0219 アベルの決断 涼の決意
そこから、ヒュー・マクグラスが立ち直るのに、二分を要した。
まずは、同じ南部の最大都市、アクレの冒険者ギルドとの通信。
アクレのギルドマスター、ランデンビアは、まだ王都陥落を知らなかった。
やはり、フィンレーは、真っ先に、そして唯一、ヒューにだけ連絡してきたようだ。
実際に王都が蹂躙されているのだ。
いつ、冒険者ギルド本部にも帝国軍が来るか分からない。
その状況で、悠長に各所に連絡というわけにもいかないであろう。
王都外で、『王都陥落』の情報を持っているのは、現状ヒューだけかもしれない。
ならば、その前提で動かねば。
そのための、最初の連絡がアクレのランデンビアであった。
アクレは南部最大の都市であり、グランドマスターを除けば、ヒューの知る限り最も有能なギルドマスターであり、最も信頼できる男である。
さらに、アクレはハインライン侯爵領の領都でもある。
もしかしたら、信じられない情報網を持つハインライン侯爵であれば、王都陥落を知っているかもしれないが、それならそれでいい。
とりあえず、ランデンビアから侯爵に知らせてもらう。
そして、善後策を検討してもらえばいい。
ヒューは……今、ヒューにしかできないことをする。
アクレとの連絡後、ヒューが向かった先は、『黄金の波亭』であった。
入り口を入り、食堂の方を見る。
やはり、そこには本を読んでいる剣士がいた。
慕っていた兄の死から、ようやく回復したアベルに、このような事実を告げなければならない己の運の悪さを呪いつつ、ヒューはアベルの正面に座る。
「ん? ギルマス、どうした?」
「アベル、落ちついて聞いてくれ。今、王都陥落の連絡が、グランドマスターから入った」
その言葉に、アベルは大きく目を見開いた。
そして握りしめた左手を、ゆっくりと口の辺りに持っていく。
まるで、何か言葉が漏れないようにしているかのような。
そして目を閉じ、何度か深い呼吸を繰り返した。
そうして、ようやく問いかけることができた。
「父上は?」
「不明だ。だが、王城はすでに落ちたそうだ」
父であり、このナイトレイ王国国王であるスタッフォード四世の安否は、アベルにとって非常に重要な情報である。
だが、ヒューは、その情報を持っていないことを正直に告げた。
「その情報は、今、どこまで拡がっている?」
「まだ、ルンの街では俺だけだ。アクレのランデンビアには伝えた。そこから、ハインライン侯爵に伝えてもらう。俺はこれから、領主館に上がって、辺境伯に伝える」
お前はどうする?
ヒューは視線と表情で、そう問うていた。
「わかった。俺も一緒に行く」
二人は領主寝室に通された。
ヒューは慣れたものだが、アベルがここに入るのは数年ぶりである。
ベッドの上には、以前見たままの老人が座っていた。
長い白髪、白い髭、袖の先から覗く手も細く、ほとんど立ち上がることができないという噂は、本当であろう。
だが、その表情は、しっかりとした意思を持ち、あらゆる決断を下し、どんな困難も乗り越えることができる、見る者にそう思わせるに十分なものであった。
さらに特筆すべきはその目。
『力強さ』とはこういうものだ……ただ眼光だけで、そう思わせる……。
王国でも屈指の領主と言われるのを、誰でも理解できるそんな目。
そして、時折浮かぶ怜悧な光。
この男の前では嘘をつけない……誰しもがそう思うのだ。
「ヒュー、珍しい人物を連れているな。アベル殿、お久しぶりじゃな」
「カルメーロ卿、ご無沙汰しております」
「ほっほっほ、そう呼んでくれる者は最近おらんでな、懐かしいですぞ」
アベルはルン辺境伯を『カルメーロ卿』と呼び、辺境伯はそう呼ばれたことを喜んだ。
「して、その珍しい組み合わせはどのような意味を持つ?」
「はい。ご報告いたします。先ほど、王都のグランドマスターより通信による連絡が入り、間もなく王都が陥落するということでした」
その報告に、辺境伯はわずかに眉をひそめた。
だが、それだけである。
「わかった。追加の情報があろう」
「王城はその時点ですでに落ちたとのこと。国王陛下ならびに王族の安否は不明です。以前ご報告した通り、アベルによりますと、すでに王太子殿下も亡くなられております」
この情報には、辺境伯はわずかに視線を下にずらしただけであった。
王都陥落の報告の時点で、予測していたのかもしれない。
「理解した。それで、アベル殿がついてきたということは……」
辺境伯はそう言うと、アベルの方を向いた。
