0174 南部軍の不幸
王国冒険者遠征軍は、公国西部の森の中を進んでいた。
公国西部は、未だ完全には、連合の支配下に入っていないとはいえ、主要街道は連合軍に抑えられている。
そのため、地元民しか知らない様な狭い道、獣道、あるいはそのまま草をかき分け森の中を走っている。
総指揮はグランドマスター、フィンレー・フォーサイスが執ってはいるが、基本的に東西南北、それと王都のある中央という、五つの部に分かれての進軍である。
東部が先頭、その後を中央部、北部と西部が続き、南部が最後尾。
「南部って、グランドマスターに嫌われているんですか?」
「リョウ、それは言っちゃならないセリフだ」
涼がふとした疑問を口にし、隣を走っているアベルがたしなめる。
二人の直後を走っているヒュー・マクグラスは、深くため息をついて言った。
「どうせ俺のせいだよ。フォーサイス殿には嫌われているからな」
南部が最後尾にまわされた理由は、南部軍の指揮を執るヒューのせいらしい。
南部軍の先頭を走るのは、涼とアベル。その直後をヒュー・マクグラスと、道案内の公国情報部クロエがついてくる。
本来は、この位置には『赤き剣』の残りの三人がいたはずなのだが、あまりのペースに、段々と後ろに下がっていった……。
涼以外、全員C級以上の冒険者たちとはいえ、森の中を走るのは想像以上に体力を消耗する。
そして今も……、
「最後尾が遅れ始めています。歩きますか?」
涼がヒューに問う。
「ああ、そうしよう」
そう言うと、ヒューは、鋭く指笛を吹いた。
それに合わせて、南部軍全体が走るのを止め、歩き出す。
それでも止まって休憩をとらないのは、少しでも早く先に進むためである。
先頭集団四人のうち、三人は息も切らしていない。
だが、南部軍の案内役として情報部から派遣されているクロエは、大きく息をしていた。
「クロエ、水です。飲んでください」
涼は、氷のコップとその中に水を生成し、クロエに渡す。
「すいません」
相当な疲労であろうが、感謝の言葉ははっきりとしていた。
コップの水を、一息で飲み干す。
そして独り言のように言葉を吐いた。
「さすが……大戦の英雄とB級冒険者の方々ですね……。私は体力と森の中での移動には自信があって、この役目に志願したのですが……ついていくのがやっとです」
「大丈夫、ちゃんと出来てますよ。後ろ、他の人たちもやっとですから。この二人が異常なだけです」
そう言って、涼はクロエを慰めた。
クロエは、栗色の髪をショートヘアーにし、同じ色の目がクルクルとよく動く可愛らしい女性である。
年齢は二十歳ちょっとであろうか。よく手入れされたダガーを二本、腰に差している。
身長は涼より少し小さいくらいで、女性にしては平均以上であろう。
情報部所属ということで、近接戦もそれなりに出来るらしい。
遠征軍の他の部にも、情報部の案内要員がついているが、他は全員男性で、女性はクロエだけであった。
「むさい男性は嫌だ。どうせ能力があるのなら、南部軍に少ない女性の方がいい。そういう理由で、クロエを南部の案内に、ヒューさんは強引に引っ張ったらしいです」
「おい、適当なことを言うな」
涼がセクハラ的な、適当なことを言っていると、ヒューが訂正した。
その会話を聞き、クロエは少しだけ笑った。
「疲労回復にも、笑うのは効果があります。ヒューさん、計算通りですね!」
「そんな話初めて聞いたよ! 全く計算してないわ」
ヒューがそう言うと、クロエはさっき以上に笑った。
それを見て、何度も頷く涼。
その会話を横から見ていたアベルが呟く。
「リョウって、そういうところ気が利くよな」
アベルは素直に感心していた。
「で、ヒューさんは、どうしてグランドマスターに嫌われているのですか?」
歩くことになったのを幸いに、涼はヒューに尋ねた。
「それを聞くのかよ。まあ、簡単に言えば、俺が、フォーサイス殿の娘さんとの結婚の話を断ってしまったからだ」
