0120 潜入
「あいつらのボディチェックはかなり厳しい。武器を身につけたままというのは不可能だ」
全員の準備が終わり、最終チェックとなったところで、アベルが忍ばせた短剣を見てヘクターが言った。
「その球も……もっと見つけにくい場所のほうがよくないか?」
いわゆる『発信機』の球のことである。
親指大の大きさの球である。
アベルはポケットに入れておけば石か何かだと思うだろう、と考えていたのだが……そこにヘクターのダメ出しであった。
「そうか……。さて、どこに忍ばせるか」
アベルが呟くように言う。
「服に縫い付けておけば……」
「口の中にずっと入れておくのがいいと思うわ」
「いっそ、そのまま飲み込んで、お腹の中に入れておくのがいいよ!」
ヘクターが常識的な提案をし、リーヒャが過酷な提案をし、リンが過激な意見を述べる。
そして言った後、リンはすぐにウォーレンの後ろに隠れた。
「俺はこいつらに命を預けて、本当に大丈夫なのだろうか……」
アベルは天井を見上げて嘆いた。
王都内、『明けの明星』の隠れ家。
ヘクター、オリアナ、アイゼイヤの三人は、紐で縛ったアベルを袋に入れて、外から見えないようにして抱えていた。
「ヘクター、ずいぶん遅かったな」
先に来ていた二人、ケンジーとターロウが、ヘクターたちを迎え入れる。
「ああ、いろいろあってな」
ヘクターはそう言うと、本当に深いため息をついた。
「俺らが尾行した三人だが、一人は王立錬金工房、後の二人は王国騎士団の宿舎に入って行った。どこに帰るかだけ確認しろってことだったから、それで戻ってきたが、よかったんだよな?」
ケンジーがヘクターに確認する。
「ああ、それで十分だ。とりあえず、その三人に関しては、今後一切触れるな」
「え?」
ヘクターの指示に、ケンジーが首をかしげる。
「貴族、それも国王陛下が叙任された貴族が混じっているということがわかった。だから、一切触れない。上への報告も、あの三人に関しては無しだ。俺たちは何も見なかった。いいな?」
「お、おう」
ヘクターのあまりの念押しに、ケンジーも思わず頷いてしまう。
「上が求めていたのは、この捕まえた男の身柄だけだ。この男を無事引き渡せば、他は何も言われないだろうからな。この男は、一人で酒を飲んでいた。そして、そこからの帰りを捕獲した。いいな、そういうことにする」
「ああ、わかった」
ケンジーが答え、ターロウも了解したと頷く。
ヘクターがこういう言い方をするときは、何か厄介な状況が起きているということを、この二人も長い付き合いから知っていた。
そしてそういう場合は、ヘクターが解決するのを待つのが、一番成功率が高いことも、経験している。
そのため、ヘクターの言う通りにすることに、何も問題は無かった。
アベルが袋から出されたのは、それから約三十分後であった。
左の扉の向こうからは、酒に酔った者たちの笑い声が聞こえる。
「雇われた冒険者の詰め所だ」
アベルを袋から出しながら、ヘクターがぼそりと囁く。
そのタイミングで右の扉が開き、中から男が出てきた。
「そいつだな?」
「ああ、そうだ」
男の問いに、ヘクターが答える。
「俺が連れて行く。お前らは、そっちで休め。ご苦労だった」
そういうと、男は扉の奥からもう一人呼び、アベルを前後で挟む。
そして、ボディチェック。
確かに、ヘクターが言った通り、かなり細かなチェックである。
「よし。歩け」
ようやくボディチェックが終わり、アベルは歩かされた。
ヘクターは、それを心配そうに一瞥し、仲間と一緒に左の扉を開けて、冒険者の詰め所に入っていくのだった。
二人の男に挟まれたアベルは、しばらく廊下を歩いた後、がらんとした部屋に出た。
広さは、学校の教室二部屋分ほどであろうか。
中央に椅子が置かれ、それを囲むように三人の男たちが立っている。
「座れ」
そして、アベルはその椅子に座らされた。
腕は紐で縛られているが、それだけである。
余程、男たちは腕に自信があるのか。それともただの油断か……。
正面に立つリーダーらしき男が口を開こうとした瞬間、アベルたちが入ってきたのとは別の扉が開き、二人の男が樽を運び込んできた。
それを見て、部屋にいた五人全員が焦ったように叫ぶ。
「馬鹿! それはこの部屋じゃない!」
「一番奥の部屋だ。さっさと持って行け!」
樽を運び込んだ男たちは、すいませんと頭を下げながら部屋を出て行った。
(あの焦り様……一体何が入っていた?)
