0156 そう……
その後四人は、代官執務室で、事の経緯を代官ゴローに報告した。
ゴローの横には、ラーシャータも座っている。
「そういうわけで、ヴァンパイアがいて、眷属たるストラゴイも最低でも十体いるらしい」
「失踪した者たちは、つまり……」
「恐らくは、ストラゴイになってしまっている……」
ゴローは沈痛な面持ちで確認し、ヒューは頷きながら答えた。
ヒューも、ギルドマスターとして人を従える身である。
庇護すべき者たちがそんなものに変えられていたら……その無念たるや想像を絶する。
ゴローの中で無念さがある程度消化されるまで、ヒューは何も言わずコーヒーを啜って待った。
「わかりました。それで、ヴァンパイアたちの本拠地は、東の森の中ですか?」
ゴローは三十秒ほどで立ち直り、尋ねた。
ヒューは逡巡している様で、グラハムの方を向く。
「そう……可能性はゼロではないのですが……正直、可能性は高くないですね。ストラゴイが住む場所はバラバラですが、ヴァンパイア共は家に住む傾向があります。森の中に、打ち捨てられた館や村があるならともかく、そういうのは無いという話でしたから……。東の森の向こう側というのは、何があるのでしょうか」
グラハムはいろいろ思い出しながら、答えている様である。
森の向こうを問われると、ゴローは戸棚から一枚の大きな地図を取り出して、机の上に広げた。
「これが、コナ村周辺の概略図ですが……東の森はかなり大きいです。その向こう側となると……漁村があるだけですね。王国の最外縁。モモル男爵の領地だったはずです。男爵自身は王都に住んでいらっしゃって、この漁村と、かなり離れた場所にある荘園は、荘園領主代理が入って管理をしていたと思います。グラハムさん、まさか……」
「あくまで可能性です。すでにその漁村がヴァンパイアの手に落ちている可能性がある、というね」
ゴローもグラハムも、顔をしかめながらの会話である。
小さな漁村とは言え、数十人の人間が住んでいる。
彼らが全員ストラゴイになっていたら……。
それを考えると、ゴローもグラハムも顔をしかめてしまうのはやむを得ないであろう。
「どちらにしろ、漁村に行って確認する必要はある」
ヒューは、そう言い切った。
「森を通らないでコナ村からその漁村に行くには……。森の南側は海岸までせり出しているので、海路を通ることになりますが、それはお勧めしません。非常に難しい海流で、海には魔物もいるらしいです。漁民たちが持っている『海の魔物避け』がないと、難しいでしょう」
(なにそれ! 海の魔物避けとかあるの?!)
内心興奮したのは涼である。
これはぜひ、漁村で見せてもらわねば。
涼のチェックリストのトップに、海の魔物避けが記された。
その間も、ゴローの説明は続く。
「現実的な選択は、森の北側を回って行くことです。そのルートですと、漁村に行く前にモモル男爵の荘園を通ることになりますが」
「荘園か。話は聞きたいが、冒険者を受け入れてくれるか……?」
ヒューが懸念を表明する。
「そうですね……領主代理次第ですね、その辺は」
「ならば、私が一緒に行こうか」
そう言ったのは、ラーシャータであった。
「こう見えても、子爵位を持つ貴族だ。仮にも、男爵荘園の領主代理であれば、協力を拒むようなことは無いと思うが?」
それは非常に妥当な論理であろう。
「それはかなりありがたい。ぜひ頼む」
「うむ。心得た。これで少しは、私も村の役に立てるな」
そう言うと、ラーシャータは大笑いした。
(こういう貴族の人なら素晴らしいんだけど……皆がこんなに素晴らしい人格を持ってるわけじゃないんだろうなぁ)
涼は、独断と偏見で、貴族に関しての感想を思い浮かべていた。
「あと、村の防衛には、ドゴンたちを置いていく。もうしばらくすれば、救護室にいた連中も戦えるようになるだろう」
「ああ、それはありがたい。何も起きないに越したことはありませんが……何が起きるかわかりませんしね」
ヒューの提案に、代官ゴローは嬉しそうに頷いた。
森の中にいるのが、ヴァンパイアとその眷属であるとわかってしまうと、村の防衛能力の低さが気になってしまう。
しかしそう思っても、簡単にどうにかできることではない。
村人の中には、多少は戦える者もいるが、ヴァンパイア相手となると……さすがに無理である。
そこに、カイラディーの冒険者は残してもらえると聞けば、喜ぶのは当然であろう。
確かに、彼らの素行には眉を顰める点もあったが、死線をくぐったことによって変化したのではないかと、ゴローは思っている。
エトと涼は宿泊所に戻り、食堂でニルスとアモンに事の経緯を説明した。
「ヴァンパイアに魔法が効かないというのであれば、俺ら剣士の出番だな!」
ニルスは出番を喜ぶように言う。
だが、涼はあからさまに視線を泳がせて無言である。
「なんだ、リョウ。何か言いたいことでもあるのか?」
「いえ……多分、前線はローマンとヒューさんの二人になる気が……」
「え……」
涼の予測に、ニルスは固まる。
