0257 アベルを救え!
七千字 実は昨日も 七千字
王城の離れ。
涼は、謁見の後、王妃リーヒャに呼び出されていた。
「リョウ、これから先のことは、口外禁止です」
リーヒャはそう告げ、涼は無言のまま頷いた。
そして隣室へ。
そこには、大きなベッドが置かれ……。
「アベル……」
国王アベル一世が寝かされていた。
思わず、体から力が抜けそうになる涼。
僅かに胸が上下している……生きてはいる。
そう、生きてはいるのだが……その顔は……。
たいして専門的な医学知識のない涼ですら分かるほどの、重病人の顔。
頬はそげ、皮膚は張りも無く、唇もカサカサで……衰弱がひどく……死期が近い……そう思わされる。
「アベル……」
二度目のその呼びかけは……本当に弱々しいものであった。
その時、アベルが目を開いた。
「リョウ……似合って……いるじゃない……か」
アベルは、途切れ途切れになりながら、公爵の正装を着た涼を褒める。
その声は、本当に痛々しい。
「アベル……」
涼の、三度目の呼びかけ……とても小さく、弱々しく、そして……悲し気な……。
「すまんな……もう、ダメ……らしい……。ノアと……王国を……頼む……」
涼に、王子と国を託すために、登城させたのだ。
第一王子ノアは、まだ幼い。
王妃リーヒャが摂政として補佐するのであろうが、筆頭公爵、筆頭貴族である涼が支えれば、さらに強固な立場になる。
それを託すために、アベルは涼を呼んだ……。
「半年ぶりに会ったのに、これはないよ……」
涼の声は弱々しいままだ。
当然であろう。
こんな場面で、力強い声など出せるわけがない。
「だが……早かったな……昨日、登城要請……出した……のに」
「たまたまロンドの森にいたからね。早く来られた」
「……」
アベルは、ロンドの森がどれほど離れているか、なんとなく理解している。
涼と共に、歩いて王国領まで戻ってきたことがあるからだ。
あんな遠いところにいたのに、早く来られた?
「まあ……いい」
もちろん、涼は、グリグリの事は、アベルにも話していない。
いずれは話そうと思っていたが……この状況では、『いずれ』は永遠に訪れないのかもしれない……。
だが、ふと疑問に思う。
この『ファイ』には、魔法というものがある。
光属性の魔法なら、多くの回復が望める。
怪我なら<ヒール>で。
毒や病気なら<キュア>で。
涼は、後ろにいるリーヒャを見た。
リーヒャも、涼が見た理由は理解できたのであろう。
小さく首を振った。
『聖女』とすら呼ばれたリーヒャの<キュア>が効かない……?
この三年の間に、涼の錬金術は、かなり進歩した。
錬金術を学ぶという事は、魔法そのものを学ぶという事でもある。
なぜなら、錬金術は、錬金道具で魔法現象を発現させるための方法とも言えるからだ。
そのために、魔法に関する深い知識が必要となる。
その中でも、特に<ヒール>や<キュア>といった回復系の魔法は、深く研究した。
それは、これら回復系の魔法を行使できる錬金道具が作れれば便利だな、と思ったから。
だが研究してみて、光属性魔法を錬金術で再現するのは、かなり困難であることもわかった。
まあ、その辺りは別の機会に触れるとして……。
その研究の中で、<キュア>は、人間の免疫系を強化することによって、毒や病気からの回復を促しているらしいことを理解した。
光属性魔法による強化は、恐ろしいほどに暴力的なもので……ヒールやキュアによる、ほとんど瞬間回復とも言えるものが、なぜあり得るのか、涼は未だに受け入れがたい思いなのであるが……。
とはいえ、<キュア>は、白血球とそのサブタイプのリンパ球の働きを非常に強くする。
いわゆる、ナチュラルキラー細胞やT細胞と呼ばれるものたちをだ。
つまり、<キュア>が効かないということは、その病気を引き起こしているものを、体が攻撃・排除すべき相手と認識していないということになる。
涼はもう一度後ろを振り返って聞いた。
「リーヒャ、アベルの病気の診断は?」
「分からないの。中央神殿の、キュアに詳しい人たちにも診てもらったけど……昔からの不治の病としか」
答えるリーヒャの声も弱々しい。
すでに、アベルの死を受け入れているのか、涙はない。
「リョウ……すまんが……俺は、もう……」
アベルがそんな事を言っている……が、涼は何度も首を振る。
<キュア>が効かない……白血球やリンパ球が攻撃をしない……体が激ヤセする……。
そんな病が地球にもあった……涼ですら知っている、日本で最も有名な死に至る病……。
「がん……」
そもそも、なぜ『がん』になると、激ヤセするのか?
