0242 失敗の影響
「副長、レイモンド王によるアベル王襲撃が失敗したとのことです」
そこは王国北部、ゴーター伯爵領の都キャットロウ。
ゴーター伯爵は、レイモンド王に付き従う北部貴族の中でも重鎮の一人であり、伯爵領は、王国の北東外縁で、帝国と国境を接する。
そのため、代々、強力な騎士団、魔法団を抱えている。
地図上では、伯爵領の東は連合とも接しているのだが、その間には、ただ『裂け目』と呼ばれる巨大な峡谷が横たわっていた。
この『裂け目』は、南に行けば、ある程度幅が狭まり、いくつかの橋も架けられているのだが、ゴーター伯爵領付近の峡谷は、とても橋など架けられる幅ではない。
また、峡谷の底を流れる川も急流なため、船での渡河も不可能であり、過去、この『裂け目』をまたいでの軍の侵攻が行われたことはない。
とはいえ、王国の要衝であることに変わりはない。
そして、ゴーター伯爵は、王国を離れ帝国につくことを、すでに選んでいた。
「アベル王襲撃というと、『五竜』を派遣した、あれだろう、極秘任務。アベル王自身は確かにA級冒険者だから強いのだろうが……五竜全員、いや四人が揃っていながら失敗とはな。手傷を負わせたとかそういう報告は入っているか」
「いえ……剣士サンは、アベル王が一騎打ちにより斬り捨てたと。他の三人は捕らえられたということです」
副官ユルゲンは、そう報告した。
報告したのだが、何かスッキリとしない表情をしている。
それなりに長い付き合いであるオスカーは、その表情に気付いた。
「ユルゲン、何か付け足すべき報告があるんじゃないか」
「はっ……失礼いたしました。三人は、氷漬けになって捕まったのだそうです」
ユルゲンが報告した瞬間、オスカーの雰囲気が変わった。
それは、ユルゲンですら背筋を氷が滑り落ちるような……正直、あまり経験したくない雰囲気である。
「あの魔法使いか」
それだけ口にした後、奥歯をギリギリと噛みしめているのが、ユルゲンにも分かった。
正直、分かりたくなかった……。
敬愛する皇女フィオナを、氷漬けにすると言った水属性の魔法使いのことは、一生許すつもりはない……そのことを、ユルゲンは嫌でも理解したのである。
そんな状況が一分ほど続いた後、突然、オスカーの雰囲気が変わった。
いつもの状態に戻ったというべきか。
「ウィットナッシュで、アベル王がルンの街の冒険者たちだと言ったからな……アベル王の周囲に侍っているということだろう」
内容は、例の水属性の魔法使いに関することであったが、言い方はいつも通りである。
「名前は、確か、リョウでしたか」
「ああ」
ユルゲンが問い、オスカーはそれだけ答えた。
だが、その後、言葉を続けた。
「ユルゲン、現状、アベル王は敵だ。おそらく、いつか戦うことになるだろう。その時、あの魔法使いが戦場に出てきたら、全員退かせろ」
「はっ」
「必ず退かせろよ。お前たちでは相手にならん。俺が一人で戦う。俺でも必ず勝てるとは思わんが、少なくとも相討ちまではもって行く」
「ふ、副長……」
オスカーのあまりにも壮絶な決意に、言葉を続けられないユルゲン。
「それほどの相手なのですね」
「ああ、胸くそ悪いが、それほどの相手だ。だが、必ず、殺す」
最後の言葉は、とても小さく、とても低いものであった……ユルゲンにもぎりぎり聞き取れるほどの。
しかし、それだけに、そこに込められた意思を、ユルゲンは感じていた。
(A級冒険者すら倒す水属性魔法使い……まさに化物。だが、それは副長もだ)
「失敗した……だと……」
王城の執務室で、レイモンド王は、口からその言葉を絞り出していた。
A級冒険者四人を投入した暗殺任務……それが失敗?
A級冒険者とは、人の頂点である。場合によっては、人外と言ってもいいかもしれない。
そんな者たち四人が、王とはいえ、さらにA級の剣士とはいえ、たった一人の暗殺に失敗したなど、レイモンドには信じられなかった。
「裏切って、依頼を放棄したのではあるまいな?」
レイモンド王は、疑いを抱いた視線でパーカーを見た。
「いえ……剣士サンは首を刎ねられた死体が公開され、他の三人は氷漬けになった状態で、街の広場に、今も公開されているそうです……」
「そんな馬鹿なことが、あり得るのか……」
レイモンドは、何度も何度も呻きながら部屋の中を歩き回った。
パーカーは、それを見ながら何も喋らない。
こういう時のレイモンドに話しかけると、激昂することを長年の経験から知っているからだ。
静かに黙って待つに限る。
たっぷり五分以上、レイモンドは部屋を歩き回った。
パーカーは慣れているため、じっと待っている。
そして、ついにレイモンドは、パーカーの方を見て、口を開いた。
「パーカー、やはり正面から叩き潰すしかない」
「御意」
「だが、問題は帝国軍だ。やつらはどうしている?」
レイモンドが危惧したのは、アベル王軍とレイモンド王軍が対峙している時に、レイモンドの背後から帝国軍が襲い掛かってくることだった。
冷静に考えれば、帝国軍がアベル王側につくことはあり得ないのだが、この時、レイモンドの心はネガティブであった……五竜の失敗がその理由であるのは言うまでもない。
「帝国軍は現在、ミューゼル侯爵と主力軍がウイングストン、数百名規模の守備部隊がストーンレイクとスランゼウイに置かれているようです」
「奴ら……本気で、どういうつもりなんだ」
