0134 王都騒乱
それが起きた時、王国騎士団の第二演習場には、六十人の騎士がいた。
三十人が屋外の演習場に。
残りの三十人が屋内の休憩室に。
建物全体が揺れ、休憩室にいた三十人は何事かと思った……わけではなかった。
その三十人のうち、半数以上が酒に酔っていたからである。
昼間から酒に溺れる騎士団員……上が腐れば、下も腐る。
どんな世界であろうが、いつの時代であろうが、何の組織であろうが変わらない真実。
休憩室を出たのは、酔っていない十人ほどであった。
そこで彼らが見たのは、廊下の奥、物置になっている部屋から溢れ出てくるスケルトン、レイス、ゴブリン、ホブゴブリン、オーク、そしてオーガの大群。
その絶望的に迫りくる光景に、反応できた騎士はいなかった。
何もすることなく、剣を抜くことすらなく飲み込まれた。
いわんや、酒に酔った二十人をや、である。
休憩室になだれ込んだ人ならざる者たちは、その二十人もあっという間に飲み込んだ。
廊下の奥の物置部屋……この建物が修道院であった頃は、地下で中央神殿と繋がっていた部屋である。
もちろん、騎士団はそんな事は知らない。
知っていようが、知っていまいが、何も変わりはしなかった。
建物から溢れた人ならざる者たちは、屋外で演習していた三十人の騎士たちに向かった。
それはまるで、生きている者そのものが標的であるかのような……アンデッドの行動原理であった。
スケルトンやレイス以外の者たちも、同様に。
屋外にいた三十人の騎士たちは、多少は抵抗した。
もちろん、それは屋内にいた者たちに比べれば、という程度であり、二分とかからずに全員が飲み込まれたのだが。
数百、数千を超える人ならざる者たちが向かったのは、さらに北。
王国騎士団の第一演習場。
ここは、三十人の騎士が基礎訓練を行っていたが……全く抵抗できずに飲み込まれた。
不意打ちであることを考えても、王国の精鋭たちとは思えない無抵抗さである。
第一演習場を飲み込んだ人ならざる者たちは、さらに北。
いよいよ、騎士団詰め所へと向かった。
騎士団詰め所。
王城内の騎士団本部と並ぶ、王国騎士団の最重要拠点であり、幹部の多くがいる場所でもある。
そのため、入り口各所には衛兵が立っている。
さすがに入口の衛兵は、酒に酔っていたりはしない。
騎士団だけではなく、外部からの人間にも接する以上、馬鹿なことは出来ない。
また、場合によっては王家の人間や、国の重鎮も訪れたりすることを考えると、現在の騎士団の中で最もまともなのは、彼ら入口の衛兵たちなのかもしれない。
さすがに、彼らの反応は早かった。
人ならざる者たちが迫ってくるのを確認すると、規定通りに鐘を鳴らした。
これは異常事態発生を知らせる鐘である。
少なくともこれで、詰め所の騎士たちが不意打ちを受けることはなくなった……まともならば。
残念ながら、緩み切った騎士たちは、その鐘の音が聞こえても、一向に緊張感を持てなかったのである。
しかも、人ならざる者たちの勢いは凄まじく、入り口衛兵たちの抵抗をほぼ許さず、衛兵と鐘を飲み込んだ。
これによって、鐘の音は止まった。
あまりにも早く止まった鐘の音に、「ああ、何かの間違いだったのだな」
緩み切った騎士たちはそう判断して、今までの作業を続けた。
衛兵たちがいた入り口には、当然閉められた門があるわけだが、それは混ざっていたオーガによって簡単に破られてしまう。
そもそも、ここは辺境ではない。王都なのだ。
王国の中で、最も魔物たちの襲撃から縁遠い場所と言っても過言ではない。
騎士団詰め所の門にしたところで、人間では破りにくいという程度の物である。
その程度の門など、オーガの前には、無いも同然であった。
詰め所の騎士たちが異変に気付いたのは、人ならざる者たちが、建物そのものに侵入した後だ。
そこでようやく、廊下などでの抵抗が始まる。
廊下や階段ならば、一人や二人で抵抗することも可能ではあった。
だが、それらも押し寄せる数の暴力によって、次々と排除されて行く。
一階の廊下、全ての部屋から人間が排除される頃には、二階への階段も半ばまで放棄されていた。
普段は、王城内の騎士団本部にいる騎士団長バッカラーがこの騎士団詰め所に来ていたのは、偶然である。
詰め所四階にある騎士団長執務室に置いてある私物を取りに来ただけであったのだ。
だが、執務室に置いていた年代物のワインを少しだけ飲み、ゆっくりしていたのが仇になった。
バッカラーが異変に気付いた時には、すでに二階が戦場になっていた。
その時になって、ようやく騎士が執務室にやってきて報告したのである。
「騎士団長、スケルトンやオーガによって、詰め所が襲われております」
全ての事情を知っている者がもしいれば、失笑せざるを得ない報告であった。
まず、「今ごろ!」と言われたであろう。
さらに、「なぜよりによってスケルトンとオーガを選んだ」と言われたであろう。
最後に、「もうどうしようもないだろ」と笑われたであろう。
報告している間に、二階の戦闘は終了し、すぐ階下、つまり三階からの戦闘音が聞こえ始めていた。
ここで騎士団長バッカラーが考えたのは、窓からの脱出であった。
三階に降りて、戦闘の指揮を取ろうなどとは露ほども考えなかったのである。
だが、さすがに四階から飛び降りたのでは、死なないまでも重傷は免れない。
しかも、建物の外にも人ならざる者たちはいて、上を見上げていたのである。
バッカラーが、そうやって逡巡している間に、戦闘音はすぐ横、つまり四階廊下から聞こえ始めていた。
ここに至って、ようやくバッカラーは剣を抜いた。
それと同時に、扉が破られ、何かが飛び込んでくる。
バッカラーは、何も考えずに剣を振り下ろす。
ゴブリンを一太刀で切り伏せた。
バッカラーは、騎士として、決して無能と言うわけではない。
ただ、騎士団長になって、少し緩んでしまっただけであった。
ゴブリンを切り伏せただけで、剣が止まったのがその証拠であろうか。
すぐに、斧が飛んできて、バッカラーの胸に刺さる。
口から噴き出る血。
思わず膝をつく。すぐに顔を上げたが、もう遅かった。
バッカラーが見た最後の光景は、ホブゴブリンが剣を振り降ろす姿であった。
ウェア伯爵バッカラー・トー、享年三十八歳。
騎士団詰め所を制圧した人ならざる者たちは、ついに王都市街へと解き放たれた。




