0183 <<幕間>>
本日は二話投稿です。
12時に「0182 幕間」を投稿しております。
そちらを先に読まれることをお勧めします。
デブヒ帝国帝都マルクドルフ帝城の皇帝執務室。
そこに招き入れられた人物二人。
一人はこの部屋の常連、執政ハンス・キルヒホフ伯爵。
もう一人は、初めて訪れる若い男性である。誰が見ても、緊張し、カチコチであった。
「おお、来たか。すぐに終わる。そこに座って待っておれ」
この部屋の主、皇帝ルパート六世は、自らの執務机で書類を確認しながらサインを繰り返し、入ってきた二人に、先に座って待つよう促した。
とは言え、勝手に座るわけにはいかない。
常連であるハンスですら、椅子の前で立ったままで待っているのだ。
緊張しまくった若い男も、その横で立ったまま待った。
「座ってよいと言ったであろうが」
ルパートは、わずかに苦笑しながら、二人の元へ来た。
それと同時に、侍従が三人分のコーヒーを運んでくる。
ルパートがソファに座ると、ようやく、二人も向かいに座った。そこへタイミングよく出されるコーヒー。
「昨日、トワイライトランドより届いたブルーマウンテンコーヒーだ。王国のコナも良いが、これもかなりのものだぞ」
そう言うと、ルパートはカップに手を伸ばし、一呼吸だけ香りを楽しみ、口に含んだ。
それを見て、二人もカップに手を伸ばし、口に運ぶ。
辺りには、コーヒーの香りと、まったりとした時間が流れた。
前日の事である。
その日、ローレンツ・クッシュは、朝から混乱していた。
昨日夕方、執政ハンス・キルヒホフ伯爵の執務室に呼び出され、告げられたのである。
「明日、皇帝陛下の元に伺う。思いのたけを述べるがいい」と。
「ちょ、直接、陛下にですか……?」
「うむ。陛下がローレンツを呼んで来いと仰ったのだ。一度、説明をしたいということであった。くれぐれも失礼のないようにな」
「無理です……」とは言えなかった。
心の底から言いたかった。
いや、心の底から叫びたかった。
「無理です。文章で上申させてください」と。
だが、告げられたのは全て決定事項である。
ローレンツは、「無理です」の代わりに、心の底でこう叫んだ。
「どうしてこうなった」と。
一般的な帝国臣民が持つ、皇帝ルパート六世に対するイメージは、『畏怖』だ。
それは、二十代で即位して以降、情け容赦なく国内の多くの貴族を粛清、改易し、帝国西方と北方に存在した小国家群を併合したことが理由の一つであろう。
さらに、帝都で働く高級官僚や大臣たちにとっては、直接叱責される『被害』に実際にあっており、一般の臣民たち以上に『畏怖』の対象となっている。
もちろん、その叱責は理不尽なものではないため、有能な家臣の象徴とも見られているハンスなどは、その限りではないのだが……。
そんな、『畏怖』すべき相手が目の前に座り、しかも自分は、その相手に上申する。
もちろん、執政ハンス・キルヒホフ伯爵に、皇帝陛下への上申をお願いしたのは事実であるが……それは文章での上申であり、至高の存在に直接言うつもりでは……。
「さて、ローレンツ」
「は、はい!」
誰が見ても緊張で固まっているローレンツに対して、ルパートは苦笑する。
「コーヒーでも飲めば、少しは緊張もほぐれると思ったのだが……見込みが甘かったか」
ハンスの方を向きながら、ルパートは優し気に言う。
「陛下は、畏れられておりますゆえ……」
ハンスは首を振りながら、こちらも苦笑しつつ言う。
「畏れ、か。皇帝には必要なイメージだが、こういう場面では面倒だな。よし、ローレンツ、私は約束しよう。この場で、お前が何を言おうとも、それを理由に罰したりはしないと」
「はっ。は……」
何も変わらず。
「ハンス、ダメであったわ。ローレンツは緊張したままだ」
「どうも、そのようで」
こればかりはどうしようもない……ハンスの表情はそう語っていた。
事ここに至って、ルパートは割り切ることにした。
「よし、ローレンツ。お前が来たのは、民を憂えての事ではなかったか?」
その一言が、ローレンツをいつもの状態に戻した。
そう、自分が上申しようと思ったのは、街で生活が苦しいと訴えている民たちのためであった。
苦しい理由は分かりきっている。
景気が悪いからだ。
もちろん、今日の食事にも事欠くというわけではない。
そこまで酷い状態の者は……いないわけではないが、決して多くはない。
そして、政府が支援する炊き出しなども行われており、餓死者が出たという報告はない。
そうではないのだ。
景気の悪さは、人の、未来を想う気持ちを奪う。
景気の悪さは、人が、将来に対して抱く希望を奪う。
景気の悪さは……人の心を荒ませる。
それが、帝都には蔓延している。そして、帝都だけではなく、帝国全土に蔓延している。
だからこそ、景気回復策を打たねばならない。そのために、自分はここに来た!