「陛下の安否次第ではあるが、国王として立ち、王都を奪還する」
アベルの宣言に、辺境伯は一度大きく頷いた。そして言葉を続ける。
「もちろん、辺境伯領の全てを挙げて、支援いたしますぞ。ですが、その前に伝えておかねばならぬ者が一人おりますれば……呼んでもよろしいでしょうか?」
「ん? もちろん構わんが」
辺境伯は、卓上ベルを鳴らして執事を呼ぶと、こう告げた。
「セーラを呼んできてくれ。今の時間なら、夕食を……ああ、今日は珍しく、この館でリョウと一緒に食べていたはずだから、リョウも一緒に」
「セーラとリョウ?」
辺境伯の言葉に、少しだけ首を傾げて疑問を持ったアベル。
「今夜はうちの料理長の試作を二人で食べたそうでな。午後は、いつも通り二人とも模擬戦をしておったし……これが騎士たちからすこぶる評判がよく……騎士団全体の士気が非常に向上しておるのです。わしも、足がこんなでなければ、一度見ておきたかったのですが……」
最後は、首を振りながら少し悔しそうに辺境伯は言った。
涼が辺境伯に会うのは初めてであった。
芯のしっかりした、そして充実した生を重ねてきた老人。いつかこうなりたいと思える人が、そこにはいた。
「セーラ、お召しにより参上いたしました」
「うむ、ご苦労。セーラに伝えねばならぬことが起こったでな、夕食後でゆっくりしているとはわかっていたが来てもらった。それと、そちらがリョウじゃな。お初にお目にかかる。ルン辺境伯カルメーロ・スピナゾーラじゃ」
「初めまして。C級冒険者のリョウ・ミハラです」
涼の自己紹介に、アベルとヒューが少し驚いているのが見えた。
「苗字持ち?」と口が動いたのが涼から見て取れた。
そういえば、『三原』の姓をアベルに言ったことはなかったかも……。
「これから話すことは、未だ公表されておらぬ。この部屋からは出さぬように」
辺境伯はそう念を押し、セーラと涼は頷いた。
「先ほど、王都が陥落した」
辺境伯は、王都陥落を確定情報として告げた。
その情報は、セーラにも涼にも大きな衝撃を与え、二人も大きく目を見開き、表情も固まった。
「セーラ、約定に従い、行動するがよい」
辺境伯は、その瞳に悲しみをたたえ、それでもわずかに微笑んでそう告げる。
「はい……」
セーラの返事は、本当に小さく、涼の耳にも聞き取れないほどであった。
そして、セーラは涼の方を向いて告げる。
「リョウ、すまない。私は行かねばならぬ」
「セーラ?」
セーラの瞳からは、こらえきれなかった涙がこぼれていた。
だが、その後の言葉が繋げられないのであろう。
セーラは涼の胸に顔をうずめ、ただ静かに泣いた。
「リョウよ、セーラたちエルフは、王国と約定を結んでおる。『王国は、西の森に危険が迫りしときは、全ての契約を破棄し、エルフが森に戻ることを支援せねばならない。全てのエルフは、西の森を救う行動をとらねばならない』 帝国は、王国にとって強力な戦力でもある西の森のエルフを、最優先で狙う」
ルン辺境伯は過去の歴史から、その事を確定的に告げた。
「すまない、リョウ……」
セーラの声は、本当に弱々しかった。
だが、涼はセーラを強く抱きしめた。
そして、言った。
「行っておいで、セーラ」
その言葉に、セーラは思わず顔を上げた。
涼は微笑んで、そんなセーラを見た。
「帝国は、亜人としてエルフを奴隷にするんだよね。それも防がなきゃいけないでしょ。セーラが森を救えばいい。セーラなら大丈夫、やれるよ」
「リョウ……」
「セーラが森を守っている間に、僕が帝国軍を滅ぼす。全部終わったら、西の森に会いに行くから」
涼は笑顔でそう言った。
そこまで聞いて、ようやくセーラの顔にも笑顔が浮かぶ。泣き笑い。
「うん。森に、迎えに来て」
セーラはそう言うと、目をつぶった。
涼も、目をつぶった。
二人の唇は、重なった。
なぜか顔を真っ赤にしているアベルとヒュー。
二人ともいい歳のはずなのだが、女性経験が乏しいのかもしれない。
ただ一人、ルン辺境伯だけが、笑顔を浮かべ、何度も頷いていた。
二人の唇が離れ、お互いに微笑みを浮かべた。
「おほん」
わざとらしく、辺境伯が咳払いし、二人はそそくさと手を離す。
「セーラ、館の馬、絶佳と春麗を持っていくといい。二頭いれば休みなしに乗り継いで、三日もあれば森に着けるであろう」
「はい、領主様、ありがとうございます。では、行ってまいります」
セーラはそう言うと、最後にもう一度だけ涼と唇を交わし、部屋を出ていった。




