0251 ビシー会戦
ビシー平野に、両軍合わせて六万弱。
なかなかに壮観と言えよう。
帝国軍は、開戦前に自軍の正当性を主張したりはしない。
ちなみに、連合もしない。
中央諸国の大国では、王国だけの……今となっては伝統になっていた。
とはいえ、アベルは元々が冒険者出身という事もあって、正当性の主張というか、その手のアピールを開戦前に行うのは、好きではなかった。
ゴールド・ヒル会戦は、叔父でもあるレイモンド王と話したかったために自ら出向いたが、結局自軍の正当性をアピールしてはいない。
いろいろと、戦争も変遷しているようだ。
「ミューゼル閣下、それでは開始します」
「うむ」
帝国第八軍を率いるエーブナー司令が、総司令官のミューゼル侯爵に許可をもらい、ビシー会戦が開始された。
こうして、帝国軍が先に動いた。
前衛たる第八軍と、魔法攻撃を行える距離まで近づく中衛の第七魔法団が、進軍を開始した。
だが、それに対して、王国軍に動きはない。
「ふん、いつも通り王国軍は腑抜けおったか。国王が変わっても、腑抜け体質は変わらんと見える」
そう言ったのは、第七魔法団を率いるオステルマン伯爵グーター。
その目は、王国軍を侮蔑しきっていた。
自軍の優位を確信しているからとも言えよう。
実際、帝国魔法団の一斉砲撃は、非常に強力である。
その一斉砲撃を受けて、揺るがなかった軍はいない。
そんな自軍の優位を信じるのは、当然と言えるだろう。
「閣下、射程に入りました」
「よし、一撃でこの戦争を終わらせてやる」
部下の報告に、グーターはニヤリと笑って言った。
すでに、全員の詠唱は終わっている。
後は、トリガーワードを唱えるだけ。
「放て!」
グーターの号令と共に、二千本の攻撃魔法が放たれた。
火属性のファイヤーアローを中心に、風属性のソニックブレードや土属性のストーンアローなど、発射後に分裂する、面制圧用の攻撃魔法ばかり。
途中で分裂し、最終的に一万本の攻撃魔法となる。
宣言通り、一撃で王国軍をぼろぼろにするつもりであった。
だが……。
帝国軍から放たれた魔法は、王国軍に届く直前……。
全ての攻撃魔法が消滅した。
「な、なにが起きた……」
その光景は、どれほどの効果が出るか期待して見ていたグーターの目にも、はっきりと映った。
全ての攻撃魔法が、同威力の魔法をぶつけられたときのように、対消滅の光を発して消えていったのだ。
だが、分裂した後は一万本にもなる攻撃魔法だ。
それを、全て対消滅させるなど……二千人の魔法使いがいれば、理論上は可能であるが……帝国を除いて、それほどの数の魔法使いを戦場に集めることができる国は、中央諸国には存在しない。
一体何が起こったのか……。
グーターは理解できなかったが、もう一度、砲撃を行うことにした。
何かの罠か、グーターの知らない錬金術などの可能性もある。
だが、これほどの錬金術であるなら、間違いなく一回限りの使いきりのはずだ。
そう考え、グーターは再度の魔法砲撃を試みた。
結果は……、
先ほどと全く同じ。
全ての魔法が、消え去った。
「馬鹿な……」
帝国軍のお家芸は、根本からへし折られたのであった。
「以前、名前だけで、陽の目を見ることが無かった<動的水蒸気機雷>ですよ」
「ああ……確か、いつもと違う魔物や人の集団が入って来たら、自動的に凍りつかせてしまう魔法……」
「なにそれ、こわい」
涼が、迎撃した魔法を答え、アベルが記憶から内容を引き出し、リンが震えている。
「ええ。使節団の時はそれだったのですけど、今回は、相手の魔法を凍らせるというか……まあ、同じくらいの威力の魔法なら、凍らせると、対消滅で両方とも消えちゃいますからね。そんな感じです」
何度も実験は行ったが、さすがに一万本の魔法砲撃に対しての実験は出来なかったため、そこだけは心配であったが、問題なく稼働したようである。
「敵は、砲撃を諦めたようじゃな。リョウ、こちらからやるぞ」
「解除しました。どうぞ」
涼がイラリオンに解除を伝えると、イラリオンは<伝声>の魔法で、南部軍の魔法使いに魔法砲撃を指示した。
南部軍の砲撃は、帝国軍にダメージを与えた。
とはいえ、帝国の砲撃に比べればどうしても数が少ない。
そのため、帝国軍を混乱させるほどの効果は出せなかったが。
「動的水蒸気機雷は、敵の魔法だけじゃなくて味方の魔法にも反応してしまうので、こちらの砲撃の時は『解除』しなければいけないのが、ちょっと面倒ですね。敵味方識別みたいなのを魔法式で組み込んで、錬金術と連携とかできれば面白いのですが……」
