0234 裏切り者
王城パレス国王執務室。
「なぜ、やつらは未だに居座っているのだ!」
決して、怒鳴ったわけではない。
小さく、だが鋭く、忌々しさに満ち満ちた声が発せられた。
発したのは、レイモンド王である。
「理由はなんとも……」
答えたのは、レイモンド王の右腕、カークハウス伯爵パーカー・フレッチャー。
「しかも、爆炎の魔法使いは、東部の街を次々と落としている!」
「はい……」
忌々しいままに、さらに言葉を重ねるレイモンド王、そしてただ頷くしかないパーカー。
オスカーら皇帝魔法師団の進軍速度は、想定をはるかに超えるものだ。
だいたい、百名たらずの魔法部隊が、二日に一つずつ街を落として行くなど、どこの誰が予想できるというのか。
しかも自軍の損害は、ほぼゼロ!
「ありえるか!」レイモンド王は、心の中で、何度、そう叫んだことか。
だが、最大の問題はそこではない。
「なぜ、やつらは東部の街を落としている? 帝国との協定には、『領土、街の割譲は行わない』と明記してあるぞ。奴らが落とした街は、我々の物になるというのに……なぜやつらは街を落とす……」
そう、戦前に帝国と結ばれた協定には、戦争を通じて帝国が落とした街や領土は、レイモンド王に譲渡されると明記されていた。
王都は、戦略上必要であったために、帝国軍は犠牲を払ってでも陥落させる必要があった。そして陥落させた。
後から調べたところによると、他にも王都を陥落させたい理由があったらしいが、結局そちらはうまくいかなかったようだという報告が、なされている。
とにかく、王都はわかる。
だが、他の街は……苦労して帝国軍が落としても、結局レイモンド王に譲渡されるのだ。
落とす理由がない。
「そして、やつらはどこまで進むつもりだ……」
王都周辺は、レイモンドに従っていたため皇帝魔法師団はそのまま素通りしたが、第二街道沿いのストーンレイク、ウイングストンを陥落させた。
どちらも、東部における重要な街であり、ウイングストンに至っては、東部最大の街である。
東部の大貴族であり、王家にも連なる血筋シュールズベリー公爵アーウィンを降伏させたという報告も上がっている。
そんな大貴族を降伏させてまで、いったいどこまで進むのか。
レイモンド王もパーカーも、爆炎の魔法使いオスカーの意図は、全く読めなかった。
二人が、オスカーらの意図を読めないでいる間に、新たな報告が入った。
「報告します。帝国軍皇帝魔法師団は、王国東部スランゼウイの街を陥落させたとのことです」
「スランゼウイだと?」
その報告に、レイモンド王は顔をしかめた。
これまでは、第二街道沿いに東に向かっていた。ストーンレイク、ウイングストンと。
それが、急に南下してスランゼウイである。
確かに、スランゼウイはウイングストンに次ぐ、東部第二の都市である。
また、ロー大橋があった頃は、このスランゼウイ、ロー大橋、ルンを繋ぐ東街道は、王国全体で見ても、かなりの交易量を誇った街道でもあった。
だが、ロー大橋が崩落し、東部の治安が悪化した現在、スランゼウイの地位はかなり下がっている。
そもそも、東部動乱の引き金を引いたのが、このスランゼウイの領主館と武器庫の『火事』であり、それによって領主の入れ替わり、騎士団長の死亡、副団長による権力掌握などが起きたことから、現在、スランゼウイの名前は、王国貴族の間でも非常に悪いイメージを伴っている。
何にせよ、帝国軍が、そんなスランゼウイを落とす理由が、二人には分からなかった。
二人は、『黒い粉』の存在は知っていても、それが東部でのみ産出され、その貯蔵がスランゼウイで行われていることを知らなかったのである。
無知は罪。
責任ある立場の人間にとっては、まったくその通りなのだ。
レイモンドの執務室を退室したパーカーの元に、部下が走り寄って来た。
「閣下、今しがた、騎士団詰め所が襲撃されました」
「反乱者か! 以前にも襲われたが……。今は、あそこは、帝国軍の本陣が置かれているだろう? 本陣を襲うほどの戦力が反乱者共にあるのか」
騎士団詰め所は、かつて王国騎士団の詰め所があった場所で、王都騒乱時に当時の騎士団長バッカラーが戦死した場所である。
現在、王都に駐留する帝国軍の本陣が置かれており、レイモンド王の即位と宣言によって王城にいづらくなったミューゼル侯爵も、騎士団詰め所にいることが多い。
「昨晩、数カ所で起きた帝国騎士殺害事件の捜査のため、多くの帝国兵が出払っていたらしく……」
「手薄になった隙に襲撃されたと? そんなものにのった帝国軍も馬鹿だが、反乱者共も狡猾な!」
(だが、あまりにも鮮やかすぎる……誰か頭の切れる奴が反乱者共の中にいるのだろうが、一体誰だ? かつてなら、王太子が真っ先に疑われただろう……。あるいは、南部のハインライン侯爵が……。だが、南部からでは、ここまできめ細かな作戦を動かすことは出来まい……どうしても、現地で即断即決で人を動かす必要が生じる……誰にせよ、そいつは、王都の中にいる)
思考の井戸に沈みかけたパーカーであったが、まだそれが出来る状況にはないことを思い出した。
「すぐに騎士団詰め所に行く。馬を用意せい」
王城から騎士団詰め所は、それほど離れていない。
パーカーが着いた時には、まだ完全に混乱から立ち直ってはいなかった。
「国王陛下の執政、カークハウス伯爵である。ミューゼル侯爵はご無事か」
詰め所外は、多くの騎士や従士が行き交っており、まだ混乱していたが、詰め所内は比較的落ち着いていた。
