0168 焦土戦
ハンダルー諸国連合とインベリー公国の国境から、インベリー側に三十キロ入った地点。
連合の主力軍は、さらに南下を続けていた。
率いるのはオーブリー卿。
国政を取り仕切るトップ自らが、最高司令官として軍を率いている。
一般に、皇帝や国王が自ら軍を率いての遠征であれば、『親征』という言葉を使うことがある。だが、オーブリー卿は、皇帝でも国王でもない。
ハンダルー諸国連合はその名の通り、『諸国』の『連合』国家だ。
その中心は、『十人会議』といい、連合の中心となる十か国を代表する人物たちで形成されている。
その十人会議から『執政』ならびに、戦時の『独裁官』として任命されたのが、オーブリー卿である。
会社で言えば、オーブリー卿が社長兼CEOで、十人会議が株主であろうか。
十年前、大戦後にオーブリー卿が執政、独裁官に任じられた直後は、オーブリー卿と十人会議の力関係は、圧倒的に十人会議の方が強かった。
執政、独裁官の任命権を持っているのであるから、当然といえば当然なのであるが。
だが、その後の十年間で、力関係は逆転し、今や連合でオーブリー卿の権勢にたてつくものは誰もいない。
どうやって十人会議の力を削いだのか?
そもそも、十人会議のメンバーは、連合を構成する各国の国王や大公、あるいは公爵である。
彼らはこの十年の間に、ただ一人を除いて、全て代替わりをした。
ある者は病で命を落とし、ある者は暴漢に襲われて帰らぬ人となり、ある者はクーデターまがいの事件に巻き込まれてこの世を去った。
もちろん、それらをオーブリー卿が糸を引いていたという証拠は何もない。
何も無いのだが……新たに十人会議の席に着いた者たちは、オーブリー卿と敵対することは無かった。
ありていに言って、オーブリー卿の軍門に下り、自国内でのトップの座を維持することで良しとしたのだ。
連合政府をオーブリー卿に預けさえすれば、自国内における権力は保証されたのである。
十年前。
連合は王国との『大戦』で大敗した。
だが、大戦の中でも、局地的には連合が勝った戦闘もあった。
その、連合が勝った戦闘の多くで連合軍を率いていたのが、当時三十代のオーブリー卿であった。
本来オーブリー卿は、政治の人ではなく、戦場の人なのだ。
どんな世界でも、有名人には二つ名がつく。
『神様』、『天才』、『皇帝』、『将軍』、『フライングダッチマン』など……あるいは『爆炎の魔法使い』と。
そして、オーブリー卿についた二つ名は、ただこれだけであった……『名将』。
「閣下、あれがクルーの街です。ということは、インベリー国境から三十五キロ入って来たのですが、組織的な抵抗は全くありません。これはいったい……」
「ランバー、インベリー公は、焦土戦を展開しているのだ。自国の全てを犠牲にしてでも、絶対に屈しない……そういう決意の下に戦っている。愚かではあるが、恐ろしい戦略でもある。実際に、これまで占領した街にも村にも、人はもちろん食料も何も残っていなかったであろう? さすがに、井戸まで潰していたのは驚いたがな」
そういうと、オーブリー卿はうっすらと笑った。
連合と公国の国力比は二十対一、公称戦力比は十五対一。
大戦で負けたとはいえ、連合は腐っても三大国の一つ。
公国は、まともに戦っては戦にならない。
『まとも』でダメなら、尋常ならざる手を打つしかない。
それが、焦土戦であった。
焦土戦を成立させるためには、ただ自軍を引き、進路上から食料などを無くすだけでは駄目である。
絶対に必要なのは、『敵の補給線を叩く』という点。
つまり、公国軍は、前線と連合本国との間のどこかで、補給部隊を攻撃する……それだけは、絶対である。
そして、それこそがオーブリー卿の狙いでもあった。
問題はいつ狙ってくるか? そしてどこで狙ってくるか?
