0228 王座を巡る……
「さすがはオーブリー卿、帝国遠征軍と違って動きが早いわ」
苦々しい内容を、表情一つ変えずに王弟レイモンドは口にした。
「侵攻する地域は……」
「おそらくランス地方……先の大戦で、王国が連合から奪った地域だろうな」
レイモンドの右腕カークハウス伯爵パーカー・フレッチャーの言葉に、レイモンドは答えて、さらに続けて言った。
「連合も、ランスの統治権が浮いていることに気付いたのであろう。帝国軍が王都を占領し、国王は行方不明。王国政府は機能していない状態。であるならば、今なら誰も反撃してこない。帝国軍も、わざわざ王国のためにランスを奪い返してやったりはしないであろうからな。まったく……だから、早く即位したかったのだ……」
そこまで言うと、レイモンドは目の前に置かれたコーヒーを啜った。
「ランス地方はもう……」
「ああ、仕方がない。割り切ろう」
レイモンドもパーカーも、ランス地方を連合が奪い返すのはやむを得ないという結論に達していた。
「なあパーカー。国王に即位するのに必要な手続きというのは、中央神殿の大神官の前で、王冠を被り、即位を宣言すればよい、のであったな」
「はい。その際に、王冠、王笏、玉璽が揃っていなければなりませんが、それが揃っていれば、大神官は拒否出来ません」
「ふむ……」
パーカーの説明に、王弟レイモンドは左のこめかみを中指で押しながら、何事か考え始めた。
しばらく考えた後、レイモンドはパーカーに問うた。
「即位を強行した場合、ミューゼル侯爵らはどう出るかな」
「やはり、それをお考えでしたか」
パーカーは、レイモンドを見ながら言い、小さく首を振る。
「これが残念ながら、表立っては何も言えないと思われます」
「で、あるな……」
「ただ、裏では何をするか、正直分かりませんな」
「ふむ……」
再び、レイモンドは思考の海に沈んだ。
「閣下、ランス地方の中心、カシューニンならびにゴスの街への進駐、完了いたしました」
「そうか、ご苦労」
補佐官ランバーの報告に、連合執政オーブリー卿は、一つ頷いてねぎらった。
「帝国軍は出てこないでしょうが……王国軍は、いずれは出てきますでしょうか」
「さて……。俺が国王なら、国内を完全に固めるまで放置するが……どうだろうな」
オーブリー卿はそう言うと、目の前に置かれたコーヒーカップを手に取った。
ランバーの目には、インベリー併合以降、殺人的な量の仕事、それも書類仕事をこなし、寝る時間も満足にとれなかったオーブリー卿が、ゆっくりとコーヒーを飲んでいる姿は、非常に新鮮に映った。
それこそ、数分前に、ようやく一息つける段階にまでなれたのだ。
その時、ランバーが思わず拍手をしそうになったのは内緒である。
主たるオーブリー卿が忙しいということは、彼の右腕たるランバーも当然のように忙しいわけで……。
「しかし、帝国による王国への侵攻は、まああるかもとは思ったが、北部の全貴族が裏切ったのは驚いたな」
「王弟レイモンド殿下を支持したことですか?」
「いや、そこではない。レイモンド殿下は元々無能ではないし、フリットウィック公爵領に入ってからは、だいぶ成熟したという報告は上がっていた。だから、従う者たちがそれなりにいるのはわかっていたが……」
もう一口コーヒーを飲んでから続けた。
「北部全貴族の支持を受けられるほどではない」
「ですが、現実には北部全貴族がついています」
「そこだよ、ランバー。彼らのうち、どれほどがレイモンド殿下についたのかな」
「どれほどが? ついていないけど裏切った貴族たちがいると? では、その者たちはいったい何についたのでしょうか」
「普通に考えれば……帝国についた、だよな」
ここで、ランバーは思いっきり顔をしかめた。
「売国ですか……他国の事であっても、あまりいい気分ではありませんな」
「まあ、国境近くの貴族なんて、不安定なものさ」
そこで、オーブリー卿はふと考え込み……だが、すぐに顔を上げた。
「これは相当にまずいのか。ランバー、やはり皇帝の政治力は侮れん。進駐したランス地方、急いで常駐する戦力を整えねばならん」
「閣下?」
「王国は、東部も帝国の物になる」
三日後、王城謁見の間。
「王弟殿下、お呼びとか?」
「ミューゼル侯爵、来ていただき感謝いたします」
遠征軍総司令官ミューゼル侯爵は、主席副官リーヌスを伴い、謁見の間に足を踏み入れた。
