176-2
「本陣だな」
ヒュー・マクグラスは小さく呟いた。
すでに、周りには誰もいない。
つい数秒前に、最後までついてきた『赤き剣』の四人が、連合軍近衛兵たちと戦闘に入ったのである。
恐らく、オーブリー卿の直掩隊であろう。
アベルたち赤き剣は、近衛を引き離すためにヒューから離れた。
抜き身の剣を片手に、陣幕をくぐると、奥に一人の男性が座っていた。
「ようやくのご対面だな、オーブリー」
座っていたのは、連合軍指揮官にして、独裁官、オーブリー卿。
「想像していたよりも、かなり早かったな、ヒュー・マクグラス。さすがだ」
「『名将』に褒めてもらえるとは、光栄なことだ」
軽口の応酬をしながら、ヒューは油断なくオーブリー卿に近付いて行く。
「正直、今さら私を倒しても、趨勢はもはや変わらぬぞ。まあ、それも分かってはいるのだろうが」
「ああ、分かっている。とはいえ、これ以外に逆転の目は全くないんだよ。見事にどれも、ゼロパーセントだ。だが、ここでお前さんを倒せば、万に一つもひっくり返る可能性がある。それなら、やるしかないだろう?」
「嘘だな」
ヒューの説明を、片方の口角を上げて笑いながら言下に否定する。
「連合が、このまま公国を完全に併呑すれば、ナイトレイ王国は巨大になった連合と、かなり長い国境線を接することになる。帝国と相対するだけでもかなりの負担なのに、その上、大戦で叩き潰して無力化した連合まで復活してもらったら困るからだろう? これだけ王国内がごたついている時には、余計にな」
「えらく自信たっぷりに言うな。何か根拠でもあるのか?」
オーブリー卿の長い説明の中身を、肯定も否定もせず、ヒューは問いかけることにした。
情報収集をすべきだと判断したからである。
「ふふふ、その判断の速さはさすがだ。そう、情報を集めるのは大切な事だ。まったく……辺境のギルドマスターなどではなく、我が国の大臣にでもならないか? 厚遇するぞ」
「お断りだ。俺が欲しがっている情報も分かっているのだろう? 死ぬ前に告げていっても、ばちは当たるまい?」
「死ぬつもりはないんだがな。かのマスター・マクグラスの欲しい情報が何かは分からないが……そうだな、欲しがりそうな情報としては……王国内の混乱の半分は、私が引き起こしたものだな。王都騒乱などだよ」
オーブリー卿はあっさりと認めた。
それを聞いても、ヒューは無言である。
その目は、他にもあるだろうと語っているのだ。
「ロー大橋の崩落など、あの東部の混乱は私ではないな。ウィットナッシュは私だが」
そう言うと、口角を上げる角度が大きくなる。
「後で知ったのだが、私と、『あちら』が使った組織は、同じものだったらしいぞ。使い勝手のいい組織だ、金さえ払えば何でもやる」
「俺もギルドマスターだ、どんな組織を使ったのか想像はつく。そいつらには、後日、お仕置きをしてやる」
いわゆる『暗殺教団』を使ったのであろうというのは、ヒュー独自の情報網にも引っかかって来たことであった。そして『あちら』というのは、ほぼ間違いなく帝国のことだ。
だが……。
「その言い方だと知らないようだな。その組織は、本拠地を壊滅させられたらしい。うちの手の者がようやくたどり着くと、死体は無かったそうだが、村全体が凍っていたらしい。王国の手の者かと思ったが、違う様だな」
いいえ、王国の手の者です。
涼がいれば、そう思ったであろう。何を隠そう、壊滅させたのは涼なのだから。
「村全体が凍って……」
ヒューには、思い当たる節があった。
思い当たる節がありすぎた。
思い当たる……うちの冒険者の一人にまず間違いないだろうと思った。
だが、あえて気付かなかったことにする。
「そ、そうか。それは大変だな……」
「ん? ヒュー、何か知っているだろう、その表情は」
「いや、何も知らないな。気のせいだろう」
全く誤魔化せていないのだが、オーブリー卿はそれ以上の追及はしなかった。
「さて、私が与えられる情報は以上だ」
そういうと、オーブリー卿は椅子から立ち上がり、同時に剣を抜いた。
ただ、それだけの動作なのだが、全く隙はない。
ヒューは、隙あらばと窺っていたのだが、そんなヒューの目にも、飛び込む隙は見つけられなかった。
この辺りはさすが、若い頃から戦場を渡り歩いてきたオーブリー卿……ヒューは素直に感心していた。
だが、感心ばかりもしていられない。
戦況がどうなっているのか、非常に気になるからである。
さすがに、フィオンの街が落とされるまでには、何とかしなければならない。
だが、剣の達人同士が対峙した場合、基本的にどちらもなかなか動き出すことが出来ない。
これは、洋の東西を問わない。
打ち込む、ということは、自分に隙が出来るということと同義である。
自分から打ち込む、ということは、自分から隙を作るということと同義である。
打ち込むなら、その一撃で完璧に相手を倒さねばならない。
流れの中でなら、そういうこともありうるが、対峙した状態からでは……まず望むべくもない。
これが、達人未満であれば、ちょっと剣先を動かしたり、すり足で距離を変えてみたり、ちょっと肩でフェイント入れてみたりなど、そういう小手先の技で均衡が崩れることもあるが……ヒューやオーブリー卿のレベルになれば、そんなことは、まずありえない。
