0002 水の取り扱い
水素結合によって、何に対してかはわからないが勝利を収めた涼が、次に目指す高みは、『お湯』だ。
だが、これは簡単であろう。
涼には勝算があった。
水分子H₂Oの振動を止めることによって氷を作りだした、その反対の過程を行えばいいのだから。
つまり、水分子の振動を増やす。
涼は昔、夏休みの自由研究でやったことがある。もちろん、魔法を使ってではないが……。
魔法瓶に水を入れ、蓋をして、ひたすら振る!
二千回ほど振ると、一度近く水の温度が上がったのだ。
強制的に水分子の振動を増やすことによって、温度を上げる。
これは、すでに成功が約束されている。
まずは、使用頻度の高い手桶。これでやってみる。
(<水道>)
無詠唱で唱えた。詠唱、無詠唱、どちらでもできるように、練習あるのみ。
氷レンズを作った時同様に、十センチほどの深さの水を準備する。
そして、そこに両手をかざして、頭の中にH₂Oの分子そのものをイメージする。
そして、振動させる!
……。
「あれ?」
特に、手桶の水に変化は無い。湯気が出てお湯になった感じもしない。
水に手を入れてみても、温度の変化は感じられない。
「どうして?」
H₂Oのイメージが足りていないのか?
もっと明確にイメージしてから……振動!
「やっぱり、温かくなっていない」
水を氷にしたのと全く逆のプロセスを行えばいいはずなのに。
「あの時は他に何をしたっけ……」
自分の行動を思い出す。
「……あ、水分子の振動を止める前に、分子同士を結合させた。そこも逆にしないといけないか」
もう一度手桶の水に両手をかざし、頭の中でイメージする。
水分子同士の水素結合を解き、自由に動き回るイメージ。
そして、分子一つ一つも振動するイメージ。
ドシュッ
突然、手桶から間欠泉が噴き出すかのようにお湯が吹き上がった。
「熱っっっ」
落ちてくる間欠泉を何とか回避した涼。
火傷したら大変。水魔法には、回復系の効能は無いのだから……。
とはいえ、『お湯』を作ることには成功したようであった。
しかし、現実的な問題として、この不安定な『お湯沸かし技法』(涼定義)をいきなり浴槽で試すのは怖い。
石造りの浴槽が割れたりしたら一大事だ。
さて、どうするか。
こういう時にやることは決まっている。
「練習あるのみ!」
習熟度を上げる。
成功と失敗を何度も経験する。
少しずつでも、成功の回数が増えてくる。
成功体験を何度も経験することが、自信に繋がっていくのだ。
お昼御飯も、昨晩同様の貯蔵庫にあった、なぜか凍っていない干し肉……冷凍庫内にあるものの中で、なぜか干し肉だけは凍っていない……をかじりながら、ひたすら水の生成とお湯沸かしを繰り返す。
太陽が傾いて地球時間で三時過ぎくらいだろうか。
涼は突然頭がくらくらし、立っていられなくなった。
「意識が飛ぶ……」
初の魔力切れである。
生成したばかりの水を手桶から少し飲み、なんとか寝室までたどり着き、倒れるようにして意識を手放した。
『ファイ』に来て三日目。
「昨日の反省。お風呂に入った後で、魔力は使い切ろう」
あえて声に出して、反省を口にする涼。
お風呂に入らないままで眠ったのが、どうも気持ち悪かったらしい。
さすが元日本人。
そこで気付いたことがあった。
「服って、今着てるやつしかない」
そう、このミカエル(仮名)が準備してくれた家には、予備の服は存在しない。
「そういえばミカエル(仮名)って、何着てたっけ?」
古代ローマ貴族のトーガのようなやつ……?
まあ何にせよ、まず、この家には、大きな布が無い。
いや、一枚だけある。ベッドで敷布として使っているあれだ。
だがあれは、寝るのに必要!
「まあ、見てる人がいるわけではないし、最悪何も着ない、という選択もありだよね」
しかし、アダムとイブの絵ですら股間は葉っぱで隠している……。
「いずれ動物を狩ったら、その皮を腰巻にでもすればいいかな」
涼は昔から、着るものにはこだわらない男であった。
さて、服の目処も立った(立ったのか?)。
火、水、食料もある。
そうなると、ついに、あれだ。
そう、水魔法を使った攻撃手段!
