0264 大海嘯
そんな、土気色の顔をしたラーがギルドから外に出ようとした時、ギルドに入って来た魔法使いを見かけたのは……恐らく神の差配、あるいは天の配剤か。
「あ、ラーさん、お久しぶりです」
それは、王都に行く前に、久しぶりにギルド食堂でも何か食べていこうとやってきた、C級水属性の魔法使いであった。
「リョウ……? なんでここにいるんだ?」
ラーの口から思わず漏れたその言葉は、純粋にただの疑問だったのだが……。
「け、決して、久しぶりにルンの街で食べ歩きをして、やっぱりお昼をギルド食堂で食べて、もっかい夕飯を『飽食亭』で食べてから、もう一泊して、帰るのは明日の馬車でいっか、とか思ったわけじゃないですよ!」
涼は、なぜかうろたえながらそう答えた。
「あ、うん、そういう意味じゃなくて……。いやそれはどうでもいい。リョウ、緊急依頼かつ指名依頼だ!」
「はい……?」
「まさかこのタイミングで大海嘯とは……」
さすがに涼も驚いた。
C級以上の冒険者が全て出払っているのは、『十号室』との話の中で聞いていたが、そのタイミングで大海嘯……しかも、今回はオーガ。
涼とラーは防壁上に着き、中を見た。
「これは……壮観ですね!」
涼は興奮していた。
前回の大海嘯の時、涼は図書館にいたために、見ていない。
今回、生まれて初めて、数千体規模の魔物が蠢く様を目にした。
ちょっと不気味に思いつつも、壮観であることに変わりはない。
「これは、さすがに厳しいか……」
隣で、ラーが呟く。
防壁では、すでに弓矢による遠距離攻撃が始まっていた。
まず弓矢で、できる限り数を減らす。
魔法も使うが、魔力は矢以上に有限であるため、主攻は弓矢となる。
だが……。
「オーガの皮膚が硬すぎて、矢が通りません!」
ギルド職員が、叫ぶように、そう報告する。
「ラー、騎士団側の弓矢でも、やっぱり通らないみたいよ」
先に到着して指揮を執っていたサブマスターのスーが、騎士団側も難しいという報告をする。
そして気付いた。
「あら? リョウ?」
「あ、スーさん、こんにちは。決して、せっかくルンに来たから、ルン冒険者ギルド食堂の日替わり定食を食べようとしていたわけではないですよ!」
「う、うん……どうしてリョウが見つかったのか、なんとなく分かった……」
そう言うと、スーは乾いた笑いを口から漏らした。
涼は、少しだけ考えた。
多少、派手な魔法を行使しても大丈夫なはず。
だってルンは、剣術指南役をしていた騎士団を含め、身内みたいなものであるし、今では何といっても筆頭公爵である以上、変な貴族に目をつけられて……みたいなことを気に病む必要はないはずだから!
そう考えると、特に何も言われないため、涼は自分から提案することにした。
「ラーさん、あのオーガたち、魔法で数を減らしましょうか?」
「で、できるのか!?」
「はい。水属性魔法に、ちょうどいい魔法があります」
「ぜひやってくれ!」
この時のラーの心境は、まさに藁にも縋る思いであった。
涼の戦闘力が非常に高く、魔法も剣もそうとういけるらしい、という話は昔から聞いていた。
そのため、弓矢である程度削った後の、近接戦で活躍してもらおうと思って連れてきたのだ。
だが、弓矢が通じない……。
絶望していたところに、涼が提案してくれたのは、まさに渡りに船。
だが、そこまで言って思い出した。
王国解放戦で、涼が何をしたのかを。
「<フローティングマジックサークル>」
涼が唱えると、周囲に十六個の魔法陣が浮かび上がる。
その光景に、冒険者たちの、矢を放つ手が止まる。
そして、対面の防壁上で、同様に矢を放っていた騎士団たちの手も止まる。
唱えられた。
「<アイシクルランスシャワー‟扇”>」
その瞬間、涼と魔法陣から、数万にのぼる氷の槍が発射された。
空から見れば、無数の氷の槍が、涼を要にして、扇状に拡散して飛んでいく姿が見られたであろう。
それは、降り注ぐ太陽の光を反射し、美しく煌めいて……オーガたちを貫いた。
一斉射だけでなく、二度、三度、さらに四度……。
防壁下のアリーナは、無数のつららが突き刺さり、足の踏み場もないほど。
そこは、白銀の世界。
雪ではなく、氷に満たされた……。
「白銀公爵……」
「氷瀑……」
そう呟いたのは誰であったろうか。
全てが静止した世界。
防壁下も、防壁上も、動かず、呟き以外の言葉も吐かれず……。
だが……。
「ラーさん、一体動いています」
静寂を破ったのは、静寂をもたらした水属性魔法使いであった。
指をさした先には、他よりも一回り大きいオーガがただ一体、生き残っている。
五千を超えるオーガが、ただ一人の魔法によって命を絶たれたのも信じられない光景であるが、その魔法が効果を上げていないオーガも、信じられないものであった。
「あれは……なんだ?」