アベルは、調べるべき物を見つけた気がした。
「さて……」
アベルの正面に立つ、リーダーらしき男が口を開いた。
「俺たちがお前に聞きたいのは二つだ。誰の手先なのか。それと、どこまで調べたのかだ」
(俺がお前らに聞きたいのは、誰の手先なのか。それと、何をしようとしているのかだ)
アベルは心の中で言い換える。
先ほどから、男たちが身に着けている物から、身分や所属に繋がりそうなものがないか観察しているのだが、さすがに外から見える所には、そういった類の物は着けていない。
「痛い目に合う前に喋った方がいいぞ」
リーダーがそういうと、隣の男がこれ見よがしにナイフを取り出す。
それを見て、アベルは口を開く。
「分かった。話す」
「ほぉ。話が分かるじゃないか」
「俺だって、痛い思いはしたくない。俺の雇い主は、騎士団長だ」
もちろん口から出まかせである。
目の前の男たちが財務卿と繋がっているのは分かっている。
アベルが他に調べたのは、侍従長ソレルと騎士団長バッカラー。
どちらも賄賂をもらって真っ黒であったが、どちらかと言えば、侍従長は大逆や反逆というほどではなかった。
騎士団長バッカラーは、正直、どこまで黒く染まっているのかわからない。
そのための、鎌掛けの意味もあった。
だが、アベルの出まかせを聞いたリーダーの反応は激烈であった。
「なんだと……」
そう言ったきり、押し黙ったのである。
その反応は、取り巻き達を驚かせたし、アベルも内心で驚いていた。
(あれ? なんだその反応は。財務卿と騎士団長の間に、何か繋がりがあると言ってるようなものじゃないか……。さっきの樽といい、ラッキーが続くな! やはり潜入してみるもんだ)
アベルは、自分の決断は間違っていなかったと、心の中で何度も頷いた。
しばらくすると、リーダーは考えがまとまったのか、アベルを見てさらに質問を続けた。
「騎士団長が雇い主か。それなら、お前が嗅ぎまわっていたのは何のためだ?」
「もしものために、財務卿の不正の証拠を握るため」
不正の証拠があるのなら、握っておきたいのは確かである。
それは、敵であればもちろん、現在味方であっても永久に味方とは限らない以上、あるのなら握っておきたいものであろう。
どう転んでも、間違いになりようがない答えをアベルは言った。
「そうか。それで、証拠は見つかったのか?」
「いくつかは見つかった」
リーダーの質問に、アベルは素直を装って答える。
「どこにある?」
「信頼できる仲間に渡してある。俺からの定期的な連絡がなければ、内務調査官に渡るように手配してある」
その言葉を聞いて、リーダーは表情を変えなかったが、取り巻き達は驚いた表情を見せた。
内務調査官とは、内務省に所属し、政府関係者の不正の調査を行う者たちである。
場合によっては、国王からの勅命により、貴族たちを取り締まる権限すら与えられることもある。
「なかなかに面白いな。なぜ騎士団長ではなく、内務調査官に渡るようにしてある?」
「そりゃあ、俺の保身のためだからな」
リーダーの質問に、アベルはいかにも、蛇の道は蛇、という雰囲気を出して答える。
長い間、冒険者をやってきているために、非常にそれっぽく見える。
(やはりこのリーダーだけ、他の取り巻きとは毛色が違う……。倒して拉致するならこの男だな。あとは、この包囲をどうするか)
心の中では、物騒なことを考えているアベル。
現実的に、五人の男に囲まれた状態で、武器も無く手も紐で縛られている状況は余りよろしくない。
もう少し人数を減らさないと……。
「ふむ。どうだろう、その証拠をこちらに売ってもらえないか。無論、力ずくというのもあるのだが……」
そういうと、リーダーは隣でナイフを持っている仲間の方を見る。
「いや、俺も痛いのは嫌だと言ったろう。少しの金と、国外に逃がしてくれるのなら……」
「いいだろう。取引成立だな。それでは、証拠の中身について話してもらおう」
アベルは困った。
元々、証拠など持っていないのだから当然である。
「あー、あれだ、いわゆる……ゲホッ、ゲホッゲホッ」
突然咳をし始めるアベル。そして苦しそうな表情をする。
「なんだ? おい、誰か水を持ってこい」
リーダーが指示を出すと、取り巻きの一人が部屋を出ていく。
アベルはそのまま咳をし続け、ついには椅子から落ち、床を転がりまわる。
「なんなんだ、いったい。おい、神官を連れてこい」
さらに一人が部屋を出ていく。
(こんなところだろう)
アベルは、様子を見るために近寄って来た取り巻きの一人の足を、転がった状態から手で掴んで引き倒す。
倒すと同時に、くるりと床の上で回転し、倒れた男の首に右足を振り下ろして気絶させる。
そして、男が腰に差していたナイフを抜き取る。