ヒューが言うと、涼は大きく目を見開いてヒューを見つめた。
前を歩きながら、顔だけヒューに向けている姿は、なかなかにシュールである。
ヒューの隣を歩いていたクロエも、少し驚いてヒューを見た。
アベルだけが、小さくため息をついて、そのまま歩いている。どうも、知っていたらしい。
「それは……グランドマスターの娘さんが……その……容姿的に気に入らなかったとか……」
言葉には気を付けなければ……。
『ファイ』にはセクハラ的な概念は存在しない。
だが、それは、男女平等が遅れているからではなく、逆で、地球に比べて女性の力が、かなり強いからである。
筋力においては、女性よりも男性の方が強い場合が多いのは確かであるが、『ファイ』には『魔法』がある。
魔法との親和性は、男性よりも女性の方が若干高いという研究成果もあるらしく、魔法使い系は女性の方が多い。
冒険者を含め、騎士団や魔法団など、死と隣り合わせの職業では、実力主義であるのが当然であるため、『男だから』とか『女だから』などという理由で、出世が遅れたり、差別されたりということは全くない。
そんなこんなで、女性も十分に強い世界である。
言葉には気を付けなければならない。
言葉を選び間違えれば、即、死に繋がることすらあるのだから。
「容姿……エルシー嬢は、王都でも指折りの美人だ」
ヒューは、何かを思い出しながら答えた。
涼は首を傾げながらさらに質問を続けた。
「グランドマスターの家柄が……そう、大戦の英雄と呼ばれるほどのヒューさんとは、格式が合わないというか、足りないというか……」
「フォーサイス殿は、伯爵位を持つれっきとした貴族で、エルシーはその一人娘。婿になる男は、伯爵位を継ぐことになる」
涼の疑問に、ヒューはため息をつきながら答えた。
涼の首は、さらに傾げていく。
「ああ! ご本人、エルシーさんがヒューさんを好みじゃ……え~っと、もっとすらっとした貴族然とした感じの男性が好みだったとか」
「何かの間違いだろうが、エルシーは俺みたいな強面が好きなんだそうだ」
ヒューはさらに深くため息をつきながら答えた。
そして、涼の首は、ほぼ直角にまで傾くことになった。
「どうして、断ったのですか?」
涼には、断った理由が全く思いつかなかった。
そんないい話を……。
「その話があったのは三年前。当時俺は三十六歳だ。エルシーは十八歳。二十歳近く違う俺の元に嫁ぐのは余りに不憫だと思ったからだ」
ヒューの答えは、そんな内容であった。
なんてくだらない……。
そう、くだらない。
愛があれば年の差なんて、関係ないじゃないか!
と、涼は思ったが、口に出すのは控えておいた。
ヒュー・マクグラスはギルドマスター、つまり涼の上司である。
上司はたてておかねば。
なんて自分は賢明なのだろう、涼はそう思いながら一つ頷いていた。
それを見ていたヒューは、一言言った。
「リョウ、今、なんてくだらない、って思っただろう」
「なっ……」
涼は心底驚いた。
英雄の洞察力は伊達ではないのだった。
「あ、でも、この前の王都騒乱……」
そこまで言って、涼もさすがに失言であることに気付いた。
王都住まいの貴族なら、王都騒乱に巻き込まれて……。
「ああ……大丈夫だ、巻き込まれていない。ちょうどその時、エルシーは西部に行っていたらしい。いや、トワイライトランドだったか? まあ、とにかく、王都にはいなかったらしい」
だが、涼の興味は、エルシーの安否よりも、聞こえてきたある単語に向いた。
「トワイライトランド……黄昏の国? カッコいい……」
「トワイライトランドを黄昏の国って言う奴は初めて聞いたが……。王国の南西にある国だ。若い国で、確か百年前に建国されたんだよな。誰も住んでいなかった地域を切り拓いて、建国したんだから大したものだと思うがな」
(トワイライトを黄昏って訳さないんだ……じゃあ、その国名をつけた人はいったい……?)
