。
団長ヒュー・マクグラスが、何も言えなかったのは言うまでもない……。
二時間後。
オース川の港は二つあり、使節団の船がついているのは、公城専用港だ。
そのため、公城に隣接した場所にある。
その公城専用港に、二層甲板の、巨大な船が二隻、接舷していた。
馬車や重い荷物は、下層甲板に入り、人間は上層甲板に乗るらしい。
「これは大きいですね……」
「海だったらひっくり返る気がします……」
「オース川専用らしいよ」
「ウィットナッシュで見た船みたいには、かっこよくないな」
アモン、涼、エト、ニルスの感想だ。
最後のセリフは、涼の感想に聞こえるかもしれないが、ニルスだ。
かつて、ウィットナッシュで見たトリマランの『レインシューター号』の美しさは、美的感覚など無縁と思われているニルスですら、未だに美しいと思っているほどなのだ。
ちなみに現在、レインシューター号がどこにあるのかは、この四人は知らない……。
キューシー公国で補給を受けた多くの荷物と、三十台近い馬車を全て船に積み終わった時に、騒動が起きた。
「きゃああああああ」
公城から響く悲鳴。
それも一つではない。
多くの怒号も聞こえてくる。
王国使節団三百人のうち、百人は文官たちであるが、残りの二百人は冒険者。
それもD級以上の冒険者たち。
当然、異常事態の発生に対して、ほとんど反射的ともいえる行動をとることができる。
すぐにパーティーメンバー同士、集合し、アイコンタクトで意思をとりあう。
ほぼ同時に、団長であり、元A級冒険者でもあるヒュー・マクグラスの指示が飛んだ。
「文官たちは、急いで乗船しろ。D級パーティーも割り当てられた船に乗船し、船上で待機。異常が発生したら文官たちを守れ。B、C級パーティーは陸上で臨戦態勢」
公城で、何か異常が起きたのはわかる……だが、どんな異常なのかは分からないため、下手に動くことはできない。
何が起きたのか。
王国使節団一行がその内容を知るまで、たいして時間はかからなかった。
「音が……近づいてきます」
「重い音だね」
「これってやっぱりあれだよな……」
アモンが呟き、エトが補足し、ニルスが想像する。
公城と、専用港の間には、城壁がある。
その城壁が、一瞬にして崩れた。
出てきたのは、想像通り……ゴーレム。
それも一体ではない。
城壁は次々と崩壊し、崩壊した個所から、見ただけでも十体のゴーレムが、一行に向かってきた。
「うおぉぉぉぉぉぉ!」
雄たけびを上げて突っ込んだ男が一人。
『十一号室』の剣士ハロルド。
「うぇ? 馬鹿野郎!」
ニルスが叫んだが、もう遅い。
ハロルドは先頭のゴーレムと接すると、その足に、思い切り剣を横薙ぎで入れた。
カキンッ。
高い音を響かせて、ハロルドの剣は弾かれた。
ゴーレムの足には傷一つつかない。
驚くハロルド。
驚きつつも、すぐに距離を取ろうとバックステップする……だが、四メートルものハルバードを、その巨体からは想像できない踏み込みの速度と合わせて横薙ぐゴーレム。
ハロルドは、なんとか襲い来るハルバードと自分の体の間に剣を入れたが……。
人外の膂力であった。
「!」
声にならない声を上げながら、ハロルドは吹き飛ばされた。
野球で、バッターがボールを打つように……ハロルドはそのボールのように……吹き飛んだ。
その光景を唖然とした表情で見る王国使節団一行。
「そういえば、インベリー公国に出兵した時は、ラーさんがあんな風に飛ばされていた……」
かつて見た光景を思い浮かべながら、懐かしい気持ちになる涼。
だが、すぐに気持ちを引き戻す。
そこには、戦場が現れていた。
十体のゴーレムは、すでに王国使節団の冒険者たちと剣を交えていたのだ。
涼は呟いた。
「接敵する前に、アイスウォールで分けておくべきだった……」
ゴーレムと冒険者を分けておくべきだったという意味か。
それとも、自分の相手用のゴーレムを分けておくべきだったという意味か。
それは誰にもわからない……。
ハロルドは、その未熟さから、ゴーレムの一撃を受け止めて体を弾き飛ばされていたが、他の冒険者たちは、そんな愚は犯さなかった。