それを見て、最後に残った取り巻きの一人が突っ込んでくる。
アベルは、紐で縛られた状態の両手でナイフを持つ。
取り巻きが殴りかかってきたのを外側にかわし、ナイフを横向きのまま脇の下に突き刺す。
「グギャァ」
情けない声を出しながら、刺された男は床を転げまわる。
神経が集中しており、ここを刺されると、人によっては気絶する……。
剣士であるアベルは、経験からそれを知っている。
ようやく、アベルはリーダーと一対一の状況に持ち込めた。
「金と国外逃亡じゃなかったのか……」
リーダーはじりじりと後退している。後ろの扉から逃げることを考えているのであろう。
「悪いな」
それだけ言うと、アベルは男に向かって突進する。
男が、それほど荒事には向いていないことは、最初から感じていたからである。
「ゲホォ……」
案の定、男はアベルの突進を避けられず、肘を鳩尾に叩きこまれ悶絶する。
そんな状態のリーダーの頭をアベルは蹴り上げ、気絶させた。
そこまでやってようやく、アベルはナイフで両手を縛っている紐を切ることが出来た。
ちょうどそのタイミングで、アベルが入って来た扉が開き、人が飛び込んでくる。
『赤き剣』の三人と、イラリオンであった。
アベルの服に縫い付けられた『球』から、ついにアベルが行動を起こしたことを知り、急いで建物に入ってきたのである。
「おぅ。入口の近くに、冒険者たちがたむろしている部屋、なかったか? 気づかれなかったのか?」
アベルが飄々と問う。
「わしの魔法で気配を消してきたから大丈夫じゃ」
「もう! アベル、心配させないで!」
イラリオンが胸を張って答え、リーヒャがアベルにしがみつく。
「お、おう。すまん」
素直に謝るアベル。
「して、何か証拠は見つかったのかえ? 声を聞く限りでは、何もなさそうじゃったが」
「ああ。まずこの男」
イラリオンの質問に、アベルは気絶させたリーダーを顎で指し示す。
「こいつはいろいろ知ってそうだから連れて行く。ウォーレン、悪いがその辺からこいつが入りそうな袋を探して担いでくれ。あと、さっき間違って、この部屋に樽が運び込まれて来たんだが、こいつらそれを見て、相当に焦っていた。あれは何か気になるから調べたい」
「ふむ。一番奥の部屋に持って行け、とか言われておったやつじゃな。アベルとわしと……リーヒャでいくか。ウォーレンとリンは、この男たちを頼む」
そうして、アベル、イラリオン、リーヒャの三人は、奥の扉をくぐった。
扉を出ると、広い廊下があった。
アベルが尋問されていた部屋は、こちらの廊下の突き当りで、とりあえず、そのまま廊下を進むことにする。
途中、水を持って帰って来た男、神官を連れてきた男と神官を気絶させ、三人は廊下の奥へと進んだ。
「ここかな」
両開きの扉の前に着く。
扉に耳を当てて中を窺うが、音はしない。
「どれ。命の鼓動と存在を 我が元に運びたまえ <探査>」
イラリオンが唱えたのは、風属性魔法の<探査>である……探査であるのだが、恐ろしいほどの早口。
詠唱全体で一秒程度しかかかっていない。
「いつ聞いても、絶対適当に言ってるだろ、爺さん」
アベルがその早口の詠唱に呆れたように言う。
「何を言うておるか、馬鹿もんが。長年の修行と研鑽の成果じゃ。扉の中には誰もおらんぞ」
イラリオンのその言葉を受けて、アベルが扉を開けて入る。
扉の中は、さきほどアベルが尋問されていた部屋の二倍ほどの広さである。
奥の方に、例の樽が五十個ほど並べられていた。
「ふむ」
イラリオンが樽を軽く叩いて音を調べる。
「ワインじゃないのは確かじゃ」
「当たり前だろ」
イラリオンの軽口に、アベルが呆れたように答える。
いくつかの樽を見ていくと、蓋の上に、中身がこぼれたのであろうか、黒い砂のようなものが付着しているのが見つかる。
「黒い砂?」
「まさか……」
アベルが首を傾げながら言うと、イラリオンがその黒い砂を触り、臭いを嗅ぎながら絶句する。
「アベル……急いでここを離れるぞ」
「わ、わかった」
滅多に焦ったりしないイラリオンが、額に汗をかき、表情を強張らせながら退くことを勧める。相当にヤバい物であることは、アベルにも分かった。
一行は、急いで尋問された部屋に引き返し、袋に入れたリーダーの男を担いだウォーレン、リンと合流して、建物を出る扉の前まで来た。
「ちと待て。あいつらにも知らせてやろう」
イラリオンはそう言うと、冒険者たちがたむろっている部屋の扉をほんの少しだけ開けて唱える。
「風よ囁け 声を届けよ <ウィスパー> 『ヘクター、イラリオンじゃ。出来る限り早く、パーティーメンバーを連れてこの建物から出来るだけ離れろ』」
それだけ言うと、五人は建物を出るのであった。