そこには、王弟レイモンド以外に、数十名の貴族がいた。
全て、王国北部に領地を持つ貴族たちである。
「これは、いったい……」
「ミューゼル侯爵、急ではありますが、これより国王即位式を執り行います。どうぞ、そちらの来賓席へ」
答えたのは、レイモンドの右腕たるパーカーであった。
「なん……だと……」
リーヌスの口から、思わず驚きが漏れた。
もちろん、レイモンドが即位を強行することを考えなかったわけではない。
だが、未だ王国南部、西部は動かず、中央部の街を帝国軍が攻略しているこの状況の中で、帝国の意向に明確に逆らう行動に出るのは、あまりにも無謀にみえる。
北部貴族が従い、彼らが一万を超える兵を王都に置いた状況だとはいえ……である。
「王弟殿下、お待ち……」
「控えられよ、クルーガー子爵。すでに即位式は始まっております」
パーカーが鋭く、再び叱責する。
実際に北部貴族たちは並び、王弟レイモンドも玉座正面に立ち、その脇には、王冠、王笏、玉璽という国王の権威を示す三種の神器が並んでいる。
すでに、リーヌスはもちろん、ミューゼル侯爵も、どうしようもない状態なのだ。
そして、最後の一ピースである人物が、正面の扉から入って来た。
「中央神殿大神官、ガブリエル殿、ご入来」
その声が響くと、大神官ガブリエルが入って来て、レイモンドの正面に立った。
大神官ガブリエルは、式次第に従い、王冠、王笏、玉璽を確認する。
確認すると、一言だけ言った。
「揃っております」
入ってきてからずっと、ガブリエルの表情に動きはない。
与えられた仕事を、私情を挟まずにやる……そんな表情だ。
世の中には、それを「プロだ」とかいう人間がいるが……物事の本質を理解出来ない人間というものは、どこにでもいるという証明であろう。
表情を動かさないまま、ガブリエルは即位式を進めていった。
「レイモンド、中央神殿は、あなたを国王として認めます」
その瞬間、ほんのわずかに、ガブリエルの表情が揺らいだ。
だが、それは間近で見ていれば気付いたかもしれない程度の揺らぎであり、遠目に見ていた者は、誰ひとり気付かない。
また、目の前の王弟レイモンドは、俯いていたために彼も気付かない。
そんなガブリエルの気持ちなど関係なく、ここに、レイモンドの国王即位が成った。
「うぉー!」
謁見の間に並んだ、北部貴族たちの間から、そんな歓声が上がった。
彼らにしてみれば、新国王の側近となった瞬間でもあるわけで、喜ばしいことであるのは事実である。
だが、注意深く見れば、その中にも、心から喜んでいる者と、嬉しそうではある者と、それを装っている者とがいることに気付いたであろう。
玉座に座った国王レイモンドは、来賓席に座るミューゼル侯爵に声をかけた。
「さて、ミューゼル侯爵。見ての通り、余は即位した」
「陛下、おめでとうございます」
ミューゼル侯爵は立ち上がると、祝辞を述べた。
他国とはいえ、そして自分たちが征服した都とはいえ、一国の王が相手であれば礼を尽くさねばならない。
「これにて、王都の混乱は収束するであろう。しかしながら、国の都に、他国の軍勢がいるようでは、収まるものも収まるまい」
「へ、陛下、なにを……」
ミューゼル侯爵は、言葉に詰まる。
「帝国軍には、感謝しておる。よくやってくれた。しかしながら、その役目を終えたと余は考えておる。即刻とは難しかろうゆえ、一週間、時間をやろう。一週間のうちに、兵を引き上げていただこう」
「馬鹿な!」
思わず叫んで立ちあがったのは、主席副官リーヌスである。
ミューゼル侯爵は、あまりの展開に何も言えない。
「クルーガー子爵、言葉に気を付けられよ」
またもパーカーに言われるリーヌス。
だが、今回は黙っていなかった。
「ふざけるな! そんなことが許されると思っているのか!」
「やめよ」
叫んだリーヌスを制止したのは、隣のミューゼル侯爵であった。
「周りを見よ」
その言葉は決して大きくなかったが、リーヌスを冷静にした。
周りは、二人を冷たい目で見る者たちばかり……。
「くっ……」
「陛下、大変失礼いたしました。このクルーガー子爵も、連日の激務で疲れておるようです。どうか、ご寛恕いただきたく」
「許そう」
ミューゼル侯爵の許しを求める言葉に、新国王レイモンドは頷いて言った。
その日、国王レイモンドの即位が王国内の各街に布告された。




