0182 <<幕間>> しょうひぜい
デブヒ帝国帝都マルクドルフ。
帝城の執務室で、皇帝ルパート六世は、執政ハンス・キルヒホフ伯爵から報告を受けていた。
「インベリー公ロリス殿とそのご家族、並びに供の方々、無事に帝城に入られました。明日、謁見の儀と亡命の公表を行い、その後は例の荘園の方に移っていただきます」
「ご苦労。バカな貴族共が動き出す前に、さっさと帝城からは出てもらった方がいいだろう。あの荘園なら、少しは心休まるであろうさ」
もちろん、ルパートは、一般的な優しい感情からそんなことを言ったわけではない。
だが、それでも国を失ったばかりの人間をすぐに利用しようとするほど、鬼畜でもない。
弱っている時には回復に専念させて、元気になったら働かせればいい。
(弱ったままで酷使すれば、十分な成果を上げないうちに死んでしまうこともある。釣りと同じだな)
ずっと昔、まだ小さかった頃にやった、友釣りを思い出しながら、ルパートは考えていた。
「それと陛下、帝国全土の経済状況の報告がまとまっております」
「ふむ。順調に、景気は悪い状態を維持しているか?」
『順調に』という言葉の使い方に、はなはだしい疑問を抱きながらも、執政ハンスは頷いた。
「はい。あらゆる分野において、活動の停滞が丸一年以上、続いておりますが……」
「が?」
ハンスが最後に付け加えようとした言葉を、ルパートは促す。
「いえ、一部の財務官僚が、皇帝陛下に上申したいと言っておりまして……」
「ふむ。なんと言ったか……そう、ローレンツ。ローレンツ・クッシュであったか。あの辺りか?」
「まさに! よくお分かりになられましたな」
ルパートはニヤリと笑い、ハンスは非常に驚いた。
さもあろう。ルパートが答えたローレンツは、未だ二十代の、若い財務官僚であり、特に何か大きな功績を上げたわけではないからである。
もちろん、地道に仕事をこなし、公民共に様々な折衝を行って予算を編成し、帝城の外によく出て自分の目で実情を確認し、様々な提案を行っている、優秀な男である。
そのために、ハンスは目をつけ、次代を担う人材として鍛えている一人であった。
だが、ルパートは皇帝である。広大にして強大な帝国の至高の冠を戴く。
はっきりいって、些末なことに時間や意識を費やす余裕など、全くない立場なのだ。
そんな人物が、優秀な財務官僚とは言え、一介の青年の名前を知っており、しかもそれが提案者であろうという推測までしてみせたのである。
驚かない方がどうかしている。
「それで、上申の内容は何だ? 景気振興策あたりか?」
「はい。景気の悪化が長引いており、民が苦しんでいると……」
「ふむ。一度、きちんと説明した方が良いかもしれんな。明日にでも連れてくるがいい」
「ははっ。かしこまりました」
ほとんど殺人的なスケジュールをこなしていながら、さらに時間を作るから連れて来いという皇帝。
ハンスは恐縮しながらも、連れてくる約束をした。
「とりあえず、不景気なまま、状態は維持いたします」
「そう、それでいい。ただし、民には、最低限の衣食住の提供は続けよ。そう、『あれ』が言っておったな。『バブルの崩壊』とかいう言葉を」
ルパートは皮肉めいた口調で、言った。
「例の『石板』ですな。『石板』は歴代の皇帝陛下が使ってこられただけあって、様々な知識をもたらしはしますが……国の運営に関しては、使えませぬな」
「まあ、仕方なかろう。元は、一介の国民に過ぎぬのだからな。特に、国家レベルの経済や政策に関しては……先代陛下も、その辺りは全く使えぬと仰っていたからな」
そういうと、ルパートは大きく笑った。
「なんだったか……そう、『しょうひぜい』とかいう税を聞いた時には、本当に驚いたぞ。そんなものを国の徴税機構に組み込む愚かな国が、本当にあるのかとな」
「ですが、『あれ』が言うには、かなりの国が導入しているとか」
「我々の認識する経済とは違う、別の何かの事かと思ったが、そういうわけでもなかったしな。単純に、経済政策に携わる者たちが愚かなだけであったわ。あらゆる消費行動を、とればとるほど税金がかかる……国民すべての消費行動を抑制する税など……。もちろん、景気の変動によって税率の変更が行われるのならば、まだ分かるが、聞けばそういうわけではないと。常に一定であると。愚かだな」
ルパートは、はっきりと嘲笑した。
「ですが、なぜ、そんな愚かな政策を取り入れている国家が多いのでしょうか?」
「決まっている。予算を組む連中が楽をしたいからさ」
