0296 ボードレン
「知っていますか、ニルス。その使節団が通った国は、必ず政府が崩壊するらしいですよ。世間では、地獄の使節団と呼んでいるとか」
「……まあ、結果だけ見れば、まったくその通りだが」
ニルスは小さく首を振りながら答えた。
確かに、中央諸国の使節団が通った『アイテケ・ボ』と『シュルツ』では、政府が崩壊した。
もちろん、使節団が意図的に行ったわけではないし、まったく関与していない……いや、ほとんど関与していないと強弁できるのだろうが……。
((というわけで、アベル、今回の教訓は、むやみに戦線を拡大してはいけない、ですから。覚えておいてくださいね))
((うん、なぜ突然、俺に振った?))
魂の響の向こう側にいる国王陛下に、涼は王国筆頭公爵として、国のためを思って進言をしているのだ。
こう見えて、涼もいろいろ考えている。
錬金術の事とか。
カレーの事とか。
クレープの事とか。
((錬金術と食べ物の事ばかりだな……))
((カレーとクレープを、食べ物という大きすぎるもので括るのは止めていただきたい! カレーは飲み物、クレープは飲み物……あれ?))
((うん、俺の知っているカァリィーとは別物なんだろうな、飲み物とか言っている時点で))
涼とアベルの意見は、今日もすれ違いだ。
だが、アベルは気になる部分を問いただした。
((さっき、戦線の拡大がどうとか言っていたか?))
((そうそう。今回のシュルツ国での事ですよ。今回の件で、騎馬の王様……))
((アーン王だな))
((そうその人、アーン王は、中央諸国三大国を敵に回したわけじゃないですか?))
((まあ、そうなるな。使節団を襲撃したわけだし))
((もちろん彼らにはのっぴきならない事情があったのは理解できるのですが、そうだとしても、襲われた我々には関係無いわけで……))
((ふむ))
巻き込まれた者たちは、いい迷惑なのだ。
((自分たちがやっていることは絶対に正しい……何か、大きなことを成そうとする時、そう思い込む人は多いでしょう。それが正しいかどうかはおいておくとして……。でも、だからといって何をしてもいいわけではない。方法を誤れば、味方になったかもしれない人たちをも、敵に回すことになります。気を付けてくださいね、アベル))
((今回のやつで言うなら、問答無用で謁見の間を焼き払った、という方法か))
((ええ。それがなければ、あるいはそれに巻き込まれなければ、さすがに民族浄化されようとしていた騎馬の民が立ち上がったのですから、味方にならずとも、中央諸国は好意的中立くらいにはなったと思うんです。でも、それすらも、もうありえないでしょう。もとはと言えば、シュルツ国が騎馬の民の子供狩りをしていたのが原因だったのに、ですよ。適切な方法を採る、というのは大切な事ですね))
涼は、心の中で小さく首を振った。
((……リョウだったら、その適切な方法は、何だと思う?))
((僕が騎馬の民だったら? そんなの決まっています。シュルツ国王の暗殺です!))
((え……))
涼のあまりの提案に、絶句するナイトレイ王国国王。
((暗殺して、新たに王になった人物も民族浄化を続けるのであれば、その国王も暗殺します。次の国王も続けるのであれば、暗殺します。さすがにこれくらいやれば、シュルツ中枢もヤバいと思うでしょう。国王自身ではなく、その周辺が民族浄化を主導していたとしても、さすがに手を引くと思うんです。実は自分たち周辺が主導していたと分かったら、自分らが国王に代わって暗殺されるのではないかと思うでしょうからね。これで万事解決です!))
((いや……暗殺はちょっと……))
((たった三人の犠牲で巨大な悪事が止まるのです。絶対に正しい方法に違いありません!))