貯蔵庫の食料が尽きるまで二か月。
それまでには、結界の外に出て食料を調達できるようにならなければならない。
武器は、今のところミカエル(仮名)が置いてくれたナイフしかない。
地球でナイフ使いとして名を馳せた……わけではない涼としては、襲ってきた動物や魔物をナイフで狩る自信は全くない。
だいたい地球においても、普通のイノシシですらナイフ一本で倒すとか、まず不可能なのだから……。
魔物すらいるこの『ファイ』の森を、ナイフ一本で渡っていこうなど、どこからどう見ても狂気の沙汰であろう。
となると、涼が使える武器は、水属性魔法だけとなる。
「弓矢を作って射る技術とかあればよかったんだろうけど、そんなのあるわけないしね」
昨日、氷レンズを作る際に、「いずれは氷の槍などで」と考えてはいた。
だが、まだまだ無理。
目の前にある水を氷にするだけでも数分かかるのだ……獲物の前で槍を作って飛ばすなど……とても現実的ではない。
というか、飛ばせるのか?
<水>も<水道>も、手から出たらそのまま自由落下していくのだけど……。
そう、まずはウォーターボールみたいなものが使えるようになれないだろうか。
右手を前に出し、頭の中でイメージする。
頭の大きさくらいの水のボール、それが右手から発射されて飛んでいくイメージ。
「<ウォーターボール>」
ボシュッ
イメージ通り、頭の大きさほどの水のボールが、右手から発射されて飛んでいく。
バスケットボールのパスくらいのスピードだろうか。
十メートルほど飛んで、地面に落ちた。
「おぉ~!」
初の攻撃魔法(?)の成功に小躍りする涼。
今度は七メートルくらい先の木の幹に向けて発射!
ボシュッ……ビシャッ
幹は、水で濡れた。
「うん、攻撃力は無さそう、ってのは最初の時に思ったさ」
そう言って、涼は両手両膝を地面についてうなだれた。絶望のポーズであった。
「だが、僕には切札がある!」
すぐに立ち上がり、高らかに宣言する涼。
「ウォーターボールがダメなら、ウォータージェットを出せばいいじゃない」
地球において、切れないものは無い、とすら言われるウォータージェット。
しかし原理としては、『切る』のではなく、水で『削る』が正しい。
以前、会社の業務に関連してウォータージェットについて調べたことがある涼は、これこそが水属性攻撃の本命、そう確信していた。
右手を前に出して、頭の中でイメージする。
右手の先から、細い高速の水が発射されるイメージ。
周りから圧力をかけ、出来るだけ細くした水。
「<ウォータージェット>」
チョロチョロ
<水道>の少し勢いのある、細い水流バージョン。
そう、きっと何も切れない。
再び両手両膝を大地につけ、絶望に打ちひしがれる涼。
「負けた……」
何かに負けたらしい……。
「少し落ち着こう」
昨日のお昼同様に、貯蔵庫の中にあった干し肉をかじる。
(焦る必要はない。お湯沸かし技法でも、半日練習して、かなり使いこなせるようになった。ということは、このウォータージェットも練習を重ねれば強力な武器になるんじゃないか? それに、氷の生成もできるようになった。これも、来たるべき魔物との戦闘では使えるはず……まだどう使えばいいかはわからないけど)
「やはり練習しかない。努力は裏切らない!」
ひたすらウォータージェットの練習に没頭した。
地球時間で昼二時を過ぎる頃には、水道の少し勢いのあるバージョンは超えることができた。だがそれ以降は、よく言っても洗車ホースの水くらいの勢いまでしか、集束しない。
ここで涼はふと気付いた。
「今日こそはお風呂に入らないと」
そして浴室。昨日半日の修行の成果を出す時だ。
「<水いっぱい>」
ほんの十秒ほどで浴槽いっぱいの水が入った。
水の生成量コントロールができるようになったのである。
半日修行し、ぶっ倒れた末に手に入れた魔法制御の結果であった。
次はいよいよ、この水をお湯に変える。
だが、涼は心配はしていなかった。昨日の修行によって、自信を手に入れたのだ。
右手を浴槽にかざし、頭の中にイメージする。
