0177 二転三転
「このタイミングで登場か」
思わずそう呟いたヒュー・マクグラスは、笑いを抑えることが出来なかった。
「ククク……」
悪い人が、声を押し殺して笑うような……そんな笑いが抑えきれない。
「悪いなオーブリー、俺の勝ちだ」
ヒューは自信満々に、そう言い放つ。
オーブリー卿はそれを訝しげに見て、横の魔法使いらしき男を見る。
「その魔法使い一人が加わっただけで、この状況を覆せると?」
「ああ。今、降伏すれば、無傷で本国まで送り届けることを約束するぞ。どうだ?」
「ふざけるな!」
ヒューの提案に、思わず叫んだのは近衛の一人であった。
オーブリー卿は、訝しげな視線のまま無言。
ヒューの言葉がはったりかどうかを考えていたのだ。
「そういえばリョウ、ゴーレムがどうとか言ったか?」
「ええ。でも、目の前の人物がオーブリー卿とか言う人なら、倒してしまえば終わります?」
涼はそう言うと、腰から村雨を引き抜いて、刃を生じさせた。
それを少し驚きながら横目に見るヒュー。
「それがリョウの得物か。氷の剣とは、また変わった物を……」
「水属性の魔法使い専用です。剣の師匠からいただきました」
涼も、油断なく村雨を構えながら答える。
「魔法使いでありながら、近接戦もこなすか。なるほど、ヒューの自信は嘘ではないのかもな」
オーブリー卿は小さな声で呟いた。
村雨を構えた涼の姿から、剣の実力をうかがい知ったからである。
そんなオーブリー卿の呟きは当然聞こえずに、ヒューは言った。
「ゴーレムは、倒しても持って帰れないからな」
ヒューの突然の宣言に、目を大きく見開き絶望的な表情になる涼。
「な、なぜ……」
「お前、絶対持って帰ろうと思ってただろ。だが、ここで倒した物、手に入れた物は、基本的に公国の物になる。『傭兵依頼』というのはそういう規定になっているんだ。だから諦めろ」
ヒューは厳然と言い放った。
「す、すごく興味があったのに……。とても面白い機構が付いていてですね、手からプラズマ……え~っと、小さな雷が出るんですよ。あれは、いろいろ応用の利く機構です」
涼は言を駆使してヒューを説得するが、その効果は芳しくない。
代わりに、涼の言葉に反応したのは、ヒューではなくオーブリー卿であった。
「雷……」
オーブリー卿は思い出していたのだ。
公都アバディーンの尖塔で、ゴーレムの製造者ドクター・フランクが説明した話を。
公国のヴェイドラもどきを防いだ機構の話で、「雷を発生させて」と説明したのだ。
実物を見ていたオーブリー卿にも、雷であることは想像もつかなかったのだが、目の前にいる王国の魔法使いはその機構に気付き、何やら理解しているようである。
「ヒュー、そこの魔法使いは、面白い知識を持っているな」
突然話題の中心にされて驚く涼。
目に見えては反応しないヒュー。
軽口を交わしながら、ヒューもオーブリー卿も隙を窺っているからだ。
「僕、何か面白いこと言いましたっけ?」
涼はそれなりの小声で、隣のヒューに確認する。
「俺には全くわからんが、名将な独裁官様には面白かったらしいぞ」
ヒューはそれなりに大きめな声で答える。
「ああ、極めて面白いな。どうだ、そこの魔法使い。こちらに下るなら、あのゴーレムを一体、貴様にやろう」
「え……」
冗談とも本気ともわからない表情で、オーブリー卿は涼に提案した。
その提案に心揺れる涼。
「こら、リョウ。そんなことで惑うんじゃねえ」
「いや、しかし、あれは興味深いですよ。何より、あれほどのプラズ……雷、生成するエネルギー源が何なのか、非常に興味があります。その辺にある魔石じゃ、とてもじゃないですが、無理ですし……」
涼は首をひねりながらも、一応油断することなく構えている。
目の前のオーブリー卿と六人の近衛は、全く油断していないし、隙も無い。
全員剣士に見えるために、魔法で一気にとも考えたのだが、さっきから何か嫌な感覚があるのだ。
だが、そんな涼の逡巡を無視するかのように、オーブリー卿の後ろの陣幕が倒れた。
そして、現れたのは、
「ここで、援軍かよ」
ヒューが呟く。
(やむを得ない)
涼は心を決めた。
「<アイスウォール>」
援軍を合流させないように、先ほどまで陣幕があった場所に氷の壁を生成する。
いや、生成しようとしたのだが……失敗した。
「な……」
「魔法無効化……だと?」
涼は絶句し、ヒューは思わず呟いた。