「確かに、あの二人は凄そうですもんね。片や勇者、片や大戦の英雄」
アモンが頷きながら言う。
「お、俺らだって……俺らだって……俺ら……」
段々とニルスの声は小さくなっていった。
「ニルス……前線だけが戦場ではありませんよ! 後衛を守るのも、剣士の大切な役割です!」
涼はニルスを励ます。
「お、おう、そうだよな! 決して俺は役立たずってわけじゃないよな!」
なんとかニルスは立ち直った。
ルンの、若手の成長株として知られる『十号室』ではあるが、それでも相手が『勇者ローマン』や、『英雄マクグラス』では勝負にならない。
今はまだ、一つ一つ、実績を積み重ねていく段階なのだから……。
(この三人を守るのが、今回の僕の役割な気がしてきました)
勇者パーティーとヒュー・マクグラス……どうみても涼の必要性はない。
だが、この三人は……。
涼は、心の中で一つ頷くのであった。
翌朝、ヒュー・マクグラス率いる遠征隊は、コナ村を出発し、午後三時に何事も無く、モモル男爵の荘園に着いた。
(恐らく、この荘園もすでにヴァンパイアに落とされていて、領主代理は眷属になっているに違いない。そして、罠に嵌まった一行は、強制戦闘イベントに駆り出されるのです! 百人を超える眷属に囲まれた一行に対して、ヴァンパイアが言うのです。「罠に嵌まりおったわ、愚か者どもが。あーはっはっはっは」)
というようなことを、涼は考えながら荘園の前に立った。
その表情は、うっすらと笑っている……。
当然、十号室の三人は、その表情に気付き、囁き合った。
「リョウさんの表情……」
「うん、間違いなくあれは……」
「心の中で、またよからぬことを考えているな」
アモン、エト、ニルスは付き合いが長いだけに、そんな涼の心はお見通しであった。
「なあ、リョウ」
ヒューが、突然涼に呼びかけた。
「はい、なんでしょう」
涼はすぐに表情を引き締め、真面目に答える。
「なんか、変なこと考えていないか?」
「いいえ、何も」
長い付き合いがなくとも、涼の変化を感じ取る辺り、さすがは元A級冒険者なのである。
もちろん、涼は何事も無いかのように、お澄まし顔で応えているが。
領主館は、荘園の規模通り、それほど大きくはなかった。
ちょっと裕福な商人の家程度で、出迎えた荘園領主代理もごく普通の、五十代半ばの事務官といった雰囲気の男性。
どこからどう見ても、正常な人間である。
そんな領主代理を見た瞬間、涼の肩が落ち、わずかにうな垂れたのを、十号室の三人は見逃さなかった。
何も起きなくて残念……その涼の無念を、三人は感じ取ったのである。
「やっぱりよからぬことを考えていた」
彼らの呟きは、誰にも聞こえなかったが。
「子爵様、それはまことですか?」
近くに、ヴァンパイアが棲みついた可能性がある。その確認に、漁村まで行きたいので領主代理として許可して欲しいと、ラーシャータが問うたことに対する答えである。
領主代理ケーンカンは、モモル男爵が男爵位を貰う前、裕福な商人であった頃から、商会に仕えていた番頭だったそうだ。
モモルの叙爵により、王国最外縁のこの荘園と漁村の管理のために領主代理に任じられて、派遣されて来たと。
「しかし、あの漁村は……」
そこまで言って、領主代理ケーンカンは言い淀んだ。
「何か問題でも?」
ラーシャータは、出来る限り高圧的にならないように、友好的な協力を取り付けるために笑顔を浮かべながら問う。
「いえ、問題と言うわけではなく……実は、すでにモモル男爵領ではなくなっているのです」
「どういうことでしょう?」
ケーンカンの説明によると、王都の方で話し合いがあったらしく、モモル男爵は件の漁村を王家に返す代わりに、王都における土地を拝領した。
その結果、漁村は領主代理の管理下から外れたと。
「それが、だいたい一年前です」
<最初の失踪と思われるのが、十カ月前……>
話を聞きながら、ヒューは頭の中で考えていた。
このケーンカンの管理を離れたタイミングで、ヴァンパイアが漁村に手を出してきたのであれば……今まで尻尾を掴まれなかったのもわからないではない。
王国最外縁の漁村、しかも他国と国境を接しているわけではない土地にまで、王家は代官を派遣したりはしない。
徴税官は年に一度、派遣されて納税額の決定を行うが……それ以外では、ほぼノータッチだったのであろう。
「しかし、漁村とは言え、行商などは訪れるのではないか?」
ラーシャータが、疑問に思ったことを聞いている。
「その漁村は、男爵領になる前から、村民が船を出して買い付けに行っていたらしいです。そのため、私が訪れなくなって以降は、外からは誰も村に行っていない可能性も……確かにあります」
領主代理ケーンカンは、顔をしかめながら、小さく何度か首を振って答えた。
「なるほど、よくわかった。聞く限り、代理殿や男爵の責が問われることは無いと思う。私も、中央への報告の際は口添えをさせてもらうから安心なされよ」
「ありがとうございます、子爵様」
ラーシャータが口添えを約束し、ケーンカンは深々と頭を下げて感謝を示した。