0222 西の森防衛戦 中
「カーソン長官、やはり帝国軍の侵攻が始まっているようです」
森の外縁がいつもと違っていることを感じた自治庁長官カーソンの命により、ロクスリーを隊長とする先行隊が偵察に入り、情報を持ち帰って来た。
「くっ……。王都以上に西の森の壊滅を優先したのか……皇帝め!」
カーソンは小さく呟いた。
王都に置かれていたエルフ自治庁。
そこは、ナイトレイ王国王太子の命により、いち早く撤収していた。
撤収した一行が、カーソン長官率いる、このエルフ五十人である。
魔法大学に在籍していたエルフたちも含め、王都内の全エルフだ。
おかげで、王都陥落に巻き込まれることはなかったが、逃げてきた西の森にも、すでに帝国の魔の手が伸びていた。
「急いで情報を収集せよ。上手くやれば、『森』と我々で、敵を挟撃できる」
カーソンは手早く指示を出した。
すでに侵攻が始まっている以上、時間との勝負なのは明らかであった。
「本隊は森東部地域を放棄した模様。南東、北東の物見櫓は焼失。東の砦には、帝国軍が入っておりました」
「両方の物見櫓は焼失なのに、東の砦は無事だと?」
「はい」
長官カーソンの確認に、偵察隊を率いたロクスリーは頷いて答えた。
「なるほど……」
カーソンはそう言うと、少し俯いて何事か考え始めた。
考えながら呟いている。
「中央砦が防衛線……罠……帝国軍は森の中での戦闘が得意な奴らか……前衛、砦、外縁に後方基地……おそらく指揮はおババ様……」
ロクスリーは、黙ったまま指示を待つ。
かつては、セーラに手を折られたロクスリーであるが、今では先行隊の隊長を務めるなど、長官カーソンの右腕ともいえる存在に成長していた。
二分後。
「なるほど、おババ様の策は読めた」
カーソンは一つうなずき、呟いた。
ロクスリーには全くわからないが、この辺りの『展開を読む力』は、王国エルフの中でも、おババ様とカーソンは特に秀でていると言われている。
ただし、ロクスリーにとって畏怖すべき相手『セーラ様』は、その中には含まれない。
あの方は別格……ロクスリーの中では、そういう扱いである。
とにかく、カーソンの中で方向性が決まったらしい。
「このまま、ここで待つ」
「え……」
カーソンはそう告げ、ロクスリーは絶句した。
時間との勝負であり、急がねばならないのではなかったか?
「おババ様が動くタイミングに合わせて、我らは動く。敵の先行部隊が、中央砦に攻撃を仕掛けるタイミングを見逃すなよ」
「あの砦か」
帝国『影軍』前衛を率いる隊長ニュスは、傍らの部下に確認した。
「はい。エルフたちの主力と思われる者どもは、あの砦に籠っております」
「あの砦の周りだけ森が割れ、木々に紛れての接近は出来ないか……。なるほど、我らが森での戦闘を苦にしないことから、逆に森の開けた場所の方が戦いやすいと踏んだか」
隊長ニュスは頷きながらそう言った。
もちろん侮ってなどいない。
『影』が二百人以上の死者を出すなど、異常なことだ。
今戦っている相手は、そんな異常なことができる相手なのである。
だが……戦闘員の数では圧倒的に上回っている。
エルフはせいぜい三百人。
しかし『影』は、現在森に展開しているだけでも千八百人。ざっと六倍。
数で上回る時、最も成功率の高い戦い方、それは正面からの攻撃である。
敵に『紛れ』を許さない、全てを明らかにしての正面攻撃。
もちろん、こちら側にも確実に犠牲は出る。犠牲は出るのだが、最も逆転を許さないのも、また歴史的事実なのだ。
隊長ニュスは、東の砦で指揮を執るランシャス将軍の許可をとって、攻撃を開始した。
砦に対しての、正面からの攻撃。
前衛に展開する『影』千人を動員しての、全力攻撃である。
そうは言っても、彼らは『影』。
突撃する際も、無駄に叫んだりはしない。
夜陰に紛れ、無音で近付く。
先鋒が、森の切れた箇所と、砦の中間地点に差し掛かった時、砦から無数の火矢が飛んだ。
もちろん、そんな矢にあたるような者は『影軍』にはいない。
いくら音に聞こえたエルフの矢であっても、簡単に認識できる火矢では、避けてくださいと言っているようなものである。
だが……それは帝国軍を射殺すための火矢ではなかった。
正確に、等間隔に地面に突き刺さる火矢。
隊長ニュスは、その光景に訝しむが、もちろん地面に油などの罠が仕掛けられていないことは事前に調査済みだ。
