0302 小姓
期せずして、三巨頭会談が行われた翌日。
中央諸国使節団は、回廊諸国最後の国、スフォー王国を発った。
帝国、連合、王国の順に進むが、各使節団の距離はあまり離れていない。
自然と、全使節団の最後尾を守るのが、涼ら七人となっていた。
「スフォー王国が、歓待した分の食べ物を返せ~って襲ってきたら、僕らが真っ先にその矢面に立つことになります」
「リョウ……不吉なことを言うな」
涼が呟き、ニルスが顔をしかめて答える。
「大丈夫ですよ。我に策ありです」
「……なんとなく聞きたくない気がするのはなぜだろう」
涼が、自分の胸をどんとたたいて、任せてくださいとアピールをし、嫌な予感を憶えたニルスが聞きたくないと言う……。
「ニルスのおっきな体を生贄に差し出せば、時間を稼げます!」
「そんなことだろうと思ったわ!」
いつものように、最後尾は平和であった。
先頭を進む帝国使節団。
その日、最初の休憩地にて、休んでいた。
団長先帝ルパートの周りには、多くの人間が侍る。
片腕として、皇帝時代から付き従うハンス・キルヒホフ伯爵を筆頭に、近衛や料理人はもちろん、優秀な人材ばかりだ。
その多くは、見た目も悪くない。
決して、美男美女ばかりというわけではなく、自らの仕事に自信と誇りを持った者たち特有の顔立ち、とでも言えばいいのだろうか。
そんな者たちが多い。
だがそんな中、ある一人の三十代半ばの小姓は、いつもビクビクした表情と態度であった。
この帝国使節団の中にあって、小姓は、当然先帝ルパートの身の回りの世話をする。
例えば宮廷において、決して高い地位とは言えないが、皇帝や先帝付きの小姓であれば、貴族たちですら決してないがしろに扱ったりはしない。
皇帝、先帝の最も近くに侍る者たちなのだから。
そのために、多くの小姓が、自分の仕事に誇りを持っている。
実際、お給金もかなり高いため、帝城内において、人気のあるポジションとも言える。
この帝国使節団においても、先帝ルパートの小姓九人は、いずれも自分の仕事に誇りを持ち、いい顔で仕事をしている……その、ハーグと呼ばれる三十代半ばの小姓、ただ一人を除いて。
「ハーグ、キルヒホフ伯爵がお呼びです。すぐに行ってください」
「はい、ただいま」
小姓頭からハーグと呼ばれた三十代半ばの小姓は、皿並べを別の小姓に任せて、キルヒホフ伯爵の天幕へと向かった。
「クソッ、どうして俺がこんなことを……」
ハーグは、呟く。
彼は、他の八人の小姓と違って、この仕事に誇りを持っていなかった。
それどころか大嫌いであった。
そもそも、この使節団に入るまでは、別の仕事をしていた。
その仕事は過酷ではあったが、ハーグ自身は誇りを持っていた。
なぜなら、帝国広し、いや中央諸国広しといえど、彼だけが持つ能力によって、彼だけができる仕事であり、帝国全軍を支えているという自負があったからだ。
この小休憩で組み立てられる天幕は、先帝ルパートのものと、ハンス・キルヒホフ伯爵のものだけだ。
「失礼します」
小姓は、名乗らずに天幕に入ることが許されている。
中では、ハンス・キルヒホフ伯爵が何やら書類を書いていた。
「ああ、ハーグ、この手紙を出してもらおうと思いまして。ちょっと待ってください」
ハンスは、そう言うと、手早く手紙を書き上げ、封蝋をした。
そして、ハーグに手渡しざま、言った。
「どうですか、仕事には慣れましたか」
「はい、なんとか……」
「無理をしてはいけませんよ」
伯爵が小姓にかけるには、過分な言葉かもしれない。
「はい、ありがとうございます」
ハーグは恭しく頭を下げると、手紙を受け取り、天幕を出ていった。
「おお、ハンス、いいところに!」
ハンス・キルヒホフ伯爵が、先帝ルパートの天幕に入っていくと、ルパートはすぐに、こっちに来いと手招きをする。
「いかがなさいました?」
ルパートの前には、コーヒーが置かれてある。
「ハンス、これは……もう少し良い豆はないのかと話していたところだ」
「はて……?」
ハンスは首を傾げる。
コーヒーの豆が替わったという話は聞いていないからだ。
「まあ、飲んでみよ」
ルパートはそう言うと、ハンスにそのカップを勧める。
「では失礼して」
ハンスは一口、飲む。
