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水属性の魔法使い  作者: 久宝 忠
第一部 第十章 インベリー公国再び
194/930

0180 帰国

「閣下、いくつかご報告がございます」

ランバーの表情は暗い。

良くない報告が混じっているのだ。


「聞こう。インベリー公の死体でも見つかったか?」

「いえ……。昨夜、帝国の飛行戦艦が、このフィオンの街付近から王国、連合国境付近に向かって飛んだという報告が入ってきております」

「なんだと……」



これには、さすがのオーブリー卿も驚きを禁じ得なかった。

オーブリー卿も、帝国が、巨大な空に浮かぶ戦艦を保有していることは知っている。

古のドラゴンの、巨大な魔石を使っているため、帝国ですら一隻しか造船できていないという、嘘か真か定かではない情報もあるが、帝国においても非常に貴重な船として扱われているのは事実である。


その飛行戦艦がフィオンの街から飛んだとなれば、この状況で考えられる理由は一つしかない。



「インベリー公は帝国に亡命したということか……」



帝国への亡命そのものは検討したことがある。

だが、現実的に不可能だと判断していた。

理由は、帝国までの移動手段だ。

帝国への亡命があるとしても、一度王国に行ってからの再亡命であろう。それならあり得ると。


だが、展開した状況は彼の予想を超えていた。

帝国が、というより皇帝が、貴重な飛行戦艦を戦場に投入してくるとは。

しかも、自国の安全とは何の関係もない戦場にである。


「げに恐るべきは皇帝の智謀よ。政治で敵わぬのは受け入れていたが……まさか戦場ですら上回られてしまうとはな」

片方だけ口角を上げ、自嘲の言葉を呟く。

「これで帝国は、いつでも連合に介入してくる口実を手に入れたわけだ。インベリー公自身は扱いづらいだろうが、二人の娘なら……」


後半の言葉は、ランバーにも聞こえなかった。



「ああ、ランバー、報告はそれだけではないのだろう?」

「はい。もう一つは、王国の冒険者たちに関するものです。フィオン平野付近からすでに去っているとのことです。未だ、国境を越えたという報告は受けておりませんが……」

「そうか。こちらからの手出し無用というのは、徹底させているな? さっさと出て行ってくれるのが一番いい。下手に手を出して、我が軍の犠牲が増えては目も当てられんからな」


占領政策はこれからである。

治安の維持に、戦力を割かねばならないのだ。

一人でも、兵士が減るのは避けたい。



「まったく……。戦争など、本当に愚かな解決方法だ。戦争をやりたい奴なんていない、当たり前の話だな」

「え……」

『名将』と呼ばれるオーブリー卿の戦争否定発言に、さすがのランバーも驚いて絶句する。



「なんだ? 私が、好きで戦争をやっているとでも思っていたのか?」

オーブリー卿は顔をしかめながらランバーを見る。

「いえ、そこまでは……。ただ、閣下だけではなく、軍の人間は戦争で功績を上げて出世していくので……」


「まあ、それは事実だ。だが、少し考えてみればいい。手塩にかけて育てた部下たちを死地に送り出すのだぞ? 死んでしまえば、それまで費やした時間、労力、その他諸々は消えてなくなるのだ。かわいい部下たちが目の前で死んでいくのを、お前なら耐えられるか?」

オーブリー卿は冗談ではなく、真顔でランバーに問うた。

「確かに……辛いですな」


「戦争をしたがる奴ってのは、戦場に立ったことのない奴だ。官僚や政治家たちさ。まあ、ランバーは官僚で、私は政治家なんだがな」

そういうと、オーブリー卿は皮肉っぽく笑う。


「戦わないで勝つ。やはり、それが最高の勝利だ。我が連合は、十年前の損害のために、未だそれができない状態だからな。戦争という手段を使わずに、政治的な問題を解決できればいいのだが……なかなかに難しいな」



