0269 ハロルド
「西方諸国……リョウは行きたがるだろうな……」
「まず、間違いなく」
王城パレス、国王執務室。
国王アベル一世は、ついに王城の離れを引き払い、元の執務室に戻ってきていた。
そこで、宰相ハインライン侯爵と相談中。
「ゴーレムの兵団とか……いや、俺でも見たいもんな」
「陛下は行けません」
「うむ……それは、さすがにな」
ちょっとだけ寂しそうな顔をして、アベルは小さくため息をついた。
元々冒険者である。
見たことがない物を見たい、それは当然の気持ちだ。
とはいえ、現在は国王。
しかも、涼によってなんとか命を取り留めたのであり、無茶な事はできないだろう……。
「これが普通の使節団なら、団長に筆頭公爵のリョウでもいいのだが、帝国と連合のことを考えると……リョウでは荷が重いだろう」
「能力は問題なさそうですが、なにぶん、交渉の経験が……」
アベルは顔をしかめ、ハインライン侯爵も顔をしかめている。
「こればっかりはな……。さて、団長はどうしたものか」
アベルは先ほど以上に顔をしかめた。
アベルには兄弟がいない。
唯一の兄弟であった、先の王太子カインは病死した。
姉妹もいない。
さらに、父スタッフォード先王にも、兄弟はいない。
先の王弟レイモンドは、反逆した末自決。そのレイモンドには、子供はいなかった。
他に、スタッフォードには兄弟も、姉妹もいない。
こうして改めて見てみると、現在のナイトレイ王国の王家は、人が少ないのだ。
「血が足りないというか、薄いというか、直系の人間が……」
「陛下、お子様をたくさん作られませ」
「お、おう……」
ハインライン侯が真面目な顔をして言い、アベルも頷いた。
「もし必要なら、側室を娶るという事も……」
「いや、それはリーヒャに殴られそうだからやめよう」
アベルは、リーヒャが杖術で殴り掛かってくる光景を思い浮かべ、何度も首を振った。
そんな風に、二人が話し合っている所に、不幸が舞い降りた。
「陛下、C級冒険者ハロルド殿が、パーティーと共に謁見を願い出ております」
「なに?」
アベルは顔をしかめて問い返した。
さらに、アベル以上に顔をしかめたのはハインライン侯であった。
珍しいことに、かなり顔をしかめて……。
涼が一行を見かけたのは、完全に偶然だった。
王城を抜け出して、『カフェ・ド・ショコラ』にケーキセットを食べに行こうと思っていた時に、一行が歩いているのを見たのだ。
これが普段であれば、全く気にしなかったであろう。
もしかしたら、視界にすら入らなかったかもしれない。
ケーキに満たされた視界であれば。
だがこの時は、『カフェ・ド・ショコラ』というキーワードが頭に浮かんでいたためか……一行が誰なのか、すぐに思い出していた。
「あれは、モンブラン小僧と、できる神官! プラス一名」
そう、以前、『カフェ・ド・ショコラ』で「モンブランを食べさせろ!」と騒いでいた、将来、公爵位を継ぐ男ら三人パーティー。
その三人が、王城内を歩いているのだ。
一介のC級冒険者風情が王城内を歩いているのは、かなり珍しい。
もちろん、涼も一介のC級冒険者であるが、同時に筆頭公爵でもある……だから問題ない。
「これは事件の予感です」
ミステリー小説の主人公かのようなセリフを呟き、涼は三人の後を追うことにした。
衛兵に先導され、謁見の間に入っていく一行。
それを少し離れて追う涼。
その光景は、王城に勤める者たちの目にも映っていたが、誰も声を掛けたりはしなかった。
衛兵の一人が声をかけようとすると、もう一人がそれを止めて説明する。
説明された衛兵は驚き、遠目に涼を見る。
そんな光景が繰り返される王城。
普段着のローブ姿では、確かに『筆頭公爵』には見えないであろう。