涼の中に、また一つ、解けない謎が生まれた。
歩き続ける南部軍一行。
先頭を歩く涼の<パッシブソナー>に反応があった。
「ヒューさん、前方四百メートル、戦闘中です」
「わかった」
涼が報告すると、ヒューは了解し、一度鋭く指笛を吹いた。
その指笛を合図に、南部軍全員がヒューの周りに集合する。
その数、七十人。
最後尾を任されていた、アクレのギルドマスター、ランデンビアが到着し、南部軍全員が揃った。
「前方四百メートルで戦闘しているらしい。その状況にもよるが、我々はこのまま強行する可能性がある。そのことを皆に伝えておく」
ヒューは無表情のまま告げる。
普通であれば、「味方を見捨てていくのか」などという非難がましい意見が出てくるものなのだが、ヒューが、何の理由も無くそういうことをするわけがないと、皆が知っている。
『大戦の英雄』という肩書は、特に戦場において、絶大な効果を持っているのだ。
「理由は、主戦場において公国軍と連合軍の決戦が、すでに始まっている可能性があるからだ。出来るだけ早く、この国境域を抜けたい」
ヒューの言葉に、目を見開いて反応したのは、公国情報部のクロエであった。
「ともかく、戦闘地域まで進む。着いたら状況観測。隊列は、先ほどと同じで。ランデンビア殿は、殿を頼む。この人数で包囲されたら終わるからな、頼んだ」
「わかりました」
先頭と最後尾に信頼できる部隊を置くのは、進軍の常識である。
誰だって、相手を潰そうと思えば、後背から襲い掛かるのが最も楽で確実なのだから、そういう作戦を展開するであろう?
先頭に、唯一のB級パーティー赤き剣のアベル。
最後尾に、元B級冒険者ランデンビア。
『B級』は貴重なのだ。
南部最大の街アクレ、辺境最大の街ルンを中心に冒険者を出している『南部軍』ですら、現役のB級パーティーの参戦は赤き剣だけである。
だが、これはまだいい方で、各部のB級パーティー参戦者は、東部と中央部が一ずつ。北部と西部に至ってはゼロ。
もちろん、A級パーティーは参戦無し。
そもそも、王国には現役のA級パーティーは、王都所属の一つしかない。
そして今回は、不参加である。
王都所属の冒険者が言うには、参戦を『上』から止められたらしい……その話を聞いたとき、涼は首をひねったのである。
騎士団の参戦を止めるのならばわかるが、冒険者を止めるのは……この遠征が成功しないと思っているからなのであろうか。
それとも単純に、王国騎士団が壊滅した今、王都が抱える武力はかなり少なくなっているため、冒険者と言えどもA級であるならば、手元に置いておきたい……そういう考えなのだろうか。
これも、答えの出ない謎の一つである。
数分後、南部軍一行は、戦闘外縁部に到達した。
戦闘が行われているのは、森の中ではかなり開けた場所である。
南部軍一行は、森の中に潜んだまま、状況を確認する。
「泥沼……」
涼は思わず呟いた。
冒険者たちは、足元が泥地と化した場所で、必死に、遠距離攻撃に対して防戦している。
囲む連合軍は、突入することなく、遠巻きにして遠距離攻撃に徹していた。
「ここに、あんな泥の地面なんてありませんでした……」
クロエが小さな声でヒューに告げる。
クロエは、公国西部の出身で、この森の周辺で育ったらしく、かなり細かく森の地形が頭に入っていた。
「つまり、連合軍の罠か。あれだけの面積に泥地を生み出すには、三十人規模の土属性の魔法使いが必要だろう。すぐに集合できる数ではない以上、ここに冒険者たちが誘い込まれたということなんだろうな」
ヒューは冷静に状況を判断した。
ヒューだけではなく、状況を観察する南部軍冒険者たちは、焦ってはいなかった。
確かに冒険者たちは罠に嵌まり、一方的に攻撃されているが、陣形らしきものも形成し、魔法使いを中心に防御を固めているからである。
今しばらくは持ちこたえるはずだと。
「リョウ、周囲を探れ。敵の配置と、特に馬がいないかを中心にな」
「了解」
ヒューの指示に、涼は今一度<パッシブソナー>に集中した後、報告した。
「敵は、泥地の北と南に分かれて布陣しています。それぞれ二百人ずつ。その外側に、人の乗っていない馬が同じ数います」
「人の乗っていない馬? 騎馬隊じゃないってことか?」
「恐らく、今攻撃を加えている奴らが乗って来た……馬? 馬から降りて遠距離攻撃を行っているみたいですね」
涼が推測を口にする。
「移動だけに使った馬か。好都合だ。南側の敵を、側面から突入して突き崩す。その後、やつらの馬を奪って、公国軍のいるフィオンの街まで走るぞ。南側の敵を崩せば、泥地の冒険者は自分たちで突破するだろ」