いくつかの理由があるが……。
まず、がん細胞は、かなりのエネルギー大喰らいの細胞だ。
そのため、脂肪を分解してエネルギー源とし、筋肉を構成するタンパク質を分解してアミノ酸にして、これをがん細胞は育つための栄養とする……。
体内の脂肪も筋肉も奪っていく……しかも、通常の食事で補充できる以上を……。
『がん悪液質』と呼ばれる病態……あるいは様態……。
その発症は、完全には解明されていないが……。
涼は一つ頷くと、アベルに声をかけた。
「アベル、ちょっと体内を診せてもらいますね」
「ん?」
涼はアベルの肩に触れる。
そして、目を閉じた。
全神経を、アベルの体内を『診る』ことに注ぐためだ。
人間の体の六十パーセントは水である。
そして、涼は水属性の魔法使いである。
であるから、人の体内は、涼の独壇場なのだ。
もちろん、全く知らない人の体内、一度も魔法で『診たこと』のない人の体内には、簡単にはアプローチできないが、アベルはそうではない。
これまでに、何度もアベルの体内は、涼の魔法にさらされてきた。
そのため、涼自身を除けば、最も知った体内とさえ言える場所だ。
(この、異物が、がん細胞ですか……)
地球にいた頃、テレビや動画で、がん細胞の実物を見たことがある。
そして何より、祖父が大腸がんの手術を受けた時、がんが浸潤した大腸を取り出されて見せられた記憶も……。
(一番大きいのは……胃のやつ? 内壁にできたやつが、胃壁の筋肉に達しているということは……転移している可能性がある……?)
胃壁内のリンパ管や血管に入り込んで、別の臓器に転移する場合があるのだ。
慎重に診なければならない。
(違う! 胃壁を貫いて、胃の外までがん細胞が達している……腹膜転移……この腹膜にいっぱいついてるやつって……こぼれたがん細胞……?)
いつの間にか、涼の額には大粒の汗が浮き出ていた。
ここまで真剣に体内を探ったのは、さすがに初めてだ。
(肺と肝臓にもかなり大きなやつが……。脳にはない! それだけでも良かったと言うべきだよね。原発巣は胃。腹膜転移とリンパ転移……? 肺と肝臓にも転移。いくつか小さいがん細胞と思われるものはけっこう広がっている。問題は、これからどうするべきか……)
基本的に、『がん』へのアプローチは二つだ。
切除するか、しないか。
がん悪液質など、常に人の体に悪影響を与え続けるものを、切除しないで体内に入れたままにしておく……それは無謀なことに見えるが、手術に耐える体力のない患者の場合は仕方がない。
あるいは、技術的にメスを入れることのできない部位であれば……例えば脳の奥であるとか……そういう場合は、放射線や化学療法によるしかないであろう。
地球においては近年、ノーベル賞を受賞した、免疫チェックポイント阻害薬と呼ばれるタイプの治療薬なども開発はされた。
だが、即効性という点で見れば、やはり外科手術になるのか?
難手術という条件をクリアしているのであれば、切除する一択となるのか?
もちろん、涼は地球で、がんの手術などしたことはない。
医者だったこともない。
素人知識だ。
せいぜい、祖父ががんになった時に調べた程度……。
そんな人間が、がん細胞の切除など、愚かを通り越して大馬鹿と言える。
だが……。
そう、だがなのだ……ここは、『ファイ』
魔法のある世界。
そして、涼は水属性の魔法使い。
六十パーセントが水である人の体内は、涼にとってホームゲームと言っていい。
疑問はある。
そもそも、涼がアベルの元を離れていたのはせいぜい半年。
涼の記憶にあるアベルは、非常に元気だった。
つまり、たった半年でこんな状態に……。
胃がんで、半年で、これほど酷い状態になるものなのか?
まあ、がんの進行速度や体の状態は、個人差がかなりあるのもまた事実。
あるいは、別の何らかの要因があるのかもしれない……。
とはいえ、現状の把握と、これから先にやるべき事は理解できた。
「アベル、リーヒャ、原因はわかりました」
涼は目を開け、結論を告げることにした。
「リョウ?」
リーヒャが、弱々しいながらも、何かを求めるような目で涼を見る。
何を求めているか?
