0151 魔人虫
説明が終わると、ゴローは再び、コナコーヒーを勧めてきた。
もちろん、十号室の四人はいただく。
再び飲むことを拒否した竜のアギトのメンバーのために、ゴローは秘書官を呼び、宿泊所などの案内を命じた。
竜のアギトが出て行き、コーヒーが届き、ゴローをはじめ四人がゆっくりと飲み始める。
当初の予定では、この部屋での説明の後、両パーティー一緒に宿泊所の説明などに連れて行く予定だったのだろう。
効率を考えれば、それ以外に考えられない。
だからこそ、この部屋での説明も両パーティー一緒に行われたわけだし。
だが、パーティーの相性は最悪であった……。
主に、竜のアギト側からの一方的な反発ではあるが……。
だからこそ、再びコーヒーを勧めれば十号室は残るし、竜のアギトは先に出ていくことになるだろうと。
中々にスマートな分け方だ。
などということを、コナコーヒーを飲みながら涼は考えていた。
「両パーティー一緒に、というのは今後の予定からは、外しておきますね」
ゴローがコーヒー片手に、苦笑しながら言った。
それを聞いて、苦笑いを浮かべる四人。
すいません、と謝るのも何か違うし……かと言って、あいつらが悪い! と泡を飛ばしながら相手のいないところで非難するのも何か違うし……。
苦笑いを浮かべるしかないのであった。
十五分ほどかけて、ゆっくりとコーヒーを飲み干した五人。
その後、ゴローが宿泊所と食堂を案内して、利用時のいくつかの注意事項を伝えた。
「村人の中には失踪が相次ぎ、不安が広がっているのは事実です。ただ、幸か不幸か、人口の多さがそれを緩和しています。これが、人口の少ない、普通の村であれば不安にさいなまれた村人ばかりになっていたでしょう」
ゴローはそこまで言って、止まった。
「今回の依頼、いろいろと、難しい問題ばかりだとは思うのですが、どうかよろしくお願いいたします」
四人に頭を下げるのであった。
「さて、午後四時。日の入りまで三時間弱だな。どうするか」
ニルスが、お気に入りの懐中時計を見ながら言う。
「とりあえず、一度農園の方に行ってみない? 働いている人から、何か話を聞けるかもしれないから」
エトが提案し、他の三人もそれに賛成した。
農園は、村の奥、入ってきたときに見えた広大なコーヒー農園である。
コーヒー好きな涼も、さすがにコーヒー農園に入ったことは無い。
そこには、人の背丈ほどのコーヒーの木が、一メートルから一メートル半ほどの間を空けて、見渡せる先までずっと列をなしている……。
圧倒される光景が広がっていた。
「すごい……」
涼が思わず呟く。
農民たちが、コーヒーの木から、熟れた実だけを手作業で採取している。
遠くの方では、風属性の魔法使いが、エアスラッシュ系の魔法で木と木の間の草を刈っている……なんというファンタジー!
「よし、行くか」
涼以外の三人は、涼程には感動しなかったようだ。
そのことに、少しだけ落ち込む涼であった……。
農民たちとのいくつかの話し合いの後、例の虫を見せてもらうことになった。
とは言っても、見つけ次第潰しているので、新たに探すところからである。
四人を案内したのは、成人したばかりと言うタッカという青年であった。
タッカは、虫がよくいる辺りの木を見て回る。
三分後、四人はタッカに呼ばれた。
「この虫です」
タッカが指さす先に、小指の爪の半分ほどの大きさの体、拡げた足まで入れても小指の爪程度の大きさの真っ黒い虫がいた。
「変な虫ですね」
涼がぼそりと呟いた。
「リョウ?」
ニルスがその呟きを耳にし、涼に質問した。
「脚が十本もあります」
「ほんとですね」
アモンも顔を覗き込んで呟く。
「そういえば、虫って脚は六本のが多いか? でもクモは脚が八本あるよな?」
ニルスは知っている虫を思い浮かべ、その中でクモに行きついた。
「ええ。クモはカブトガニとかサソリの仲間だと習いました」
「サソリって、尻尾に毒があって、おっきいハサミがある、砂漠にいるやつですよね。ずっと昔、おじいちゃんから、お酒漬けにされたのを見せられたことがあります。クモってあれの仲間なのですか……」
アモンが昔の事を思い出しながら……少し震えている。怖かったらしい。
(毒の強い奴をお酒に漬ける風習は、いろんなところにあるんだな~)
涼が思ったのはそういう内容であった。
三人がそんなことをしゃべっている間、エトは虫を見て、じっと黙ったままだ。
「エト?」
そんなエトに、涼が声をかける。
「え? ああ、リョウ。ちょっと小さすぎて……もう少し大きければいいのですが……」
エトは目を細めて、虫に近付きながらそんなことを言っている。
「水属性魔法に、ちょうどいい魔法があります」
(<氷レンズ>)
そう頭の中で唱えると、掌大の氷の凸レンズが生成された。
『ファイ』に転生してきた頃は、十五分以上かかっていた氷のレンズ生成が、今ではほぼ一瞬でできるようになったのだ。
涼は、自分でその成長を噛みしめていた。
「これを通してみると、大きく見えますよ」
「これは……」
エトはそれだけ言うと、じっくりと黒い虫を見始めた。
たっぷり五分ほどたって、エトは顔を上げる。
涼に氷レンズを返してから、一つ頷いて三人に告げた。
「虫の正体がわかったかもしれない」
「魔人虫である可能性が高いと思います」
エトは代官執務室に戻り、代官ゴローにはっきりと告げた。
「魔人虫? 初めて聞きました。それはどのような……」
ゴローは聞いたことのない虫の名前にとまどいながらも、詳しい内容を促す。
「封印された魔人が復活する時、その力を集めるために動き出す、眷属の一つです」
「魔人……」
(魔人!)
