0267 西方諸国
交流館の会議室。
帝国の使節は案内され、着席した。
すぐに、王国外務省の人間が説明を始める。
「事前の連絡通り、ロンド公爵、ハインライン侯爵が、王国側の窓口としてもうすぐ見えられます。今しばらくお待ちください」
そう言って、部屋の隅の席に戻ろうとすると、フィオナが質問をした。
「帝国外務省からも事前に要請があったと思うのだが、交渉終了後の国王陛下への謁見は、やはり難しいのかな」
「は、はい。善処してはおるのですが、王城の方からいい返事がもらえず……申し訳ございません」
答えた外務省の人間は、声が裏返っていた。
想定外の質問には弱いのかもしれない……あるいは、フィオナの美貌にのぼせ上がったか……。
「やはり、かなり悪いのか……」
オスカーのその呟きは、隣に座るフィオナの耳にだけ聞こえるほど小さかった。
それを聞いて、フィオナも一つ頷いた。
説明から一分後。
会議室の扉が開かれ、先ぶれが、ロンド公爵とハインライン侯爵の到着を告げる。
まず先に入って来たのは、王国宰相の地位にあり、南部の大貴族としても知られるアレクシス・ハインライン侯爵。
名実ともに、王国の屋台骨を支える人物だ。
元王国騎士団長であり、王国と連合が争った『大戦』時に活躍し、『鬼』と呼ばれた。
さらに、王国の諜報においても一家言ある人物としても知られ、その点からも周辺諸国から警戒されている。
武略、知略、政略、謀略と、全く隙の無い男。
(やはり厄介な男……)
オスカーは、入ってくるハインライン侯爵を見ながら、そう考えていた。
だからであろうか、次に入って来たロンド公爵を見るのが少し遅くなった。
だが、王都到着前からロンド公爵を気にしていたフィオナは、すぐに視線を移している。
そして、息を飲んだのが分かった。
その様子を感じ取り、オスカーも入って来たロンド公爵に視線を移し……。
目を見張った。
「なぜ、貴様が……」
思わず漏れた言葉……。
辛うじて、人の可聴域最下限付近であったため、横に座るフィオナにしか聞こえていないだろうが。
だが、そのフィオナすらも、
「まさか……」
そう呟いていた。
オスカーは、なんとか感情をコントロールする。
とはいえ、想像外の驚きであったため、本当にギリギリだ。
「ああ、こんにちは、お久しぶりですね。王国解放戦以来ですかね、半身を斬り飛ばした」
そんなふざけた事を言われたら、当然キレる。
……以前であったなら。
だが、深く重い、本当に深い呼吸を一つ入れ、オスカーは辛うじて、感情が暴走するのを防いだ。
それを見て、涼は正直、少し感心していた。
別に暴走させて、交渉をめちゃくちゃにしようとして言ったわけではない。
ただ、目の前にムカつく人がいたから、ちょっと煽ってみただけだ。
精神的にどんなものなのかという確認も込めて。
だが、そのムカつく人は、深呼吸ひとつで感情をコントロールしてみせた。
それは、驚くべきこと。
涼は、オスカーの事が嫌いであるが、決して、低く評価しているわけではない。
そもそも低い評価であれば、好きも嫌いも無いのだから……。
そして、深呼吸を見て、成長していることを理解し、評価を高めていた。
もちろん、嫌いである点は全く変わっていないのだが。
涼とハインライン侯の二人が席に着き、交渉が始まった。
とはいえ、帝国の正使は言いたいことがあったらしい。
「まさか、あなたが筆頭公爵たるロンド公爵だったとは、意外でした」
「そうですか? 単純に、ロンド公爵家が抱える戦力が、王国最大だからというだけですよ。お気になさらずに。それより、お二人はご結婚されたのですね、おめでとうございます」
「……ありがとうございます」
涼はいけしゃあしゃあと説明してからにっこりと祝福し、フィオナもにっこり笑って祝福を受け取った。
それを横で、無表情で聞いているハインライン侯は思った。
(ロンド公爵は、腹芸もできるらしい……)
基本的に、国どうしの外交交渉というものは、官僚レベルで事前にすり合わせが行われ、政治家や貴族が出てくる最終段階は、その確認や条約の締結が行われるだけだ。
つまり、この会議室に集まる前に、今回話し合われる内容については事務レベルで話が終わっている。
そのため、ここで新たに、相手方が知らない話が出てくる、あるいは提案されるなどという事は、普通は起きない……。
普通は。
「事前通告してあった内容に、追加で提案があります」
フィオナがそう言うと、帝国外務省の事務官たちが、王国側に資料を渡していく。
「使節団の派遣……?」
ハインライン侯爵が呟く。
それを聞いて、フィオナは言った。
「帝国は、近々、西方諸国に使節団を派遣する予定です。そして可能ならば、その使節団は、帝国だけではなく中央諸国の国々と共に派遣できればと考えています。今回、王国にも、使節団派遣に協力いただきたく、ご提案させていただきます」
これには、涼はもちろん、ハインライン侯爵も驚いた。
帝国に、そんな動きがあるという情報は掴んでいなかったからだ。
(なぜ、西方諸国に? そして、なぜ、今なんだ?)