もちろん、アベルを助けるという言葉であろう。
ならば、答えるべきだ。
「アベルの体、僕に任せてもらえませんか?」
リーヒャは、間髪を容れずに頷いた。
だが、アベルの反応は……。
「リョウ……もう、俺は……いい」
死を受け入れてしまっている。
「ダメです! 僕は認めません!」
涼は、部屋に入ってきて以来、初めて激した。
「アベルは、まだやるべきことがあるでしょう! ノアを、父無し子にするのですか? リーヒャを置いていくのですか? 国民を……あなたを王に戴いた彼らを放置するのですか? ダメです。そんなことは認めません!」
「だが……」
「アベル。確かに、難しい状況です。これから僕がやることは、誰も試したことがないかもしれません。だから、絶対確実とは言いません。でも、こう考えてください。『どうせ死ぬのなら、涼に任せよう』と」
「なんだ……その説得は……」
アベルは、弱々しい声で、苦笑した。
そして、一度目を瞑った。
たっぷり二十秒後、目を開け、涼をしっかり見て言った。
「わかった。リョウ……頼む」
「はい。アベルの命、お預かりします」
アベルが寝ている部屋の隣室。
涼はリーヒャと向かい合って、説明を行う。
「簡単に言うと、アベルの体内に、<キュア>の効かない悪い奴が巣食っています。それを切り取って、体外に排出します。場所と数は把握しました。方法も考えました。ただ、アベルの体で行う前に、試しておきたいことがあります。ああ、さっき頼んでおいた、麻酔は……」
「ええ、今、届いたわ」
そう言うと、リーヒャは瓶を涼に渡した。
全身麻酔の薬。
以前、脱教団者シャーフィーの手術をした時、泊まった宿屋でも調達できたので、けっこう一般的だと思っていたのだが……やはり王城だと保管されているらしい……。
「よし。これはアベルの手術で使います。で、その前に、ちょっと試したい技法があるので……それは僕の体でやります」
「え……」
「大丈夫です。ちょっと試すだけです。僕のお腹の中……胃に穴を開けます。その技法の確認と、そこにリーヒャには体外からヒールをかけてもらいます。それによって、開けた穴が埋まるかどうかの確認です」
「お腹の中に、穴……?」
リーヒャは首を傾げている。
当然であろう。
いわゆる、外科手術などというものは……少なくとも王国には存在しない。
であるならば、体の中がどうなっているかは知らないであろう……そう思っていたのだが……。
「リョウが、『胃』と言っているのは、食べたものを消化する、あそこよね?」
リーヒャは知っていた。
「神殿で習った?」
「いいえ。魔物の解体で……」
「なるほど」
確かに、元冒険者ならば魔物の解体の経験はあるわけだ……涼自身が、魔石を取り出す以外では、あまり魔物を解体しないから、失念していただけで。
ただし、ボアと、ラビットは、ロンドの森でけっこう解体しているのだが……もっとも、食べる部位は肉だけだ。
ホルモン系は、あんまり得意じゃなくって……。
がんを取り除くために使うのは、涼お得意の<ウォータージェット>。
日本においても、すでに1980年代には、医療用ウォータージェットの開発は行われている。
そう考えると、決して特殊な技法というわけではない。
「<精査>」
涼は、体の中を探る魔法に、名前を付けた。
その方が便利そうだったからというだけだ……。
何度も、自分の体を<精査>した後。
「よし。では、いきます」
体内にある水分を、ウォータージェットのように使い、胃に穴を開ける。
「ぐはっ」
激痛が走る。
当然であろう……麻酔などしていないのだから。
中間管理職の人々が、日々、味わっている『胃が痛い』というあの感覚の、重傷版だ。
「リーヒャ、お願い」
息も絶え絶えの涼が言うと、リーヒャは、涼のお腹に手を当てて詠唱する。
「母なる女神よ 大いなるその癒しの手にゆだねん <ヒール>」
「<精査>」
リーヒャの<ヒール>と同時に、涼は自分に<精査>をかける。
ヒールによる改善状況をリアルタイムで確認するためだ。
すると、胃に空いた穴が、みるみる塞がっていくのが分かった。
「よし、ヒールでいけそう。いちおう、持ち歩いているポーションもあったけど、そっちは必要ないね」