だが首を傾げる。
「陛下、何も変わっておりません」
「なに!?」
ルパートは慌てて一口飲む。
そしてルパートも首を傾げる。
「そうか? 以前は、もう少し美味かったと思ったのだが……」
「淹れ方も、おそらく、全く変わっておりません」
ハンスは、傍らに控える小姓をちらりと見る。
小姓の顔は、滂沱の汗……。
不味いコーヒーを出したとなれば、処分される可能性もあると考えているのだろう。
それには、ルパートも気づいたらしく……。
「ああ、いや、淹れ方がまずいとか言うつもりはない。案ずるな、処分したりはせぬ。とりあえず、下がっておれ」
ルパートのその言葉に、小姓は目に見えて落ち着き、天幕を出ていった。
「陛下、おそれながら、昨晩のあのコーヒーのせいかと……」
「あれか……」
ハンスは、三巨頭会談で飲んだコーヒーの可能性を指摘した。
「確かにあれは美味かった……。あれが美味過ぎたのか。欲しいな」
ルパートのその言葉に、思わず苦笑するハンス。
「陛下、帝国本土なら手に入りましょうが、この地では難しいかと」
「むぅ……」
「何なら、力ずくで奪いますか? 王国筆頭公爵から」
ハンスはいたずらっ子のような表情で問う。
「それはやめよ。コーヒーを手に入れようとして返り討ちにあったなど、帝国臣民に笑われるわ」
ルパートは顔をしかめて答えた。
さすがに、そこまでして手に入れたいとは思わない。
「ああ、そうであった。コーヒーの件はよい。ハンス、入ってきた時に何か相談したいことがあったのではないか?」
「ご慧眼、恐れ入ります」
この辺りは、さすが長年にわたり帝国に君臨した男。
観察力は、その智謀を支える大きな力だ。
「ハーゲン・ベンダ男爵の件です」
「ふむ」
「ヘルムート陛下の行いは無謀な気がいたします……。記憶させるためとはいえ、貴重な時空魔法使いを使節団に入れるのは……」
小姓ハーグは、ハーゲン・ベンダ男爵である。
そして、ハーゲン・ベンダ男爵が、先帝付きの小姓として使節団に入っているのは、現皇帝ヘルムート八世の命によるものだ。
「まあ、仕方あるまい。ヘルムートの考えか、あるいは側近どもの考えかわからぬが……我は口を出す気はない」
はっきりと言い切る先帝ルパート。
「はっ。失礼いたしました」
すぐに謝罪するハンス・キルヒホフ伯爵。
皇帝の座を譲って以降、一貫して、先帝ルパートは、息子でもあるヘルムート八世の施政に口を出すことはなかった。
唯一の例外が、この使節団の団長の座に自分を据えさせたことだけ。
「ハーゲンには、息子がおる。今年十四歳であったか。最悪、ハーゲンに何かあったとしても、息子に時空魔法が発現すると考えておるのであろう」
「はい」
ルパートの言葉に、頷くハンス。
だが、そこでうっすらと笑いながら、ルパートは言葉を続ける。
「そんな保証は、どこにもないのだがな。そんな賭けに出なければならないほどの意味が、この使節団を西方に送ることにあるのやもしれぬ」
「我々の知らない何かが……」
「うむ。さて、それはいったい何なのやら……。気になるな」
いつの時代、どんな国においても、政治の中枢は魑魅魍魎が跋扈する場所。
だが、そんな政治中枢を退いた者たちも、平穏、穏やかな生活を送れるわけではない。
一度でも政治に関われば、その事実は死ぬまでついて回る。
好むと好まざるとにかかわらず。
もっとも……先帝ルパートの場合は、自分から穏やかな生活を打ち捨てているようにも見えるが……。
ハンスは、心の中で小さくため息をついて、思った。
(ルパート陛下には、穏やかな生活はお似合いにならない……)
2021年6月19日に、
『水属性の魔法使い 第一部 中央諸国編2』が発売されます!
紙版でご購入される場合、出版元のTOブックスオンラインでの予約購入がお勧めです。
2021年5月23日(日)までに予約されますと、発売日6月19日(土)にお手元に届きます!
それと、第二巻の内容や、6月10日(木)に重要な情報を公開します、
という事を、下記活動報告に書きました。
読んでいただけると嬉しいです!
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/2791524/
 





