0196 連携
フェルプスの父親の名前を、アーサー・ハインライン侯爵→アレクシス・ハインライン侯爵に変更します。
顧問アーサー・ベラシスと名前が被っているのは、やっぱり避けた方がいいかなと思いまして。
「アクレから先は、森が多く点在するようになる」
アクレを出発した後、アベルは言った。
「つまり、ここからが本番だと」
涼は悲壮な決意をした風な顔で、真剣に頷いてみせる。
「いや、そこまでは……。アクレの次、今夜の宿泊地であるバードン・ブレインを過ぎてからだな」
「なんだ……。なら、明日言ってください」
「いや、今だって、十分『本番』の旅なんだが……」
やれやれと言った感じで、ため息をつきながら首を小さく横に振る涼。それを見て、つっこむアベル。
いつもの光景であった。
そうは言いながらも、昨日までの馬車中とは少し変わっていた。
昨日までは、まさに、移動学習室とも言うべき光景が展開された馬車内であったが、今日は机の上に出ている書類は半分以下に減っている。
さすがに、完全な安全を確保されたアクレまでの第三街道ではなくなったという点と共に、フェルプスからの警告を考慮した結果であった。
「そういえば、昨日フェルプスさんが、アクレで動いていた暗殺教団の人を捕まえて聞いてみた、って言ってたんですが……」
「ああ……あいつ、そういう方面、得意だもんな」
アベルは一つ頷きながら答える。
「そんな簡単に捕まるなんて、教団の暗殺者もたいしたことないですよね」
「いや……多分、そういうことではないと思うぞ」
「どういうことですか?」
アベルが否定し、涼は首を傾げて聞き返す。
「このアクレ、というかハインライン侯爵領自体が、王国屈指の防諜機能を有しているからだ」
「フェルプスさんが、その方面に強いから?」
「それもあるが、フェルプス以上に、親父さんはその方面に強い。フェルプスの師匠だからな」
アベルは、フェルプスの父親、現ハインライン侯爵の顔を思い浮かべながら答えた。
「前王国騎士団長ですよね?」
「前の前の王国騎士団長な」
前王国騎士団長バッカラーは、王都騒乱で亡くなったからである。
「親父さん、つまりアレクシス・ハインライン侯爵は、騎士団長としては『鬼』と呼ばれた人物だったが、間諜、防諜の重要性を分かっていた人物でもあった」
「『騎士団長』という言葉からイメージするお仕事とは、かけ離れています……」
「まあな。だが、アレクシスが王国騎士団長であったからこそ、十年前の『大戦』で王国は大勝したんだ。アレクシス自身が言っていた。『情報の力』だと」
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」
「ん?」
涼が孫子の一説を呟き、アベルは聞き返した。
「いえ、僕の故郷に伝わる、戦争における情報の大切さを記した文章です」
「ほぉ。リョウもよく知っているじゃないか」
涼は小さい頃から、戦略シミュレーションゲームの愛好家である。
「僕の故郷では常識です」
「お、おう、そうか……」
ハインライン侯爵執務室。
現ハインライン侯爵アレクシスは、毎日の書類仕事をこなしていた。
今年五十歳になるのだが、未だその風貌は若々しく、身体も一片の贅肉もついていない程に引き締まっている。
その執務室に、一人の男性が入って来た。
「父上、使節団一行、街を出ました」
報告をしたのは、アレクシスの長男、B級冒険者のフェルプス。
「ああ、ご苦労。それにしても驚いたな。騎士団を率いていたのがドンタンだったのには。中隊長だそうだ。あの頃は、まだガキだったのに……時代の流れを感じるな。そういえば、昨日、隣の旅館に行ったのは……」
「お気づきでしたか。ええ、例の件を警告しておきました。アベルは、半分酔いつぶれていたので、リョウに伝えました」
