0229 即位式
「本日、正午、レイモンドが即位したことを布告いたしました」
ルンの執務室でアベルにそう報告したのは、ハインライン侯爵である。
アレクシス・ハインライン。
かつて、王国騎士団長を務め、その苛烈さから『鬼』と異名をとった男。
だが、その手腕は、諜報に秀でており、王国中にその情報網を張り巡らせていると言われている。
領都アクレは南部第一の規模を誇り、名実ともに南部を代表する大貴族の一人といえる。
また息子であるフェルプス・A・ハインラインは、ルンの街に拠点を置くB級冒険者でもある。
「わかりました。では、予定通り、二日後に即位しましょう」
アベルはそう答えた。
即日ではなく、あえて二日の時間をとる。
その間に、レイモンドが即位した情報が各街に行き届くのを待ってのことだ。
その上で、かぶせるようにしてアベルも即位する。
アベルの即位は、即日国中の街に届くように手配済みだ。
涼は、そのトップ会談を、いつものソファーではなく、部屋の隅のイスに座ってお行儀よく見ていた。
そんな涼の方を、アレクシスが見て微笑みながら言う。
「それにしても、噂の水属性魔法使いのリョウが、アベル様の護衛というのは心強いですな」
「い、いえ、それほどでも……」
侯爵、また有名な元騎士団長に、面と向かって褒められ、涼は照れていた。
「普段は何もしていないけどな」
アベルがそんなことを言う。
「やはり、普段から御守りした方がいいですよね! わかりました、氷漬けにしてお守りしましょう。あれなら、どんな攻撃を受けてもびくともしませんから」
「おい、ばか、やめろ」
涼が大きく頷きながらそんなことを言うと、アベルがすぐに拒否する。
「アベル、遠慮せずに」
「リョウ、絶対にするなよ!」
そんな二人を見て、アレクシスは大笑いして言った。
「その氷漬けというのが、フィオナ皇女を氷漬けにしてやると爆炎の魔法使いに啖呵きったやつなのですな」
「よく知っているな」
アベルは、さすがのハインラインの情報網に感心し、涼は口をパクパクさせるだけで何も言えなかった。
そこに、リンとウォーレンが入って来た。
「アベル、もどった……ハインライン侯爵? ご無沙汰しております」
リンが驚いてそう挨拶し、ウォーレンはしっかり頭を下げて挨拶した。
「おう。シュークのとこの娘さんだな。ウォーレンは……まあ、久しぶりだな」
ウォーレンは、珍しいことに微笑んだ。
だが、この日の嵐が訪れたのは、その後であった。
ばたんとドアが開く。
「アベル、ここにリョウが……」
白い髭と白い髪が伸び放題になった魔法使いが、ノックもせずに入って来たのだ。
「爺さん、ノックぐらいしろ」
「まあ、イラリオン様らしいと言えばらしい」
アベルが呆れ、アレクシスも苦笑する。
「なんじゃ、鬼も来ておったか。いや、それより……」
「リョウ、にげてー」
リンの言葉もむなしく、涼はイラリオンの視界に入ってしまった。
「お主がリョウであるな」
「はい、そうです。イラリオン様」
イラリオンは確認し、涼は頷きイラリオンが近付いてくるのを待った。逃げずに。
なぜなら、涼もイラリオンと話したいことがたくさんあったからである。
「リョウ、ちと話したいことがあるのじゃ。よいかの」
「僕もイラリオン様に、魔法の事でお尋ねと確認したいことがあります」
「なに?」
涼の返答にイラリオンは少し驚いた。
そして、嬉しそうに笑った。
イラリオンとは魔法の探求者である。
であるなら、魔法に関して話すことに否やはない。
「無論じゃ。大いに話そうぞ。アベルよ、わしらに飲み物を頼む」
「アベル、僕はコーヒーがいいです」
イラリオンが要求し、涼も乗っかった。
「俺、いちおう、次期国王……」
「これは、長くなりそうだな」
アベルのボヤキ、アレクシスの苦笑い。
それを見守るリンは、少し震えながら、ウォーレンの後ろに隠れていた。
「リョウがお師匠様の犠牲に……」
そんな言葉を呟きながら。
「リョウ、質問と確認したいことがあるというたか?」
「はい。イラリオン様は、魔人の魔法を調査に、あっ……」
そこまで言って、この事は秘密であることを思い出したのである。
ギルドで、ヒューに固く申し付けられた……のだが、メンバーを見て、今さらかと思う。
次期国王アベル、国中の情報を収集するハインライン侯爵、調査に同行したリンとウォーレン……。
「うむ、隠す必要のない面々じゃな」
イラリオンも理解したのであろう。笑って言った。
「ですね。それで、魔人の魔法なのですが、彼女は空に浮きました」
「らしいな。残留魔力検知機を使って調べたぞ」
ルンの街の大海嘯の調査で使われた錬金道具である。
「使用された魔力の属性は、風属性ではなかった」
「そうじゃ、風属性ではなかった」
「無属性ですね?」
涼のその断定に、イラリオンは驚いた。
同行者の誰も、そのことを言い当てなかった上に、そこに着目した者もイラリオン以外にはいなかったからである。
「その通り、無属性であった。リョウ、何か思い当たる節があるのじゃな?」
イラリオンの真剣なまなざしに、涼も隠すつもりはないのだが……とはいえ、説明が難しい。
『反重力』など。
まず、普通に考えて、『重力』の概念などというものには、大抵の人間は思い至らない。
目の前でリンゴが落ちたからといって、『重力というものがある』なんて考えないのだ。