完全にテロリストの思考と手口だ……。
((という意見もあると思うんですよね。効率的ではあるので))
((……リョウの意見は別にあるんだな))
少しだけホッとしたアベル。
((当たり前です! 僕を何だと思っているんですか……))
((危ない奴))
((なんたる言い草! でも、実際問題として、スマートな解決法は無い気がします))
((そうか……))
((そもそもシュルツ側が、民族浄化、騎馬の民そのものを消し去ろうなどという狂気に満ちた手法を採っている段階で、普通じゃないですからね。無血革命ができればいいのでしょうけど、そう簡単にはいきません。どう考えても、力での解決が、どこかで必要になります……。ほんっと、一つの不幸な政策が、その後の多くの不幸を招きますね……歴史を学ぶと、嫌というほどそんな事例に出会いますけど))
涼はそう言った後で、ふと思った。
今回の騎馬の民の件も、別の不幸を招いてしまうのではないかと。
願わくは、中央諸国は巻き込まれて欲しくないなと……。
そんな、国王陛下への進言も、無事終了した筆頭公爵。
涼たちは、王国使節団の最後衛だ。
王国使節団は、西方への使節団の中で、現在最後尾に位置している。
中央諸国内で、当初決まっていた進発順通りに進んでいた。
すなわち、帝国使節団、連合使節団、小国の使節団、そして王国使節団の順番で進んでいる。
とはいえ、使節団同士の距離はかなり開いている場合があるため、特に連絡を取り合って進んでいるわけではない。
そのため、王国使節団の先頭にいる団長ヒュー・マクグラスの元に、帝国使節団からの連絡員がやって来たのは、非常に珍しいことであった。
「次に通る『ボードレン』国が無い、だと? 無いとはどういうことだ」
「はっ。我ら帝国使節団が到着した際には、城門は開かれ、王城と思われる建物も半壊しておりました。私が報告を命じられた段階では、生きている者は、誰も発見されておりませんでした」
ヒューの問いに対しての帝国の連絡員の答えは、驚くべきものであった。
国の消滅。
それも、政体の崩壊ではなく、民自体が誰もいなくなるというのは、そうそうあることではない。
ヒューは、横で聞いていた『コーヒーメーカー』のリーダー、デロングの方を向く。
デロングも、ヒューと同じことを考えたのであろう。
一つ頷くと口を開いた。
「何があったかはわかりませんが、普通でないことが起こったのは確かでしょう。街には入らない方がいいかと」
「だよな」
ヒューも、デロングの意見を聞くと頷いて同意した。
国が消滅して、どれくらいの時間がたったか、なぜ消滅したのかなど、疑問は尽きないし気にもなるのだが、個人の好奇心を優先できる状況ではない。
そうは言っても、道は一本道。
『ボードレン』の前まで、この道を行くしかない。
着いたらボードレンには入らずに、城壁の脇などを通り抜ける事になるだろう……。
「使節団内で情報共有はしておくべきだろうな」
ヒューはそう言うと、斥候たちに、後方への情報伝達を命じた。
王国使節団は、『コーヒーメーカー』斥候のラスリーノを中心として、斥候部隊とも呼べる集団を形成している。
王国使節団が先頭で進んでいた時などは、ひっきりなしに、彼ら斥候部隊が情報を集めてきながら進んでいたのだ。
だが、現在は、そこまでの必要性はない。
先に、二つの使節団が通った道を数日、あるいは数時間遅れで通っているからだ。
もちろん、ある程度の情報収集は行いながらではあるが、最初に比べればかなり少ない頻度である。
そのため、斥候部隊には余裕が出ていた。
ヒュー自身は、第二馬車にいる首席交渉官イグニスの元に相談と報告に行き、他の馬車に、斥候部隊が報告に向かうのであった。
「やはり地獄の使節団……」
斥候ラスリーノからの報告を聞いた、最後衛の『十号室』と『十一号室』の面々。
先の呟きが誰なのかは、もはや言うまでもないであろう。
水を扱う属性の魔法使いだ……。