『大戦』の影響は、十年たった今でも、連合に重くのしかかっていた。




その翌日。

ハンダルー諸国連合は、インベリー公国の消滅と併合を中央諸国に向けて宣言した。


植民地ではなく、併合であり、元インベリー公国民にも、連合国民と完全に同じ権利が認められる。

また、元インベリー公国領においては、今後十年間は、これまでと全く同じ法律が適用され、納税額も公国であった時と全く同額であることも布告された。

つまり、公国に住む民にとってはこれまでと何も変わらず、税を納める相手が替わるだけ……。


さらに、公国内に領地を持つ貴族たちも、一カ月以内に帰順の意を示せば、これまでと同様の領地を認める。ただし、貴族たちの納税先が連合に替わる。

すでに連合が占領し、領主がとり潰された土地に関しては、連合の中心である十人会議の各国統治権により分割される。

ただし、公都は、連合政府直轄領となる。



それらの内容が、公国全土に伝えられた。

新たな支配者となった連合は、いたずらに民衆を虐げるつもりはないらしい。



これは、多くの民衆にとっては嬉しい知らせであった。

戦争前、あるいは戦争中に、他国に逃げ出した者たちは多い。

だが、本当に貧しい者や身体に問題のある者たちは、不安に思いながらも国を出ることは出来なかったのである。


難民になるのにも、ある程度の余裕が無ければなれない……。




一カ月を経る頃には、多くの民衆が、連合による支配を受け入れ始めた。




インベリー公国からの帰国途上の王国冒険者たちが、緊張から解放されたのは、国境を越えてからであった。

王国東部国境の街レッドポスト目前の地点。


「それにしても、全然活躍できませんでした」

ぼそりと、某水属性の魔法使いが呟いた。

「いや、探索とか、リョウの独壇場だったろ?」

アベルが、隣の涼に言う。


「いや、なんというか、ほら、やっぱり、ド派手な魔法でバッタバッタと敵をなぎ倒すような、そういうのをやりたいじゃないですか! せっかくの魔法使いなんだし」

「そ、そういうものか?」

魔法使いの願望は、しょせん剣士には通じないらしい。


だが、涼の言葉に反応した人物がいた。

「そうよね! わかる。わかるわ~!」

そう言いながら何度も頷いたのは、風属性の魔法使いリン。

それと、隣を歩いていた盾使いのウォーレンであった。


「魔法で一掃する! とか、薙ぎ払え! とかやりたいよね!」

頷きながら言うリン。

横で、無言ながら何度も頷くウォーレン。

「同志よ!」

涼は言いながら、二人と固い握手を交わした。


「あ、うん、そういうものなのかな……」

アベルは涼だけでなく、自分のパーティーの約半数までが同意している光景から、目を逸らしながら言うのであった。



アベルの『探索』で思い出したのだが、涼には疑問が残っていた。

確かに、涼は<パッシブソナー>を駆使して、インベリー公らが潜んでいた場所に辿り着いた。

だがそれも、街の周辺に自分たちも潜伏していたからこそなのである。


しかし、帝国の皇女様と、あの火属性の魔法使いたちは、なぜかあの場に現れた。

帝国からやって来て、なぜピンポイントにあの場所に現れることが出来たのか。

それは、涼が抱いた解けていない謎であった。




レッドポストの街は、相変わらず人で溢れていた。


今夜は、来た時同様、街の外で野営をして、明日、遠征軍はここで解散である。

報酬その他は、各自所属の街に戻ってからということに。

基本的には、この後も東西南北の各部と、中央部のそれぞれに別れて帰ることになるのだが、途中で様々な街に寄るパーティーもあるため、名目上ここで解散なのだ。



旧インベリー公国を移動中は、さすがに気の休まる時の無かった遠征軍一行。

王国に戻って、ようやく一息つくことができた。


移民が街からも溢れ出ている状況のため、トラブルを避けるために深酒は禁止だが、適度な飲酒は許可されている。

インベリー公国に進軍して以降、一度も許可されていなかった飲酒がようやく許可されたということで、遠征軍一行は賑やかな夜を過ごしていた。



涼は、お酒は好きだが量は飲めないというタイプである。

そもそも、地球にいた頃は未成年であったために飲んだことはなかったし。

そのため、涼にとってのお酒とは、『ファイ』のものである。


エールが主流だが、最近はビールも流通量が増えている。




酔っ払った涼は、酔いを醒ますために、一行の酒宴から少し離れた場所で、自家製水を飲んでいた。

酔ったうえに、人も多いため、<パッシブソナー>は完全にオフ。

それでも、誰かが近寄ってくる気配だけは感じていた。


そして……。


「お久しぶりです、リョウさん」

懐かしい声を伴って現れたのは、旧インベリー公国の商人ゲッコーであった。


