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水属性の魔法使い  作者: 久宝 忠
第一部 第十一章 トワイライトランド
222/930

0208 <<幕間>>

「平和ですね~」

馬車には、コナコーヒーの(かぐわ)しい香りが漂い、旅に疲れた者たちの精神を落ち着かせてくれる。


手に持つ氷製の透明コーヒーカップは、中で揺蕩(たゆた)う悪魔の液体との驚くべき対照性から、とても幻想的な景色を現出していた。


完璧な味、魅惑的な雰囲気、そして全ての者を(とりこ)にする香り……虜にされた涼は、手元の資料をゆっくりとめくりながら、『コーヒーのある風景』に身をゆだねていた。

これを、平和と言わずして何と言おうか。




だが、馬車の向こう側半分は……ただの戦場だった。




対戦相手は書類。

兄から出された宿題。

それと格闘するA級冒険者。



「その風景に題名をつけるなら、きっと、『夏休み最終日の小学生』が最適でしょう」

涼は、憐憫(れんびん)を多分に含んだ視線で、アベルを見て、言った。

「何言ってるかわからんが、馬鹿にされていることだけはわかる」

アベルはそう言いながらも、問題を解く手を休めない。


そして、小さく叫んだ。

「仕方ないだろうが! 全部終わったと思っていたら、鞄の一番下に一束だけ残っていたんだ! くそっ、何でこんなことに……」

「日頃の行い……」

涼の呟きに、一瞬だけキッと睨みつけてから、すぐにアベルは宿題との格闘に戻った。


「世界平和のなんと難しいことか……」

涼はそう言うと、コーヒーを口に運んだ。




しばらくすると、鬼の形相だったアベルが、苦渋の顔に変わり、ペンの速度も遅くなり……最後には、あろうことか、完全に動きが止まってしまった。

さすがに、涼であってもその様子は気になる。


「アベル?」

「いや、ちょっとな……」

それだけ言うと、また何か考え込んでいる……苦渋の表情のまま。

涼は、アベルの手元にある『宿題』を覗き込んだ。


「インベリー公国の滅亡について……? すごい時事問題ですね」

「まあ、兄上が作られた問題だからな。実践的な問題しか載っていない……インベリー公国の滅亡が、我が王国に与える影響は多方面にわたる」


そこで一呼吸おいてから、アベルは涼に問うた。



「リョウ、国は、なぜ滅亡するんだろうな」

「アベル、それは、人はなぜ死ぬのか、と同じ問いですよ」



「国と人じゃ違うだろ?」

アベルは首を傾げながら反論する。


「同じです。どちらも、寿命です。とはいえ、さすがにインベリー公国の場合は、寿命というより急病って感じですが……」

「急病って……」


「まあ、普通、国の寿命は二、三百年ですよ」

「は? そんなに短いのか?」


「ええ。長くとも、せいぜい五百年。かつて、偉大な歴史家……政治家にして裁判官にして歴史家な人が、そう書いています。まあ、正確には国の寿命というより、政体の寿命というべきなのかな。どちらにしろ、国家の盛衰というのは、そのテーマだけで、研究に数十年の時を要し、数十冊の本が書ける歴史学の深淵を覗き込むような難解なテーマです。こんな、馬車の中で軽々(けいけい)に説明できるものではないのですよ」

「そ、そういうものなのか……」


涼が頭に描いた歴史家は、もちろんイブン・ハルドゥーンであり、国家の盛衰はエドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』である。


大学の西洋史学専修を休学した涼としては、国家の盛衰は非常に興味深いテーマなのである……だがそれだけに、はまり込むと沼の様に抜け出せないであろうことは理解していた。

それこそ、ランドの真祖様のように、永遠の命を持っている人なら、その研究に取り掛かるのも面白いのかもな~くらいに考えたのである。



「そうそう、急病という表現をしましたが、お隣に巨大な国家が隣接している場合、小国は飲み込まれる可能性が高くなります。そんな歴史事象を、ある数理生物学者が数式化したことすらあるんですよ」

「は?」


アベルは全く理解していなかった。

涼は一つため息をついて、その先を説明するのを諦めた。



「要は、国の興亡を式で表すことすら、もうできているということです」

「そ、そんなわけないだろう……」



将来的に、国王になる(かもしれない)アベルは、さすがにそんな話を信じたくはなかった。

国の滅亡が式で表される……それが本当なら、そこで一生懸命生きる民たちの意味はいったい……滅私奉公で働く大臣や官僚、官吏たちは……。



「もちろん、絶対ではないですよ。それに個人的には、大規模な内戦や、自国が戦場になった大規模な戦争を経験したら、そこでいったんリセットされると思っているんですよね、僕は。だから、あんまり気にしなくてもいいと思うんですよ」


「……ならリョウは、ある程度時間の経った国は、内戦や戦争を経験して、また最初からやり直した方がいいと?」

「いいえ、それは違います。内戦や戦争の後は、隣接国がちょっかいを出してくるでしょう、当然。そうなると、国の存続自体が保証されませんからね……内戦や戦争は、起きないのが一番です」

涼は、はっきりと言い切った。



そして、続けた。

「アベル、為政者がやるべきことは、古来より、何も変わっていないのですよ」

「なんだ?」

「民を幸せにすることです」

「ざっくりとしすぎだろうが……」


アベルは、顔をしかめたままである。


「そんなことはありません。たった一つの事をやるだけで、民は幸せになります。そして、国が経験する多くの問題を、発生する前に摘み取ることができます」

涼は力強く頷きながら言った。


「たった一つの事?」

「ええ。それは、国の景気を、良くすることです。数値的にどうこうじゃありませんよ? 『民が、景気がいいなと感じること』が大切です。そもそもが『景気』という文字自体が、空気の景色……いや、まあこれは置いておいて。これさえやっておけば、まず治安が悪くなりません。景気がいいと感じれば、反乱も起きません。さらに、婚姻率が上がり、出生率も上がります。国の人口が増えるんですね、移民政策をとらずとも。民の働く意欲も上がります。未来に希望を描けるようになれば、家をはじめとした購買意欲も上がり、物がたくさん売れるようになります。それはまた、さらに景気を良くします。アベル、『民に景気がいいと思わせること』、これこそが、偉大な為政者たちが歴史上、常に意識してきたことなのですよ」


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