ハンスの問いに、ルパートは分かりきったことを聞くなという表情で答える。
「『しょうひぜい』の仕組みがあれば、あまり景気に左右されず、税収の予測が容易になる。それは予算も組みやすいということでもある。景気に左右される税ばかりであると、予算の編成が恐ろしく難しくなるからな。だが、難しいからこそ、難しいことを出来るからこそ、連中は敬意を払われるのだ。そこを放棄すれば、予算を編成する連中に対して、誰も敬意など払わなくなるのにな。先ほどの、ローレンツの爪の垢でも煎じて飲ませたいわ」
再び、ルパートの表情は、別の世界の何者かを嘲笑うかのようになった。
「とはいえ、その『しょうひぜい』とやらも、がっちり国の機構に組み込まれ数十年もたてば、なくすことはできますまい?」
「だろうな。国が行うべきは、好景気の創出であり維持であるのに、その根本を理解できていないわけだからな。消費行動を全て抑えれば、景気は悪くなる……そして、そのための税金が『しょうひぜい』だ。これをなくそうとすれば必ず言われるであろうな。『財源はどうするのか』と」
「財源はどうされるので?」
ハンスが面白そうに茶化す。
「そんなものはない」
ルパートは口角を上げて、そう言い切って言葉を続ける。
「景気刺激のために減税を行うよな? 減税した分の、代わりの財源はどうしているんだ?という話だ。他で増税して埋め合わせをするのか? それでは、結局、景気刺激になっていないであろうが。結局、代わりの財源などない。だから、国債を発行して賄うんだ。だから、さっさと好景気にして税収を増やさなきゃいかんのだ」
「あまり国債を大量に発行するのは、国の信用に……」
ハンスがそう言うと、ルパートは大きく笑った。
「国の信用は何に基づいているのか、という問題だ、それは。国の信用は、その国の持つ『力』に基づいて、周りが決めることだ。決して、その国の政府の借金額じゃないぞ」
「力、ですか……」
「そう、力だ。軍事力と経済力……まあ、それらを支える錬金を含めた科学技術力か。そんな『力』を失わないようにするために、国は政策を行う。場合によっては、自由な競争を阻害する場合もあるだろう。だがそれがどうした? 自由な競争をさせて国民を不幸にするよりはましであろう? そんなことになれば、本末転倒だ」
「帝国が行っている国内製造助成もそれですな。国外に製造工場が出て行かないようにする助成」
「ああ。帝国は大国だ。国民の給金も高い。人件費や材料費の安い他国に工場を置いて、そこで製造したものを帝国に輸入した方が、安い商品を供給できる……結果、儲かる。そう考える商会が出てくるのは当然だ。だが、それは、一朝事が起きると帝国内に商品は届かなくなる。国民が不幸になる。だからこそ、平時から助成をして、国内製造にすれば他国生産よりも儲かるという状態にしてやる必要がある、国が主導してな。それこそが、国の強靭さなのだ。軍事力、経済力、そして科学技術力すべてに関わってくるものだろう、国内製造というやつは」
「仰る通りです」
「ただ、これらは見方を変えれば、国が持つ余裕という言い方もできる。何か問題が起きた時でも対応できる力を、平時でも維持するというのはそういうことだ。そして、これはある種の『無駄』とも言える。平時に無駄に見える部分を維持するのは恐ろしく難しい。なぜなら、何も知らない民たちは必ずこう言うからだ。『無駄をなくせ!』と」
「ああ……言いますね。官僚たちですら、若い者たちはよく言います。それでいて何か起きてから慌てふためく……」
「そういうものなのだから仕方がない。経験もしていない、想像力も無いとなれば、仕方なかろう。その『無駄』こそが、緊急時に自分たちの命を繋いでくれるものだという事を経験すれば変わるのだが……難しいな。そうだな、無駄というからいかんのか? 言い方を変えるか? 冗長性があるとか、冗長性が……高いか? 大きいか? その辺は知らんが……無駄ではなく、冗長性と言えばいいか」
「残念ながらあまり変わらないかと……」
ルパートが冗談ぽく言い、ハンスも首を振りながら答える。
「まあ、国の信用に話を戻すと、強靭な国であれば、はっきり言って、どれほど国債を発行しようが国の信用が暴落したりはしない」
そこで、ルパートは一息ついた後で、続けた。
「それら全てを兼ね備えた国を維持するのは、簡単な事ではないのだ。国の運営に携わる連中が楽をし始めたら、その国の未来は傾き始める。行き着く先は、常に同じ場所だ」
「行き着く先?」
「戦争か内乱かだ。歴史上、それ以外の終着点はない」