「皇帝陛下に申し上げます。民は疲弊しております。景気の悪化は長引き、人心も荒んでおります。すぐにでも景気を回復させる策を打つべきです」
そして、持ってきた紙束を差し出す。
今すぐにできる景気対策の一覧、それぞれの効果とかかる時間と費用、詳細な内容などがまとめられていた。
ルパートは受け取り、一読する。
その全てが、完璧な提案であることを読み取り、満足した。
「うむ、素晴らしい内容だ」
「そ、それでは!」
「だが、現時点でこれらの政策を実行することは許可せぬ」
「なぜですか!」
立場も、場所も忘れて、ローレンツは叫んでしまった。
だが、すぐに我に返る。
目の前にいるのは、絶対権力者である皇帝ルパート六世なのだ。
叫んでいい相手ではない。
「それを説明するために、今日は来てもらった」
ルパートはそう言うと、最後に残ったブルーマウンテンを飲み干して、説明を始めた。
「まず、現状の不景気な状態は、政策として維持している」
「え……」
ローレンツは我が耳を疑った。
「ど、どういうことでしょうか」
それしか言えない。全く理解できないことだからだ。
「ローレンツは財務官僚だから、そうだな……七年前の景気がどんな状態だったか覚えているか?」
「はい……。かなりの好景気でした。帝都だけではなく、帝国全土で……」
「そうだな。理由はわかるか?」
少しだけ考えて、ローレンツは口を開いた。
「恐らくは、『大戦』が原因かと」
「正解だ」
ルパートは嬉しそうに頷き、ハンスの方を見て言った。
「ハンス、お前より筋がいいんじゃないか?」
「はいはい。陛下の仰る通りですとも」
言われたハンスは肩を竦める。
たまったものではないのはローレンツの方だ。
「いえ、そのようなことは決して……」
「ローレンツ、そこで謙遜する必要はない。それで、陛下。正確には、『大戦』の何が原因なのですか?」
「まあ、簡単に言えば、戦場となったハンダルー諸国連合、ナイトレイ王国。どちらとも、多くの工房や商会が破壊された結果、様々な分野で生産能力を失った。戦後も、破壊された工房はもちろん、原料の調達網などもそう簡単には復旧しない。そのために、国内で必要な物資の多くを、我が国から輸入した。さらに、あちらで製造するために使う道具類も、我が国から輸入した。我が国の商人たちからすれば、新たな市場が突然出現したわけだから、たくさん作ってたくさん売って……景気が良くなるのは当然だな」
「確かにそうですな」
ハンスは頷きながら、カップに手を伸ばす。
だが、すでに空になっていることに気付き落胆した。
そこへ、タイミングよく執事が新たなコーヒーを持って現れる。
喜色満面のハンス。
それを横目に説明をするルパート。
「見ろローレンツ、あのハンスの顔を。景気のいい時の民の顔だとは思わんか?」
そう言われても、同意するわけにもいかないローレンツは、あ~とか、う~とか言っているばかりである。
「だから、今、我が国は不景気な状態を保っているのだ」
「え?」
「あんな、嬉しそうな顔をした民を、つまり景気のいい時に民を、戦場に駆り立てることはできまい?」
皇帝ルパートはさらに言葉を続けた。
「戦争は、景気のいい時には起こせない」
「なっ……」
ルパートの言葉に、ローレンツは絶句した。
つまり、皇帝ルパート六世は、戦争を起こそうとしているのだ。そのために不景気にしている……?
