0025 ドラゴン
片目との死闘を終えた次の日、涼は、昨日の戦場に来ていた。
特に理由があったわけではなく、なんとなくだ。
改めて来て、見て、ようやく勝利を実感した。
だがそこに、歓喜はなかった……。
そんな涼の前に舞い降りた者がいた。
見た瞬間に、涼の頭の中は真っ白になる。
ただ一つの単語を除いて。
それは。
(ドラゴン……)
紅く輝く、全長五十メートルはあろうかというドラゴン。
真っ白になった頭の中だが、数秒後には高速で回り始めた。
(なんでこんなところにドラゴンが。いや、今はそれはどうでもいい。どうにかして逃げないといけない。いや、逃げられるのか。これはどうやっても無理だろう。戦う? ない、ありえない。世界がひっくり返ったとしても、戦うのだけはあり得ない。生物としての格が違いすぎる。冗談抜きで、小指の先だけで僕は殺される)
そんなことを必死に考えていたために、涼には聞こえていなかったのだ。
<<そこの人間>>
涼の心の中に直接呼びかける声が。
<<むむ? 人間相手の念話のやり方は、こうではなかったか? 久しぶり過ぎて覚えておらぬが。人間、聞こえておらぬのか?>>
「え? あれ? 何か聞こえる?」
ようやく我に返る涼。
<<なんだ聞こえておるではないか。儂じゃ、目の前におるドラゴンじゃ>>
「これが念話……。あ、はい、すいません、気が動転していました。聞こえています」
<<よかったよかった、驚かせてすまぬの。ちとお主に尋ねたいことがあっての。お主、この辺りで、アサシンホークから進化した鳥に心当たりはないかの>>
「え……」
心当たりはありすぎる。
ありすぎるし、それは涼が昨日殺した、片目のあいつであろう。
かといって、ごまかしなど通じそうにないし、嘘をつくと、ばれた時に大変なことになるのは涼ですら知っている。
「はい、心当たりがあります」
そう言って、涼は全てを正直に話した。
片目のアサシンホークとの因縁から、昨日ここであったことまで全て。
「もし、あなたの眷属とかであったのなら、申し訳ありませんでした。謝ります」
そう言って、涼は頭を下げた。
<<ふむ、そうか。お主が殺したのか>>
そう言って、ドラゴンは少し考えた後、口を開いた。いや、念話だが。
<<よい、眷属などではないのじゃ。ただ、あれほどの鳥の反応が昨日、突然消えたからの。儂らドラゴン族の誰かが食べたのならわかるのだが、そうではないみたいでな。で、なぜ消えたのか気になったので山から降りてきたのじゃよ>>
そう言って、東の山を見上げた。
そう、やはりあの「ドラゴンとかいそう」と涼が思っていた山には、ドラゴンが住んでいるのだ。
「そうだったのですか。あの片目のアサシンホークは、確かに僕が殺しました」
<<消えた原因がわかればよいのじゃ。この森でも数百年ぶりの進化じゃったからな。しかしよく倒せたのぉ。あれは魔法を無効化したりせんかったか?>>
「はい、されました! とんでもなかったです! 僕は魔法使いですから、魔法無効化とか反則です」
うんうん、とドラゴンは頷いている。
そしてふと、涼の腰に目を止めた。
<<お主が腰に差しているのは……なんともまた珍しいものを差しておるのぉ>>
「腰?」
涼が村雨を取り出して見せる。
もうこの頃には、最初の頃に抱いていたドラゴンへの恐怖は無くなっていた。
涼の神経は、本人が思っている以上に図太いのかもしれない。
<<おお、やはり妖精王の剣じゃな>>
「妖精王? これは北の湿原の湖に毎夜現れる、デュラハンにもらったものですが……」
アイルランド民話では、デュラハンは妖精である。
<<デュラハンというのは何か知らんが、それをくれたのであれば、そやつが妖精王じゃ。今ここの森におるのは、水の妖精王じゃな、確か>>
「ああ、僕は水属性の魔法使いなので、それでいただけたのですね。この剣のお陰で、昨日は助かりました」
<<そうか、水の魔法使いか。じゃから妖精王もお主を気に入ったのじゃな。それで、妖精王から水の魔法を教えてもらっておるんじゃな?>>
