0227 水面下で……
王都が陥落して三日。
さすがにこの頃になると、王国内のほとんどの街が、北部貴族の反乱と帝国軍による王都の陥落を知っていた。
もちろん、王都、王家、王国政府など、どこからも何の発表もないのだが……。
陥落以降、王都の各門は閉められている。
これは、外からの攻撃を防ぐという意味もあるが、同時に、あるいはそれ以上に、王都内から外に逃がさないためでもあった。
何を逃がさないのか?
要人、王都民、そして、破壊工作者。
「そっちに行ったぞー!」
「殺すな、捕まえろ!」
「いや、無理だろ。手練れだぞ」
「そういう命令だ!」
燃やされたのは、かつての騎士団詰め所。現在は、帝国軍の物資集積所である。
走り去る影は五つ。
「よし、成功だ!」
「まだだ。ちゃんと逃げ切って、はじめて成功だ!」
魔法使いが嬉しそうに言い、剣士のパーティーリーダーがたしなめる。
実際、この周辺は、帝国軍や北部貴族の軍隊が点在している。
「これで敵が集まってくれば、『彼ら』の侵入が容易になるらしいが……」
「でも、集まって来た敵に、うちらが捕まったら意味ないからね」
神官が作戦の意義を再度確認し、女性斥候が懸念を表明する。
もう一人、槍士は携帯槍を持ち、無言のまま走っている。
十分ほど走り続けた五人は、ようやく一息ついた。
「なんとか逃げ切ったか?」
剣士ヘクターが、声を潜めて誰とはなしに問う。
「多分ね」
斥候オリアナが、周囲の気配を探りながら頷く。
魔法使いのケンジーと、神官のターロウは呼吸を整えるために、しゃべることはできない。
破壊活動を行った五人は、王都のC級パーティー『明けの明星』であった。
かつてアベルを誘拐しようとし、その後、紆余曲折を経て、ハインライン侯爵に雇われて、最近まで北部ゴーター伯爵領に潜入していた冒険者である。
一息ついた五人。
五人目、槍士のアイゼイヤは基本、いつも無言なのだが……。
「誰だ!」
珍しく、アイゼイヤが鋭く誰何する。
同時に、折りたたんでいた携帯槍を伸ばし、構えた。
「だ、誰もいないでしょ?」
周囲の気配を探るのが、槍士アイゼイヤと同じほどに得意な斥候オリアナが、アイゼイヤとその先の暗い通路とを見比べながら囁く。
だが……。
「反乱者か……」
そう呟きながら、通路の影から男が出てきた。
褐色の肌、精悍な顔は若いのだが、髪は見事なまでの白髪で、外見の年齢には不釣り合いとも言えるほど落ち着いている。
「うそ……」
小さく呟いたのは、斥候オリアナ。
彼女は、白髪の男の気配を、全く拾えなかったのだ。
急いで、短剣を出して構える。
その時には、リーダーの剣士ヘクターも前衛に移動し、槍士アイゼイヤと並んでいた。
だが、後衛の動きが鈍い。
神官ターロウは、単純に走り続けた疲労が抜けきっていないからであったが、土属性の魔法使いケンジーの様子は明らかにおかしい……。
「ケンジー?」
その、普段とあまりに違う様子のケンジーに、隣のターロウが問いかける。
「だ、ダメだ……」
ケンジーの呟きは、隣のターロウの耳に、辛うじて聞こえるほど小さかった。
「ケンジー?」
ターロウが再びケンジーに呼びかける。
その瞬間、前衛の剣士ヘクターが動いた。
「ダメだ!」
魔法使いケンジーは叫んだが、もう遅い。
ヘクターは、一気に白髪男に接近すると、剣を直上から打ち下ろした。
しかし、その剣は、白髪男には届かない。
いつ鞘から抜いたのか、白髪男の手には剣が握られており、剣士ヘクターの渾身の打ち込みを、易々と受け止めていた。
打ち込みに失敗したヘクターは、バックステップして元の場所に戻る。
「ダメだヘクター……逃げよう……」
弱々しいが、ケンジーの声はパーティー全員の耳に届く。
「どうした、ケンジー。何がダメなんだ」
ヘクターが、白髪男を見ながら鋭く問いかける。