その入り口にほど近い衛兵に、パーカーは問いかけたのだ。
「はっ。四階執務室におられます」
その返事をもらうと、パーカーは階段を上がった。
執務室に入ると、ソファーの上で、ミューゼル侯爵は神官による治療を受けている最中であった。
つい先ほどまで、最前線で指揮を執っていたらしい。
「カークハウス伯爵、してやられましたわ」
そういうと、ミューゼル侯爵は苦笑した。
レイモンド王らと帝国軍は、完全な味方同士とはいえないが、かといって明確な敵というわけではない。少なくとも、まだ今は。
特に、総司令官ミューゼル侯爵は、人として忌避したい人物というわけではないため、その苦笑にパーカーも思わず苦笑いで答えた。
「敵は、冒険者と王国騎士団の残党でした」
一通りの治療を終え、ミューゼル侯爵は説明を始めた。
冒険者と騎士団、それは予想通りの敵でもあった。
帝国軍による王都陥落以降、王都の各ギルド、特に冒険者ギルドは活動を停止している。
また、陥落時に王国騎士団は激しく抵抗したが、壊滅させられている。
だが、全滅はしていない。
また、未確認情報ではあるが、デスボロー平原に出征していた騎士団員たちの一部が、何らかの方法で王都に侵入したという話もあるのだ。
涼が聞けば「レジスタンス!」と声をあげたであろう……。
そんな抵抗勢力が、間違いなく王都にはいるのだ。
そして、彼らの標的は、レイモンド王やそれに従う貴族たちではなく、帝国軍。
明確に、帝国軍とその周辺にだけ、襲撃を繰り返していた。
帝国軍の物資焼き討ち、駐留各所への襲撃、あるいは夜陰に紛れての帝国兵の暗殺。
王都に詳しい者たちによる襲撃であるため、外様である帝国軍は、常に後手に回るしかなかった。
「カークハウス伯爵には先に伝えておこうと思うのだが、我々は、来週中には王都を出る予定です」
「そ、それは……」
「レイモンド王も気を揉んでおいでだったでしょう?」
そういうと、ミューゼル侯爵は大きく笑った。
「ただ、日々激しくなる襲撃を考えると、来週と言わず、出来る限り早く出て行きたくなりますな」
(それが奴らの狙いなのだろう)
パーカーはそう思った。
反乱者たちが狙うのは、徹底して、帝国軍だけである。
パーカーが知る限り、レイモンドの手勢や北部貴族関係者が襲撃されたことはない。
その理由は、帝国軍に出来る限り早く出て行ってもらうため。
この襲撃を計画している人間は、帝国軍が王都にとどまる必要が無いことを、正確に理解しているのだ。
そこまで読んでいる人間なら……帝国軍が出て行ったあとはどうするか?
(次の標的は我々になるか?)
パーカーは心の中で苦虫を噛み潰していた。
レイモンド王が、民を含め、冒険者や騎士から支持されていないのは理解している。
『裏切り者』
その言葉は、終生レイモンド王について回るものである。ひいては、彼の補佐役である自分にも。
だが、レイモンドにはレイモンドなりの理由はあったのだ。
国王スタッフォード四世の異常。
このままでは、スタッフォード四世と共に、王国全てが他国の物になる可能性すらある。
だからこそ、彼を廃してレイモンドが王となる。
もちろん、レイモンドの中に、王位への執着が無かったとは言わない。
正直、かなりあったであろう。
だが、レイモンドの動機はこの際問題ではなく、スタッフォードの統治能力の喪失が問題だったのだ。
そして、王太子の病弱さ。
どちらも、問題であり、そして危惧は的中した。
王太子が亡くなり、帝国の侵攻に王国は有効な手を打てなかった。
レイモンドが立ったのは、王国の存続のためには正しいことだったとすら、強弁できる状況だったのである。
全ての事情を知っている人に対しては。
だが、民はスタッフォード四世の異常を知らなかった。
冒険者も騎士も、それどころか王城にいる者たちも、気付いていなかった者がいるくらいである。
そのうえ、どこかの騎士団で修行していると思われていた『アルバート王子』が、対抗して王への即位を宣言した。
しかも、A級冒険者だと!?
民からの受けは最高だろう。
冒険者はこぞって支持するだろう。
騎士も強い者を頂点に戴きたいであろう。
なんたることか!
かつて、スタッフォードが多くの支持を受けながら即位し、レイモンドが失意のうちに北部に去ったあの時の境遇を、パーカーは思い出していた。
似ているのだ。
誰からも好かれ、多くから支持を受け、しかもそれらの期待に応えられる……かつてのスタッフォードがそうであったように、今のアルバート王子もその特性を受け継いでいるようだ。
民を味方につけられない為政者は、破滅する。
しばらくは民も我慢しよう。
押さえつける力を持っていれば反逆することも無かろう。
だが、結局は成功しない。
パーカーはそのことを知っていた。
だからこそ、フリットウィック公爵として領民を治めることになったレイモンドに、為政者として必要な知識と共に、民との接し方を学ばせてきた。
そして、水準以上に優秀であったレイモンドは、それを身につけた。
だが、その努力で身につけたものを、軽く超えて行こうとしているアルバート王子。
いや、アベル王。
それは才能なのか、それとも周囲の誰かに鍛えられたものなのか……どちらにしろ、本来は簡単に手に入るものではない。
パーカーはそのことを知っている。
だからこそ、正直、アベル王を羨ましいと思った。
パーカーは小さく首を振ると、挨拶して部屋を退出した。
理解している。
どちらにしろ、もう自分たちは、引き返せないと……。