「話を戻すぞ。新たな市場が出現し、景気が良くなった。だが、その市場はいずれは閉じる。それはわかるな?」
「はい。両国が戦後復興し、工房や商会が新たに起これば、わざわざ我が国から輸入する必要が無くなります。我が国の工房では、連合や王国に輸出するために増産したその設備道具類、あるいは新たに雇っていた者たち、それが宙に浮く……」
「そうだな。それだけ景気が良くなった状態で、突然市場が少なくなればどうなるか? 恐ろしいほどの不景気になる。ある者は『バブルの崩壊』などと言っていた。恐慌は、好景気が弾けてやってくる。だが、まあ、それはいい。要は、そうやって良くなりすぎた景気を、弾ける前に縮める必要があった。そのために、我が国は五年前に大増税に踏み切った。熱くなりすぎた景気を冷ますためにな」
「それが、現在も……」
「ああ。だが、増税をせずに景気が弾けるのに任せていたら、この程度の不景気では済まなかったであろうな」
そういうと、ルパートは新たに出されたブルーマウンテンを口に運んで一息ついた。
ローレンツは、今言われた説明を頭の中で反芻している。
「そもそも、増税というものは、税収を増やすために行うわけではない。景気を冷ますために行うものだ。だから、逆に景気を良くする時に、減税をするであろう?」
「確かに……」
ルパートの説明に、大きく頷くローレンツ。
「まず、そこの認識を確認しておかねばな。税収を増やすために、増税を行う……そんな、馬鹿な為政者が多いこと多いこと……。我が帝国貴族にも、領地でそんな馬鹿なことをやっている者もいるであろう? 嘆かわしいことだ」
嘆かわしいと言いながら、ルパートの表情は、馬鹿なことをしている者を嘲笑するものであった。
「陛下、それでは、税収を増やしたい場合にはどうすればよろしいのでしょうか?」
ブルーマウンテンを飲みながら、ハンスがニコニコと質問する。
答えは分かっているが、会話を回すための質問である。
「決まっている。景気を良くすることだ。好景気になれば税収が増える……それは誰にでもわかることだろう? ならば、『本当に税収を増やしたいと思う』のであれば、好景気にすればいい。好景気にする根本部分は、先ほども言った減税だ。これだけでも確実に効果は出る。だが、効果が出るのに時間がかかる」
ルパートは、ローレンツの方を見て、少しだけ笑いながら問うた。
「ローレンツ、そもそも、景気がいい、景気が悪いというのは、どういうことなんだろうな」
「陛下……あまりにも漠然とし過ぎて……」
「景気が悪い場合というのは、金回りはどうだ?」
「それなら分かります。お金の回りが悪くなります」
ローレンツは自信をもって答える。
横で聞きながら、ハンスはうんうんと頷く。
「そうだな。景気が悪いというのは、お金の有る無しではなく、皆がお金を使わなくなる状態でもある。まあ、民の多くは、収入自体が減るから、お金が無い状態になるわけだが。だから、景気を良くするためには、国全体で金を回さねばならない」
「だからこそ、公共事業などを行うと」
ローレンツは再び、自信をもって答えた。
横で聞きながら、ハンスはさらにうんうんと頷く。手にはもちろん、ブルーマウンテンである。
「民や商会には、赤字になっても金を使え、とは言えぬ。だからこそ、国が率先して金を使って経済を回す。国の収支が……とか言っている馬鹿がいたら、民間に追い出せ。国の経済を語らせてはいけない輩だ。収支はマイナスになるが民には必要な事……だから国がやるのだ。利益の出せる事業だったら、商会がやるさ」
ルパートは肩を竦めた。
「さて、そこで不景気が長く続いている国があったとしたら、どういうことか、ということになる」
ルパートは、ローレンツをしっかりと見て言う。
「つまり、何らかの理由があって、『わざと』不景気の状態を続けていると」
「正解だ。先ほども少し触れたが、我が帝国が不景気を続けているのは、戦争を起こすためだ。民には申し訳ないが、様々なタイミングが重なって、今となった」
「景気が良くない時に戦争が起きる……」
「先ほども言ったな。景気が悪いというのは、金が回らないから。国を含めて、多くの者が金を使わないから。だから、消費が冷え込んでいるわけだ。国の行動において、最大の消費行動とは何であろうな?」
ローレンツは、首をひねって考えるが、この問いの答えが見つからなかった。
代わりに、ハンスが答える。
「それは、戦争ですな」
言われて、ローレンツはハッと気づいた。
普段の生産能力を削ってまで、それら全てが消費に回される国家規模の行動。
それが戦争である。
「そうだ。無論、我が帝国がこれまで行ってきた、北方や西方の小国併合程度のものは、戦争とは言えぬ。帝国の経済規模からすれば、せいぜい紛争、あるいは小競り合い程度だ。大規模演習と何ら変わらん。経済には、露ほどの影響も与えぬ」
「つまり、今度の相手は……」
そこまで言って、ローレンツは口をつぐんだ。
その先は、この場であってさえも言ってはならない気がしたからである。
「まあ、まだ数か月先の話だ。だが、『戦争』という消費行動が行われれば……景気は回復するであろう?」
「陛下……どうしても、戦争を起こさねばならないのでしょうか」
ローレンツは、自分の職以外であることを理解しつつも、問わずにはいられなかった。
「ああ、起こさねばならない。一つや二つの理由ではない。いくつもの理由から、他の方法、例えば外交的交渉などでは解決しないものが、多々あるからな」
その後のルパートの呟きは、二人の耳にも届かなかった。
「まったく……皇帝というのは罪深い地位だ」
経済のお話……ではありません。
ただの、国家運営の根幹のお話です。
この辺りは、異世界だろうと地球だろうと何も変わりませんね。
貨幣経済である以上は。




