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水属性の魔法使い  作者: 久宝 忠
第一部 第七章 インベリー公国
123/930

0112 ハサン・サッバーフ

館の中は、非常に静かであった。

外から見た時にも、大きな館だと思ったが、中に入っての感想も同様で、幅の広い廊下もそうだが、なによりも天井が非常に高い。


印象は、領主の館というより、地球における修道院という感じ。

涼はそう感じた。



「大抵、一番奥が一番大切な場所」



建物の設計における、宗教的に基本的な考え。

なんと言っても、暗殺『教団』なのである。

宗教的、修道院、そういったイメージを抱いたとしても不思議ではない場所だ。



通路を進んでいくと、正面に両開きの一際大きな扉が現れた。

「あの奥でしょう」

涼の勝手な推測である。

とはいえ、この造りで、この扉の奥に何もないということは、それこそあり得ないであろう。


「<アイシクルランス>」

極太の、直径一メートル以上の氷の槍が発生する。

アイシクル=つらら、など誰も納得できないほどの太さのアイシクルランスが、扉をぶち破る。


それと同時に、涼は部屋の中に突入し、中を確認する。

中央一番奥に巨大な石の台があり、その上に人が横たえられている。



(殿下!<アイスウォール>)

ウィリー王子を保護するようにアイスウォールを生成……しようとしたが出来ない。



魔法は発動する。つまり魔法無効化ではない。


生成した後に消されるわけではない。

つまり海の魔物たちが使う様に、魔法制御を奪われているわけでもない。


魔法は発動するのだが、アイスウォールが生成されようとすると、生成するそばから消えていくのである。




「このタイミングで侵入者とは、興味深いな。もちろん、王子様を救いに来たのだろうが、魔法での保護はできぬぞ」

正面の石の台から少し離れた場所で何か作業をしていた、長い白髪と白い髭の男が涼に向かって言う。


「なぜ出来ないのか教えてもらえますか」

「それは断る」

涼が丁寧に頼むのだが、男は言下に拒絶する。


「そうですか。<アイスウォールパッケージ>」

涼は、男の行動を縛るために、男の周りにアイスウォールを生成する。


「<サンドウォール>」

生成されるアイスウォールに砂が混ざり、アイスウォールの形成に失敗する。

やがてアイスウォールは形を成さないまま霧散した。



「相手の魔法の生成に、自分の魔法を混ぜて妨害……その発想は無かった」

涼は本気で感心した。


だが、感心と同時に戦慄も覚えた。

その技法は、恐ろしいほどの速度で魔法の生成が出来るから、可能になるということに気付いたからである。


涼が唱え終わり、アイスウォールが生成される時間など、コンマ一秒もかからない。

それほどに涼の魔法は速い。

だが相手は、涼の魔法を理解した後に発動し、それでもなおかつ、涼のアイスウォール生成に混ぜてこられるのである……尋常なスピードではない。



「別に特許はとっておらぬから使っても構わぬぞ」

男は両手を拡げながら好きにしろ、というジェスチャーを示す。


そして決定的な言葉を吐いている……『特許』。

もちろん『ファイ』に『特許』という言葉は……ない、と涼は断言しようとしたが、涼が知らないだけの可能性もあることに気付いた。

そう、この世界の事を、涼はまだまだ知らないのだ。



「特許……」

それでも思わず呟く涼。



「ああ、すまぬな。これから死に行くお主が知る必要のない言葉だ。<ストーンランス>」


一瞬のうちに、男の周りに六本の石の槍が生成され、涼に向かって放たれる。


「<アイスウォール10層>」

今度は生成を邪魔されることなく、涼の目の前に氷の壁が生成され、六本の石の槍をことごとく弾き返した。



「ほぉ。その氷の壁はけっこう硬いのじゃな」


男がそう言った瞬間、上方から、巨大な直方体の石が涼の上に落ちて来た。

その光景は、傍から見ている者がいれば、天井が一瞬にして落ちてきたかのように錯覚したかもしれない。



轟く轟音。舞い上がる砂埃。


(<アイスウォール10層>)

砂埃が消える前に、今度は男の上方に氷の壁が床と平行に生成され、自由落下する。


再び轟く轟音。舞い上がる砂埃と……粉々に砕け散る氷。

室内を舞っていたものが全て消え去り、そこには二人の男が何事も無かったかのように立っていた。



一方は、<アブレシブジェット>で落ちてくる巨大な石を切り刻み、自分の上方だけ何事も無かったかのようにして。

もう一方は、自分を中心にした超高硬度の石の円錐を生成させ、落ちてきた氷の壁を貫き、割ることによって。




「石に割られたのはさすがにショックですね」

「水で切り刻まれたのは初めてじゃ」

涼も男も、ニヤリと笑った。




「まずは正面から押しつぶすか。<石槍連牙>」

「<積層アイスウォール10層>」


男の両掌から石の槍が連射される。

だがそれだけではなく、男の周囲に多数の魔法陣が生じ、そこからも石の槍が発射され、涼に向かってきたのである。



その光景は、まるでアニメやゲームで見られるような魔法戦。



涼はアイスウォールの連続生成である『積層』で向かってくる石の槍を防ぎつつも、男の魔法戦に少し感動していた。

(あの爆炎の魔法使いはもちろん、悪魔レオノールも、こんな魔法陣の生成とかやってなかった……。なんか、すごくかっこいいんですけど!)

