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水属性の魔法使い  作者: 久宝 忠
第一部 第十一章 トワイライトランド
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0193 アベルの宿題

使節団のうち、文官らと涼とアベルのA級パーティーは馬車である。

騎士団は騎馬で、他が徒歩となる。

そのため、使節団全体の移動速度は、かなりゆっくりであった。



王都から南部最大の街アクレを経由して、王国の西南にあるトワイライトランドまで、片道一カ月の予定。


初日の宿泊予定の街デオファムから始まり、アクレまでの第三街道中は、全て街での宿泊となる。

それ以降も、国境までは野営の予定は無い。

冒険者や騎士団はともかく、交渉官を含めた文官たちに野営は厳しいからである。

そういう点では、比較的、楽な旅程であった。



「アベル、初日はデオファムだそうですよ。覚えていますか? 二人で、王都からルンの街を目指したあの旅で、最初に泊まったのもデオファムでしたよね。僕の左腕が切り飛ばされた、あの旅です」

「なんで、自分の腕を斬り飛ばされた話を、そんな笑顔で語れるのか……リョウの精神力は凄いな」


アベルは、げっそりしながら言った。

げっそりした表情は、必ずしも涼が話す内容が理由というだけではない。


「アベルが持ち込んだ資料、結構な量ですね」

「まあな。兄上から出された宿題が大量にある……」

そう、アベルは、兄である王太子の集中講義からは解放されたが、旅の間に解くことを課された宿題の山と共に、馬車に乗り込んでいた。

恐らくそれが、げっそりした理由の九割を占めていたであろう。



「……法に反した子爵家に関する処分の範囲……一族のどこまでを、どのような刑に処するか……。王城において、抜剣し式典家A伯爵家当主に斬りかかった……。なんだか、細かな設定が書かれていますね。まるで、実際に起きた事件のケーススタディです」

「まあな。実際に起きた事件だからな」

殿中(でんちゅう)でござる~とか言われて止められたのでしょうか」


涼の頭の中に浮かんだのは、赤穂の浅野内匠頭と吉良上野介のお話だ。


「デンチュウが何か知らんが、斬りかかった側の子爵家は取り潰されたはずだ。だが、そこに至るまでの事情も複雑でな……。はぁ……難しい問題が目白押しだ」

アベルは深い、本当に深いため息をついて言った。



「まるで、本当に王子様みたいな勉強をさせられているんですね」

「まるで、って……未だに信じてくれないリョウも……なんというか、頑固だな」

「当然です。だって、アベルがまかり間違って王様とかになってしまったら……」

「なってしまったら……?」

アベルは、その先の答えを少し聞いてみたくて、涼に促してみた。

「なってしまったら……気軽に、ご飯を奢ってもらえなくなるじゃないですか!」

「あ、うん、そんなことだろうと思ったよ」

アベルは馬車内のテーブルに突っ伏した。




「そういえば……」

「なんだ?」

涼はふと思い出した疑問を頭に浮かべ、アベルは顔を上げずに問いかける。


「アベルのお兄さん、王太子殿下の名前って、何ていうんですか?」

「兄上は、カインディッシュ・ベスフォード・ナイトレイだ」

「カイン……」

「ん? 確かに幼少の頃は、兄上の事をカインと呼ぶこともあったが?」



涼が頭に浮かべたのは、『カインとアベル』である。

地球における、世界史上最初の殺人事件の加害者、兄のカインと、被害者、弟のアベル。

旧約聖書に出てくるお話だ。

(まさかカイン氏は、アベルを勉強で圧殺しようと画策しているのでは……)



もちろん、そんなことはない。



終始難しい顔をして、王太子より課された宿題を解くアベル。

それに比べて、ほとんど常に笑顔で資料を読み進めたり、何事か傍らの紙に書きこんだりしている涼。

書類と格闘している点は同じであるが、馬車内に放たれる雰囲気は全く違うものであった。


それは王になるための宿題と、ゴーレム関連データと資料との違いである。


二人が乗るのは、テーブル付きの二人用馬車。

他が、テーブル付き四人用馬車であるのに比べると、少しだけ小さいのだが、誰に気兼ねすることもなく過ごすことができるため、二人の勉強は捗った。



午後四時前、使節団は、一日目の宿であるデオファムに到着した。




「アベル、あの時、僕たちが泊まった宿ですよ」


涼は、見るからに上機嫌な様子で、今夜の宿を見上げている。

涼は覚えていたのだ。

この宿は、大浴場付きであると。


「まあ、デオファムでも、かなり高いグレードの宿だからな。国が、使節団の宿に選ぶのもよくわかる。今回は、宿を丸ごと借り上げたそうだ」

アベルは、一日中勉強し続けた疲労からか、見るからに疲れた様子である。



そんなアベルの口から、ある言葉が涼に向かって放たれた。

「リョウ、覚えているとは思うが、今夜の夕食は、交渉官の部屋に呼ばれているからな。六時に部屋に行くぞ」

「え……」

涼は、文字通り固まった。



右足は、前方に踏み出そうとしたところで止まり、左手も前に出ようとしたところで止まり……表情も含めて、涼の全てが停止した。

そして、ギギギという音がしそうな様子で、固まった表情のままアベルの方を見る。


「あ、アベル、僕は体調が悪いので、夕食は欠席を……」

「許されるわけないだろうが。そういうのも含めて、今回の依頼だ」

肩を竦めて、ため息をつきながらアベルが残酷な言葉を告げる。


「いや、ほら、アベルがA級冒険者なのであって、僕はただのC級……」

「リョウ、諦めろ」

「でも、きっと、交渉官の人って、高位の貴族とかで、平民の冒険者なんてゴミを見るような目で見てきて……『こんな奴と同じテーブルになんてつけるか!』とか言って、ワインを、僕のこの大切なローブにかけたりするに違いないですよ?」


