0190 憐れなアベル
翌日、朝八時に、涼とアベルを乗せたギルド馬車は、ルンの街を発った。
涼はいつもの鞄一個、アベルも似たような鞄一個と、たいした荷物も無い二人である。
そもそも、準備の時間もほとんど必要なかった。
「リョウ……落ち着いているな」
「ん? どういう意味ですか?」
アベルは、いつも通り、普通に座っているリョウを見て感想を言い、意味の分からない涼は聞き返す。
「いや、ギルマスから、リョウは馬で言う、かかった状態だから落ち着かせろ、と言われていたからな」
「ふむ。よく意味が分かりませんが。僕の故郷には、こういう言葉があります。『急いては事をし損じる』あるいは、『急がば回れ』と。焦ってもいいことはありません」
涼はしたり顔で頷きながら言った。
「なるほど。まさにその通りだな」
アベルは安心し、ゆっくりと頷いた。
涼は、ふと思いついたことをアベルに訊いてみることにした。
「アベル、先ほどのギルド前でのお見送りなのですが……」
「うん?」
「『赤き剣』の三人、来てませんでしたよね?」
「ああ……まあな」
「もしかして、アベル、三人から虐められているんじゃないですか?」
「なんでだよ!」
涼は、ものすごく可哀想なものを見るような目で、憐れみを含んだ視線をアベルに向けながら、はれ物に触るように問いかける。当然、アベルは反発することになる。
「だって、パーティーリーダーが、たった一人で長い仕事に出かけるのに、誰も見送りに来ないなんて……」
「いや、それを言ったら、リョウだって、『十号室』の人間、誰も来なかったろ?」
「伝えてませんしね。そもそも、僕、十号室に入っていませんよ」
「お、おう……。いや、それなら、セーラも来てなかっただろ!」
「セーラはそれこそ、ソロパーティー『風』ですし……。それに、今朝、家の方に来ましたよ」
まさに「フフン」という表現がぴったりの表情をする涼。アベルはものすごくムカついた。
だが、そこで怒鳴ったりはしない。さすが大人である。
「実は……」
「わかりました! ついに、アベルは『赤き剣』から追放されたのですね! どんまいです」
「なんでだよ!」
結局、怒鳴りつけるアベルであった。
「実は、今、イラリオンがコナ村に来ていて……」
「ああ、そう、リンを連れて行ってるんですよね。それで僕は駆り出されたので……」
「そうだったな。で、ウォーレンもリーヒャも、それについて行ってるんだ」
「え……」
「だからほら、この前のA級昇級式にも、三人ともいなかっただろ?」
「そういえば……」
涼の目には、アベルは寂しそうに見えた。
いや、もしかしたら……絶望感に苛まれているかのようにも見えた。
A級への昇級式に、苦楽を共にしたパーティーメンバーが誰も来ない……それは、涼からすれば、想像するだに恐ろしい状況であったから。
「世の中の関節は外れてしまった」
涼は小さな声で言った。
「え?」
「これまで信じていた世界が壊れ、絶望的な状況に陥った時に、ある国の王子が言い放った言葉です。王子を僭称しているアベルには、お似合いの言葉でしょう」
「いや、僭称って……まだ、信じてくれてないのかよ」
「当然です! 『世の中の関節は外れてしまった ああ、何と呪われた因果か それをなおすために生まれついたとは!』 こう叫んだのです!」
馬車の中で、ハムレットの一シーンを再現する涼。
「お、おう……」
「さあ、続けて言ってください。『世の中の関節は外れてしまった』」
「え?」
「『世の中の関節は外れてしまった』」
「よ、世の中の関節は外れてしまった」
涼の迫力に押されて、涼の後について言うアベル。
「そうです。絶望的な状況に陥った時に吐くがいいです。アベルに使用権を貸してあげましょう」
「あ、はい、ありがとうございます……?」
ここに一人、異世界ではあるが、シェークスピアの弟子が生まれたのであった……。
「アベル……この馬車、おかしいです」
「ん? 今度はなんだ?」
「いや、『今度は』って……それじゃあ、僕がいつも変なことを言っているように聞こえるじゃないですか」