「例の、水属性の魔法使いか」
アレクシスはそう言うと、小さくため息をついた。
「父上は、まだリョウの事を信用できないと?」
詰問ではなく、非難でもなく、心配性の父に対する息子からの問いかけである。
「いや、信用はしている。アベルだけでなく、お前も信頼した人物だ、相当なものだろう。そこではなく、彼が持つ強すぎる力がな……」
「ああ、例の村ですね」
例の村とは、涼が<パーマフロスト>で凍りつかせた、暗殺教団の村の事である。
もちろん、一般には全く流れていない情報であるし、王国貴族ですらほとんど知らない情報なのであるが、そこはハインライン家。
張り巡らせた情報収集能力により、かなりの確度で何が起き、誰が関わったのかを掴んでいた。
「我々より先に、あの村の所在を知っていたのも驚きだが、たった一人で壊滅させたのは、なお驚きだ。願わくは、その力が王国に向かないことを祈るばかりだ」
アレクシスは、その昔、『鬼』と呼ばれた人物とは思えない様な、苦労性で弱気な表情で言った。
だが、息子であるフェルプスは知っている。
こちらの方が、アレクシス・ハインラインの実像なのであると。
無論、敵に当たっては苛烈に仕掛け、あらゆる手段を使って壊滅に追いやる……まさに鬼の所業である。
だが、本質は、非常に繊細で慎重な性格なのだ。
だからこそ、諜報活動に秀でているともいえる。
「そういえば、トワイライトランドのきな臭い情報、やはり事実であったわ。今、届いた情報だ」
アレクシスはそういうと、一枚の紙をフェルプスに渡した。
フェルプスはそれを一読すると、ほんのわずかに眉根をひそめて呟く。
「内乱の可能性……」
「ああ。インベリー公国の件といい、我が王国東部の混乱といい、中央諸国は落ち着かぬな」
王国東部は、ロー大橋の崩落以降、様々な混乱が起き、さらにインベリー公国からの難民も入ってきたことによって、治安の悪化が深刻化していた。
混乱を収めるべき地方領主たちも、反乱に巻き込まれて命を落としたり、突如襲ってきた魔物に襲われて命を落としたり、あるいはなぜか起きた屋敷の火事に巻き込まれて命を落としたりしたため、混乱は拡大の一途をたどっている。
「背後にいるのは……」
「オーブリー卿ではないであろうと」
「であろうな。オーブリー卿自身が、マスター・マクグラスに言ったそうだが……。それを信じるかどうかは別としても、インベリー公国を手中にした以上、隣接する王国東部の混乱は困るであろうしな。手に入れるまでなら、王国の介入を妨害する意味から、破壊工作をする必要もあったであろうが。今となっては、益などなく害ばかりであろうさ。となると、糸を引くのは、もう一つの大国……」
「帝国ですか」
アレクシスもフェルプスも、顔をしかめた。
帝国が糸を引いているとして、理由がわからないのだ。
王国東部は、そもそも帝国とは境を接していない。間には、かなりの領域面積を誇る王国北部がある。
混乱させ、弱体化させたからといって、王国東部を手に入れることは難しい。
そんな場所を、なぜ……。
解けない謎を堂々巡りである。
「まあ、東部の事はいい。今できるのは、情報収集だけだ。とりあえずは、何が起きても動けるように準備は整えておく。フェルプスは、もうしばらくこっちにいるのだろう?」
「はい。いろいろと精査したい情報もありますので」
「ははは。慎重なことはいい事だ。今のうちだ、いろいろ学ぶといい」
一般人が全く想像しないようなところで、世界は回っているのかもしれない。
その時、涼とアベルは、食後のコーヒーブレイクを楽しんでいた……馬車の中で。
アクレの街で、フェルプスが差し入れてくれた荷物の中に、コナコーヒーのローストされた豆があったのである。
もちろん、涼が持ち込んだ豆には、まだ十分な余裕があったのだが、多くて困ることはない。馬車がある限り!