どこで狙ってくるかというのは、ある程度は絞り込める。
奇襲に適した地形というのは決まっているし、そうそう多くは無い。
問題は、いつ狙ってくるかだ。
早ければ早いほど対処しやすい。
時間が経てば、当初の緊張感も薄れ、対処に失敗する可能性が出てくる。
では、どうやって早く食いつかせるか。
その方策の一つが、先鋒の進軍速度の向上であった。
連合軍の先鋒は、全て騎馬のみ。
歩兵とは比べ物にならない速度で、一直線に公都に向かって進軍する先鋒部隊。
つまり、「さっさと補給部隊を襲わないと、公都が陥落してしまうぞ」
そう脅しているのである。
もちろん、公都を落とせば連合の勝ち、戦争終了というわけではない。
そういうわけではないが、『都』というのは国の象徴でもある。
そこを敵に奪われたままであると、急速に、インベリー公爵家の求心力が落ちていくであろうことは容易に想像できる。
いずれ反撃するにしても、反撃に協力してくれる諸侯、あるいは国民が残っているか……そういう問題にもなってくるのだ。
であるならば、公都の陥落は出来るだけ避けたい。
あるいは、よしんば陥落するにしても、最終局面付近までは残しておきたい。
公都は、最後に切るべき大駒なのである。
将棋で言う飛車や角、チェスで言えばクイーン。
序盤で、早々に落とされれば、勝ちなどおぼつかない。
「インベリー公は、全てを犠牲にしても我らの軍門に下る気はないのであろう。だが、諸侯や国民は、はたしてそこまでの気概があるかな?」
オーブリー卿の独り言は、隣にいたランバーの耳にだけ届いた。
公都アバディーン公城の一室。
「連合軍の進軍速度は、想定した中でも最悪の速度です……」
ジョゼッペ・サリエリ情報部長官は、そう言って報告を締めくくった。
報告を聞いていたインベリー公爵ロリス・バッジョは、終始顔をしかめている。
他の部下たちの前ではこういう顔はしない。
いかにも「全て想定の範囲内だ。心配するな」と言わんばかりの堂々たる立ち居振る舞いなのであるが、長い付き合いのサリエリ長官の前では素が出てしまうことがある。
「奴ら……先鋒部隊だけで、我が軍全軍の三分の一に達するとは……」
「先鋒部隊は約三千人。騎士だけではなく、冒険者なども馬に乗せて進軍しているようです」
ロリスが絞り出すように言った言葉に、最新の情報も合わせて告げるサリエリ長官。
「連合が、帝国と王国それぞれの国境に軍を割いていても、それらは恐らく二線級以下の者たちで、精鋭はこの戦いに投入しているでしょう。『連合と言えば剣と槍』……昔から言われる通り、物理職の強さは帝国に匹敵します。恐らく、この先鋒部隊も……」
「ああ、わかっている。下手をすれば、この先鋒部隊だけで公都が陥落する可能性があると言いたいのであろう?」
「はい。もちろん、『グリーンストーム』があるために、そう簡単ではないでしょうが……」
「あれとて、何発撃てるのか、どれほどの耐久性があるものなのか、誰にもわからん代物だ」
そこまで言って、ロリスは大きく深いため息をついた。
そして続けた。
「急襲部隊の動きを早めるしかないのか」
その顔には、深く、苦悩が刻まれていた。
連合・公国国境から、公国側に二十キロほど入った街道。
そこを、連合軍の大規模補給部隊が南下していた。
軍用荷馬車十五台、護衛部隊約六十人。
ここで、開戦して初めての大規模戦闘が、この後行われることになる。
連合軍補給部隊に向かって、一斉に矢と攻撃魔法が飛んだ。
「敵襲!」
間髪いれずに、補給部隊内から声が上がる。
「来たな。『ウインドジャマー』展開。狼煙を上げろ」
護衛隊長の号令が伝わり、各荷馬車にわざわざ一人ずつ乗せられていた魔法使い達が、手元の錬金道具に魔力を流し、『ウインドジャマー』を展開する。
同時に、各所から狼煙が上がる。
それは、補給部隊が襲われたことを知らせる狼煙。
当然、その狼煙を見て連合軍が集まってくることになる。
連合軍の補給部隊が狼煙を上げたのは、公国軍急襲部隊からも当然見えていた。
連合の援軍が来る前に補給物資を焼く。
それが彼らの役割である。
元々、時間との勝負であることは分かっているのだ。
「急げ! 火矢を射かけろ。魔法使いも火属性は荷馬車を攻撃しろ」
部隊長の指示に従い、荷馬車ごと補給物資を燃やすべく、攻撃対象の徹底が指示される。
補給物資を焼くべく、火矢、あるいはファイアーボールなどが荷馬車に向かって飛んだ。
狙い違わず着弾……する前に、荷馬車に届く前に、何かに弾かれた。
「なんだと!」
全ての火矢と火属性魔法が、弾かれる。
急襲部隊長は、隣にいる魔法隊長を見る。
「あれは、『風の防御膜』に似ています。錬金術で再現したのかもしれません」
魔法隊長の言葉は、部隊長を絶望の淵に陥れた。