あるいは、ハロルドの状況を見て、受けてはダメだと認識したのかもしれない。
全員が、ゴーレムの攻撃を、かわすか流すかしていた。
『コーヒーメーカー』と『十号室』はB級冒険者であるが、それ以外の陸上戦闘員はC級冒険者だ。
だが、C級成り立てとも言えるハロルドら『十一号室』に比べれば、いずれも、それなりの経験を積んでいる。
オーガのような、人外の膂力を持つ魔物との戦闘経験も豊富だ。
それらの経験が生かされていた。
決定打を入れることに成功したパーティーは皆無だが、少なくとも戦線は維持されている。
「B級冒険者五人分という触れ込みでしたけど、このゴーレムたちはそれほどではない……?」
涼の呟きは、だが時期尚早だった。
一体のゴーレムの目が赤く輝くと、戦い方が変わった。
これまでは、ゴーレムは、足を止めて、手に持ったハルバードを振り回しての攻撃であったが、足を使って動き始めたのだ。
これをやられると、一気に間合いのタイミングが変わってくる。
しかも、巨体のくせに、やたらと細かなステップを刻んでいる。
前方に進むときには、前傾姿勢になったりしている……。
「オーガや、おっきな人間があんなことをしたら、膝を痛めそうです」
涼は、戦い方の変わったゴーレムを、そう評した。
ちなみに、先ほどから第三者的コメントを流している涼であるが、いったい何をしているのか?
もちろんさぼっているわけではない。
陸と船の間に氷の壁を築き、船への被害を防いでいるのだ。
元々は、船上の文官たちを守るためにD級冒険者は、乗船して防御態勢をとっていたのだが、ゴーレムがその巨体を生かして、ハルバードと共に持ってきた槍を船に向かって投げた。
さすがに、そんな巨大槍が船に刺さってはまずい。
船に穴が空けば沈むし、甲板に落ちれば乗船した者たちの命にかかわる。
そのため、槍が飛んだ瞬間、涼が<アイスウォール>を構築して槍を弾き返し、そのまま<アイスウォール>を維持していた。
しかし、涼の体はうずうずしてきている。
氷の壁は、別に涼がついていなくとも維持されるわけで……。
見た限り、陸上にいる護衛冒険者は、涼と団長として指揮を執っているヒュー以外、全員がゴーレムとの戦闘に入っている。
「B級冒険者五人分ほどはない」と先ほど涼は呟いたが、一体につき、冒険者五人以上はかかわっている現状を見ると、決して侮れる戦力でもないようだ。
実際、足を使い始めて以降、冒険者の側にも傷を負う者たちが出てきている。
それを、こまめに、神官たちが回復しつつ、戦線を維持している。
何より厄介なのは、ゴーレムの表面が、剣はもちろん、攻撃魔法を全て弾き返す点であった。
攻撃力を上げたジャベリン系の魔法でも、全く傷がつかない。
戦線は維持されているが、完全に膠着状態に陥っていた。
団長ヒュー・マクグラスは、不思議に思っていた。
これだけの騒ぎになっているのに、公城から、援軍が全くやってこない。
「俺たちを見捨てた? いや違うな……」
目の前の戦闘音がかなりのものであるため、意識しなければ聞こえないが、公城の中でも騒動は続いているようだ。
「つまり、この十体だけではなく、他にもゴーレムは動いているのか」
それはあまり嬉しくない予測であった。
なぜなら、この十体に加えて、さらに公城内からゴーレムがやってくる可能性が……。
そして、十一体目が現れた。
「チッ」
ヒューは音高く舌打ちをし、現れた一体に向かおうとする。
そもそも、全てのパーティーが戦闘に入っており、手が空いているのは、自分と、船の前に氷の壁を張って船を守っている……。
「リョウ!?」
水属性の魔法使いが、十一体目に向かって走った。
新たに現れた十一体目のゴーレムも、右手にハルバード、左手に槍を持ち、現れる早々、槍を船に向かって投げつけた。
カキンッ。
だが、その槍は、十一体目から十メートルほど飛んだ場所で、見えない壁にぶつかって落ちた。
十一体目は、槍のことなど関係なく、戦闘中の使節団に向かって走る。
その前に、一人の魔法使いが立ちはだかった。
落ちた槍を拾うと、そのまま十一体目に突っ込む。
十一体目のハルバードが届こうかという時、魔法使いの姿は消えた。