カッコよさは大切な要素である。何においても。


「その氷の壁を連続生成するのは凄いな。お主、魔力切れは大丈夫なのか?」

「問題ないですね。それより、その魔法陣を浮かべての攻撃。カッコいいですね!」



命のやり取りをしている二人なのだが、会話にはそんな雰囲気は微塵もない。



「ほほぉ、この良さがわかるか! いいじゃないか! わしの弟子共は、この良さが誰もわからんのじゃ。嘆かわしい……。そうじゃ、お主、弟子にならぬか? お主なら、この技法を継げるであろう」

「いや、さすがに暗殺教団に入るのはちょっと……」


なぜか弟子への勧誘を行う男。

それに対して、さすがに暗殺者になってまでは、カッコよさを追求する気にはならない涼。


「むぅ……残念じゃ……」

心底残念そうな顔をする男。




「では次は僕から行きます。<ウォータージェット256>」

男の周りに発生した二五六本のウォータージェットが乱数軌道で動き、全ての物を切り刻む。


「<浮遊石壁-アクティブ>」

男の周りに無数に発生した掌大の石が、恐ろしい速さで動き回り、自らウォータージェットにぶつかっていく。



ぶつかった水と石は、対消滅を起こし、両方とも消滅。



数秒の内に、256本のウォータージェットは石による自爆攻撃によって消滅し、男は無傷のまま立ち続けた。




「そんな方法で防ぐとは……」

涼は、ある種感動していた。



乱数軌道で動く二五六本のウォータージェット。

正直、涼でもどう防げばいいか思いつかないほどなのだが……男は無数の石をぶち当てることで対消滅を引き起こしたのだ。


ファイアージャベリンにアイシクルランスをぶつけて消し去るように。

ウォータージェットに石礫をぶつけて消し去った。

やられてみれば、これが最もあり得る対処法かもしれない。




「ふふふ、けっこうすごいであろう? 石それぞれがぶつからないようにするのが、なかなか難しかったのじゃが。これなら数に任せた攻撃も防ぎきれる、今のようにな。一度身につけた技術は、歳をとってもなくならん。技術は衰えない、じゃな」

男は自慢げに説明した。


「まさに至言ですね。ですが、それほどの魔法制御、相当な訓練が必要だったでしょうに……」

「確かに、昔は訓練に明け暮れたものじゃ。じゃが、今のはそう難しくはないのじゃ。あれは、錬金術を使っておるからな。土属性魔法と錬金術の併用じゃよ。お主の水の線は違うのか?」


「あれが錬金術……。僕のは純粋に水属性魔法だけですね。錬金術、やはり興味がありますね」

「あれだけの制御を魔法だけとは……わしとしてはそっちの方が興味あるわい」

涼の答えに、半ば呆れたように返す男。



「のぉ、最期に今一度問うが、やはりわしの弟子になる気はないか? そこの王子を返せと言うのであれば、無傷で返しても良い。わしの永遠の命のために必要だったのじゃが、最後にお主を育てられるのであれば、死も受け入れられそうじゃしな。どうじゃ?」

「残念ながら、暗殺者になる気はありません」


ほんの少しだけ、この男の錬金術などの技術が欲しいとは思いつつも、その思考は一瞬だけであった。



暗殺者になる気はない。



「そうか、残念じゃ。ならば本気で行くぞ。死ね。<流星爆弾>」



だが男が唱えても何も起きなかった。


(失敗か? いや違う、あの男は何と唱えた? 「流星……爆弾?」 まさか!)



涼は上を向いて唱える。

「<アブレシブジェット128>」

館の天井をアブレシブジェットで切り裂く。


「<アクティブソナー>」

上空から迫る物体……隕石は四体。



「ここにきて純粋な質量攻撃か!」

涼が叫ぶ。




「気づくとはさすがだ」




その声が後ろから聞こえた瞬間、反射的に涼は身をよじり、前方に飛び込み受け身を取って、すぐに立ち上がる。

同時に腰から村雨を取り出し、刀身を生成して、振り返る。


声が聞こえた瞬間に背中を刺されたが、アイスアーマーと妖精王のローブが致命傷は防いだようだ。



そして涼が立っていた場所には、細く反った片刃の剣を構えた男がいて、首をひねっていた。

「防がれたか……属性攻撃を付与した刀なのじゃが、そのローブが防いだらしい……。属性の無い普通の剣の方が、良かったのか……興味深い」


「あの四体の質量攻撃は囮で、近接戦が本命か」

「ああ、そうじゃ。もちろん、軍隊相手や都市破壊なら、あれを落とすのも有効じゃが、ここに落とすと王子様まで巻き込みかねんじゃろ。だから近接戦でと思ったのじゃが、やりおる。まあ、そうよのう、魔法使いじゃからと言って近接戦は出来ません、では話にならんわな」