戦前、レイモンドが帝国皇帝ルパート六世と結んだ協定には、帝国軍が陥落させた街は、戦後、レイモンド王に全て譲渡する条文がある。
絶対君主である帝国皇帝の名で結ばれた協定を、部下や家臣が蔑ろにするとは思えない。
レイモンドには、現在の帝国軍の行動が、全く理解できなかった。
「一番の問題は、帝国の出方だ」
アベルは、そう呟いた。
執務室にいるのは、アベルと涼だけである。
涼は、いつものソファーにぬべ~と横たわりながら、図書室から借りてきた錬金術関連の本を読んでいる。
「アベル……自分は仕事をしていますアピールはいいですから……」
「そんなんじゃないわ!」
涼が、やれやれまたか、といった表情で肩を竦めて言うと、アベルは怒鳴り返した。
「口に出して言うと、頭の中でまとまりやすいだけだ」
実際、アベルは仕事をしていた。
『五竜』による襲撃、それを完璧に迎え撃ち、しかもリーダーの剣士サンを、アベル自らが返り討ちにしたことを、中央諸国中に発表した。
表立っては、その発表に対して反応する国や、国内貴族はいなかったが、各地で話題になっているのは、国民の多くが知るところである。
三人の氷漬けは、今もルンの広場に置かれている。生きたまま。
さすがに、サンの首や死体は、あんまりだろうということで、現在は公開されていないが。
「リョウには本当に感謝している。今回は、俺だけじゃなく、仲間の命も救ってもらったからな」
「照れますねぇ……でも、本当に感謝しているなら、特権をください、特権を」
「特権? 貴族特権とかか?」
涼が珍しく、ご飯を奢れ以外の要求をし、あまつさえその内容が『特権の要求』であるため、アベルは訝しんで尋ねた。
「コーヒータイムに、週に一回くらいはケーキをつけてくれる特権がいいです!」
「ケーキ……」
「ハッ……む、難しいなら、二週間に一回でも……いや、あるいは……仕方ありません! 一カ月に一回で手を打ちましょう!」
涼は、悩みに悩んだ末の、妥協の産物としての提案だったのだろう……苦渋に満ちた表情で、一カ月に一回のケーキ付コーヒーを要求した。
「一カ月に一回……」
「さ、さすがに、それ以上は妥協しませんからね! 月一回のケーキ特権を、断固として要求します!」
「ああ……いいだろう」
「やった~」
涼は文字通り、飛びあがってガッツポーズをした。何度も何度も。
やっぱり涼は涼である……アベルは、安心した。
アベルの執務室は、今日も平和であった。
だが、その平和な執務室に、平和とは程遠い知らせが舞い込んできた。
持ってきたのは、ハインライン侯爵である。
「陛下、北方より緊急の知らせが参りました」
そう言うと、アレクシス・ハインライン侯爵は、一枚の紙をアベル王に渡した。
「帝国で、貴族の反乱? 首謀者はモールグルント公爵だと……」
「モールグルント公爵?」
アベルが思わず呟いた言葉に、涼が首を傾げながら尋ねた。
それに対して答えたのは、ハインライン侯爵である。
「モールグルント公爵は、帝国の南東部に領地を持つ、名門中の名門。現在のルパート六世陛下は、即位以降かなりの数の貴族を粛清したが、『最後の大物』とすら呼ばれているのがモールグルント公爵だ。現在、王国への遠征軍の総司令官となっているミューゼル侯爵と、双璧を成す帝国最大の貴族といっても過言ではない」
「すごい大物なんですね~」
貴族社会というものをよく知らない涼からすれば、その程度の感想になる。
「なるほど、これは最初から想定内だったわけか……」
アベルが小さくそう呟いたのが涼にも聞こえた。
ハインライン侯爵にも聞こえたらしく、それに対して答えた。
「でしょうな。反乱が起きて、それを鎮圧するまでがルパート陛下の想定の範囲内なのでしょう」
「どういうこと?」
「ルパート六世という人物は、他国を征服する際には、必ず自ら軍を率いて攻め入る。皇帝親征というやつだ。北方や西方の小国を攻めた時もそうだった。だが、今回の王国への遠征は違った……王国ほどの大国への遠征だというのに、だ。つまり、最初から王国を攻め滅ぼすつもりはなかった……ミューゼル侯爵を国外に出させ、帝国貴族の力を割ったところで、目の上のたんこぶであったモールグルント公爵を、反乱を企てた者として滅ぼす。そして、ミューゼル侯爵が遠征に失敗するようであれば、その責を問うてミューゼル侯爵も滅ぼす。これで、帝国に最後に残った厄介な大貴族は一掃される」
「すごいですね……まさに権謀術数……」
アベルの説明を聞き、涼は素直に凄いと感じていた。
もちろん、王国への遠征が成功し、王国を支配下に置いたとしてもそれはそれでいい。
帝国にとってはマイナスにはならない……そういう計算もしてあるのだろう。
「皇帝と貴族……関係が難しいんですね~。王国は大丈夫なのでしょうか……」
涼のその呟きに、アベルとハインライン侯爵は思わず顔を見合わせた。
それこそ、この二人が『国王と貴族』の関係なのだから。
「あ、大丈夫ですよ、アベル。僕はアベルの味方ですからね」
涼は力強く言い切り、アベルの方を向いて、一つ大きく頷いた。
「……もし、ハインライン侯爵が、毎週、コーヒーにケーキをつけてくれると言ったら?」
「それは仕方ありません。アベル、残念です。僕は貴族側につきます」
「うん、そんな気がした……」
憐れ、ケーキで売られる国王……。
世知辛い世の中なのであった。