「うん、なんかとんでもないのになりそうだから、とりあえず、今のままでいいんじゃないかな?」
涼が、錬金術に思考がはまりそうになったので、アベルが慌てて止めた。
いちおう、戦闘が始まったばかりである以上、涼には戦場に集中してもらわなければ困るのだ。
「とりあえず、帝国の出ばなはくじきましたな」
顧問アーサーは、一つ大きく頷きながらそう言った。
集団戦だろうが、個人戦だろうが、敵の先手を叩き潰すと、圧倒的に有利に戦いを進めることができるのは、同じである。
日本なら後の先、西洋ならカウンターといった言葉が使われるだろうか。
微妙に意味合いが変わってくるが、気にしない。
涼はそんなことを考えていた。
先手を取られたなら、その先手を完璧に叩き潰す……それが、受け潰しの基本であった。
「魔法が全て消えただと……あり得んだろう、そんなこと」
帝国第八軍を率いるエーブナーは、思わず呟いた。
「あり得ん」とは言ったが、現実に目の前で起きていることは否定できない。
しかも……。
「ぐあっ」
「ごほっ」
王国側の魔法は、普通に飛んでくるのだ。
致命的、とまではいかないが、百人を超える者たちがダメージを受けた。
「近接戦に移行する。敵に突撃して、砲撃させるな」
パーティー人数程度の攻撃魔法であれば、ある程度の魔法使い達なら狙い通りに着弾させることができる。
だが、数百、あるいは数千人規模の魔法が発動すれば、お互いの発動した魔法が干渉しあって、攻撃魔法は狙い通りには着弾しない。
もちろん、「だいたいその辺り」程度には飛ぶため、敵からすれば厄介なことに変わりはないのだが。
そういうこともあって、相手の魔法砲撃を防ぐ方法として、近接戦への移行は有効な方法だ。
帝国本軍は、王国軍の魔法が届かない距離に後退し、五百人ずつの突撃部隊が出てくる。三十隊、計一万五千人である。
この突撃部隊が、それぞれ錘行陣、簡単に言えば三角形を組んで、敵に突っ込んでその戦列を食い破るのだ……魔法団の砲撃でボロボロになった戦列では、まず耐えられない攻撃となる。
普段ならば。
だが、今回は、魔法砲撃が効果を上げていない。
そのうえで、この突撃部隊を正面から受け止めたのは、南部軍の中核をなす、二つの領軍。
「魔法砲撃で崩されなければ、我らとて決してひけはとらぬ!」
そう言い放ったのは、アレクシス・ハインライン侯爵。
ハインライン侯爵領軍には、あえて『騎士団長』の職が置かれていない。
それは、侯爵自身が騎士団長だから。
かつて、王国騎士団長を務め、先の『大戦』を勝利に導き、『鬼』と呼ばれた男……彼が率いる騎士団、そして志願民兵が加わった領軍が弱いわけがない。
いくつもの、帝国軍の錘行突撃部隊をがっちりと受け止める。
受け止めて、突進力を失った部隊に、魔法使い達による砲撃が浴びせられ、さらに騎士団による反撃が行われた。
元々、錘行陣にしろ、蜂矢陣にしろ、V字型隊形にしろ……、突進する力を失えば、恐ろしく脆弱になる。
しかも、止められたうえで、側面からの攻撃を受ければ脆く崩れ去るものなのだ。
完璧な陣形などというものがこの世に存在しない以上、ある場面では強く、別の場面では弱い……当たり前の事なので、使い分けをするしかない。
だが、帝国軍総司令官であるミューゼル侯爵も、主席副官リーヌスも、第八軍司令エーブナーもそれを理解していなかった。
これまで、錘行陣での突撃を受け止められたことが無かったからだ。
ハインライン侯爵領軍に受け止められ……そしてもう一つの南部軍主力、ルン辺境伯領軍も、それに劣らず精強な軍であった。
『辺境伯』という名が示す通り、国の辺境に位置し、一定以上の強力な軍事力を持つことが想定される爵位だ。
地球においてもそうだが、一般の『伯爵』よりその地位は高く、侯爵と同等。
現在、王国内唯一の『辺境伯』であるルン辺境伯の軍は、実戦経験の豊かさでは他の追随を許さない。
その敵の多くは、魔物ではあるが、それこそ城外演習が常に死と隣り合わせである……鍛えられないわけがないのだ。
また、城内においても、人外の強さを誇る剣術指南役に鍛えられてきた……まず、誰を相手にしても「怯む」ということはない。
『エルフ』の剣術指南役や、『魔法使い』の剣術指南役の強さに比べれば……というか、生涯においても、彼女や彼より強い相手に出会うことがあるのか……はなはだ疑問である。
そんな鍛え上げられた二つの領軍は、いわば中途半端な帝国軍の突撃を、完璧に受け止めていた。
中央で受け止める。
では、両翼は?