剣士ヘクターも、打ち込みを完璧に、しかもかなりの余裕をもって受け止められたことから、目の前の白髪男が、かなり剣を使えるというのは理解していた。
そのため、目を離すことは出来なかったのだ。
「その人には勝てない……」
「なんだと?」
ケンジーは弱々しい声で言い、ヘクターは問いかけつつ、チラリと後ろを見る。
そこには、顔面蒼白で足をガクガクさせながらなんとか立ち続けている魔法使いケンジーと、同じくらい血の気の無くなった顔の神官ターロウが見えた。
「ふんっ」
数秒後、白髪男はそう小さく呟くと、剣を納め歩き出した。
白髪男は、一歩ずつ五人に近付いてくる。
その状況に至って、ようやく剣士ヘクターも理解し始めていた。
ケンジーとターロウが、顔面蒼白になった理由を。
理屈ではない。
頭では理解できない。
だが理解する必要もない。
毛穴という毛穴が開き、汗がとめどなく流れる。
頭以外の、身体の全てが理解していた……『戦ってはいけない相手』だと。
それは、ヘクターだけではなく、隣の槍士アイゼイヤも感じていた。
斥候オリアナに至っては、耐えられず座り込んでしまっている。
白髪男が横を抜けて行く間、五人は生きた心地がしなかった。
五人が動けるようになったのは、男が去って、たっぷり二分以上たってからである。
「みんな、大丈夫か?」
剣士ヘクターが、囁くような声で問いかける。
四人共、声を出さずに頷いた。
声を出せば、さっきの男に聞こえて、戻ってくるのではないか……そんな気がしたから。
「とりあえず移動しよう」
五人は、なんとか歩き出した。
「さっきの白髪男は、いったい何だ……」
ヘクターが誰とはなしに言う。
「おそらく、爆炎の魔法使い」
そう答えたのは、魔法使いのケンジー。
「あれが……」
斥候オリアナが呟き、その後は、誰も言葉を続けることができなかった。
「副長、見逃してよかったのですか」
オスカーにそう問うたのは、副官ユルゲンである。
オスカーが、『明けの明星』を見逃したのを、少し離れた場所から見ていたのだ。
「治安維持は、俺たちの仕事じゃない」
オスカーはそう言うと、そのまま歩き続ける。
「まあ、確かに……」
ユルゲンとしては、そう言うしかなかった。
彼らは、『皇帝』魔法師団である。
これは、皇帝直属という意味であり、今回の遠征軍に加わってはいるが、厳密には、総司令のミューゼル侯爵も、彼らへの命令権は持っていない。
とはいえ、オスカーにしても、今回の遠征を積極的に失敗させようとは思っていないため、基本的に遠征軍の方針には従っている。
だが、治安維持はその職務外であると、勝手に認識しているのだ。
ここが帝国本土ならともかく、ただの敵国の本拠地なのだから。
「ユルゲン、明日には王都を出て、周辺の都市攻略に向かうぞ。残っていると、色々と面倒なことになりそうだからな」
「かしこまりました」
ユルゲンも、オスカーが何を懸念しているのかは理解していた。
だから、その方針に賛成である。
今見た通り、すでに、反乱者が出始めている。
そして明日には、更なる厄介の種が到着する。
「陥落後、わずか三日で反乱者が集積所を襲うか……。早すぎだな。さて……一体誰が指示を出しているのか」
オスカーの呟きは余りにも小さすぎて、ユルゲンの耳にも届かなかった。
翌日。
王都を発ったオスカー率いる皇帝魔法師団と入れ違いに、豪奢な一団が北門に到着した。
王弟、フリットウィック公爵レイモンドと、その近衛騎士団である。
その日、王都陥落から四日目にして、ようやく北門が開かれた。
ただし、王都内は戒厳令が敷かれており、不要不急の外出が禁じられている関係か、通りには見回りの兵士以外、誰もいない。
「帝国のやつら、我が物顔で歩き回りおって」
レイモンドは、帝国兵以外見えない王都を見ながら、馬車の中でそう呟いた。
「まことに……」
