0300 スフォー王国
「……使節団の西方行は困難を極めた。大地は割れ、人を飲み込み、降り注ぐ炎が辺りを焼き、あるいは迫りくるドラゴンの群れに食い散らかされ……。一人、また一人と脱落していく使節団。彼らが、回廊諸国最後の国『スフォー王国』にたどり着いたとき、その数は、十人にまで減っていたのだ……」
「いや、何の物語だよ……」
「ドラゴンとか、群れどころか一体でも生き残れない気が……」
「最後の十人に残れるくらいに、強くなりたいです」
涼が語り、ニルスがつっこみ、エトがドラゴンの恐怖を語り、アモンが上を目指す。
それを後ろで聞く『十一号室』の三人は、何とも言えない表情で顔を見合わせる。
王国使節団の最後衛は、だいたいそんな感じだ。
涼は、フィクションな物語風にしたが、実際、壊滅した『ボードレン』以降、ランシ峡谷、フンスン山脈という、困難極まりない危険地帯を抜けてきたのは事実だ。
もっとも、涼の水属性魔法によって、かなりの困難が取り除かれてしまったのも、また事実……。
「『スフォー王国』は、フンスン山脈を越えて徒歩で五日らしいから、この丘を越えて、今日には見えてくるみたい」
神官エトは、『旅のしおり』を見ながら言う。
それを見て、涼はあることに気づいた。
「エト、その『旅のしおり』には、壊滅したボードレン国って、普通に載ってるんですよね?」
「うん、載ってるよ。『回廊諸国の中では最も規模は小さいが、街はよく整備されており~』って感じで」
「つまり、ボードレンがあんなことになったのって、かなり最近だったわけですね……」
エトの答えに、涼は何度か頷きながら言った。
「そうだね。死体とかも、小国使節団以外にはなかった気がするけど……。いろいろ不思議だね」
エトも、ボードレンで見たことを思い出しながら答えた。
その時であった。
『十一号室』のハロルドが、前方を指さした。
涼もつられて、その方向を見て……。
「おぉ、やっと見えましたよ!」
ハロルドが指さす先には、回廊諸国最後の国『スフォー王国』の城壁が見えていた。
スフォー王国に近づくと、これまでにはない光景が広がっていた。
「城門前に、人がいっぱい……」
「帝国使節団と連合使節団だ。三国同時に入城することになっている、ってグランドマスターが言っていたろう。涼は、やっぱり聞いてなかったのか……」
涼の呟きに、ニルスが呆れながら言った。
「やっぱりとは何ですか、やっぱりとは! 失敬な! 僕は、世界の理を解読するのに忙しかったのです。だから仕方なかったのです!」
「なんだよ、世界の理って……。途中になってた、小さなリンドーを食べるのに夢中だっただけだろうが」
「うっ……」
ニルスの鋭いつっこみに反論できなくなる涼。
助けを求めてエトの方を向くが……。
「リョウ……負けだと思うよ」
エトにも苦笑しながら敗北を言い渡され、涼は反論を諦めた。
「うぅ……」
世の中、諦めが肝心という場合もあるのだ……。
帝国、連合、王国の順に門をくぐり、大通りを進む一行。
通りの両端には、スフォー王国の旗らしきものが差され、国民も多く出て、一行に手を振っている。
驚くべき歓待であった。
「国中が、僕らを歓迎してくれているみたいです」
「まあ、今までの三国に比べれば、凄い違いだよな……」
涼の感想に、こればかりはニルスも素直に頷いて同意した。
一つ目の国『アイテケ・ボ』では、傲慢な国王に、交換条件で森の調査を命じられ。
二つ目の国『シュルツ』では、騎馬の民の襲撃に遭遇し。
三つ目の国『ボードレン』にいたっては、国自体が消えてなくなっていた……。
それらに比べれば、驚くほどの違いなのは確かであった。
「あとは、国王陛下が変な人じゃないことを祈るだけです」
涼のその言葉に、凄く嫌そうな顔をして涼を見るニルス。
苦笑するエトとアモン。
そして、激しく同意して頷くハロルド、ジーク、ゴワン。
もっとも、彼ら七人は、国王陛下の前に出たりはしないため、その人となりを直接知ることはないのだが。
謁見の間では、帝国使節団団長先帝ルパート、連合使節団団長先王ロベルト・ピルロ、そして王国使節団団長ヒュー・マクグラスが、横に並び、スフォー王国国王ビュラード九世謁見の儀が執り行われていた。
「中央諸国使節団の皆様、ようこそおいでくださいました。まさに天使様のお告げの通り。皆様が休まれる宿も準備しておりますれば、ゆるりと休まれるがよろしいでしょう」
「もったいなきお言葉、感謝いたします」
ビュラード九世の言葉に、代表して答えたのは先帝ルパート。
だが、それだけで終わらないのが、さすが中央諸国の大国を率いていた元皇帝であろうか。
「陛下、ご質問をお許しください。さきほど、『天使様のお告げの通り』とありましたが、それはいったい?」
「おお、まさに。予の夢の中に天使様が現れましてな。『五日後に到着する使節団を歓待せよ』と。今日が、その五日目です。まさに、天使様に守護された使節団! 素晴らしいことです」
ビュラード九世は、感激した表情でそう言った。
(『天使』がお告げ……? 中央諸国とは、人と天使の距離も違うのか?)