ラーは知らなかった。
「あれは、オーガキング……」
スーは知っていた。
「解除」
涼が呟くと、オーガたちを刺し貫いていた氷の槍は全て消えた。
アリーナには、倒れ伏したオーガと、ただ一体生き残ったオーガキングだけが残った。
「周りにいたオーガたちが、身を挺してキングを守ったようです……」
涼のその呟きは、思ったよりも大きかったらしく、ラーもスーも、驚いた。
「オーガにそんな習性があるなんて……」
スーの呟きに、ラーも頷いて同意を表した。
「さて、一体だけ残ったあのキング、どうします?」
涼は、この場の指揮官であるラーに問う。
「俺が行くしかないだろう」
ラーはそう言うと、体を伸ばしたり、屈伸をしたりし始めた。
「大丈夫なの?」
スーが、ものすごく心配そうな顔をしている。
その気持ちは、涼にもよくわかった……涼もすごく心配だから。
いや、もちろん、ラーはルンの街のギルドマスターであるし、剣士であるし……。
「元B級冒険者だぞ? 任せろ」
ラーは笑顔を浮かべて、そう力強く言い切った。
その間も、アリーナ中央に立つオーガキングは身じろぎもせず、ずっとこちらを見ている。
それを受けて、ラーはキングを見返す。
そして、ひとしきり睨みあった後、ラーは防壁上から降り、アリーナに向かった。
キングはその姿を追……わず、ずっと先ほどと同じ防壁上を見上げたままである。
もしかしたら、氷の槍を放ちまくった自分を見ているのかもしれない……と思いつつも、涼は気にしないことにした。
勝手に、涼の仕事は終わったと判断したのだ……。
「おいキング、俺が相手だ!」
キングに相対したラーが叫ぶ。
その時になって初めて、キングはラーを見た。
ラーは二メートル近い巨漢剣士。
だが、オーガキングは三メートル近い。
巨大な棍棒を地面に突き立て、まさに威風堂々。
お互いが得物を構えてしばらく見合った後……ラーが打ちかけて、剣戟は始まった。
ガキンッ。
ガキンッ。
ガキンッ。
重量物をぶつけ合う音が防壁中に響く。
ラーの剣……剣というより、分厚い鉄の板の方がピンとくる。
あるいは、鉄の塊か……。
そんな剣と、オーガの棍棒の打ち合い。
オーガは、多くの魔物の中でも『力』に秀でた魔物だ。
そのため、棍棒を振り回すのだが、その威力は凄まじい。
正面から受け止めるなど、ほぼ不可能。
だが……。
「これは、凄いですね」
涼ですら感心した。
ラーは、剣で、棍棒を打ち返しているのだ。
パワーにおいて、全く引けを取っていない。
ラーも、化物並みのパワーを持っているらしい。
とはいえ……。
「ラーの取柄は、パワーだけだからね」
スーがため息と共に、そう呟いた。
パワーは互角、スピード……も互角、技術……は双方ともにあるのか?
決着がつくのは、かなり先になりそうだ……。
二時間後。
ガキンッ。
ガキンッ。
ガキンッ。
……何も変わっていなかった。
スーは、ふと、傍らに氷製の椅子を作り、そこに座りながら剣戟を観戦している涼を見た。
手に、何か持っている。
そして、時々、口に持っていっている……食べているらしい。
「リョウ、それは……」
「あ、ごめんなさい、一個しか買ってきてないです、クレープ」
涼は、もう一個買ってくるべきだったかと思った……この場の権力者たるスーに、賄賂として渡しておくべきだったかと。
失態である。
「あ、うん、いや、大丈夫。ゆっくり食べて……」
スーは、その光景を気にしないことにした。
涼は、いつの間にかここを抜け出し、街のクレープ屋まで行き、買ってきたという事なのだ。
そして、食べながら観戦をしている。
こういう時、どんな世界にも共通する素晴らしい言葉がある。
曰く、『気にしたら負けである』
さらに二時間後。
ガキンッ。
ガキンッ。
ガキンッ。
……まだ続いていた。
まだ続いてはいたが、次第に形勢が傾きつつあった。
スーは、ふと、傍らに氷製の椅子を作り、そこに座りながら剣戟を観戦している涼を、再び見た。
氷製の机も構築し、そこに置いたものから手に取っている。
そして、時々、口に持っていっている……食べているらしい。
「リョウ、それは……」
「あ、スーさんも食べますか? ピッツァマルゲリータです。美味しいですよ」
「あ、うん、一切れいただく……」
そう言うと、スーは八分の一切れを取り、食べた。
「ああ……美味しい」
思わず、そんな言葉が漏れた。
何時間も、飲まず食わずでここで見ていた。
お腹が減っているのは当然だ。
そんなスーの表情と、思わず漏れた言葉を聞いて、涼は心の中でガッツポーズを決めた。
失態を挽回した。
涼が、マルゲリータ最後の一切れを食べ終えた瞬間……キングの棍棒が弾き飛ばされた。
無言のまま、ラーはキングの首を刎ね、ようやく剣戟は終わりを告げた。
それは、大海嘯の終了でもあった。