それでも、これまで時々、王城内をうろうろしてはいたため、そこで働く者たちの多くに、その存在が知られているのは事実だ。
貴族たちは知らずとも、衛兵たちは知っている……それがロンド公爵。
謁見の間に入る扉にも、もちろん衛兵がいるが、彼らも涼を止めたりはしない。
意識して、表情を変えないように、正面だけを見続けている。
そんな中を、涼はこっそり……少なくとも自分的にはこっそり、入っていった。
謁見の間での国王謁見ともなれば、当然、そこには居並ぶ廷臣……が普通ならいるのだが、今回、階の下にいる貴族は、三人だけ。
それ以外には、入っていった一行三人のみ。
階の上、玉座にはアベル王が座っており、すぐ後ろに王妃リーヒャが立っている。
それを確認して、涼はこっそりと移動した。
この中で一番情報を持っているのは、三人の廷臣のうち、最も玉座に近い位置にいる宰相、ハインライン侯爵であるが……さすがに、そんな目立つ場所に行くのは気が引ける。
貴族側にもう一人だけいる廷臣は……小狡そうな顔をした、いかにも悪い貴族、という涼が抱くイメージぴったりの人物……。
ここまでイメージぴったりの貴族には初めて会った気がして、ある意味感動したが、その隣に移動する気にはならない。
結果、残った一人の横に移動した。
「なんだリョウ……いや、そこで、なぜばれた! って顔するのは変だろ……」
王都冒険者ギルド、グランドマスターのヒュー・マクグラスであった。
さすが元A級冒険者は、涼のコソコソとした移動にもすぐに反応したのだ。
そんな中、謁見が始まった……。
「国王陛下にはご機嫌うるわしく……」
「よい。それよりハロルド、謁見を申し出た理由を述べよ」
階の下で片膝をついて礼をとるC級冒険者ハロルド、別名モンブラン小僧の口上を、アベルは斬り捨て、用件を述べるように言った。
これは、非常に稀有な例だ。
(アベルは、よほど、この謁見が嫌らしい……)
涼はそんな事を考えながら、ただ見続ける。
「用件はただ一つです。私を公爵にしていただきたい!」
ハロルドの、驚くべきその言葉……だが、そこにいる者の中で驚いたのは、涼だけであった。
アベルは今まで以上に渋面を作り、ハインライン侯は身じろぎもせず、小狡そうな貴族はニヤリと笑いを浮かべ……ヒューは小さく首を振っている。
事情を理解していないのが、涼だけらしい。
そして、涼は悔しそうに呟いた。
「公爵位って、欲しいですって言えば、簡単に貰えるものなのか……」
「いや、そんなわけないだろ」
隣のヒューは小声ではあるが、ため息をついてそう言った。
「あいつ、C級冒険者ハロルドは、先の王太子の息子だ」
「先の王太子? アベルのお兄さん、王太子カインさん?」
「なんだ、王太子殿下を知っていたのか?」
もちろん、涼は王太子カインを直接には知らない。
だが、カインが、アベルのために作った即席王養成講座的な宿題を見たことがある。
それは、本当に素晴らしい問題集であった。
問題を見れば、問題作成者のレベルは想像がつくというものだ。
あれほど素晴らしい問題集を作った王太子カインという人は、かなり凄い人物なのだろうというのは想像がついた。
「とても素晴らしい王太子だったのですよね」
「まあな。その王太子の忘れ形見が、あのハロルドで、世が世なら、あいつが玉座に座っていたわけだからな……いろいろ複雑なんだよ」
「複雑だとしても……彼には、優秀さの欠片も見られません」
涼は、ハロルドを見て、ばっさり言い切る。
「C級に上がったばかりとは言え、十八歳でC級なんだから、冒険者としてはけっこう優秀だぞ?」
「カイン王太子なら、十八歳でB級まで上がったはずです!」
「いや、それは無理だろ……」
涼の、何の根拠もない適当意見を、きちんと否定するヒュー……真面目な男である。
そんな中、謁見という名の会話は続いていた。