均衡が崩れるきっかけは、二人のすぐそばに、何かが落ちたことであった。
何が落ちたかを確認する余裕はない。
二人は同時に動き、激しい剣戟が始まった。
ちょうど十合目、鍔迫り合いとなった時、ようやく二人は、落ちてきたものが、氷漬けになった人間であることを認識した。
ヒューにとっては見慣れた……とまでは言わないが、まあ、誰がやったのかは想像がつく代物である。
だが、オーブリー卿にとってはそうではなかった。
そもそも、人を氷漬けにすることは出来ない、という水属性魔法に関する基本的な知識をオーブリー卿は持っている。
戦場指揮官である以上、当然の知識だ。
だが、すぐそばに降ってきた物は、その常識を超越している。
ほんのわずかな動揺。
しかし、この場において、それは決定的な差となった。
もちろん、見逃さなかったヒューだからこそ、決定的な差となったのである。
ヒューは、鍔迫り合いから、重心の移動で左にかわし、そのまま左手を剣から離して、オーブリー卿の右わき腹にパンチを打ち込んだ。
「闘技 貫通」
日本の剣道や剣術ではありえないが、そこは剣そのものの違い、さらに『鍔迫り合い』そのものの違いもある。
指揮官であるオーブリー卿がつけていた鎧は特注の革鎧であり、たかが剣士のパンチ程度でどうなるものでもない……本来であれば。
だが、ヒューが発動したのは『闘技』である。
威力は、ただのパンチの数倍から十数倍。
さすがのオーブリー卿も吹き飛ばされた。
地面に叩きつけられる瞬間に受け身を取り、すぐに反撃できる片膝の姿勢をとったのはさすがと言えるであろう。
姿勢をとれたのはさすがであるが、吐き出した唾には、血が混じっている。内臓を傷つけたようだ。
(くそっ、やはりマスター・マクグラス、剣の腕は化物か……というか、剣じゃなくて拳とは……いつもいつも面白い事をする!)
オーブリー卿は、心のなかでは不敵に笑っていた。
圧倒的に不利な状況ではあるが、不敵に笑えるだけの状況がすぐに訪れることが分かっているからだ。
それは……、
「閣下!」
オーブリー卿の後ろから、陣幕を切り裂いて入ってきたのは、オーブリーの近衛たちであった。
その数六人。
形勢は逆転した。
数秒前までは、ヒューがどうやってオーブリー卿にとどめを刺すか、それほどの状況であったのに、今では手を出すのが非常に難しい状況になっていた。
これが有象無象の輩であれば、六人が十人だろうと、ヒューの不利とは言えなかったであろう。
だが、相手はオーブリー卿の近衛。
(鍛えられてるんだろうなぁ……)
ヒューは、心の中で小さくため息をついた。
倒せないとは思わない。
だが、相当に時間がかかり、何よりも無傷とはいかないであろう。
(腕の一本も犠牲にせねばならんか……)
もちろん、味方にはリーヒャの様な高位神官もいるため、部位欠損も修復してもらえるであろう。
だが、それでも……、
(痛いんだよな、斬られるの)
「さて、ヒュー、すまんが私の勝ちのようだ」
「名将が、勝ち確定してもいないのにそんなことをいうのは、どうなんだろうな」
ヒューはそう言いながらも、嫌な予感がしていた。
そう、オーブリー卿は『名将』と言われる男である。
今回の奇襲は、彼の全ての想像を上回ったから成功したが、こんなのは十年に一度、成功するかどうかだ。
今回の戦争においては、もう二度とそんな機会はくるまい。
そんなオーブリー卿が、簡単に「勝ち」などと口にするはずがないのだ。
ヒューが見落としている何かがある?
ヒューは、油断しないように周囲の気配も拾いに行く。
だが、それが誘いであった。
ヒューが気付いた時には、オーブリー卿の右手には蓋の開いたビンが握られ……すぐに呷った。
「まさか……」
絶句とはこの事。
飲み干してから、オーブリー卿は口角を上げて笑った。
「そう、ポーションだな。怪我を回復させてもらったよ」
ヒューが、自分の全ての策が失敗したことを悟ったのは、この瞬間であった。
近衛六人……大変ではあるが、犠牲を払えば、勝つことは不可能ではない。
だがこれに、回復したオーブリー卿が加われば、まず勝てない。
万に一つの勝ち目も無い。
オーブリー卿が「勝ち」と言ったのは、ヒューの意識を自分から少しでも逸らすため。
逸らす間にポーションで怪我を回復すれば、本当に勝ち確定の状況を作り上げられるのだ。
「さて、ヒュー・マクグラス。降伏を勧めるがどうかな?」
「断る」
ヒューは、反射的に断った。
この状況を打破する方法は、全く頭に浮かばない。
だが、降伏は出来ない。
『英雄マクグラスの降伏』は、与えるインパクトが大きすぎる。
「だが、どうする? 私には彼ら、優秀な部下六人がいる。ヒュー、君には誰がいる?」
確かに誰もいない。
それは、絶望的な状況であった。
だが、状況は三度動く。
「ヒューさん、ここにいたんですね。敵はゴーレムを作っていて……」
ヒューの後ろから、陣幕をくぐって入ってきたのは、ローブを身に纏った水属性の魔法使いであった。