0027 スローライフの終わり
「リョウ、ちょっと相談したいことがある」
炙り肉を食べ終わり、ちょっとした片付けも終了したところで、アベルは尋ねた。
「ん? どうしました?」
「実は、俺が打ち上げられていた海岸に行きたい。ちょっと確認したいことがあるんだ。すまんが、そこまで案内してもらえないか」
「ああ、いいですよ。じゃあ、行きましょうか」
涼が身に着けているのは、いつもの腰布、サンダル、二本のナイフだけだ。
もう最近では、ナイフ付き竹槍を使うことは無くなっていた。
元々竹槍は、広い間合いが戦闘時の安心感を与えてくれるから使っていた。
だが、日々のデュラハンとの剣戟、片目のアサシンホークなどとの近接戦、これらを村雨でこなすうちに、広い間合いは必要なくなっていた。
そう、涼は成長したのだ。
だが、アベルにとってはそうではなかった。
「リョウ。リョウは水属性の魔法使いと言ったよな」
「ええ、そうですよ」
「魔法使いの杖は持って行かないのか?」
「え……」
中央諸国において、基本的に魔法使いは杖を持っている。
魔法使いの杖は、魔法伝導体で、魔法の発動と効果を補助してくれる役割があるためだ。
杖無しの魔法使いだと、魔法の発動には十倍以上の魔力が必要になり、現れる効果も十分の一程度になることもある。
つまり、はっきり言って使いものにならないのである。
だが、涼は今まで杖など使ったことは無かった……。
「あ、ああ……持ってないんです」
その答えを聞いたアベルは、ひどく後悔した。
(また失敗した……貧しい生活をしていれば杖を失ったりすることもあっただろう。命の恩人に恥をかかせてしまった。馬鹿な質問をしてしまった……)
「あ、うん、そういう場合もあるよな。俺は剣士だから、この剣さえあれば大丈夫だ」
そう言って、アベルは腰の剣を叩く。
「何かあったら俺が前衛に出て戦うから、リョウは後ろで見ていてくれ」
「いや、そういうわけには……」
「頼む、それくらいはさせてくれ。命を助けてもらって助けられっぱなしじゃ、俺の沽券にかかわる」
そう言ってアベルは、ずいと顔を涼の真正面に寄せた。
「あ、はい、じゃあその時はお願いします」
そう言うのが精一杯であった。
海岸には、すでに死体は無かった。
涼がアベルを運んでから、五時間程度しか経っていないのだが、すでに二体あったはずの密売人の死体は片づけられたらしい。
もちろん、片づけたのは涼ではない。
恐らくは、海の中にいる何か、であろう。
「二人、死んでいたのですけどね。食べられてしまったか、あるいは海の中に引きずり込まれたかしたみたいですね」
特に感情の起伏も無く、淡々と説明する涼。
だが、アベルにとってはそうはいかなかった。
「つまり、リョウに引っ張って行ってもらわなかったら、俺もそうなっていたということか」
アベルの背中を冷たい汗が伝い落ちる。
「やっぱりアベルさんは運がいいですね」
にっこりほほ笑む涼。
「いや……そうだな、そう思うことにしよう。それとリョウ、出来れば俺のことは呼び捨てにしてくれないか。命の恩人に、さんづけされて、俺は呼び捨て、というのはやりにくい」
「でもアベルさんの方が年上だと思うのですけど……。まあ、それでいいなら、わかりました。アベル」
「おう、ありがとう。仲間たちもみんな呼び捨てなんだ。そっちの方がいい」
「仲間……」
(一人になりたくて、ミカエル(仮名)に人の来ない場所で、と言ったけど……仲間というのは、少し羨ましい気がする。やっぱり二十年というのは長いんだなぁ)
しみじみと思う涼であった。
そんな涼とは裏腹に、何かを探すアベル。
(ああ、やっぱり無いか、証拠の品。海底に沈んだか。あるいはクラーケンの腹の中か。まあしょうがない、とりあえずみんなと合流してからだな)
「リョウ、ありがとう。結局探し物は無いみたいだ」
「それは残念でしたね。これからどうします?」
「とりあえず、仲間と合流したい。ルンの街まで行けば連絡はとれるはずなんだが……」
涼は首を振りながら答える。
「すいません、そのルンの街がどこにあるのかわからないです。恐らくは、ここからだと相当北の方にあるのだとは思うのですが……かなりの距離、移動しなければならないと思います。この周辺には町どころか人がいませんので」