「説明が難しいのですが……そうですね、この世界全てに働く力……それに関する魔法」
「この世界全てに働く力……じゃと」
重力は、この惑星上のもの全てに働く力……間違ってはいない。
涼は、氷のボールを作り、それを落として見せる。
「この世界のものは、全て、下に落ちます」
「うむ」
「それは、下に落とす力があるからです。それも、全ての物に作用する、力が」
「下に落とす力……」
イラリオンはそう言うと、しばらく沈黙している。
横で聞いているアベルとアレクシスは、首を傾げながら止まっている。
全く、理解できていないようだ。
「なるほど……」
小さく、イラリオンが呟く。
「なるほど、下に落とす力か。確かに、全ての物が落ちるな。魔法で生成していないもの、全てな」
「魔法で生成していないもの……」
イラリオンが何かを掴んだ後、今度は、涼の頭の中を何かがよぎった。
それは、かつてこの『ファイ』に来てすぐ、生成しては落ちていた氷の槍であり、だが現在は思い通りに飛んで行く氷の槍であり……あるいは、空中に生成され乱数軌道で動くウォータジェットであり、空高く生成したあと自由落下するアイスウォールであり……。
「あ、あれ?」
二人は、それぞれの思考の淵に沈んでいった。
いくつかのことが棚上げにされ、いくつものことを話し合い、いつまでも情報を交換していたら、深夜になっていたのは仕方のないことだったろう。
リンは、すでにウォーレンの腕の中で眠っており、ハインライン侯爵はだいぶ前に辞去している。
そして、アベルはいつも通り書類仕事をしていた。
「アベル、即位式ですけど、南の広場でやるって本当ですか」
「ああ。どうせ、即位に必要な三種の神器はないからな。レイモンド叔父上が確保している。であるなら、わざわざ室内に籠る必要はない。どうせだ、街の者にも見てもらおうと思う」
「なるほど。イラリオン様、風属性魔法で、遠くまで人の声を届かせるようなものってないですか?」
「うむ? あるぞ。戦場のようなごちゃごちゃした所で使うには難しいが……そうじゃな、広場の声を、街の隅々に届かせるのには使えるな」
イラリオンは、涼が何を望んでいるかを理解したようで、ニヤリとして言った。
そしてアベルも。
「なるほど、それはいいな。みんなが広場に集まってこれるわけではないしな」
「あとは、アベルの顔ですね。その顔、空に映して……いや、アベル、いっそのこと空に浮かびますか? アベルの乗った台を空に浮かべて、遠くの人たちにも手を振ってあげるとか」
「風属性の魔法使いでもないのに、そんなことが可能なのか?」
さすがにイラリオンも驚いて問う。
「魔人は浮いていましたが、それに比べれば……人が浮くのに比べれば、驚くほど簡単です」
アベル、即位式当日。
予定通り、ルンの街の広場で即位式が行われようとしていた。
神官として取り仕切るのは、聖女の正装に身を包んだリーヒャである。
その、楚々とした美しさには、広場の民衆も思わず声にならない声をあげてしまうほど。
前方近くにいた、某三人組のD級冒険者たちもその姿に見惚れていた。
特に、エトという名の神官は何度も「美しい美しい女神様」と繰り返していたという証言が得られている。
即位式も佳境に入り、聖女リーヒャによって宣言がなされる。
「アルバート王子、聖女の名の下に、あなたを国王アベル一世として認めます」
その瞬間、広場中の民衆から歓声が湧きたった。
その怒号とも言うべき歓声は、一つの言葉に収斂していく。
「アベル! アベル! アベル! アベル!」
ルンの街において、『アベル』という名は、誰からも好かれる、男も女も憧れる冒険者の名である。
その人気者が、実は国王の第二王子であり、しかも国王位を簒奪した王弟に対抗して国王に即位するという。
そして、簒奪した王弟と侵略した帝国に立ち向かうのだと。
これに燃え上がらないルンの民などいない!
アベルは、沸き立つ民衆を台の上から見つめる。
歓声が収まるのを静かに待った。
やがて、民衆も、アベルのその姿に気付き、歓声が少なくなり……ついに静かになった。
アベルが両手を拡げて、民衆に呼びかける。
「ルンの民よ、少しだけ聞いて欲しい」
アベルはそう言うと、一度右から左まで、見渡して、言葉を続けた。
「今、王国は危機に瀕している。その災禍は、このルンの街にも近付いてくるであろう。だが、約束しよう。ルンの街を、災禍に巻き込ませないと。させないために、私は王になった。皆の力を結集するために、私は王になった。騎士たちよ、冒険者たちよ、そして、全ての民たちよ、私に力を貸してほしい。いずれ、全てを賭けた戦いが起きる。その時に、皆の全てを賭けて欲しい。奪われた全てを取り戻すために、奪われた平穏を取り戻すために、私に力を貸してくれ!」
一瞬の間。
「うぉー!!」
先ほどを越える怒号とも言える歓声が上がった。
それは、広場だけではない。
街の隅々からも。
イラリオンの<伝声>という風属性魔法によって、ルンの街の隅々にまで届けられたアベルの言葉に呼応してであった。
アベルが歓声にこたえるために手を挙げる。
その時、アベルが立つ台が浮き上がった。
地上から五メートル程の高さを、ゆっくりと横に移動する。
その姿を見た民衆が、更なる歓声をあげる。
それに合わせて、アベルの台は、さらに上昇する。
その姿は、多くの絵画の題材とされ、後世に残ることになった。
『アベル王の演説』として。