(いや違う。魔法無効化ではなくて……いわばジャミング。そう、どちらかと言うと、暗殺教団の『ハサン』が使ったような、こちらの魔法の生成に別の魔法を混ぜ込んで、生成を失敗させるあの魔法。だけど、これは魔法使いがやったんじゃなくて……)
「魔法無効化ではなく、魔法を妨害する錬金術」
涼は決して大きな声ではなかったが、力強く断言した。
「正解だ。やはり面白いな、魔法使い。うちの天才錬金術師が作ってくれたやつでな。この一帯では、魔法は使えんぞ」
「チッ」
オーブリー卿の説明に、思わず舌打ちをするヒュー。
だが、そんなヒューと涼の後ろからも、声が聞こえてきた。
「やっとかよ……。ギルマス、遅くなっ……リョウもいたか」
アベルの声である。
別の近衛と戦っていた赤き剣が、ようやく合流したのだ。
だがそれは、ヒューに、ある決断を促す結果となった。
(アベルが合流した以上、撤退するしかない)
はっきり言って、アベル以外ならば、強引に目の前のオーブリー卿に打ちかかる手段もあり得た。
近接戦も、『風のセーラ』と打ち合うほどに強いらしい涼がいれば、なんとかなったかもしれないからだ。
だが、倒したとしても無傷とはいくまい。確実に、こちら側に死人が出る。
この戦争で、絶対に死なせてはいけないのは、ただ一人。
国王の次男、アベルである。
そして、絶対に死なせてはいけないその男が合流してしまった。
である以上、撤退するしかない。
「よし、合流したな、退くぞ」
あえて、ヒューは大きな声で言った。
「え……」
涼とアベルは異口同音に絶句。変な言葉だが、そうとしか表現できない。
二人はヒューを見て、その目は「どうして」と語っている。
「そういうわけで我々は撤退する。オーブリー卿、願わくは追撃を控えて欲しいな」
「私がその提案に乗るとでも?」
「ああ、乗るね。追い詰められた猫は獅子にも爪を立てる。お前さんの狙いは俺らじゃなくて、インベリー公だろう?」
ヒューとオーブリー卿の視線が交わったのは、ほんの二、三秒である。
だが、その裏では、お互いに数多くの思考がなされている。
「まあ、いいだろう」
オーブリー卿は言い、頷いた。
ヒュー・マクグラスが去った向こうから、鋭い指笛の音が聴こえる。
冒険者を集めて撤退するためであろう。
「ふぅ……。さすがに肝を冷やしたな」
小さな、本当に小さな声で、オーブリー卿は呟いた。
そして、いつも傍らにいるランバーがいなかったことを、喜んでいた。
別の任務で、離れていたのである。
「ランバーは、剣や魔法はからっきしダメだからな」
苦笑しながら言うオーブリー卿だった。
そこに、報告兵が慌ててやってくる。
「閣下、公国があの兵器を放ち始めました」
「なんだと……」
戦場では、いつも想定外の事が起こる。あるいは、想定内の最悪の事象が起こる。
オーブリー卿も、これまで嫌と言うほど経験してきた。
そして、今回も『想定内の最悪の事』が起きた。
味方の撤退に混じって、連合兵士たちが近付いてきていることに最初に気付いたのは、守備隊長メレディスである。
この場の最上位者たるインベリー公ロリスに報告し、敵の狙いが、並行追撃による街への突入であることが明らかとなった。
それから五分間、指令所は全く動かなかった。
ロリスが指示を出せなかったからだ。
このままでは、敵が街に突入してくる。
グリーンストームが撃てないだけではなく、味方の収容のために城門は開いてさえいるのだ。
このままではまずい。
それは誰もが分かっている。ロリスも分かっている。
だが、どうすればいい?
外には味方がいるのだ。
しかも、ただの味方ではない。
騎士団長スタンリーを含めた、はっきり言って、公国軍最後の精鋭部隊だ。
簡単に切り捨てられるものではない。
城門を閉じ、グリーンストームを放って味方ごと一掃したとして……その後に、公国の逆転の目は無い。
そもそも、そんな決断を下す国主に、誰がついてくるだろうか。
ロリスは、腹をくくろうとしていた。
このまま敵ごと街に受け入れて、市街地で最後の防衛戦を行おう。
その命令を下そうとしていた。
その命令を下そうとして、ふと振り返ったロリスの視線の先に、家族が目に入ってしまった。
妻と二人の娘……未だ成人どころか、上の娘ですら十歳にもなっていない、そんな娘たちが。
彼女たちは、一心不乱に神に祈っていた。
街に敵を受け入れれば、彼女たちはどうなる……。
ロリスの決断は、最後の最後で変わってしまった。
城門が閉められ、グリーンストームが拡散で放たれる。
敵を一掃し……そして、味方も一掃した。