遠目に見ていたヒューですら、一瞬見失ったほどだ。
だが、一瞬後には、何らかの方法で、瞬間的に速度を上げて、十一体目の後方に回り込んだと理解できた。
魔法使いの後背に、小さくきらめく水の欠片が見えた……何か水属性魔法を使ったのかもしれない。
魔法使いは、十一体目を後方から槍で突いた。
十一体目は、盛大に、こけた。
それはもう、見事に。
たいして強い突きには見えなかったが、何の抵抗もなく、こけた。
見ていたヒューのほうが、唖然としたほどであった……。
「設計者は、ゼロモーメントポイントを理解していなかったようです……」
涼はそう呟くと、村雨に氷の刃を生じさせ、頭から転んだ十一体目……うつぶせで地面に倒れこんだその首の後ろに、村雨を突き刺した。
関節すら、外から見えないほどに、多重装甲のようになっているゴーレムであったが、首周りだけは、ほんのわずかに隙間が空いていることに、昨日の見学会で気づいていた。
頭を動かして周囲の状況を探るため、隙間ができるのは仕方ない。
だが、全長三メートルもの高さであるため、人間の武器では、首周りに攻撃を加えることはできない。
下方からの槍などの突き上げでは、首の隙間には入らない構造なのだ。
であるなら、転倒させて突き刺すのが、最も合理的……。
例えば、これがオーガなどであれば、膝など足を潰して頭が下がったところで首を刎ね飛ばす、などというとどめの刺し方もある。
そもそもが、たいてい猫背なオーガと、姿勢のいいゴーレムとでは、体感的にも頭の位置が大きく違うと感じてしまうわけだが。
まあ、そういうわけで、涼は転倒させる方法を選んだ。
そのポイントとなったのが……。
「目標ZMP制御は、二足歩行ロボットを作るなら、絶対に避けては通れない道なのです」
二足歩行ロボットで、重力と慣性力の合力が路面と交わる点のことを、ゼロモーメントポイント(ZMP)という……と言っても分かりにくい。
字義的に言うなら、総慣性力のモーメントがゼロとなる点……これもよく分からない。
まず、『慣性力』という言葉を簡単に述べよう。
『慣性』とはちょっと違う。違うが、誰しもがよく経験することなので、難しくはない。
例えば、電車や車に乗っている時、それらが発車した瞬間、進行方向とは逆方向に、「おっと」と引っ張られる経験をしたことがあるだろう。
その、進行方向とは逆方向に引っ張った力が『慣性力』だ。
何も難しくはない。
それを踏まえて、ゼロモーメントポイントを、人間の歩行と走行を例に考えてみよう。
ゆっくり歩いた場合。
力は真下に向けて『重力』が、そして進行方向とは反対、つまり後ろ向きに『慣性力』がかかる。
その二つの力の『合力』が、『総慣性力』だ。
中学校の理科の授業で習った、二つの力の矢印を合わせて、平行四辺形を作るあれである。
歩いた場合は、後ろ向きにかかる『慣性力』は小さいため、縦に細長い長方形になる。
では走った場合。
真下に向けて『重力』がかかるのは変わらないが、後ろ向きの『慣性力』が大きくなる。
つまり、平行四辺形(この場合長方形だが)も縦に細長いものではなく、大きな面積のものになる。
結果、『総慣性力』はかなり後ろ方向にずれる。
重力は一定。
慣性力は速度調整で制御できる。
ちょうどいい慣性力を目標慣性力と呼ぶなら、
重力と目標慣性力の合力を、目標総慣性力と呼べる。
この目標総慣性力を延ばしていった『作用線と地面との交点』が、目標ZMP。
この目標ZMPがどこにくるかを意識しながら、ロボットの姿勢制御を考えねばならない。
「自動車会社のアイボーは、目標ZMP制御、床反力制御、着地位置制御の三つの姿勢制御で、二足歩行を実現していました」
涼は、倒れた十一体目のゴーレムを見下ろしながら、呟いた。
地球にいた頃に学んだ知識らしい。
ここだけ聞けば、非常に難しげに見えるが……。
人間が普段やっていることを考えれば、動きそのものは難しくない。
例えば、歩いている時に、地面にあった出っ張りにつまずいたとしよう。
当然、前に転倒しそうになる。
その時、人はどう動いて、転倒を防ぐか?
