0240 水属性の魔法使い
「リーヒャ!」
バルコニー中央で戦っていたアベルが、リーヒャが倒されたことに気付いた。
「気絶させた」
決して大きくない斥候カルヴィンの声であるが、アベルにははっきりと聞き取れた。
それは、アベルと剣戟を繰り広げているサンの耳にも届いた。
「おい、それは甘ちゃんすぎるだろう」
サンは、そんな言葉を吐く。
「彼女は、これからまだ強くなる。生かすに値する強さだった。殺して金が出るのはアベル王だけ」
カルヴィンの珍しい長文に、サンだけでなく、ウォーレンと戦っている槍士コナーも驚いて呟いた。
「カルヴィンの長文とか、五年ぶりくらいに聞いた」
そんな外野の声を聞き流しながら、カルヴィンはリーヒャをバルコニーの隅に寝かせ、自分は戦闘に加わらず、手すりに寄りかかりながら他の戦闘を見守ることにした。
「カルヴィン、この盾使いさんを倒すの、手伝う気はないか」
「ない」
槍士コナーの言葉に、カルヴィンは気のない返事を返す。
「そうだろうと思ったよ」
そう言いながらも、槍士コナーは突き、薙ぎ、あるいは叩きつけるなど、槍の攻撃を何十と繰り出している……が、ウォーレンの盾は揺るがない。
剣士同士の戦い、槍士と盾使いの戦いという、物理職同士の戦いは、勝敗の傾きは、まだ誰の目にも見えてこない状態である。
だが、魔法使いどうしの戦いは、少しずつ終わりが見えてきていた。
それは、『残存魔力』という、魔法使いならではの要素のためだった。
それに合わせてであろうか、剣士対剣士、槍士対盾使いの戦闘が激しさを増した。
魔法使いどうしの戦いに、助けに行かせないために……。
元々の保有魔力量は、『五竜』のブルーノも、『赤き剣』のリンも、それほど変わらなかったのだろう。
その辺りにいるC級冒険者は元より、数少ないB級冒険者ですらも、この二人と比べてれば天と地ほどの差がある……それほどに、二人は魔法使いとしてハイレベルなのだ。
だが、一つ一つの魔法発動時の僅かなロス、洗練度、あるいは最適化の度合い、そういったものから生じた差が、最終的に、勝敗となって二人の間に横たわりつつあった。
「くっ」
ついに、リンが片膝をつく。
残存魔力は、もうほとんどない。
ギリギリ意識を保つのが精一杯。
目もぼやけて、ほとんど見えていなかった。
「さすが王国屈指の風属性魔法使い、その評判は正しかったと認めよう。だが……」
そこで、ブルーノはニヤリと笑った。
「私の敵ではなかったな」
そして、杖をリンに向ける。
「降伏しろ。そうすれば命だけは助けてやる。降伏しなければ、殺す。私は甘ちゃんのカルヴィンとは違う」
ブルーノのその言葉を聞いて、リンは顔を上げた。
そして、キッとブルーノを睨み返して言う。
「断る! これでも、私はイラリオン・バラハの弟子。道を踏み外し、王を弑逆しようとする輩に垂れる頭など、持ってはいない!」
「はっ、言うじゃないか。お前を殺し、いずれはイラリオンも殺す。そうして、私は名実ともに王国一の魔法使いになる。その途中で、王を僭称する男も殺してしまうだけだ」
降伏を拒否したリンに対して、ブルーノは禍々しい笑いを浮かべながら、いずれイラリオンをも殺すと宣言した。
だが、その言葉を聞いた瞬間、リンが大笑いをした。
それこそ、『けたたましい』という言葉がぴったりなほどの、普通ではない笑い。
「なんだ、何がおかしい」
そう、このけたたましく笑う女魔法使いに対しては、それ以外の問いかけはないであろう。
だが、そんな女魔法使いの答えも、ブルーノには理解不能な内容であった。
「王国一? あなた、王国一の魔法使いと言った? あははははは……。それは可笑しい……いや、頭がおかしい……そう、そうよね、知らなければそうなるのよね。無知な火属性の魔法使いさんに教えてあげるけど、王国一の魔法使いはイラリオン師匠じゃない。もちろん、私なんかでもない。王国一の魔法使いは、ルンの水属性の魔法使いよ」
そう言うと、リンは再びけたたましく笑った。
本当に、心の底から、腹の底から可笑しい……そのことが見てとれる笑い。
「水属性の魔法使い? お前、何を言っているんだ? 死を目の前にして狂ったか? いや、そうやってごまかして、なんとか逃げようとしているのか? 馬鹿め、無駄だ」
「馬鹿はあんたよ。私たちを殺せば、あんたは永久に追われる。死ぬまで追われる。地の果てに逃げても追われる。誰にかって? その水属性の魔法使いによ」
リンはそういうと、最後にもう一度ブルーノを睨み返した。
「面白い! 追ってきてもらおうじゃないか。その水属性の魔法使いとやらに。ぜひ会いたいものだな」
ブルーノは禍々しい笑いを浮かべたまま、そう言い放った。
その瞬間、空気が変わった。
変化は、激しい剣戟を繰り広げていた、サンとアベルも感じた。
二人は、同時にそれぞれ後方に飛び退り、何事が起きたのか周囲を探る。
「ひとが、冷たい雨に濡れながら演習を行い……ようやく館に戻って来てみれば、温かい食事がないだと?」
周囲の空気が凍りついたかのような錯覚を、七人は覚えた。
「それなら、せめて、お風呂に入ってゆっくり眠ろうと思ったら……執務室のバルコニーで戦闘だと?」
本能的な恐怖……幾人かは、それをこの時、初めて経験した。