『風の防御膜』と言えば、ワイバーンの体表に発生している、あらゆる物理攻撃と魔法攻撃を防ぐ魔法である。
それがあるために、ワイバーン討伐は驚くほど難しいのだ。
魔物でなくとも、国宝級のアイテムで疑似的な風の防御膜を生成するものがある。王国のウィットナッシュにあるものが有名だが……そんなものがここにあるというのか。
「くそっ。接近戦だ! 時間が無い、急いで倒すぞ」
部隊長の顔を、焦りが支配しつつあった。
対する連合軍補給部隊。
護衛隊長の指示に従い、全ての荷馬車で『ウィンドジャマー』が展開された。
これは、半径五メートルのドームを形成し、その表面が劣化版『風の防御膜』となる錬金術である。
もちろん製作者は、フランク・デ・ヴェルデ。
劣化版の意味は……。
『風の防御膜』を生成すると知られるウィットナッシュのアイテムは、魔法使いが微量の魔力を流し続けるだけで、ほぼ全ての魔法攻撃と物理攻撃を防ぐことが出来るものである。
だが、この荷馬車たちが積んでいる物は、各荷馬車にいる魔法使い達が微量の魔力を流し続ける点は同じであるが、生成される『膜』の寿命が、最長でも一時間、威力は本来の物の十分の一程度の効果なのだ。
フランク・デ・ヴェルデほどの天才錬金術師であっても、さすがに、人工ゴーレムの開発と並行して、しかも開発期間極少となれば、この程度の性能なのは仕方ないであろう。
とはいえ、そもそも現代の錬金術師たちの誰も、この『風の防御膜』の再現は出来ていないのだから、片手間でそれを成してしまうフランクの能力は、やはり異常だと言える。
そんな『ウインドジャマー』が展開され、護衛部隊も全員ジャマーのドーム内に入っている。
ドーム内にいる限り、遠距離攻撃は心配ない。
であるなら、公国軍が次にとる術は近接戦しかない。
「来るぞ! 防御に徹せよ。時間さえ稼げば我らの勝利だ」
そう、勝つ必要はない。
彼らが引きつけている間に、援軍によって、襲ってくる公国軍を外から、逆に包囲殲滅する展開がなされる。
むしろ、さっさと去られる方が困る。
遠距離攻撃が止んで数秒、護衛隊長は緊張して祈った。
公国軍が去らないことを。
近接戦を挑んできてくれることを。
そして……、
想定通り、公国軍は近接戦を挑んできたのである。
護衛隊長の顔に、笑みが浮かんだのは当然だったのかもしれない。
「閣下!」
慌ただしく、補佐官ランバーが天幕の中に入って来た。
「どうした? インベリー公が降伏でもしたか?」
「そんなこと、絶対起きないのはご存知でしょうに」
オーブリー卿の冗談に、呆れるランバー。
「驚くことなど、それくらいしかないであろう?」
「はぁ……。ご報告いたします。公国内二十キロの地点で補給部隊が襲われました。ですが、当初の作戦通り、敵急襲部隊を包囲殲滅。味方の損害死者二名、重傷者六名。敵は死者三百名を超えている模様です」
ランバーのその報告に、オーブリー卿はほんの少しだけ口角を上げて答えた。
「ふふふ……想定通りとは言え、策が決まるとやはり気持ちいいな。さて……これで公国が取れる手はかなり減ったぞ。もう一、二度は補給部隊を狙うかもしれんが、恐らく今回投入したのが急襲部隊の中では最精鋭であろう。次回以降は、今回より難しくなるぞ? どうする、インベリー公」
後半は、その呟きは小さすぎ、ランバーにも聞こえなかった。
「インベリー公は、どうするでしょうか」
「……さあな。だが、あてにするものは、もはや一つしかない」
「他国の援軍、ですか」
ランバーは頷きながら答えた。
「そうだ。正確には王国からの援軍だ。無論、騎士団を含め正規軍を送る余裕は、現在の王国にはない。となると、冒険者のみの派遣だ……。ルンの街を発った冒険者を率いるのは、かのマスター・マクグラスだそうだ」
「まさか、再び出てくるとは……」
ランバーは顔をしかめる。
対するオーブリー卿は、先ほど以上に、口角を上げて明確に笑った表情になる。
「戦というものは、戦場に到達する前に、九割方決着はついている。大軍を鍛え、揃え、展開し、補給を整え、優秀な前線指揮官を任命する。それだけだ。戦場での戦いなど、ただの確認作業に過ぎない」
「先の大戦で、何度も戦場の確認作業で、戦況をひっくり返してしまった閣下に言われたくはないと思いますが……」
ランバーの呆れた言い方に、オーブリー卿は少しだけ笑った。
「そういう場合があるのも事実だ。あるいは、わずか数人の英雄によってひっくり返される場合もあるしな」
「マスター・マクグラスら、ですな」
三度頷いてから、オーブリー卿は呟いた。
「もうすぐ王国公国間の国境封鎖は完了する。王国冒険者も、国境の突破に手間取れば、インベリー公の死体とご対面ということになるかもな。戦は、戦う前から始まっているぞ……ヒュー、さあ、どうする?」