涼は無表情が融けて、今度は涙目になりながら訴えかける。


「……なんというか、ものすごい偏見だな。いや、まあ、そういう貴族もいるけど……。交渉官は、西部の大貴族ホープ侯爵家の次男だ。年齢は、まだ三十歳になっていなかったはずだが……」

「大貴族……」

涼は涙目のまま、絶望的な表情を顔に浮かべていた。


「まあ、諦めろ。服は、いつも通りの服でいいと言われているから。じゃあな」

そう言うと、アベルは使節団の後について、さっさと宿の中へと入っていった。


取り残された涼は、デオファムに着いた時のテンションの欠片も無いほどに、トボトボとした足取りで宿に入っていくのであった。




「やあやあ、よく来てくれました。わたくしが、今回の交渉官を務めさせていただいている、イグニス・ハグリットです。よろしくお願いします」

そういうと、交渉官イグニスは二人に握手を求めた。


涼とアベルを出迎えてくれた使節団の交渉官は、涼が拍子抜けするほど、気取らない人物であった。


「あなたが剣士のアベルさんですね。今回は、我が外務省の都合を、無理いって引き受けてもらって本当に感謝しています。そして、そちらが魔法使いのリョウさんですね。イラリオン様の犠牲になったとか……本当にご愁傷さまです」

交渉官イグニスは、ニコニコと握手をしながら、一瞬で、二人の心に「善い人かも」という感情を抱かせた。



さすがに、外務省の『交渉官』である。



顔は、まったくカッコよくはないし、逆に醜男というわけでもない。

柔らかく、優しい印象を与える感じであり、常にニコニコとしているのが、柔らかさをさらに一層強化していた。


「さあ、そちらにお座りください。もう料理も出来上がっているそうですので、すぐに出てきます。とりあえず、食べながら話しましょう。温かい料理は温かいうちに食べる。それが料理人への礼儀ですからね」




顔合わせを兼ねた、交渉官イグニスとの初めての会食は、和やかな雰囲気のうちに終了した。

涼が、宿に入る前に抱いていた大貴族に対するイメージは、完全に破砕され、楽しいひと時を過ごすことができたのである。

美味しい料理、楽しい会話……上流階級のいい点が詰まった会食だったと、涼は満足していた。



「イグニスさん、善い人でした」

「ああ。彼の父上であるホープ侯爵は、王国の政治からは距離を置いている方なのだが、領地経営は卓越しているという評判だ。税も低く、商業は栄え、治安もいいと。元々、ホープ侯爵領は農業が盛んだったのだが、最近は商業面でもすごいのだそうだ。一度、行ってみたいな」

アベルは、そんな詳しい話をした。

実は、王太子との集中講義の中に、出てきたのである。


「まあ、イグニス殿も、不安はあったのだろう。俺らとは顔合わせ無しで出発したからな」

「それですよ。どうして、僕たちは、王都での使節団結成式、みたいなのに出なかったのですか?」


涼が錬金工房に籠り、アベルが集中講義を受けている間に、結成式とお披露目会があったらしいのだ。

まあ、常識的に、そういうのはあるだろう……。



「それは、俺がその場に出ると、王城にいた頃の知り合いに会ってしまう可能性があったかららしい。グランドマスターと兄上とで話し合いをしたそうだ。で、俺たちは冒険者ということで、その場には出さないということにしようと」

「また、アベルの王子さま設定ですか……。そこまでいくと、いっそ立派ですよ」

涼は肩を竦め、ため息を吐き、やれやれといった表情をする。


「いや、ここまできても信じないリョウの方が、いっそあっぱれというか……」

涼とは比べ物にならないほど深いため息をついて、アベルはぼやく。


「だって、まかり間違って、アベルが王様とかになってしまったら……」

「どうせ、奢ってもらえなくなるとか言うんだろ?」

「アベルへの貸しを、王の権力で無かったことにされます」

「どんだけ鬼畜な王なんだよ!」

いつものように叫ぶアベル。


だが、一瞬後、ふとしたことに気付く。


「ていうか、俺、リョウに借りがあったっけ……」

「アベルの存在自体が、僕への借りですね」

「意味がわからん!」

「今日のアベルのキレは、今ひとつでした」

「……」



翌朝。

宿の中庭には、剣を振る騎士と冒険者たちがいた。

騎士の中で、率先して剣を振るっていたのは、王国騎士団員ザック・クーラーである。

横で剣を振るうアベルから見ても、以前に比べて真剣味が全く違っていた。

「ザック、見違えたぞ」

「セーラさんの横に立つのにふさわしい騎士になるためには、当然の事だ」

「そ、そうか……」


ザックが真面目に剣を振るい始めた動機を思い出し、思わず目を逸らすアベル。

叶わぬ恋に焦がれる飲み仲間に対して、アベルは何も言えなかった。

もし言ったら……ザックと涼の決闘が始まってしまう気がしたからである。


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