「公爵位は、実力がついたら、と言ったはずだが?」
「私はC級に上がりました。十分な実力がついたと思います!」
国王アベルの言葉に、ハロルドは言い返す。
アベルも、自分の甥であり、慕っていた亡き兄の遺児だからであろうか。
その無礼な言動をたしなめることなく、小さく首を振っている。
それを見て、ハロルドが続けた。
「叔父上、いえ陛下は以前仰いました。自分を剣で倒せたら、文句なしで公爵にすると」
アベルはそれには何も答えない。
「であるならば、今ここで、私と立ちあってください!」
「……なに?」
さすがに、この言い方にはカチンと来たのであろう、アベルの声は少し低くなった。
「俺が……病に倒れた今なら勝てると、そう思ってでもいるのか?」
アベルは目を細め、ちらりと小狡そうな顔の貴族を見た後、ハロルドを睨み返す。
「そ、そのような意味ではありません! ただ私の力を示したいだけです!」
ハロルドは顔を真っ赤にして、そう言い返した。
誰かに入れ知恵されたのかもしれない……その辺りにいる小狡そうな貴族に。
アベルは、しばらくハロルドを睨みつけている。
ハロルドも、アベルの視線を正面から受け止めている。
(叔父と甥の争いは……王国解放戦でもやりました。骨肉の争いは悲しいものです)
涼は、睨みあうアベルとハロルドを見比べて、王国解放戦時の、叔父レイモンドと甥アベルの争いを思い出していた。
(これは……筆頭公爵である僕が出て行くべき場面……こんな小僧を公爵にすれば、国の秩序が乱れます)
そう勝手に結論付けると、涼は廷臣の列から出て、階の下で片膝をついた。
「C級冒険者リョウ、国王陛下に申し上げたき儀、これあり」
突然出てきたリョウに、ハロルドも残りのパーティーメンバーも驚いていた。
もう一人驚いたらしい、小狡そうな貴族がわめき始めた。
「おい、下郎、何を……」
そこまで言うと、何も言えなくなった……口の前に氷が張られたからだ。
剥がれない……。
その様子を見て驚くハロルドともう一人のパーティーメンバー。
何が起きているのかも理解できていないのだ。
だが、神官だけは瞳の中で何かが光ったかのように、目が細くなった。
(気付かれたか? さすが、できる神官……)
以前、『カフェ・ド・ショコラ』の外で、彼ら三人を転がそうとアイスバーンを敷いたことがあった。
もちろん、この神官だけ転ばず、それどころか、どこからか攻撃されたと認識してさえもいたのだ。
その時、『氷によって滑らされた』ことまで認識したのかもしれない。
それと、今回の『氷の口封じ』が繋がり……。
「C級冒険者リョウ、特に許す。申せ」
アベルが重々しく言う。
「陛下、このハロルドという男は、有名な喫茶店で、モンブランが売り切れていたことに腹を立て、店長をはじめ周囲の客にまで暴言を吐いた人物です。あまつさえ、自分がC級冒険者であり、将来公爵にもなるのだと恥ずかしげもなく言い放つような、そんな子供……いえ、精神が未熟な人物です」
「な……なにを……」
涼の告発……というか悪口に、唇をわなわなと震わせ言葉を続けられないハロルド。
周囲は、あまりの事にポカーンと口を開いたままだ。
そのため、涼はさらに続けた。
「そのような、王国民として恥の塊とも言うべき人物を公爵になど据えるのは、恥に恥を重ねる鬼畜な所業……」
「貴様、黙れ!」
事ここに至って、ハロルドは顔を真っ赤にして、叫んだ。
そして、同時に剣を抜く。
それを横目に見て、微笑む涼。
「ハロルド殿、剣を抜くという意味、理解しておられるのかな?」
「当たり前だ! これほどの侮辱、剣で雪ぐ以外にあるか!」
「なるほど……これは、尋常なる決闘と」
涼はそう言うと、立ち上がった。
オスカーとハロルドの、煽り耐性の対比……。