ハインライン侯は、その辺りを全く理解できず、率直に言って困惑していた。
判断するには、あまりにも情報が足りなすぎる。そういう場合は、情報を集めねば。
「中央諸国の国々と共にということは、この提案は連合にも?」
「はい。我々と同様に、ほぼ同じタイミングで、連合にも提案させていただいております」
「その、使節団の規模は……帝国はどれほどの人数を派遣しようと考えておいでで?」
「護衛を除いて、帝国から百人規模です」
「文官だけで百人規模……」
これはかなり大きな規模になる。
もし、王国と連合も同じ規模の使節団にするとして、文官だけで三百人……。
しかも今回、行先は西方諸国。
その旅程は長く、困難な場所も多い。
そう考えると、護衛の規模も相当なものになるであろう。
護衛も入れれば、全体で千人規模か?
それだけの糧食はどうする?
移動はどう考えている?
「とはいえ、現状は、まだ提案の段階です。王国や連合など、前向きに検討となれば、いろいろすり合わせていくことになるのだろうと考えております」
そんな話を聞きながら、涼の心はざわついていた。
それは、言うまでもなく、『西方諸国』に興味があったからだ。
一番の興味は、もちろん『ゴーレム兵団』
西方諸国には、そんなものを抱える国があると以前聞いた。
ぜひ見てみたい!
とはいえ……実は涼は、いわゆる『西方諸国』がどんなものなのかを、全く知らない!
自慢ではないが、全く知らない!
(あとでアベルに聞こう)
国王陛下を便利屋扱いする筆頭公爵。
国の秩序はいったいどこに……。
それから二日間。
帝国と王国の交渉が行われた。
『西方諸国への使節団』以外にも、話し合うべき懸案はいくつもある。
国境を接すると、それだけで毎日のように問題が発生するものらしい……
そして、最終日夕刻、全ての日程が終了した。
両国の外務、経済関連の文官たちの顔には、特に濃い疲労が漂っている。
当然、彼らは、この二日間だけではなく、ここに至るまでの一カ月間、ずっと極度の緊張にさらされてきた……その一カ月の緊張の結果が、この二日に集約されるわけだから、手を抜けるはずがない。
それに比べれば、両国のトップ四人は、気が楽……基本的に、難しい顔をして座っており、必要なタイミングで必要な言葉を言うだけだ……特に今回の案件は、そういうものばかりであった。
王国的には、こんな丁々発止のやり取りに慣れていないであろうロンド公爵が、交渉の責任者に据えられていたから……かもしれない……そうではないかもしれない。
それは誰にもわからない。
とりあえず、なんとか日程はこなされた。
「二日間お疲れさまでした。ところで、帝国の方々にぜひお会いしたいと、ゲストがいらっしゃっています。皆様にご挨拶したいという事なので、お呼びいたします」
涼が、澄ました表情でそんな事を言った。
「ゲスト?」
フィオナが訝し気に問いかける。
オスカーは顔をしかめただけで、何も言わない。
「さあ、どうぞ!」
涼がわざとらしく言うと、扉が開き、一人の男性が颯爽と入ってきた。
涼が「どうぞ」と言った瞬間、王国側は全員起立している。
そう、入って来たのは、ナイトレイ王国国王、アベル一世。
病の気配など微塵もなく、以前戦場で会った時以上に若々しく、それでいて貫禄もつき、威厳に満ちた様子。
一瞬の間をおいて、フィオナ、オスカーを含め、帝国側代表たちも全員起立した。
「帝国使節の皆さん、よく王国においでくださいました。挨拶が遅れて、申し訳ありませんな。こちらにもいろいろと事情がありまして」
嘘である。
最後にびっくり驚かせましょうという、どこかの水属性魔法使いである筆頭公爵の提案に、国王陛下が乗っただけだ。
そして、その狙いは完全に当たった。
フィオナもオスカーも、なんとか驚きを隠しているが、他の帝国使節たちはそうはいかない。
『アベル王、重病』という情報は、帝国上層部においては、半ば常識とされていたのだ。
その相手が、颯爽と、そして溌剌とした様子で出てくれば、当然驚くであろう。
『交渉』の最後の最後は、王国の完勝で幕を閉じたのであった。
もちろん、実質的なものではなく、精神的な勝利であるが……。
ようやく、西方諸国が出てきました!