「そうか……腹くくるしかないか」
ここでアベルは一度言葉を切った。そして、少し考えた後、涼に向かって言った。
「なあ、リョウも一緒に行かないか」
アベルの誘いは涼にとって意外なものであった、というより想定外のものであった。
確かに、この森を一人で移動するのは困難であろう。
アベルが腕利きの剣士であったとしても、ソロでの移動というのは恐ろしく難易度が高くなるのだ。
最も困難さを増すのは『休憩』だ。
二人いれば、片方が眠っている間、もう片方が起きて警戒できる。
だが、それが一人だと十分な睡眠をとることは出来ない。
常に警戒し続けなければならないのだ。警戒し続ければ疲れがたまる。
そして、疲れればミスをする。
それは、熟練者であっても逃れられない、世の理の一つなのだ。
だからこそ現代地球の軍隊においても、最小単位は『ツーマンセル』(two man cell)、二人一組なのだ。
とは言え、涼はこのロンドの森から出るというのは、これまで想像したこともなかった。
家の周りには水田を作り、下水道も堀り、よく行く場所へは石畳の道まで敷いた。
結界内には多くの果物も栽培されている。
野菜は微妙に少ないが、それでもここでの生活に不都合は全くない。
不都合は全くないのだが……「一緒に行かないか」そう言われて、ほんの少しだけだが、心が動いたのは事実だ。
(不都合は無い。不満も無い。だけど、ちょっとだけ、この剣と魔法の世界の街を見てみたい気はする。だけどせっかく作った家の周りの環境、スローライフな環境を捨てるのも、もったいない気が……)
涼から反応が無いことに、アベルは少し慌てた。
「すまん、急だったな。せめて、ルンの街まで一緒に行ってくれるとありがたい。道案内というか、そう、依頼。依頼だ。行ってくれれば依頼料は払うし、もしそこで生活してみたいと思うのであれば援助もする。正直、俺は右も左もわからないここから、どうやればルンの街に行けるか想像がつかないんだ。どうだろうか」
そう言ってアベルは頭を下げた。
(ああそうか。別に、永久にロンドの森を去るわけじゃないか。少し世界を見たら、また戻ってくればいいのか。多分その間も、ミカエル(仮名)の結界は動き続けると思うんだよね)
特に根拠も無くそう思う涼。
ミカエル(仮名)への信頼は絶大である。
「わかりました。とりあえずいくつか準備することがあるので、明日出発ということでなら、その同行の依頼、お受けします」
「ああ、リョウ、ありがとう!」
アベルは両手で涼の手を握って、嬉しそうに上下に振った。
アベルにとって、涼はある種の希望の光だ。
どこか全くわからない場所で、運よく自分一人だけ生き残ったらしいが、それも涼が見つけてくれて家まで運んでくれたおかげ……。
さすがにルンの街がどこにあるかは知らないが、「相当北の方」とはっきりと言うからには、何かその情報の元になっている根拠があるのだろうと思えた。
そもそも、どこまで続くかわからない森を一人で行くのは困難を極める。
(杖の無い魔法使いだから戦闘は難しいかもしれないが、そこは俺が担当すればいい。休む時だけでも交代してくれる人がいれば、有り難い。ああ、そうだ、最初の街に着いたら杖と服を買ってやろう。それくらいなら侮辱しているとは受け取られないだろう。そもそも、あの格好だと街に入れない可能性もあるか……)
涼は貧しいために杖も持たず、腰布だけの格好なのだと誤解しているアベル……まあ、涼が一文無しなのは事実だが。
涼は涼で、しばらくの間とはいえ、この家を空けるのであるから、いくつか準備することがあった。
家の機能はミカエル(仮名)謹製なので、涼がいじくることは何もない。
結界も貯蔵庫も、涼がいなくとも問題なく機能するであろう。
水田は仕方ない。また戻ってきたら作りなおせばいい。
ある程度は、籾を冷凍保管してある。食べるもよし、そこから苗を作るもよし、戻ってきてすぐであっても、なんとかなるだろう。
庭の果物も仕方ない。
雨は降るのだから、なんとか生き残ってくれることを祈る……。
基本的に、家に残していくものに関してはなんとかなる。
問題は、持って行く品だ。
都合よく、異世界ものの定番『アイテムボックス』の様な、いくらでも亜空間に収納できる魔法……そんなものはない。