「さすがに、到着する前に国が消滅しているのは、俺らのせいじゃないだろ?」
「それにしても、いろいろ起きるね、本当に」
「西方諸国にたどり着くだけで一苦労です」
ニルス、エト、アモンがそれぞれ感想を口にした。
ハロルド、ジーク、ゴワンの『十一号室』の三人は、特に口を開きはしなかったが、お互いに顔を見ると、小さく首を振った。
そこで、ふと涼は思いついたことがあった。
「エト、こういう滅んだ街って、ゾンビとか、あるいはレイスとかいたりしないの?」
涼の問いは、いつものファンタジー的知識に基づいたものだ。
「ゾンビは、死体があれば、いる可能性はある。あとレイスも、いることがあるね。でも、レイスは大きい街だったとしても、数体とかだから……」
エトは、過去の記憶を思い出しながら答えたようだ。
「それくらいなら、エトやジークのターンアンデッドで一発だな」
ニルスが頷きながら言う。
「まあ、そうだけど……。滅んだ街や村のレイスは、無念な思いを抱いたまま亡くなった人たちだからね……。街や村自体が、彼らのお墓的な側面もあるんだよ。どうしてもという場合は仕方ないけど、正直、手を出したくはないね」
エトはそう言うと、少しだけ悲しい表情をした。
神官として、そういう霊と接する機会が多かったのであろう。
涼などには想像できない経験をしていそうである。
「いざとなったら、ニルスを生贄に捧げて、彼らの魂を鎮めましょう」
「なんでだよ!」
涼の提案は、ニルス本人によって拒否された……。
王国使節団が、滅びた都市国家『ボードレン』の城壁が見える地に到着したのは、報告を受けてから三日後であった。
「先頭の帝国使節団とは、丸二日以上の距離が開いているということか」
団長ヒュー・マクグラスはそう呟いた。
思っていた以上に、差が開いている。
「明日からは、前方に、もう少し多めに斥候を出すか」
斥候部隊の悲鳴が、幻聴として聞こえたとか、聞こえなかったとか……。
城壁が見えてから、城壁前に到着するまで、一時間ほどかかったが、その間、ヒューの表情は険しさを増していった。
さすがに、傍らにいる剣士デロングも、それには気づいた。
「ヒューさん?」
「ん? ああ……。いや、俺らの前を行っている小国の使節団たちなんだが……いない、よな?」
使節団の並びは、帝国、連合、小国、そして王国だ。
陽は傾き、夜営の準備に取り掛かろうかという時間帯なのだが……。
「数時間前の斥候部隊の報告だと、それほど離れてはいなかったよな?」
「はい。数百メートル程度でした」
「城壁前で、夜営の準備をしているだろうと思っていたんだが、いないのは変だよな。速度を上げて、さらに前の連合使節団に合流したならいいが……」
「まさか、街の中に入った……とか?」
ヒューの懸念に、ようやくデロングも思い至った。
デロングがその懸念に達するのに時間がかかったのは当然なのだ。
冒険者なら、当然のように、こんな街に、夜も近い時間帯に入ったりはしない。
そもそも、通り抜けようなどとは思わない。
ましてや、その中で夜営しようなどとは、それこそ絶対に考えない。
「まあ、さすがにここで夜営はしないだろう。城壁脇を通って、向こう側に移動しているのならいいが……」
ヒューも、さすがに街の中での夜営はないと考えていた。
小国の使節団も、護衛として冒険者たちが混じっている。
彼らが止めるであろうし。
「さすがにこんな時間から、斥候に中を見てこいとは言えんよなぁ……」
「はい……ラスリーノが泣くでしょうね」
デロングはパーティーリーダーだ。
そのパーティー『コーヒーメーカー』斥候のラスリーノは、間違いなく、王国でも屈指の斥候であろうが、それでも、もうすぐ夜になろうという時間帯に、滅びた街に入るのは嫌がるであろう。
いや、経験豊富であればあるほど、絶対に嫌がる……。
なんとなくであるが、デロングも、この街には入りたくない気がしはじめていた。