ヒューは、そんなことを考えていた。
もちろん、中央諸国においても、神や天使のお告げというのは存在するが、およそそれは、普段、起こり得ることではない。
数十年に一度、聖者や聖女といった者の身に起こること。
そのため、人が、神や天使と直接話すなどということはまずない、というのが中央諸国における常識だ。
だが、ここではそうではないらしい……。
その夜、使節団は歓待された。
それは特に、食事に表れた。
三国合わせれば一千人近い人数だが、驚くほどの質、量を揃えた食事が提供されたのだ。
回廊諸国の中では、最も国家規模も大きく、西方諸国との交易もあり、豊かとすら言える国なればこそであろうか。
使節団一行は、文官も護衛隊も、大いに食べた。
そして、大いに飲んだ。
お腹を満たし、まどろむ使節団一行。
そんな中、外にふらりと出ていく魔法使いが一人。
『十号室』の面々は、それを見ても、特に声をかけなかった。
涼が何をしようとしているのか、この旅の中で知らされていたから。
涼としては、携帯電話で話すために、人のいない場所に移動するような……そんな感じだ。
もちろん、会話を聞かれるようなことはないのだが。
((アベル、聞こえますか~聞こえますか~聞こえますか~))
((いや、聞こえてるから。そもそも、俺の方から繋げたんだから……))
涼は、決して、国王陛下の貴重な時間を、勝手な都合で邪魔したりはしない。
時々忘れてしまうが、筆頭公爵として、ちゃんと国王を支えているのだ。
ちなみに、涼はその間に、コーヒーの準備をしている。
どうせ話をするのなら、傍らにコーヒー……。
食後のコーヒーは格別なものであるし。
((そうそう、アベル、さっき何か言いかけてましたよね))
((ああ。そもそも今回の西方諸国への使節団は、帝国が呼び掛けたわけだが……その理由の一端に繋がる可能性のある情報が上がってきた))
((なんとも、もってまわった言い回しですね。明確にわかっていないけど、推測できる、という程度ってことですよね?))
涼は小さく首を振りながらも、そんな情報でも、ないよりましかと思っている。
((仕方ないだろう。ハインライン侯の情報網ですら、明確にはつかめていないんだ))
((それなら仕方ありません。アベルなら、よくある間違いの可能性がありますが、ハインライン侯爵ならそうじゃないでしょう))
((……帰ってきたら、ぎゃふんと言わせてやる))
アベルは、むぅ~とか言いながら、そんなことを言っている。
涼としても望むところだ。
筆頭公爵として国王を支えているという心はいったいどこへ……。
((帝国の使節団が出発して以降、ハーゲン・ベンダ男爵が、帝国軍内で確認されていない))
((なるほど……))
((……なあ、リョウ))
((な、なんですか?))
((ハーゲン・ベンダ男爵が誰か、思い出せていないだろ?))
((ギクッ))
図星であった。
聞いた記憶はあるのだ。
なんか、けっこういろんなところで出てきた人な気はするのだ。
((ちょ、ちょっとだけ思い出せない気がしないわけでもない可能性もあるかもしれずないかもしれず……))
涼が意味の分からない言葉を吐くと、アベルはため息を吐いた。そして説明を始める。
((ハーゲン・ベンダ男爵は、帝国軍付きとして、常に帝国軍と一緒に行動している、『時空魔法』を操る男だ))
((思い出しました! <転移>とか<無限収納>とか使える人ですね。王国解放戦の最後にも、皇帝たちを戦場に転移させた人……))
涼もようやく思い出した。
((そいつだ。帝国軍の活動において、補給の重要な部分を担っているベンダ男爵が、帝国軍にいないというのは、ほぼありえない。だが、使節団が出てから確認されていないということは……))
((帝国使節団の中に紛れ込んでいるということですね。僕みたいに))
((その可能性は高い。理由は、まだわからんがな))
これは非常に興味深い情報であった。
ハーゲン・ベンダ男爵の<転移>は、一度行ったことのある場所に瞬時に移動することができる……自分だけではなく、最大で数万人同時に。
だが、一度も行ったことのない場所には<転移>できない。
もし、この使節団に入っていれば……今後、帝国領から西方諸国に瞬時に移動できることになる……可能性がある。
可能性というのは、<転移>可能距離に関しては、王国側に情報がないから。
帝国領と西方諸国は、直線距離にしても四千キロは離れている。
それを<転移>可能なのかどうか……。
いろいろと興味は尽きない。
((まあ、そういうことだ。だからどうしろ、というわけではないが、心に留め置いてくれ))
((わかりました))
涼はそう言ったところで、誰かが近づいてきている雰囲気を感じ取った。
少しだけ身構える。
「いやあ、すまぬな。芳醇なコーヒーの香りが漂ってきたもので……」
そこに現れたのは、七十代半ばほどの老人。
だが、眼光は鋭く、背筋もピンと張っている。
歩き方も、いわゆる上流階級の歩き方……。
それもそのはず。
老人は、涼ですら知っている人物。
もちろん、顔と名前だけではあるのだが……。
「ロベルト・ピルロ陛下?」
連合使節団団長、先王ロベルト・ピルロであった。