そもそも、荷物運びとして雇われ、往きのここレッドポストで、運ぶべき荷物を食べ尽くした涼が、そのまま遠征軍についていったのはゲッコーの安否が気になったからである。

その本人が、こうして目の前に現れたのであるから、喜んだのは言うまでもない。


「ゲッコーさん。ご無事でしたか」

その声に込められた喜びと安堵の感情は、ゲッコーにとって嬉しいものだった。

「心配していただいたみたいで……大丈夫です。この通り、ぴんぴんしていますよ」

そういうと、なぜか右腕を直角に曲げ、力こぶを作って見せる。


この表現は、『ファイ』においても一般的なのだろうか。

涼は心の中で首をかしげたが、表情には出さなかった。


「そうだ。往きで、子供たちとシャーフィーに会いました。ルンとアクレに移動すると」

「はい。シャーフィーからは、随時連絡を受けとっています。こちら側に来た者たちは、今後、ゲッコー・ナイトレイ商会としてやっていくつもりです」

「おぉ!」



国が滅んでも商売は続けて行かなければならない。


それは、そこで働く従業員とその家族に責任があるためであり、その商品とサービスを待っていてくれるお客様に責任があるために。



だが、涼は、先ほどの説明の中で、気になる言葉があることに気付いた。

「『こちら側に来た者たち』と仰いましたか?」

「ああ、はい。元々、私の兄がハンダルー諸国連合内で商会を営んでおります。それとは別に、実は、今回の件でインベリーの商会をのれん分けしまして。ジュー王国方面で弟が商会を立ち上げます。あと、ジュー王国の北にあります、キュー首長国で末弟が商会を立ち上げます」


(まるでロスチャイルド家……)



十九世紀初頭、ドイツの銀行家マイアー・アムシェル・ロートシルトには、五人の息子がいた。その五人は、長じてそれぞれ、フランクフルト、ウィーン、ロンドン、ナポリ、パリとヨーロッパの五つの都市に別れて事業を行い、ときに国を越えて協力し、それぞれ大成功を収める。

十九世紀から二十世紀にかけて、世界を陰から支配したとさえ言われるロスチャイルド家は、この五人の時代に発展したのだ。


ちなみに、『ロートシルト』はロスチャイルドのドイツ語読み。

赤ワインのボルドー第一級格付け、五大シャトーの中に、『シャトー・ラフィット・ロートシルト』『シャトー・ムートン・ロートシルト』と二つも入っている、この『ロートシルト』が、それである。


(そう、ムートンは、父さんが大好きなワインだった。お酒なんて一滴も飲めないくせに……。『Premier je suis, Second je fus, Mouton ne change.』 父さんが、唯一知っていたフランス語)


「我一級なり、かつて二級なり、されどムートンは不変なり」

「リョウさん?」

涼の呟きは、小さすぎてゲッコーの耳にも届かなかった。


「あ、すいません。ちょっと思い出したことがあっただけです。でも、本当に無事でよかったです」

以前にも思ったのだが、涼は、ゲッコーを見ると父親を思い出す。

年恰好は全く違うのだが、何か……雰囲気の様なものだろうか。

ムートンのフランス語を思い出したのも、それが理由だったのかもしれない。



そこで、涼はゲッコーの後ろにいる二人が目に入った。


一人はゲッコーの護衛隊長マックス。これはわかる。

だが、もう一人は、

「コーンさん?」

そう、もう一人は、ジュー王国の王子ウィリー殿下を一緒に護衛したインベリー公国C級冒険者のコーンであった。



「やあ、リョウ、久しぶりだな」

「どうして、コーンさんとゲッコーさんが?」

確かに二人とも、旧インベリー公国の人間ではあるが……特に知り合いではなかったはず。

公国の公城ですれ違った時も、挨拶などしていなかったし……。


「ああ、いろいろあってな。拾ってもらった」

コーンは頭をポリポリ掻きながら答えた。


「コーンさんもナイトレイ王国に移住するそうなので、それまで護衛をお願いしました。王国東部の治安は、良くないですからね」

ゲッコーはそう説明した。



表向きの説明はそういうことなのだろうが、それ以外にもいろいろとありそうである。

だが、そういうことを聞くのは野暮というものだ。

聞かない方がいい事は、世の中にはたくさんある。涼も、社会経験で色々と学んできた。


「今後は、南部を中心に活動されるのですか?」

子供たちが向かったルン、アクレ共に、王国南部の街である。

涼がそう尋ねたのは当然であったろう。東部は治安が悪いと言ったばかりなのだから。


「そうですね、そのつもりです。もちろん、領主様の許可を取り付けなければならないのですが……ルン辺境伯閣下も、アクレを領するハインライン侯爵閣下も、どちらも英邁なご領主様ですから……他よりは、はるかにいいかと」