口に出して言ったのはゴローで、その言葉の響きには、畏怖がこもっていた。
心の中で言ったのは涼で、その言葉の響きには、歓喜がこもっていた。
(デビルとか魔王……魔王子だっけ? そんなのは出てきたけど、とっても弱くてがっかりでした……この『ファイ』における本命は魔人の方だったのですね!)
魔王や魔人は異世界転生ものの定番!
だが、どちらかが強くて、他方は弱い。
あるいはどちらかしか出てこないことがほとんど。
ついに、その魔人も出てきたことで、涼のテンションは一気に上がっていた。
「ただ、私も神殿で学んだだけですので、専門の方に見ていただくのがいいと思います」
「そうですね。以前呼んだ専門家は、虫の専門家でした。まさか魔人関係の専門家が必要だったとは……」
ゴローは深いため息をついた。そして、なにがしかを閃き、頭を上げる。
「エトさん。中央神殿の『伝承官』なら、魔人の伝承に詳しいでしょうから、この魔人虫についてもわかるでしょうか?」
「ええ。神殿で、最も詳しい方の一人だと思います」
「よかった。今、伝承官の一人がカイラディーの街に逗留しているはずなので、すぐに来てもらいましょう。私の知り合いでもあるので、無理をしてでも来てくれるはずです」
そういうと、ゴローは急いで手紙をしたため、鳥便で、大至急カイラディーに送るように秘書官に渡した。
「とりあえず、これで後は返事待ちです」
そういうと、ゴローは深く息をついて続けた。
「それにしても、虫の件がこうも早く片付くとは。神官の方がいるパーティーでよかった」
そういうと、ゴローは笑顔を浮かべた。
「いえ……」
エトは少し照れている。
「こうなると、先ほど両パーティーで仕事の分担をしましたけど、結果的に、この分担ですごくよかったということになりますね。竜のアギトの方には、神官はいませんでしたよね」
竜のアギトのパーティー編成は、男性剣士、女性斥候、男性斧使い、男性魔法使い、女性弓士で、神官はいない。
「冒険者の神官は、決して多くは無いので」
エトは頷きながら答えた。
とりあえず役目を果たした四人。
到着後、わずか二時間足らずで一応の解決を見たわけで……そこだけ見れば、非常に優秀な結果と言える。
もちろん、実際には明日以降、『伝承官』の確認と、虫そのものの駆除などもあるのだが、とりあえず、今日の所はお仕事終了である。
「まずは、風呂だな!」
「おぉ!」
ニルスの号令に、異口同音に応える三人。
そう、この宿泊所は、貴族や官僚も泊まるため、大浴場完備となっている。
週末には、村人にも開放されるらしい。
(設備の維持には、一番いい方法ですね。使わないと、いざという時に壊れているなんて、よくあることですし)
涼の中での、ゴローの評価が更に上がった。
そしてお風呂の後は、夕食である。
代官などの食事も、ここの料理長が手掛けているということを、ゴローから聞いていた四人の期待は、いやがうえにも上がる。
そして……、
「美味い!」
「美味しい!」
「凄いですね!」
「肉も魚も、どっちも好きです!」
ニルス、エト、アモン、そして涼も、全員が満足する夕食が提供されていた。
それを厨房から眺め、うんうん頷く料理長。
さすが冒険家の四人。
かなり多めの料理だったのだが、ぺろりとたいらげた。
普段は、小食のイメージのある神官エトも、ルンの街から歩き、昼も干し肉で済ませていたこともあったのだろうか、完食であった。
食後はもちろん、コナコーヒーで締める。
まったりと四人が食後のコーヒーを満喫していると、冒険者が五人入って来た。
カイラディーの冒険者『竜のアギト』の面々である。
「チッ」
音高く舌打ちする剣士。
もちろん、それは十号室の四人の耳にも聞こえた。
涼が心配したのはニルスである。
説明の時は、依頼者ゴローの前だったからキレなかったが、ここはそうではない。
キレる可能性がある。
そう思い、ニルスを見る。
だが、ニルスは何事も無かったかのように、コーヒーを飲んでいる。
他の二人も同様である。
(大人だ!)