つまずかなかった方の足を、大きく前に踏み出す。
それによって、転倒を防ぐ。
目標ZMP制御を意識する事によって、二足歩行ロボットにおいても、これが可能となる。
そして、今回のキューシー公国のゴーレムで言うなら、後ろから涼にこづかれた際に、大きく足を踏み出して転ぶのを防がなかった……つまり、目標ZMP制御がダメダメだと、涼は言いたいらしい。
転倒を防ぐために、足を大きく『前方』に踏み出すが、答えは『後方』に生じるZMPにある……。
知ってしまえば複雑な話ではないが、知らなければ難しいお話。
涼が、ロンド公爵領で作った水田管理用ゴーレムは、全く満足のいくものではなかった。
とはいえ、足場史上最悪とも言える、水田の中に入っての作業をさせるために、姿勢制御に関してだけは、秀逸なものであった。
それに比べると、目の前に倒れているゴーレムは、姿勢制御が甘いと感じられる……。
「とはいえ、学ぶべきものはあるはず」
そう言うと、まず頭を完全に切り離した。
そして、首の部分から、胸部装甲や、背部装甲をじっくりと観察する。
どこかに、装甲を外す仕掛けや方法があるはずだと。
そうでなければ、メンテナンスできないわけだし……。
戦場では、あるいは他国の人間に見せる場合には、完全防備であろうが、整備する際には装甲は外すはずだと。
かつて、鹵獲した連合の人工ゴーレムを、ケネスの下でいろいろいじくりまわした経験が、ここで活かされていた。
しばらくいじくりまわした後、それを見つける。
「えいっ」
必要ないのに、掛け声とともに、内側の留め金を外すと、胸部装甲がはがれた。
「もひとつ、えいっ」
これまた必要ないのに、さらなる掛け声とともに、内側の留め金を外し、背部装甲もはぎ取った。
最初のとっかかりが分かれば、あとは比較的スムーズにいく。
同じような設計思想で、腕、足、腰、などもできあがっているからだ。
五分もすると、ほとんどすべての装甲が外され、丸裸のゴーレムが現れた……もちろん、切断された首はないが。
だが、そこで涼は、ふと我に返った。
ここがどこだか思い出した。
仲間たちが、未だに戦闘中であるということを。
「しまった……」
さすがに、戦闘中の仲間を放っておいて、自分の趣味に走ろうとしたのは失敗であったのは、理解している。
ふと見ると、そこには、指揮官マスター・マクグラスがいた。
彼は、涼が十一体目を転倒させ、首に剣を突き刺したのを見ていた。
指示を出しつつ、自分も参戦。
足を使って戦っているゴーレムが、前方に出るタイミングを見計らって、後方から突いて倒し、倒したところで首に剣を突き立てていった。
さすがに、マスター・マクグラスほど洗練された倒し方にはならなかったが、B級パーティーを中心に、残り十体全て倒された。
最終的には、死者ゼロで、合計十一体のゴーレムは倒されたのであった。
何で後ろからこづいただけで転倒するんだよ!
という疑問への答えです。
人間は、小脳で目標の歩行運動が生成されていて、それに沿うように脊髄が筋肉を動かしている(らしい)ので、意識しなくても転ばないですが……。
ロボットやゴーレムは、プログラムや機構を組み込んであげないとダメなんですよね。
それも、明確な数値で。
曖昧でもいける人間って凄い!