それを見越して差し入れてくれたフェルプスの評価は、涼の中でうなぎのぼりであった。
そんなコーヒーを楽しむ二人の耳に、外から声が聞こえてきた。
「魔物だー!」
使節団にその声が届くと、馬車は集められて、それを盾を持った騎士団の一部が取り囲む。
その外側で、冒険者と残りの騎士たちが、魔物を打ち倒していく段取りらしい。
(ついに、魔物遭遇イベント! これまで、ルンの街に居を移して以降、思えば一度も、こういう機会はありませんでした。それなりに、街道を移動したとは思うのですが……。しかし! ここでついにですよ!)
涼はそんなことを考えていた。
ちなみに、涼とアベルは馬車の中に居座ったまま、窓から様子を見守っている。
「僕は、助けに行くべきじゃないかと思ったのですが、アベルが……」
「誰に対して言い訳してるんだ! 邪魔したらまずいでしょうと言ったのはリョウだろうが」
そう、二人は、どう動けばいいかの指示は、事前に誰からも受けていなかった。
ただ、他の馬車に乗る文官たちは、馬車の中でおとなしくしているため、二人もおとなしくすべきなのかなと判断したのだ。
もし、想定外の事が起きて、騎士団と冒険者たちが大変なことになったら助けに出ようかと。
そんな話し合いの結果である。
ちなみに、騎士たちのお供である従士たちは、弓を構えて馬車周りの盾の内側で待機していた。
騎士の鎧は一人では着ることができない以上、戦場には必ず従士がついてくる。その従士は、基本的に戦闘には参加しない。
だが、『ファイ』においては、弓使いとして遠距離攻撃を担っているらしい……。
「来たぞ!」
右手から、魔物は迫っていた。
「狼!」
「ウォーウルフの群れだ!」
見た目、狼を一回り大きくした魔物である。
一匹一匹は、速度があるとはいえ、このクラスの冒険者や騎士ならば後れを取ることはないが、ほぼ必ず群れで行動する魔物なために、対処は簡単ではない。
アベルも涼も、そう考えたのであるが……。
冒険者の魔法使い達が、遠距離攻撃を放つ。同時に、従士たちも弓を放つ。
弓ではほとんど倒せないが、それでも手傷を負わせることは出来る。
また、C級冒険者の攻撃魔法ならば、ほぼ確実に当たる相手である。
そして、当たれば倒せる。
遠距離攻撃によって、ある程度の数を削った後は、騎士たちの出番だ。
つっこんできたウォーウルフを盾で受け止める。あるいは下方からかちあげる。
そして、動きが止まった相手に、冒険者たちが槍を突き刺していく。
冒険者と騎士たちの見事な連携。
(冒険者と騎士団がいがみ合い……みたいな、異世界ものの定番展開を想像していたのですが……全くそんなことは無かったですね。まったく、どの本も大げさに書きすぎですね!)
どれも小説です。フィクションです。
ドキュメンタリーではありません。
騎士と冒険者たちは、危なげなく、襲ってきたウォーウルフをすべて倒した。
最後に、風属性の魔法使いが<探査>で周囲を探り、他の魔物が襲ってこないことを確認して、警戒が解除された。
冒険者の各パーティーリーダーたちと、騎士たちが握手をしている。
冒険者のまとめ役であるショーケンと、騎士団を率いる中隊長ドンタンは、かなりしっかりとした握手をしていた。
二人の綿密な打ち合わせが、この完勝劇を生んだのだから、満足感もひとしおであったのだろう。
「素晴らしい光景ですね」
そんな、仲間意識に溢れた光景を見ながら、涼は何度も頷いていた。
「リョウの事だから、『騎士と冒険者がいがみ合って、酷い状態になるのを期待していたのに』とか言うのかと思ったが……」
「アベルは、僕の事をいったいどんな目で見ているのか……」
涼は、心が傷ついた風を装って、馬車の机に突っ伏した。
冒険者と騎士の握手。
その素晴らしい光景は、その後も繰り返された。
毎日、午前と午後に一回ずつ。
そう、つまり、定期的に魔物の襲撃が起きるようになったのである。
 