水の分子それぞれが自由に動き回り、尚且つその一つ一つが振動するイメージ。
それを浴槽の水半分ほどに行う。あまりに熱くなり過ぎても困るから。
その都度手をお湯に入れ、微調整を繰り返しながら温度を上げて行く。
……。
そして、ついに、ちょうどいい湯加減になる。
「やった~」
涼の努力はこうして報われた。
「疲れは失敗の元。疲れるほどには働くな」
涼の父親が、口癖のように言っていた言葉だ。
事実なのだが……実践することの、なんと難しい言葉か。
ゆっくりとお湯に身を沈めて、現状を整理する。
ウォータージェットは、まだ攻撃には使えない。
氷の生成は数分かかる。そもそも、空気中から直接氷を作れるかどうかを確認しておかねばならない。
(でもやっぱり「アイシクルランス!」とか言って、氷の槍が飛んでいくのとかやってみたいよね)
男は誰しも、かっこいいものが好きなのだ。
(まずは、氷を使った水属性魔法について、もう少し詳しく知らないといけないな。あと、氷の生成がもっと早くできるようになると、魔物と対決する場合にも使えるかもしれない)
涼はお風呂から上がると、さっそく庭に出て実践する。
「空気中から、直接氷の生成をやってみよう。<氷レンズ>」
両手の間に、火を起こす時に使ったものと同じ氷レンズが出来ていく。完成するのに約五分。
「空気中からの氷の直接生成は可能、と。でもけっこう時間がかかるなぁ」
昨日と違って、手桶無しで作れているのだ……実はかなりの進歩なのだが、その点には涼は気付いていない……。
氷レンズは、魔力を送っている間は融けない。魔力を送るのをやめると、普通の氷同様に融けていく。
「このレンズ、飛ばせないかな」
ヒュン ボト
腕力で投げて、放物線を描きながら落下した。
「うん、飛ばないことは分かった。氷レンズとして作ったんだもんね、飛ばないのは当然!」
心の中で落ち込んでいたのは、もちろん内緒である。
では、次はいよいよ……氷の槍、アイシクルランス。
「これぞ、氷を使った攻撃魔法の本命!」
まずはイメージが大切。
頭の中で、長さ三十センチほどの氷のつららをイメージする。
「<アイシクルランス>」
二度目だった氷レンズの生成に比べて、格段に時間がかかる。
十分を過ぎ、十五分を過ぎて、ようやく形になった。
「よし、イメージ通り。では、飛んでいけ!」
ヒュン ボト
「あ……」
腕力で投げて、放物線を描きながら落下した。
「飛んでいくイメージ、思い浮かべたんだけど……足りないのかな」
<ウォーターボール>は手から発射され、十メートルほどは飛んで行った。
それなのに、<アイシクルランス>はなぜ飛んで行かないのか?
「アイシクルランスの方が重い? いや、ウォーターボールも頭くらいの大きさだから、多分重さはどちらも一緒くらいのはず。う~ん、わからない。何度か試して、その中で何かわかるかな」
「<ウォーターボール>」
唱えてから発射までの時間も、反復練習のお陰か、だいぶ速くなる。
初めて唱えた時には、発射まで五秒ほどかかっていたのが、この数十回の練習によって一秒ほどで発射することができるようになった。
飛距離も、当初の十メートルよりは延びているようだ。
威力は……最初と何も変わらないが。
「ふぅ。だいぶこなれてきた。まあ、ウォーターボールは最初から上手くいってたけど。さて、それを踏まえての、アイシクルランスですよ。ウォーターボールみたいに、右手から発射するイメージでやってみよう」
一度呼吸を整えてから、唱える。
「<アイシクルランス>」
ヒュン ボト
右手から発射された瞬間、地面に落ちた。
「<アイシクルランス>」
ヒュン ボト
何度やっても同じ。
「槍の生成時間はだいぶ短くなったけど……どうして飛んで行かないんだ?」
何十発のアイシクルランスを放ったであろうか。
生成から発射までの時間は一分ほどにまで縮まった。
そして、その時は来た。
「あ、意識が飛びそう」
昨日に引き続いての魔力切れ。
ふらつきながらもベッドにたどり着き、涼は再び、意識を手放した。