当然のように、王国軍左右両翼は前進を開始。
前進というより、進撃。
今回、左右両翼には、ルンを除く冒険者たちが配置されていた。
右翼をマスター・マクグラスが、左翼をランデンビアと『六華』が率いる形である。
帝国軍が中央に突撃し、本隊と中央先端との距離が広がり、広い側面を見せる形になっている。
そこへ、王国軍両翼に配置された冒険者たちが、側面から襲い掛かった。
錘行突撃をがっちりと受け止められたうえで、側面からは冒険者に襲い掛かられる……さすがに帝国軍首脳部も、その危険さは認識できた。
「これは、まずい」
総司令官のミューゼル侯爵は、思わずそう呟いた、その時。
そんな天幕の隅で、主席副官リーヌスに、彼の護衛隊長メルが緊急報告を手渡していた。
「今、届きました」
普段、感情が揺れ動くことのないメルの声が、ほんのわずかに震えていることをリーヌスは感じ取っていた。
だが、一読してその理由を理解した。
「ウイングストンとストーンレイクで反乱……さらに外部からの王国軍と思われる部隊が侵攻し、陥落だと……」
ウイングストンは、王国東部最大の街で、帝国軍が本拠を置いていた場所。
また、ストーンレイクは、このビシー平野近郊の街であり……。
「我が軍は、王国東部にいられないという事か……」
さすがに自信家のリーヌスですら、この報告の持つ意味の深刻さは理解できていた。
戦線が崩壊し、一度退いた方がいい、この状況で……退いて態勢を立て直す場所を失ったのだ。
もちろん彼らは、その反乱の後ろに、『教授』あるいは『計画者』と呼ばれる人物の影があることは知らない。
ウイングストンとストーンレイクに、外部から侵攻した者たちが、かつてデスバリーで敗れて壊滅した王国第一軍の残存兵力で、それを率いたのがナタリー・シュワルツコフと、元財務卿フーカの兄弟たちだ。
それらの間を取り持ったのは、フェルプス・A・ハインライン。
『計画者』、フェルプス、ナタリー、フーカ一族という、おそらく、お互いほとんど面識のない者たちが、奇跡的な連携でウイングストンとストーンレイクを、王国に取り戻したのであった。
「陛下、ウイングストンとストーンレイクの件、成功いたしました」
フェルプスの声は、幾分上擦っていた。
これは非常に珍しいことだ。
フェルプスも、この二都市の奪還の手法は、成功率が決して高くないという事を理解していたのだ。
だが、それが成った。
王国東部を奪い返したのだ。
「奪い返したか。よくやった!」
アベルも、成功率の低さを理解していたのであろう。かなりの喜び様だ。
「ナタリーとフーカ一族、それと『計画者』殿のおかげです」
「『計画者』についてはウィリー王子から聞いている……まあ、本人が表に出たくないという事なのでそっとしておこう。ナタリーは、シュワルツコフ家の新当主として確固たる地位を築いたな。それとフーカの者たち……財務卿への復帰は難しいが、弟たちを取り立てることで納得してもらうとしよう」
アベルは、論功行賞のことを考えていた。
そこをしくじると、統治のしょっぱなから失敗することになる……勝ってお終い、というわけにはいかない……国家統治の難しさ……。
「だが、全ては、目の前の敵を倒してからだ」
アベルは気合を入れ直した。
それを後ろから見つめ、腕を組んで偉そうに、うんうんと頷く涼。
そんな涼に、アベルは気付いていたが、あえて何も言わなかった。
なぜなら、涼の後ろでは、リンとリーヒャも同じように頷いていたから……。
司令部のそんな雰囲気は、少なくとも、南部軍優位で進んでいることの、証左ともいえるのかもしれない。
両翼の、冒険者による攻撃が功を奏しつつあった。
「そろそろか」
アベルはそんな状況を見ながら呟き、傍らのイラリオンに告げた。
「全軍突撃」
「御意」
イラリオンはそう言い、<伝声>で全軍に告げる。
「全軍突撃!」
その号令と共に、防御に徹していた二つの領軍並びに、アベル自身が率いる近衛たるルン冒険者たちも、中央から突撃を開始した。
耐えきれず、帝国軍が潰走を始めたのは、すぐであった。
「我が軍の損害、軽微。帝国軍に対する追撃戦を行っております」
「帝国軍からは、散発的な抵抗はありますが、全軍壊滅状態です」
アベルのいる本陣も、追撃戦について行き、北上していた。
そんな時、変化は突然起きた。
波一つ無い水面に、どこからか石を投げ入れたような……。
水面的には何の前触れも無く、突然波紋が発生したような……。
涼の<パッシブソナー>では、そんな風に感じた。
それは、以前、経験したことがある。
(インベリー公を救出に行った時に、皇女様とあいつは、こうやって現れた)
そして今回……二百人の反応が現れ、その中に、二人の反応もある。
「まずい!」
涼は小さくそう呟くと、<ウォータージェットスラスタ>で一気に最前線へ躍り出る。
「<アイスウォール10層>」
涼が唱えるのと、一千本の攻撃魔法が南部軍最前線を襲ったのは、同時だった。
皇帝魔法師団二百人と、フィオナ皇女、そして、爆炎の魔法使いオスカーが南部軍の前に現れた。
次話、ついに、涼とオスカーの対決です!!