「え? いえ……教えてもらっているのは剣術で、魔法は一度も見せてもらってすらいないのですが……」
<<何? 水の魔法使いなのに、水の妖精王から剣を習っている? 水の魔法ではなくて? ま、まあ儂にはよくわからんが、そういう関係もあるのであろう……。あの妖精王も、儂ら同様に数十万年の時を生きておるからな……。ともかく、剣をもらったのであれば、相当に気に入られておるのは確かよ。悪い事ではあるまいよ>>
フフフ、と何が面白いのかわからないが、ドラゴンは笑った。
「あの、いくつかお尋ねしたいことがあるのですが……」
<<む? 構わんぞ、何でも聞くがよい>>
ドラゴンは鷹揚に頷いた。
「このロンドの森の大きさと、どういう場所なのかというのを知りたいのです」
<<なんともざっくりとした質問じゃの。まあよい、この森、そうロンドか……そういえば昔はそう呼ばれておったな。大きさは何とも言えん。お主らの単位がわからんからな>>
「あ、そうですよね、それはそうですね……すいません」
<<うむ。とはいえ、だいたいの大きさで言うと、小さめの大陸くらいじゃ。昔は、ロンド亜大陸とも呼ばれておったからな>>
「大陸……」
それは、涼にはちょっと想像できなかった。
いや、ミカエル(仮名)には「人の来ないところでスローライフを」って希望したけど……まさかそれほどとは。
<<亜大陸じゃ。東南西の三方を海で囲まれておる。そして北は、山脈が北西から南東に一つ、これにぶつかるように東西にもう一つ走っておる。ちょうど亜大陸に北から蓋をしている感じじゃ。そのために、それより北にある人間の居住圏から、人間たちがやってくることはない。儂が知る限り、現在このロンド亜大陸にいる人間は、お主一人じゃよ>>
わっははははは、と声に出して大笑いするドラゴン。
「そんなに隔絶した世界だったとは……」
<<なんじゃ、知らずに生活しておったのか? そもそもお主はどこから来たのじゃ>>
特に隠すようなことでもないので、涼は異世界からの転生であることを話した。
<<それはまた珍しいの……たまに、異世界から来る者はいるが……>>
その時、東の方より咆哮が轟いた。
<<むむ、すまぬな、呼び出されてしまったわい。もう少し話したかったが、また会うこともあろう>>
そう言うと、飛び立とうとする。
「あ、あの、せめてお名前を。僕は涼と言います」
<<リョウか。儂はルウィンと言う。また会おうぞ、リョウ。あ、だが東の山には近づくなよ。ドラゴンには、問答無用で襲ってくるものもおるでな>>
そう言うと、ルウィンは東の空へ飛んで行った。
「ふぅ……ドラゴンってものすごい迫力。あれで、周囲を見て回る門番くらいの地位なんだろうなぁ……そんなので、あれほどの存在感って……。あの山のトップとか、ちょっと想像つかないや。うん、絶対近付かないようにしなきゃ」
改めて、心に強く誓ったのであった。
一方、東の山に向かった『竜王』ルウィン。
<<それにしても変わった人間であったのお。というか、あれは本当に人間なのか? あんな人間がおるのか? 数十万年生きてきたが初めて見たわい。もしや人間の変異種とか進化種か? そんなのがおるなど聞いたこともないが……。ククク、何にしても面白い。これだけ長く生きてきても、まだまだ分からぬことがあるのじゃからな……。妖精王が気にかけるのもわかる気がするのお。あれも、この亜大陸に流れてきてから数千年……久しぶりに面白いものに出会って興奮したのであろうな、うむ、その気持ちわかるぞ。とはいえ、いろいろ手を出してはいかんな、もったいないことになりそうじゃ。傍観者として見守るのが一番楽しそうじゃな、ワーハッハッハ>>
次に涼がルウィンと会うのは、相当に後の事。
そして妖精王であるらしいデュラハンとは、今夜もこれまで通り、いつも通りの剣術の稽古を行うのであった。
そう、水の魔法を教えてもらったり……などということは、やっぱりなかったのである。