涼は、三人の成長に感動していた。
最初の十秒だけ。
「知ってるかリョウ。弱い犬ほどよく吠える。無能な冒険者ほど舌打ちをする」
(いや、知らないし! 後半、絶対、今作ったでしょ!)
ニルスの大きすぎるセリフに、涼は心の中でつっこみを入れた。
「なんだと、こら!」
当然、そんなことを言われて、竜のアギトの面々が黙っているわけはない。
一気に気色ばむ五人。
女性二人も、男性同様に喧嘩っ早い感じである……朱に交われば赤くなるのか……。
涼は、小さく首を振った。
「さて、では部屋に帰るか。料理長、ごちそうさま」
「ごちそうさま」
お行儀よく、十号室の面々はごちそうさまを言って、席を立った。
いきりたつ五人を完全に無視して、食堂を出ていく十号室の四人。
「おい、こら、待てつってんだろうが」
そう言って、竜のアギトの剣士が、最後尾にいた涼の肩を掴もうとした。
その瞬間……、
ガラガラバッシャーン。
もの凄い音を立てて、剣士が転んだ。
瞬間的に、彼の足元が氷になっていたことに気づいた者は、誰もいない。
剣士は転ぶとき、近くにあった椅子と、テーブルの上にあった花瓶なども巻き込み、それはもう悲惨な状態であった。
「大丈夫ですか? 滑ると危険ですからね」
涼のそんな言葉を後に残して、十号室の四人は食堂を出ていった。
後には、どこにも怒りのぶつけようのない五人と、思いっきり顔をしかめて厨房から食堂を見ている料理人たちが残された。
とりあえず、プロの仕事として、料理人たちは五人に対して夕食を提供したが、執事は後にこう証言した。
終始、不満そうな顔であったと。
翌朝、十号室の四人は、ゆっくり起き出した。
竜のアギトは、朝早くに朝食を済ませて、東の森に行ったということを、執事に聞いた四人は、顔を見合わせて頷きあった。
面倒の種は去った、と。
四人は、とても贅沢な朝食を、ゆっくりと贅沢な時間の使い方をしながら平らげ、食後のコーヒーまでいただいた後で、代官所に向かった。
十時くらいに来るようにと、昨夜のうちに連絡があったからである。
会議室に通されると、ゴローと、もう一人いた。
(白い神官ローブじゃなくて、神官の服……でも、マントの紋章は初めて見る紋章だ。あれが『伝承官』か)
涼は心の中で思った。
見た所、ゴローと同じくらいの年齢、背はそれほど高くなく、身体もほっそりしている。
涼の様な、細マッチョというわけではなく、あまり筋肉がついていない……どちらかと言うと、エトの様な感じである。
「ああ、来てくれましたね。ラーシャータ、こちらが先ほど話したルンの街の冒険者、『十号室』の方々です」
ゴローは、ラーシャータと呼んだ男に四人を紹介する。
「みなさん、こちらが、中央神殿の『伝承官』、ラーシャータ・デブォー子爵です」
「……子爵?」
小さく呟いたのはエトであった。
「どうも初めまして。そう、神殿にいるのに爵位を持っているのは変だよね。これにはいろいろと事情があってね。そのうちに、お話ししますよ。で、例の虫の件ですが……」
「はい、こちらになります」
涼はそう言うと、脇に抱えていた氷の箱を置いた。
その中には、昨日捕まえた黒い虫が入っていた。
「ほほぉ、これはこれは。虫も興味深いですが、正直それ以上に、この氷の箱の方が……。あなたは水属性の魔法使いですか?」
「はい」
ラーシャータは涼に問い、涼は答えた。
「この箱を見て、『氷の女神と氷雪の帝王』の伝承を思い出しましたよ……一万年以上昔のお話で……」
「すまんがラーシャータ、その前に、この虫を頼む」
ラーシャータが物語を話し始めようとするのを、ゴローが遮って黒い虫に意識を向けさせる。
「おっと、そうだった。すまんすまん」
ラーシャータはそう言って笑った。
そして、虫を見て、口の中で呟きながら何かを確認しはじめた。
三分ほどそんな時間が過ぎ、ラーシャータは涼の方を見て言った。
「この氷の箱を、開けてもらえるかい」
「はい」
涼は、箱のふたを取る。
すると、ラーシャータは箱の中に手を伸ばし、虫を掴むと、掌の中で握りつぶした。
そして、手を広げる。
「ふむ……伝承通り、赤い体液……」
広げた手の中には、潰れた死骸と、そこから漏れ出た血を思わせる赤い体液がついていた。
「伝承通りということは……」
「うむ、魔人虫で間違いないな」
ゴローの問いに、ラーシャータは頷いて答えた。
「伝承にある『南に封じられた魔人』、であろうな。再生し、起き上がる力を集めているということなのだろう」
ラーシャータは、何事か考えながらそう言った。
「わかった。まずは王都に報告する。確認者の名前として、お前と……あとエトさんの名前も書かせていただきますが、よろしいですね」
「ああ」
「はい、かまいません」
虫の脚の部分について、一部修正しました(6月21日)




