0205 絶体絶命
さすがに、ヴァンパイアの国という指摘は、アグネスとしても想定外であった。
「なぜ……」
「様々な情報を総合的に判断した結果です。アグネス様の、その美しさも、判断材料となりました」
九十歳を超えてもこんな美しさなど、少なくとも人ではない……多分。
そう、それについては、涼の独断と偏見である。
「いちおう、誤解のないように言っておきますと、ハスキル伯カリニコスは同胞を売ったりはしませんでしたよ」
「なるほど。リョウ殿は、カリニコスが消滅した現場にいたのですね」
特にその言葉には、非難する感情も、責める調子も含まれてはいなかった。
ただ、単に確認である。
「はい。最後は、西方教会の聖職者の手で……」
「ええ、大司教グラハムですね」
その言葉には、ほんのわずかながら、感情の揺らぎを見ることができた。
「まあ、いいでしょう。リョウ殿が、この国の秘密に気づいてしまったのは想定外でしたが、仕方ありません。ですが、それだけに、余計に……ここから出ていかれては困ります」
「どうしても出ていくとなれば?」
「死んでいただきます」
そう言ったアグネスの表情は、本当に悲しそうであった。
「わたくしも本意ではありませんが、割り当てられた役割くらいはこなさなければ……」
「僕がとどまっている間、使節団の仲間の無事が保証されるわけではないのでしょう? 大公と一緒に、処刑される未来が見えます」
「正直に言いますと、おそらくそうなるでしょう」
アグネスは、涼にはとどまって欲しいが、嘘をつく気にはならなかった。
嘘をついてとどめたとして、その後事実を知ったら、関わった者たち全員が恐ろしい目に遭いそうな気がしたから……。
「ならば、出ていくしかありませんね」
「どうしても?」
「ええ、どうしても」
涼のその言葉を聞いて、アグネスは小さく首を横に振った。
その瞬間、食堂の壁が、窓も含めて、全て石の壁に変わった。
そして、扉から、一人の男性が入って来た。
「残念ですが、リョウ殿には力ずくでとどまっていただきます……場合によっては、死なせてしまうかもしれません……」
「仕方がありません」
「魔法が使えないのですよ? リョウ殿が、たとえ剣も使えたとしても……スピードでもパワーでも人間を上回る我々ヴァンパイア相手に、どう戦うのですか? いえ、何を言っても仕方ありますまい。せめて……すぐに終わらせましょう。彼は……」
そういうと、アグネスは、扉から現れた男性を指していった。
「彼は、ヴァンパイア屈指の剣士、グリフィン卿。リョウ殿、万に一つの勝ち目もありません」
「そうかもしれません。ですが……人には、逃げてはいけない戦いがあります。僕にとっては、これがそうなのでしょう」
涼は、自覚していた。
勝ち目のない戦いであると。
それでも、戦うしかない……なんとなくだが、アベルたちが助けを待っているような気がしていたのである。
涼は、いつものように村雨を持ち、刃を生じさせる。
それを見て、アグネスは息をのんだ。
だが、目の前の剣士、グリフィン卿は全く揺るがない。
涼とグリフィン卿、それぞれ、少しずつ近づいていく。
じりじりと近付き……最初に踏み込んだのは、グリフィン卿であった。
袈裟懸けに、恐ろしい速度の打ち込み。
村雨で受けず、体捌きで避け、避けざま村雨を横に薙ぐ涼。
それを、尋常ではないスピードでバックステップしてかわすグリフィン卿。
ただ、一撃ずつの攻撃でありながら、尋常ではない剣戟であることは、アグネスにも分かった。
アルバ公アグネスは、ランドにおいて、最も有名かつ最も強力な魔法使いの一人として知られている。
また、剣においてもトップクラスの強さを誇る。
そのため、魔法無効化の上で、剣で、涼と対峙しても良かったのであるが、もしもの事を考えたのだ。
『水魔法使いとして異常ともいえる涼が、剣においても異常である可能性』をである。
そのため、ヴァンパイア屈指の剣士、グリフィン卿を呼んでおいた。
おそらく、涼は、仲間たちの元に行くと言い出すだろう……そう想定し、そうなって欲しくないと思いながら……残念ながらその通りになってしまった……。
このまま殺すことになったとしても、せめて苦しまずに死なせたい……。
アグネスは、涼の事を気に入っていた。
最初は、強力な水魔法使いとして意識し、今日は、その所作を含めた全体を気に入っていた。
もちろん、女として、男として意識した、などということではない。
ヴァンパイアとして、人間の中ではかなり良い部類だ、という認識に近い。
それでも、気に入ったのである。
その気に入ったものを手放さねばならない……悔しいという思いと、悲しいという思いと、そして苦しまずに死なせてあげたいという思い。
それらがない交ぜになった状態で、二人の剣戟を見始めたのだが……。
最初の一撃で、自分の予測が大きく外れていたことを知った。
『涼は剣においても異常』ではなく……『涼は剣においても極めて異常』だった。
(これはまずい……)
グリフィン卿の袈裟懸けの一撃をかわした瞬間、涼はそう感じていた。
確かにアグネスが言う通り、スピードにおいてもパワーにおいても、圧倒的に向こうが上。
ならば、勇者ローマンを相手にしたアベルやヒューのように、『捌く技術』で相手を上回っているかというと……恐らくそこも上回っていない。
スピードとパワーだけの相手ではない。
(つまり、勝てる要素が無い)
『風装』を纏ったセーラ並みに、高い壁を感じる……。
そして、風装を纏ったセーラには、涼は勝てていない。
打開策を全く思いつかないまま、剣戟は続いていった。
三人の中で、最も驚いていたのはグリフィン卿であったろう。
昨日、かの『女公爵』から、剣で、人間の魔法使いの相手をしてほしいと言われた。
その時点で、まず意味が分からなかった。
相手は、『人間』でしかも『魔法使い』だと。
ヴァンパイアがまともに相手をする必要など、欠片もない程に脆弱な存在である。
無論、学習能力、勤勉さ、あるいは創造力など、そういう方面においては、見るべきものを持っている人間たちはいる。
そこは認める。
だが、およそ戦闘行為においては、剣であろうが魔法であろうが、相手にはならない。
もちろん、ランドにおいて、その頂点といっても過言ではないアルバ公爵の依頼であれば、どんなに無駄と思えることだろうとも、断るということはあり得ない。
しかもよく聞くと、『屋敷の魔法無効化を稼働した上での剣での戦闘』だという。
本当に、純粋な剣での戦闘。
やれと言われればやるが、恐らく数合ともたないであろう。
噂に聞く勇者や、ランドを訪れているA級冒険者の剣士ですら、十合もてばいい方である。
グリフィン卿は、アルバ公爵に素直にそう告げた。
その時、アルバ公爵は笑いながらこう言ったのだ。
「うん、わたくしもそう思う。そう思うのだが……何があるかわからない……そういう相手だと思う」
かのアルバ公爵に、そこまで言わせる人間の魔法使い……その言葉で、ようやくグリフィン卿は、相手に興味を持った。
そして、今日である。
すでに、二十合を越えて剣戟が続いている。
スピードも、パワーも自分が上。
技術においては、お互い甲乙つけがたい。
それなのに、目の前の守りを破れない。
(こいつは、本当に魔法使いなのか……)
純粋な剣士以上に厄介な相手である。
負けるとは思わない。
だが、簡単に決着がつくとも思えない。
果てしなく続きそうな戦いが、いつ終わるとも知れない戦いが、続いていた。