彼らは『影』である。そんな罠にかかる間抜けな部隊ではない。
確かに、地面に刺さっても燃え続ける火矢によって、地を走る『影』たちは、視界に捉えられるようになった。
だが、それがなんだというのか。
彼らの機動力と戦闘力をもってすれば、エルフの矢ですら当たらない。
そう、通常であれば、当たらない。
変化は突然であった。
まるで、巨大な重力がかかったかのように、『影』たちは動けなくなったのだ。
「な……んだ……これは……」
隊長ニュスを含めて、前衛千人、全員が陥る行動阻害。
「風……?」
それは、上方からの強烈なダウンバースト。
しかも、砦前全域という、あり得ない広範囲で起きていた。
上方からの強烈な暴風によって、『影』たちの足は完全に止まった。
そして、止まった彼らに向かって、砦から無数の矢が飛ぶ。
なぜか、これほどの強風にも関わらず消えないで地面に突き刺さったままの火矢によって、辺りは照らされている。
矢の狙いをつけるのは容易。
しかも射手はエルフ。
外れようがない。
だが、狙われる者たちも尋常の者ではなかった。
移動は阻害されても、腕は動く。
自分に向かってきた矢を、両手に嵌めた手甲によって弾いているのだ。
さすがに、その光景は、砦から見るおババ様をも驚かせた。
「なんという……。やはり尋常の者どもではない。足じゃ、手の届かぬ膝から下を狙え」
おババ様が下した指示も、なかなかにえげつないものであった。
立ったままの状態であれば、手が届く範囲、つまり手甲で防げる範囲は、どうやっても膝までである。
膝から下は防げない。
しかも、『影』たちは無音行動を行うために、足には足甲のようなものはつけていないことを、おババ様は気づいていたのだ。
もちろん、膝を曲げて座った状態になれば手甲で全身を守れる……だがそれは、移動することを完全に放棄するということであり、ここで射殺されることと同義であった。
向かってくる矢は、一本ではないのだ。
射手はエルフ。
一射で二本、三本を放つのは当たり前。
しかも、速射。
速い射手は、十秒で三十本の矢を放つ。しかも、全て標的から外れない。
東の砦から指揮するランシャス将軍の元に、前衛部隊の陥った状況はすぐに届いていた。
「やはり罠を張っていたか」
砦前に何らかの罠を張り、出血を強いるであろうことは、当然想定していた。
それが、ダウンバーストでの足止めというのは予想できなかったが、何であろうが構わない。
正面から押し潰す。
そのための、数である。
「よし、予定通り、俺が四百を率いて、連中の砦に横撃を加える。アンバー、この砦は任せたぞ」
「はっ」
副官アンバーに東の砦を任せて、ランシャス将軍は四百の兵を率いて北西の方角へ向かった。
前衛千人が足止めされている中央砦前の開けた地を避けて、その北を回って、時計と反対方向に半円を描いて、中央砦を北側から急襲するのだ。
決して豊富な戦力ではないエルフたちは、ほぼ全戦力を、『影軍』前衛との戦力に回しているであろう為、この作戦は成功するはず。
敵に六倍する戦力。正しくぶつければ、まず負けることはない。
だが、ランシャス将軍が兵を率いて東の砦を出た一分後、東の砦全体から、叫び声が上がった。
断末魔の叫びもあれば、泣き叫びもあり、さらには声にならないくぐもった叫びもあり……東の砦全体から生じた。
それら叫びの後は、何も聞こえなくなった。
完全に、何も聞こえなくなったのである。
東の砦は、完全に沈黙した。
残ったのは、砦に残った副官アンバーを含めた四百人の死体……正確には、いくつもの穴が開けられた死体。
『赤き剣』のリンが見たら、おそらくこう言ったであろう……「バレットレインをくらったみたい」
「くそっ、わずかに発動が遅れたか!」
そう悔しがったのはカーソン長官であった。
『東砦の罠』は、発動に時間がかかる……あと少し早く発動できていれば、先に出た部隊四百人もまとめて葬れたものを……。
それで悔しがったのだ。
だが、現実に、戦果はあがった。
おババ様が、東の砦を無傷のまま残して撤退したのは、あえて、そこを帝国軍に占拠させるため。
そして、カーソンら王都からの撤退組が到着するであろうことも、おババ様の予測の中に入っており、その部隊に東砦の罠を発動させるつもりだったのだ。
なかなかに危うい賭けであるが……。王都からの撤退組が来なかったらどうなっていたか?