王弟レイモンドの言葉に同意し、大きく頷いたのは、彼の右腕としてフリットウィック公爵領を取り仕切っているカークハウス伯爵パーカー・フレッチャーである。
「しかし、帝国軍が強力なのもまた事実。帝国が協力したのも、有利な通商権益だけが目的ではありますまい。ご油断めさりますな」
「わかっておる。パーカーも心配しすぎだ」
神経質そうな顔をしかめながらも、激したりはしない。
王宮にいた頃の王弟レイモンドを知っている者からすれば、それは驚くべき変化であった。
決して無能ではないレイモンドが、貴族の支持を集められなかった理由は、その激しやすさだったからである。
陰で『癇癪王子』という不名誉な二つ名すらついていたレイモンドである、その激しやすさは推して知るべしと言えよう。
だが、臣籍降下してフリットウィック公爵家を開いた後、レイモンドも様々な経験を積んできた。
その多くは、右腕たるパーカーの差配によるところであった。
レイモンドは、王族ではなくなったことにより、いくつかの特権を失ったが、精神的な安定と成長の機会を得ることができたのだった。
「王弟殿下、お待ちしておりました」
「ミューゼル侯爵、この度の作戦成功を祝福いたします」
お互いの腹の中ではどう思っていたかは誰にもわからないが、表面上は笑顔を浮かべ、二人は握手をかわした。
そこは、国王執務室。
会話するは、侯爵と公爵。
数多くの社交辞令が二人の間を飛び交う。
二人を除けば、その場にいるのは、ミューゼル侯爵の長子で主席副官クルーガー子爵リーヌス・ワーナーと、王弟レイモンドの右腕カークハウス伯爵パーカー・フレッチャーだけ。
「公爵、侯爵、伯爵、子爵……あと男爵がいれば五爵揃いますね!」とか、涼がいたら言いそうな光景である。
社交的な会話を打ち切り、実務を切り出したのは王弟レイモンドからであった。
「時にミューゼル侯爵、私は、出来るだけ早く即位したいと考えているところです」
そう切り出された時のミューゼル侯爵の反応は、当惑であった。
ちらりと、後ろに控える主席副官リーヌスを見る。
それを受けて、リーヌスが口を開いた。
「その件ですが、未だ王都内は治安が安定いたしません。昨晩も反乱者たちが焼き討ちをおこないました。今しばらく、王都民の心情が落ち着くまで待たれてはいかがでしょうか」
「クルーガー子爵、だからこそだ。王都民だけではない、王国民全員が、一体どうなっているのかと不安になっているのだ。だからこそ、私が即位し、今後の王国の進むべき道を示す必要がある。兄上は国王としての職務を遂行できなくなったが、代わりに私が立つ、だから安心しろと呼びかける必要があるのだ」
王弟レイモンドの、余裕すら感じられる反論に、リーヌスも驚いた。
(与しやすしとみて、この王弟を即位させることにしたのだろうが……本当にいいのか? 報告では、激しやすく、国王スタッフォードよりも操りやすいということだったが……果たして……)
「いかがいたした、クルーガー子爵?」
「いえ、失礼いたしました。王弟殿下の御心、しかと承りました。鋭意、即位の儀が行われますよう、準備させていただきますゆえ、今しばらくお待ちください」
「よろしく頼む」
リーヌスは、王弟レイモンドに、なんとか明確な言質をとらせないのが精一杯であった……。
王弟レイモンドに国王執務室を渡し、部屋を出たミューゼル侯爵とリーヌス。
「出来る限り即位を遅らせねば……。その間に、いろいろとやらねばならぬことがあるというのに」
「王弟も、気付いている部分があるのでしょう」
昨日の味方は明日の敵……。
「なんとか時間を引き延ばします」
リーヌスは顔をしかめながら、策を練ることを約束した。
だが、動きは、帝国遠征軍の想定していないところからやってくる。
翌日、急報が王城に届いた。
『連合が王国内に侵攻』と。