「僕を怒らせたいのかな? そうなのかな? どうなるか分かっているのかな? わかってやっているのかな? うん、それなら、もう、二度とこんな馬鹿なことをしないように、派手にわからせてやるのがいいよね」
「リョウ……が、キレてる……」
アベルのその小さな呟きは、幸いにも誰の耳にも届かなかった。
その声に合わせて、執務室の窓が開き、怒れる水属性の魔法使いがバルコニーに出てきた。
「<フローティングマジックサークル>」
涼の言葉に合わせて、その周りに十六個の魔法陣が浮かび上がる。
完全に呑まれ、誰も動けない中、ただ一人動いた者がいた……いや、動こうとした者がいた。
それは、魔法陣を向けられた人物、斥候カルヴィン。
だが、カルヴィンは動けなかった。
すでに、足が、凍りついて固定されていたのだ。
「<アイシクルランスシャワー>」
逃げられない相手に対して、あえて、ゆっくりと唱えられたその言葉によって、十六の魔法陣の一つ一つから、数十いや、数百の極細の氷の槍が発射され、カルヴィンの身体を貫く。
「ゴフッ」
両足が動けない状態にもかかわらず、手に持ったダガーと体の動きだけで、かなりの氷の槍をかわしたカルヴィンは、さすがA級冒険者の名に恥じないものであったろう。
だが、全てをかわしきることはかなわず、数十の氷の槍に貫かれたその姿は……無残なものであった。
しかも、その全ての槍が、急所を、あえて外してある……。
「<氷棺>」
数十の氷の槍に串刺しになった斥候は、そのまま氷漬けにされた。
涼が次に向いたのは、杖をリンに向けたまま、状況が飲み込めずに固まっているブルーノ。
辺りの焼け焦げた様子から、ブルーノが火属性の魔法使いであることを理解したのであろう。
「火属性の魔法使いなど、これで十分。<積層アイスウォール10層パッケージ>」
その瞬間、ブルーノの周りを、氷の壁が包み込む……全方位を。
囲んだ壁から中心に向かって、氷の壁の厚みが増していく。
かつて、リョウが悪魔レオノールに放った魔法。
その時は、レオノールが<炎竜巻>という力技で、内側から割ったのだが……。
「なんだ、これは……」
その言葉を最後に、ブルーノは凍りついた。
まったく、何も、抵抗できなかった……。
三番目に涼が向いたのは、槍士コナーであった。
「<アバター>」
リョウが唱えると、リョウの左右に分身が現れる。そして、涼は村雨を構えた。
「なんだそれは……」
コナーの呟きは誰にも聞こえない。
「<アイシクルランスシャワー><ウォータージェットスラスタ>」
涼本体を含め三体の涼から、無数の氷の槍が槍士コナーに向かって撃ちだされ、同時に、三体の涼の背面から微細とも言える水が噴き出し、氷の槍と同じ速度で突っ込む。
氷の槍の着弾、三体の涼の斬撃、それは一瞬で生じ、一気に収束した。
後に残ったのは、無数の氷の槍に貫かれ、両腕と両脚を斬り落とされた槍士コナー。
「い、い、イギャァァ」
「うるさい。<氷棺>」
叫び声をあげるコナーを、問答無用で氷漬けにする涼。
「なん……なんなんだよ、お前……」
剣士サンの言葉は、かすれ、震えていた。
「まず、自分から名乗るのが礼儀でしょう」
涼は真面目に返したのだが、サンには聞こえていないようだ。
代わりに、アベルが答えた。
「A級パーティー『五竜』の、剣士サンだ」
「ああ、以前言っていた……。まあ、人間にしては、なかなか強い方ですよね」
涼の言い方が、幾分、いつも通りな感じになったため、アベルは内心ほっとしていた。
正直、現れた時のキレ具合だと、ルンの街全体が凍らされるかもしれないと、ちょっと思ってしまったのだ。
「さてアベル、どうします? そのサンとかいうのも、王の命を狙う大逆でしょう? 僕がやりますか? それとも……」
「いや、俺にやらせてくれ」
アベルはそう言うと、改めて剣を構え、サンに向き直った。
「ふむ……アベルがそう言うのなら、お任せします。事態は掌握してありますからね、じっくり焦らずにいって大丈夫ですよ」
涼はそう言うと、魔力切れ寸前のリンに魔力ポーションを渡し、バルコニーの端に寝かされたリーヒャの元に歩いて行く。
「いったいなんなんだ……あいつ……」
まだ平常心が取り戻せないサンが呟く。
「あれは、ルンのC級冒険者のリョウだ」
アベルは、丁寧に教えてあげた。
「C級? そんなわけあるか!」
「だよな~」
サンは怒鳴り、アベルもさもありなんと頷いた。
「だが、事実だ」
アベルがそう言うと、サンは大きく目を見開いて、一度涼の方を見る。
そして、すぐにアベルに視線を戻した。
「世界には、冒険者のランクだけでは測れない奴らがいる……けっこういる、ということだ」
アベルはそう言った。
サンは一度目をつぶる。
そして、深呼吸を一つすると、目を開き、改めて剣を構えた。
今までの、取り乱した様子は、微塵も感じられなくなった。
この辺りは、さすがA級冒険者。
アベルは、素直に感心した。
(あんな、リョウみたいな常識を破壊する男を突然見せられて、仲間全員を氷漬けにされながら、深呼吸一つで平常心を取り戻すとは……すごいな)
だが、負けてやるつもりは、もちろんない。
「では、いくぞ」
そう言うと、アベルの方から斬りかかっていった。
再び、アベルとサンの剣戟が始まった。