おそらくどうもなっていない。
中央砦前で敵を退け、退けられた敵たちが東砦に入ったところで罠の発動……そういう手順に変わっただけであろう。
ただしそれをやるには、中央砦前で、確実に敵を撃退せねばならない。
そこはおババ様にも確実には読めなかったはず。
だからこそ、カーソン長官たちの動きは、これはこれでよかったのだ。
あとは、東側から押し上げ、中央砦前で動けなくなっている敵前衛軍を、こちらからも挟み込む。
その後は、北側に回った四百人の敵の動き次第……。
ランシャス将軍は、自分たちが発した後の東砦の変化を感じ取っていた。
「止まれ!」
あえて声を出してまで、部隊を停止させる。
「命の鼓動と存在を 我が元に運びたまえ<探査>」
風属性魔法を使えるランシャス将軍は、躊躇なく探査を使って、東砦を調べた。
その結果……。
「馬鹿な、残した四百人が全滅だと……」
その呟きは、あまりに静かな森の中では、隣にいた部下の耳には聞こえた。
「一体何が……」
「わからんが……わずかに離れた場所に、エルフ五十人の反応が近付いていた……そいつらが何かしたのだろう」
部下の問いに、ランシャスはそう答えた。
「別動隊が?」
「おそらくは……王都のエルフどもか……」
そう言った後、ランシャスは小さく、だが苦々しく悪態をついた。
「リーヌスの無能者めが!」
このタイミングで、王都のエルフたちが西の森に現れたということは、王都攻略組が、自治庁の制圧に失敗したということである。
であるなら、作戦の中心を担う主席副官リーヌスの責任だ……ランシャス将軍はそう結論付けた。
もちろん、全てを知っている者からすれば「それは誤解」であり、今は亡き王太子カインの凄まじい読みによるものであると教えてくれたかもしれないが……それは望むべくもない。
リーヌスは不憫であった。
「将軍、いかがいたしますか」
「予定通り砦に横撃を加える。中央で捕まっている前衛を解放せねば、我らに勝機はない!」
「はっ!」
逆転の手札はもう一枚だけある……。あるのだが、いつ使えるようになるかはランシャス将軍にもわからないのだ。
分からない以上、この切羽詰まった状況で頼ることは出来ない。
中央で捕まった前衛が磨り潰されるのが先か、砦に横撃を加えて前衛を解放するのが先か……あるいは、敵の魔力が尽きるのが先か。
中央砦に近付くランシャス部隊に、砦に籠るエルフ軍は気付いた。
もちろん、これはランシャス将軍にとっては予定通りである。
前衛の拘束と攻撃に集中しているエルフたちを、少しでも引き剥がして、前衛が磨り潰される時間を稼ぐ必要もあるからだ。
これは、おババ様をはじめ、砦に籠ったエルフたちにとっては厄介な状況であった。
近付く部隊は、四百人を数える。
それだけで、砦に籠るエルフたちの数を超える……。
「東砦の罠だけでは潰せなかったか……」
おババ様を含め、探査系魔法が得意な者は、東砦の罠が発動したのを感知していた。
その中で、かなりの数を倒したことも。
そうであるなら、王都から撤退してきた自治庁の者たちが、東砦付近にまで来ていることも推測できるというものだ。
可能ならば、東砦にとどまっていた者たちを全滅させて欲しかったが、策も完璧とはいかない……。
「射手、第一班から第三班まではそのまま正面敵への攻撃を継続。第四、第五班は、新たな敵を砦に取りつかせるな」
おババ様は鋭く指示を飛ばす。
だが、その心の中は苦渋に満ちていた。
ダウンバーストで押さえつけているが、魔力は有限である。
エルフが、その能力を十全に発揮できる西の森という環境であったとしても、それぞれの魔力残量は限界に近付いていた。
であるなら、一刻も早く、防御態勢でうずくまり時間を稼いでいる正面の敵を倒すべきなのだが……。
戦力を分けたその判断……正直、正しいのかどうか自信は無かった。
だが、迷いは見せない。
指揮官の迷いは、一気に戦況を傾けてしまう。
ここは、『私は正しい。皆は迷わずついて来い』という姿勢を貫くのが正しいのだ。