涼は、肩を竦めて、やれやれ、あるいは、何を言ってるんだといった表情を見せる。
「自覚がないんだな」
アベルはため息をつきながら、首を横に振る。
「まあ、今回は、アベルの妄言はいいです。気にしません」
「妄言ってなんだ!」
「とにかく、この馬車はおかしいです」
「そうか? ちゃんと王都への道を走っているぞ」
「ええ、道は合っているのですが、ほぼ常に、全力疾走しているみたいです」
馬車というのは、長距離を移動するために、普通は、かなりゆっくり走るものである。
だが、涼たちが乗っているギルド馬車は、かなり速い。
現代地球で、車に乗って走っているのと同じくらいの体感速度……つまり時速四十キロを超える速度に思えた。
「まあ、全力とまではいかないが、馬車にしてはかなりの速度だな。それもこれも、全てリョウのせいだぞ」
「僕?」
涼は首を傾げて問い返した。
「お前、急いで錬金工房に行きたいんだろ?」
「ええ、もちろんです。王都出発の日時が決まっている以上、錬金工房に籠れる時間は短いですからね! 一秒も無駄にできません」
「だからだよ。ギルマスが、王都のグランドマスターの許可を得て、途中の冒険者ギルドで元気な馬と交換して、出来る限り速く、王都に着けるように手配してくれたらしいぞ」
「おぉ……。ヒューさん、善い人です!」
涼は、馬車の中で、ヒューに感謝した。
「本来なら、一週間近くかかる行程が、二日で着くらしい……。ほんと、どれほどの無茶をするんだか」
アベルは呆れたように言う。
涼は、ただ感謝し続けた。
だが、ふとした疑問が湧く。
たいていの異世界モノにしろ、ファンタジーな物語にしろ、スピードを出した馬車の乗り心地は最悪なものである。
サスペンションの類が無く、タイヤもゴムではなく木や鉄製だから、当然なのだが。
しかし、今乗っている馬車は、それらの物語に描写されるほどには酷くない。
「アベル、この馬車って、乗り心地、あんまりひどくないですよね?」
「ああ。ギルド馬車は、こういう高速移動をする可能性があるから、魔法で、というか錬金術で衝撃を吸収する機構が入っているらしいぞ。俺も詳しくは知らんが」
「錬金術! そして魔法……そうですね、その手がありました」
そう、地球なら十七世紀に取り付けられる馬車のサスペンションなど、この世界には必要ないのである。
なぜなら、魔法があるから!
なぜなら、錬金術があるから!
これぞ、ファンタジー!
「ああ、そういえば最近、錬金術を使わないでも、乗り心地のいい馬車が出てきて話題になっている、って聞いたな」
「ほぉ。技術の進歩はめざましいですね」
「なんとかいう鍛冶師が作った……誰だったかな……元々有名な武器鍛冶師だったはずだが……。ああ、そうだ、カラシニコフだな」
「カラシニコフ……」
涼の頭に浮かんだのは、もちろん、現代地球で『世界で最も多く使われた軍用銃』である『AK-47』の設計者カラシニコフである。
AK-47は、多くの映画で、中東の紛争地域や、ゲリラなどがバンバン撃っている、あのアサルトライフルだ。
旧ソ連で作られ、世界中に売りまくられ、世界中でコピーされた自動小銃。
だが、このナイトレイ王国においては、『カラシニコフ』といえば、比較的安価でありながら乗り心地抜群の馬車工房として有名になっているらしい。
そのため、最近、下級貴族や商人の間では、以下のような会話がよく交わされるという。
「最近、どんな馬車に乗っている?」
「カラシニコフさ」
その後、予定通り、二日で王都に着いた一行。
「リョウ、俺たちの宿は、ルン辺境伯邸だからな。ちゃんと顔を出せよ」
王都に入った馬車は、そのまま王立錬金工房に直行。
涼は、そこで飛び降り、錬金工房に入って行こうとしたのである。
アベルは、その時に声をかけたのだが……はたして涼の耳に届いていたのかどうか。
「はぁ……。前の晩に、俺が迎えに来るしかないか」
アベルはため息をつきながら、馬車をルン辺境伯邸にまわしてもらうのであった。




