0207 全てはラーメンのために……
「そんな気はしていました」
食堂の奥、ソファ席で、真祖様とアグネス、涼とアベルの四人が座っている。
アグネスは、真祖様によりかかって幸せそうにしている。
会話の内容には興味がなさそうだ。
「そう?」
「はい。なにせ、あれほど完璧なラーメンを再現するのですから……とんこつラーメンを心から愛していて、何百杯、何千杯と食べた人でなければ不可能です」
「ああ……アグネスのところで食べたんだね? あそこの料理人は、ランドでも随一の腕前だから。私のレシピを完璧に再現するんだよ、美味しかったでしょ?」
真祖様はニコニコしながら何度も頷きながら言った。
「はい、まさに、珠玉の一杯でした」
涼は二杯食べたのだが。
「それほどか……」
涼の隣で、アベルが呟く。
「ええ、あれは凄いです。ぜひ王国にも持って帰りたいくらいですが……」
「それは、多分無理だよ」
涼が言うと、真祖様は悲しそうな顔で首を横に振りながら告げた。
「あの再現にはかなり苦労してね……」
「それはやはり、麺の問題ですよね? かんすいが……」
涼が言うと、真祖様は大きく頷いた。
「さすが、わかっているね。ラーメンの麺には、絶対に『かんすい』が必要なんだけど、それを手に入れるのが困難だ。そして、王国で再現できないのもそれが理由だね」
「ん? まさか……真祖様は、かんすいの化学合成に成功したのかと思ったのですが、そうではないのですね」
「そう、化学合成に成功したのではなくて、天然かんすいを発見したんだよ」
もともとラーメンは、現代地球で一七○○年前、モンゴルの塩分を含んだ湖の水で小麦粉を練ると、弾力、舌触り共に素晴らしい麺が出来ることが発見されたのが原形と言われている。
そう言った、内陸にある塩分を含んだ湖を、鹹湖といい、そこから「かんすい」……鹹水という言葉が生まれたと。
つまり、元々「かんすい」は天然に存在し、しかも、二十一世紀に至るまで存在し続けていたのだ。
ただし、日本では法律上、近年に至るまで天然かんすいの使用は禁止されていたわけだが。
「その天然かんすいが手に入らないから王国での再現は不可能だよ」
その言葉に、涼は落ち込んだ。
「実は、その天然かんすいが手に入るから、ここに国を建てたんだ……」
その言葉は、涼だけでなくアグネスも驚かせた。
「アグネス、この事は、他の者たちには秘密だよ?」
「は、はい、もちろんです。わたくしと真祖様の秘密ですね!」
アグネスは、大好きな真祖様と秘密の共有ができてうれしそうである。
(ラーメンのために国を建てる……なんということ……。まさに、食は国家の礎……)
少し偏った認識ではあるが、涼は感動していた。
だから、心の底から言ったのだ。
「真祖様……感服いたしました」
真祖様は、少し照れた。
「あの、他にいくつか聞きたいことがあるのですが……」
涼は、ラーメンの謎という、このランドにおける最大の謎については解くことができたが、他にもいくつか……もちろんラーメンに比べれば取るに足らない謎がいくつかあった。
「もちろん、私に答えられる事ならいくらでも。せっかくの同郷なのだから」
「リョウと同郷……」
アベルが小さく呟いた。だが、本当に小さい呟きであったし、少しだけ聞こえた涼も、あえて聞こえなかったふりをすることにした。
「まあ、ラーメンの謎に比べればたいしたことではないのですが、どうして政府の転覆が……はっきり言えばクーデターが起きたのですか?」
(この二人にとっては、政府の転覆よりも『ラーメン』の方が上なのか……)
アベルは心の中で、驚き呆れながらも、賢明にも表情に出すことは防いだ。
涼にしろ真祖様にしろ、怒らせてはならない者であることは理解していたからである。
そして、なんとなくだが、ラーメンを馬鹿にしたら、本気で怒りそうな気がしていたから……。
「ああ、それは、暇つぶしだと思う」
「……は?」
さすがに、それは涼の想定外の答えであった。
「そうだろう? アグネス」
真祖様に話を振られたアグネスは、びくりとしてから、目を泳がせながら口を開いた。
「え、え~っと……」
「はぁ……。やっぱり、そんなことだろうと思った」
真祖様は、小さくため息をついてから言葉を続けた。
「この国が建って百年。参加したヴァンパイアは、安寧さに飽きたのだと思う。我らは悠久の時を生きる……消滅しない限り、不老不死だ。人数が極めて増えにくい種族なのだが、減りにくい種族でもある。長い時を生きる者たちにとっては、時間を潰すことはとても大切な事なんだ。人とは生きるスパンが違うから……なかなか理解してもらえないのだけどね」
真祖様は、そう言うと、ため息をついた。
真祖様自身が、同族を束ねるのに疲れているのではないかと、涼は感じた。
ずっと、これまでそんなヴァンパイアたちを束ねてきたはずであるし……。
「これまでにも、いろんな場所で国を建てたり、あるいは他の種族と争ったり、そういうことを繰り返して、この地にやって来たんだ。私は、かんすいを手に入れ、長年の夢であったラーメンを完成させたから、この地に満足しているんだけど……」
「不老不死というのは羨ましいです。リアルで、文明の創造が出来るということじゃないですか?」
「文明の創造?」
涼は、地球にいた頃、シミュレーションゲームが大好きであった。
第六天魔王の野望だの、数国志や小戦略といったものはもちろん、某マイヤー氏の文明にもはまったものである。
数千年の時をかけて、一から文明を創造していくゲーム……不老不死なら、それをリアルで行えるのだ。
そんなことを熱く説明する涼。
すると……、
「懐かしいな……そのゲームは、私もやっていたよ」
ものすごく遠い目をして、地球時代を思い出す真祖様。
真祖様にとっては、数千年、あるいは数万年以上昔の記憶なのだ。
「そうだな……そんなことをリアルで出来るのは、ヴァンパイア族ならではだね」
真祖様は、微笑みながらそんなことを呟いた。
国に関して、頭の中に何か思い浮かんだように、涼には見えた。
その後も、いくつかの他愛もない話をしながら、涼は一つの事を思い出していた。
「真祖様。真祖様がアルバ公爵邸に作られていた魔法無効化についてなのですが……」
それを聞いて驚いたのは、アベルである。
(まさか! 魔法無効化を人工的に実現しているだと?)