おババ様の苦悩は深い……。
「よし。敵は、こちらにも戦力を振り分けたな」
ランシャス将軍は、ニヤリと笑った。
これで、前衛が磨り潰される時間を延ばすことは出来た。
だが……、
「将軍、我が軍の後方に敵別動隊が!」
「くそっ、自治庁の連中、こっちに来たか」
東砦の罠を発動した、王都自治庁から撤収してきた五十人のエルフたちは、中央砦の方に向かわず、ランシャス将軍率いる横撃隊四百人の後方に迫ったのだ。
「中央に向かえば良かったものを……。中央は近接戦は出来ん、あの風が吹いているからな……。弓矢での攻撃だけだが……自治庁の連中、王都からの撤収途中ということは、さすがに持ち矢は多くないということか? ならば、近接戦でくるな」
小さな声で考えをまとめると、ランシャス将軍は指示を出した。
「砦への攻撃を中止。部隊全員で、後方から迫る自治庁の連中を叩く。いきなり近接戦でくるぞ。しかる後に、砦への攻撃を再開する」
こうして、中央砦北側において、ランシャス将軍率いる帝国『影軍』横撃部隊四百人と、自治庁長官カーソン率いるエルフ五十人の戦闘が開始されることになった。
「さすがに、おババ様が東を放棄して中央砦に退いただけはある。この帝国軍は、本当に人間か!」
長官カーソンは、思わずそう呟いた。
エルフとはすなわち森の民。
森こそ最大のホーム。
その森の中での戦闘で苦戦するなど、初めての経験である。
「相手を人間と思うな! エルフ並みの戦闘技術を持っていると思って挑め。囲んで倒すのを基本にせよ」
これだけの近接戦であり、双方ともにかなりの高速戦闘である。
エルフが最も得意とする弓は使えない。
風の魔法も使いどころが難しい。
つまり、剣を交えての近接戦……必ずしも、エルフが有利というわけではなかった。
もちろん、帝国『影軍』が圧倒的に有利というわけでもなかった。
「くそっ、森に籠っている奴らよりも強いんじゃないか」
ランシャス将軍自身も、剣を交えての戦闘の最中にあった。
『将軍』という立場ではあるが、剣での近接戦では、未だに『影軍』の中で最も強い。
そんなランシャスの目から見ても、敵の増援は厄介な相手であった。
なぜか、対人戦に関して、やたら鍛えられている感じがする。
これまでの、森の者たちは、確かに厄介でさすがは森の民エルフ、強い相手だと思わされたが、決して近接戦での対人戦闘に慣れた者たちではなかった。
だが、この王都からの新手は、かなり対人戦闘に慣れている印象を受けたのだ。
間違いなく、それに特化した訓練をこなしてきたのであろう。
トップクラスの騎士団員と打ち合っている印象すら受けていた。
(王都で、騎士団の指南役か何かに鍛えられたのか?)
正解である。
ランシャス将軍は、状況の推移が想定以上に厳しいと考えていたが、それを上回る状況の破壊が起きていた。
場所は、中央砦。
「おババ様!」
部下の叫びに、おババ様は振り向いた。
そこには、倒れゆくエルフたちが……。
「魔力切れか……」
ついに、怖れていたことが起こったのだ。
完全に、限界まで振り絞ったのであろう……ダウンバーストで押さえつけていた、魔力量に秀でたエルフたちが次々と倒れ、射手だった者たちが、代わりに魔法を引き継ぎ始めていた。
だが、それは状況の完全破綻を誤魔化しているに過ぎない。
魔法専従の者たちに比べれば、保有魔力量が少ない上に、何より射手がいなくなる。
動きを止めても、とどめを刺す者が減れば、相手の数を減らせない。
さらに追い打ちをかけるように、東の空に、発光魔法が上がった。
「黄三、緑一です」
「来たか!」
部下の報告に、ランシャス将軍の表情は、ようやく晴れた。
待ちに待った援軍。
帝国『影軍』の最後衛、その数、一千。
王都攻略の手伝いなどに回されていた、本当に最後の最後の、『影』の残り。
待ちに待った……。
「エルフども、これで終わりだ」
そう言うと、ランシャスは、禍々しく笑った。