にっこり微笑みながらゲッコーは答えた。



涼は、ルンの街に住みながらもルン辺境伯がどんな人物かなど、全く知らない。

領主館に住むセーラとの会話の中に時々出てくるが、言葉の端々からもセーラが領主を尊敬していることはわかる。


次期領主様には、肩を砕き、剣を突き立てたそうだが……。



「王国全体では、なかなかに難しい部分が多いようですが、こと南部に関しては安定しておりますからな。拠点を置くには最もいいでしょう」


その言葉をきっかけに、涼の頭にふと、帝国の皇女様と火魔法使いの姿が浮かんだ。

彼らが、なぜあのタイミングで、あの場に現れることが出来たのか。

その答えが、突然、閃いたのだ。閃くに足る情報が揃ったのである。



「あれは、ゲッコーさんが手配……」



思わず言葉にしてしまって後悔した。

考えたとしても、言葉にしていい内容ではなかったからである。

そして、ゲッコーも無言のまま、人差し指を口の前で一本立てた。


口に出してはいけません。


そして少しだけ微笑んだ。



そう、インベリー公が隠れ潜んだ洞窟。あれは、簡単に準備できるものではない。

だが、ゲッコーほどの力を持つ商人であれば……。というか、彼ほどの力が無ければ準備できないであろう。


ゲッコーは、インベリー公があそこに潜むことを知っていた。

つまり、帝国にリークできる立場にあった。

そして、インベリー公を王国には亡命させたくなかった。


なぜなら、王国は治安が良くない……それは統治能力の低下を物語っている。

統治能力が低下するということは、政治の安定度も低くなり……そんなところにインベリー公とその家族が行けばどうなるか。


少なくとも、幸福な未来は望めない。


ならば帝国ならどうか。

もちろん、政治的に利用されるであろう。

将来、彼らを御旗に押し立てて、連合に攻め込む口実とされるかもしれない。


だが、少なくとも命を取られることはない。

皇帝は、そんなに愚かではないからだ。



もちろん、ベストの選択ではない。だが、国が滅んだ時点で、ベストの選択など存在しない。

ならば、よりベターな方はどちらか。そういう選択になるのだ。



そして、ゲッコーは帝国を提案した。



そう、提案しただけなのだ。

結局、帝国に行くことを選んだのはインベリー公自身であったのだから。

彼は、自分と家族のために、王国と帝国を天秤に掛けて、帝国を選んだ。


その選択が出来たのも、ゲッコーが手配して、帝国が亡命受け入れ先として動いたからである。

ゲッコーが手配しなければ、そもそも、王国に行く以外の選択肢は無かったのだ。




国が亡ぶという事は、多くの人が不幸になるということでもある。


だが、亡んでもなお、国とそれを象徴する人の為に動いた人たちがここにいた。

涼の頭は自然と下がった。

「いや、リョウさん。あなたが頭を下げるようなことではありませんよ」


若干焦った声音で、ゲッコーが声をかける。そして続けた。


「完全独立を達成して十年。連合に狙われていることは分かっていましたからね。出来る限り、国の体制を整えたのですが……間に合いませんでした。もちろん、私どもは商人でしかありませんから、国の中心で、本当に滅私奉公で仕えた方々とは比べ物にならないでしょうけどね」

ゲッコーは、少し悲しげな表情で、過去の思い出を振り返るような感じで言った。


「国に残った人たちも、これから辛いでしょうね」

涼は知った風な口をきく。


だが、ゲッコーはゆっくりと、小さく首を振りながら言った。

「連合のオーブリー卿は有能な御仁です。癖が少し強くて、目的達成のためには手段を選びませんが、市井の民を弾圧するような方ではないので……」

ゲッコーは、あえてそこで言葉を切った。


インベリー公国民であった時よりも、いい暮らしが出来るかもしれない……それは口に出したくはない言葉だったのだろう。




ゲッコー商隊は、いくつか王国の街を回りながら、最終的にルン、アクレの街を目指すという。

ルンでの再会を約束して、涼はゲッコーらと別れた。


酔いも醒め、再び酒宴に戻ろうとした涼は、ハッとして振り返った。

その日の訪問者は、ゲッコーだけではなかった。



「リョウ、ちょっと話があるのだ」



月明かりの下に立つのは、黒い角と黒い尻尾を持つ美女。

涼が、決して忘れることのできない相手。

悪魔レオノールであった。


書く前は、涼たちの活躍で公都を奪還し、連合を追い出して、公国は独立を保つ……そういう予定でした。

でも、書き始めると、そうではなくなりました。


書いた内容の方が、将来に色々と繋がっていきそうです……。

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