涼は、そう言うと、大きく頷いた。
「リョウ?」
「うん、アベルの手術、やってみよう」
全身麻酔で完全に眠ったアベルを前に、涼は重々しく告げた。
「これより、胃、肺、肝臓、腹膜、ならびにリンパ節部分切除を行います」
誰も、何も言わない。
リーヒャは、涼が言うであろう「ヒールを」という言葉を聞き逃さないように集中しており、つっこみ役のアベルは眠っているから。
涼は少しだけ落ち込む。
なんとしても、つっこみ役のアベルを復活させねばならないと決意を新たにして、手術を開始した。
「<精査>」
頭のてっぺんから足の先まで、慎重に診る。
焦る必要は全くないのだから、慎重に、何度も、何度も。
「うん」
涼は一つ頷くと、アベルの腹部に右手を持っていった。
胃は内側から、粘膜、粘膜筋板、固有筋層、漿膜下層、漿膜の五層構造。これらをまとめて胃壁と言う。
その胃壁を完全に貫く形で、胃の外側にまでがん細胞が浸潤している。
この胃がんから、かなりの場所に散らばっている。散らばった先……肺と肝臓も、それなりの大きさで切除する必要があるようだ。
他の、全身に散らばったがん細胞は、大きくはないが数が多い。
涼の術式は、まず、それら散らばったがん細胞たちから切除する。
これは、地球であったなら、まず不可能である。あまりにも広がりすぎ、数が多すぎ、しかも小さすぎる物もあるから。
だが、そこは水属性魔法。
分子単位でイメージして水を操れる涼は、ナノ単位の小さながん細胞すら見つけることができる。
体内の水をウォータージェットのように使って、がん細胞を剥ぎ取る。
がんが浸潤した部分は、浸潤された部分ごと切り取る。血管やリンパ管は、氷の膜を被せて体内に流れ出ないように処置。これは、あとでリーヒャの<ヒール>で回復してもらう。
肺と肝臓も、基本的には同じ。
回復はリーヒャという元聖女がいるのだから、大胆に切除しても大丈夫!
剥ぎ取り、切除したがん細胞たちは、胃がんのそばに集めておく。
同時に、認識できる限りの全てのがん細胞を、さらに剥ぎ取る。
慎重に、丁寧に。
一時間以上かけて、ようやく全てのがん細胞を剥ぎ取った。
さすがの涼も、わずかに疲労を感じ始めていた。これほどの精密制御は、かなりの集中力と魔力を消費するのだ。
だが、まだである!
ここからが大切。
そう。
原発巣、一番の大本たる、胃がんの切除。
再度〈精査〉を行い、浸潤している個所を正確に特定する。目で見ることはできないが、健全な個所との弾力の違い、ソナーの反射の違いが、それを決定的なものにする。
「いきます」
涼は小さくそう呟くと、胃がんの周囲をぐるりと、一気に切り裂く。胃の粘膜から漿膜まで貫く穴が開く。
切り取った原発巣を、胃の中に落とし込む。
胃液と血液のコントロールを行い、先に集めてきた肺、肝臓、細かながん細胞たちを、ごっそり切り裂かれて開いた穴を通して胃の中に入れる。
これで、胃の中に、体内全てのがん細胞たちが入った。
「リーヒャ、体全体に<ヒール>を」
「はい。母なる女神よ 大いなるその癒しの手にゆだねん <ヒール>」
涼の合図で、リーヒャがアベルの体全体に<ヒール>を施す。
一度だけでなく二度……そして、仕上げに三度目……。
涼が〈精査〉で、胃の穴と共に、肺、肝臓、浸潤していた部位を削り取った個所全てが、ヒールで修復されていることを確認する。
いよいよ最後だ。
「では、吐き出します」
胃の中で水を生成し、その水で全てのがん細胞を捉え、胃から食道へと徐々に上へと運んでいく。
最後は、開けたアベルの口から、水の袋に入ったがん細胞たちを取り出した。
「<氷棺>」
取り出したがん細胞たちを氷に閉じ込め……。
全てが終了した。
涼は、何度も深呼吸を繰り返す。
そして、告げた。
「リーヒャ、手術は成功です」
「ああ……」
涼のその言葉を聞き、泣き崩れるリーヒャ。
そんなリーヒャと、静かに眠るアベルを見て、涼は呟いた。
「魔法って、ほんっとに、すごい。ファンタジー万歳!」
癌で亡くなった父に捧ぐ
地球にも、魔法があったらよかったのにね。
アベルが戦線復帰しました!
次話から、動き始めます。よかったよかった。