それは驚くべきことであった。
ラーメンなどの話よりも……いや、もちろんアベルの中では、である。
魔法無効化が一般的になれば、社会が激変する。
だが……、
「ん? それは誤解だよ。あれはただの拾い物」
「拾い物?」
「アグネスは、ちゃんと説明は……ああ、しなかったみたいだね、そんな顔をしている。あれは、散歩していた時に、遺跡で見つけたんだ。中央諸国に移ってくる前だ。私がやったのは、設置と、強すぎる威力を弱めること、あとはアグネスがコントロールできるように調整しただけ。まあ、あれでアグネスの敷地が魔法無効空間になれば、何かあったとしても、アグネスならどうとでも解決できるからね」
「真祖様!」
アグネスは、さらに強く真祖様に抱きついた。
「だから、はっきり言って、魔法無効化は私にも出来ない」
その言葉に、アベルはホッとしていた。
涼は少しだけ落胆しているように見えた。
「でも、魔法そのものに関しては、他の人よりも深い理解があるという自信はあるんだ。なにせ、中央諸国に詠唱魔法を広めたのは私だからね」
「え?」
涼とアベルは異口同音に驚きを発した。
「この世の理に働きかける『詠唱』を発見するのは、けっこう大変だったんだよ。でも、それによって、人口の半分は、魔法を使えるようになったでしょ」
お前か~!
と、涼は心の奥底で叫んだ。
『ファイ』への転生前、『魔法が使えるのは二割の人たち』だから、エリートだぁ、と喜んでいたのに、実際には多くの人が魔法を使えてがっかりした記憶を、涼は瞬間的に思い出していた。
とはいえ、真祖様の行動は人助けのためでもあるから、必ずしも悪いわけでは……。
「周りの国の人たちは、弱い魔法だけ使えるようになってもらった方が、我々ヴァンパイア族にとって都合がよかったという面は確かにあった。隣国は弱い方がいい。それは、否定はしないよ」
人助けだけではなかった。
「もしや……『闘技』もですか」
アベルが、初めて自分から質問をした。
「うん」
真祖様は、アベルの方を向いて頷いて言葉を続けた。
「ランドを守る騎士たちは人間だからね。彼らを強くするために、彼らが使える魔法的な何かはないかと思って……。あれも、中央諸国に来る前から試行錯誤していたやつなんだよ。なんとか一般的な形にできたのが、百年前なんだ」
「ということは、ランドの騎士たちは……」
「そう、ほとんどの者が『闘技』を使える」
それは衝撃的な内容であった。
一人ひとりが一騎当千……とまではいかずとも、例えば王国の騎士に比べれば、かなりの強さだと言える。
「決して大きな国ではないし、大きな国にするつもりもなかったからね。少数精鋭を地で行くんだよ」
真祖様は、にっこり笑って言った。
アベルには、その微笑みは、不気味であった。
二日後。
使節団は公都を発った。
王国からの研修生の受け入れ、公都と王都にお互いの大使館を設立。
決まった主な内容は、そういうことであった。
さらに翌日、半年後の大公サイラスの退位と、息子である公太子ノートンの大公位継承が発表された。
サイラスは、王国にほど近い街カルナック周辺の領地を与えられ、隠棲する。
他は、今まで通り。
クーデターは、完全に隠蔽された。
関わった者たちも、今まで通り変化は無い。
ただ一つ……アルバ公爵邸と、真祖様の『書斎』との間の行き来が、今までよりも増えたそうだ。
『第十一章 トワイライトランド』終了です。
五話、幕間を挟んで、「0213」より、いよいよ最終章……。