それに類する機能を持ったアイテムも持っていない。
持って行くものは厳選せねばならない。
とりあえず、調味料は持って行くことにした。
塩とブラックペッパーだ。
巾着袋……くらいの大きさの小型の風呂敷……カイトスネークの革をなめしたものに入れていく。腰にぶら下げておいても大して邪魔にもならないであろう。
そもそも調味料だから、大量には必要ない。
だが、あるのと無いのとでは、食べ物の味が全然違う。これは旅に必須。
同じように、キズグチ草も磨り潰さない状態で巾着袋に。
後は火打石。ミカエル(仮名)のナイフと打ち合わせれば火花が飛ぶ。
水は自分で出せる。
(あれ? これだけで大丈夫なのか。かなり少なくて済むね)
『着替え』というものを考慮しなければ、旅行に必要な道具というのは、かなり少なくても済むらしい。
(あとは、ご挨拶……)
晩御飯を食べ終わると、涼はアベルに少し出かけてくると告げた。
「こんな時間にか?」
さすがにアベルも訝しむ。
「ええ。この時間じゃないと会えないので。しばらく留守にすることを伝えてきます。少し時間がかかると思うので、アベルは家で待っていてください」
「ああ、わかった」
(この辺りには人っ子ひとり住んでいないのに……留守にすることを伝える? いや、そうか大切な人の霊とか、そういうのもあるか。今は一人だとしても、ずっと一人だったとは限らないしな。俺が踏み込んでいい事情じゃない)
涼が来たのは北の大湿原の中央、湖のほとり。
月が中天に差し掛かる頃、いつものように首無し馬に乗ったデュラハンが現れた。
いつもなら、それに合わせて涼が村雨を構え、デュラハンも構え、剣戟が始まる。
だが今日は違った。
涼は剣を構えないままデュラハンに近付いた。
「今日はお伝えしたいことがあります。明日からしばらく、このロンドの森を空けることになりました。そのため、今日が最後となります」
言葉が通じるのかどうかは分からない。
そもそも、妖精王というのがどういうものかも涼は知らない。
それでも、誠意は通じると思っている。
通じずとも、これまで剣を鍛えてもらったのは事実であるし、そのことに対する感謝は伝えるのが当然だと思っているのだ。
「今まで本当にありがとうございました。あなたのお陰で、今まで生き延びてこれました。心の底から感謝しております」
気のせいだろうか、デュラハンがほんの少し寂しげな雰囲気になった気がした。
もちろん首無し騎士なのだから顔は無い。そのため顔の表情はわからない。
だが、それでも、涼は寂しげな雰囲気を感じたのだ。
「今夜を最後に、しばらく稽古をつけてもらえません。最後、いつも以上に本気でやらせてもらいます」
そう言って、涼は村雨に刃を生じさせる。
それに呼応して、デュラハンもいつもの剣を鞘から引き抜いて構えた。
二人の剣戟が始まった。
剣戟は休むことなく、二時間続いた。
ポイントは二対三。
涼は二発致命打を入れることが出来た……が、三発もらって負けた。
まあ、これまでも全敗なのであるが。
だが、今日は倒れ伏しているわけにはいかない。最後の挨拶をしなければ。
足元がふらつきながらもなんとか立ち上がる。
「ありがとうございました」
そして涼は、深々と頭を下げた。
そんな涼に、デュラハンは近付いてきて、手に持ったものを差しだす。
「これは……ローブ? 僕に?」
白、というか薄い水色のローブ。
そうRPGや映画の中で魔法使いが着ている、フードがついて頭の先から足首まですっぽり隠れる、あのローブ。
まさに魔法使いの衣装の定番!
確かに、いつもの腰布だけでは街に入る時に捕まってしまうかもしれない……。
涼は受け取り、すぐに羽織ってみる。
全てにおいて完璧なサイズ。
しかも腕から肩周りも、剣を振り回しやすい仕立てとなっている。
純粋な魔法使いというより、なんというか、銀河の光剣使い騎士が着てもよさそうな感じ。
涼はすぐに気に入った。
「ありがとうございます! 大切に使わせていただきます」
またも深々とお辞儀した。
それを見て、デュラハンは満足そうな雰囲気を放っていた。
顔は無いが、リョウにはそう思えたのだ。
デュラハンは首の無い馬にまたがると、いつものように消えていった。