そう言うと、男はクククと笑った。



「そういうあんたは、暗殺者のトップなのだから、当然近接戦も出来ると」

涼は話しながらも、油断なく村雨を正眼に構える。


「当然じゃ。あやつらはわしが育てたのじゃからな。それよりお主……その構えに黒髪じゃと、わしの故郷の人間に似て……しかもその氷の剣? 反っておらぬか?」

「今ごろ気付きましたか。僕も、あなた同様に異世界から来ました。しかも、どうも日本人みたいですね……さすがにそこまでの確信はなかったのですが」


涼がそう言うと、男は大きく目を見開き、心底驚いた様子を見せた。



たっぷり十秒ほど、どちらも無言であった。



先に口を開いたのは、男であった。

「まず確認じゃ。お主、わしを殺すのが目的か?」

「いいえ、王子の奪還が目的です」

男が問い、涼が答える。


男は一つ頷くと、刀を収めた。

「ならば戦わぬ。王子は持って行くがよかろう」

「え?」



さすがにその展開は涼にとっても意外であった。

男同様に自分も異世界人であることを明かせば、剣先が鈍るかもしれない、程度の考えで告げたのであるが……まさか戦闘そのものが終結するとは想定外である。



「わしがこの世界に転生する前に、一人の男が先に転生したと聞かされた」

涼がウィリー王子の元に行こうかどうか迷っているうちに、男は語り始めた。


「聞かせた者は、『ミカエル・カメイ』と名乗る、天使の役割をしている者だと言った」

「ミカエル! 彼は元気でしたか?」

「あの手の存在が病気などになるとは思えんが」

そういうと男は笑った。


「もちろん元気だ。先に転生させた男が、自分の事を『ミカエル・カメイ』と呼んでいたので、そう名乗ることにしたと言っていたが……呼んだのが、お主であろう?」

「確かにミカエルとは心の中で言いましたが……カメイは……あ。カメイって、仮名か。ああ、はい、僕が名付け親ですね」


涼は微妙に納得いかない部分を感じつつも、ミカエル自身は気に入ったんだなと、そこは少しだけ嬉しかった。




「わしは、この大陸の西の端に転生したのじゃが……いつの間にか中央諸国に根を下ろしていた。自分はハサン・サッバーフの生まれ変わりだと気づく出来事があり……そして暗殺教団を作った」



「山の長老……」

涼がハサン・サッバーフの別名を言うと、男は笑った。



「ああ、そうだ。土属性魔法を使えたからな、それを鍛え、錬金術は良き師に出会えたために、それも鍛えた。ああ、そういえばお主は……エルフか何かに転生したのか?」

突然、変な風に話を振られて、涼は意味が分からなかった。


「いえ、人間のはずなのですが……」

「そうか。それにしては随分若く見えるな。わしがこっちに転生して七十五年、お主はそれよりも前だから……それなりに歳をとっているはずなのにな」

「……は?」




この男は何を言っているのだろう。

涼は転生して、二十年程のはず……ロンドの森で過ごしていたのは多分そのくらいのはず……そう、「多分」……しっかりと日数を記録していたわけではないため正確にはわからないが……。


いや、それでもさすがに七十五年以上とか……だって、外見はそんなに歳くってはいないよ……?


うん、まあ、転生してから歳とらないよなぁとは、思っていたよ?

そりゃあ、さすがに気付くよ?

でも、でも、七十五年以上とかは、あんまりじゃない?




「ああ、そうであったわ。ミカエルが言っておった。時間軸は変わると」

「……時間軸?」

男が何か思い出したように言い、それで涼は混乱した思考から引き戻れた。


「あの白い世界に後から来た者が、この世界の相当前に転生したりすることもあると」

「……どういうこと?」

「わしは、お主よりも後にミカエルの元にたどり着いたが、お主よりも前の時代に転生したのであろうな。ということはだ、わしらと同じ時代の者が、この世界の何百年も前に転生していることもある、ということだ」



涼の頭に真っ先に思い浮かんだのは、『カフェ・ド・ショコラ』のコーヒーセットであった。

あるいは、もっと前の時代に転生した者が広めたのかもしれない、『頭を下げる文化』……。

多くの者が、まるで現代日本であるかのように、お辞儀をする世界。


転生者の影を感じる!



これが、ラノベ的思考の閃きであろうか。



「まあ、時間軸が変わるというのはそういうことかもしれんな」

男はそう言って、勝手に結論付けた。


そして、言葉を続ける。

「わしは、地球にいた時、二十五歳で転生したから、合計百歳じゃ。さすがに昔の様には身体が動かぬようになってな。寄る年波には勝てぬというか……死が近付いているのもわかっておった。そのために、そこのウィリー王子の血が必要になったのじゃ」

「なぜウィリー王子の血が……あなたの寿命と、いったいどういう関係が?」

涼は当然の疑問を抱いた。


「うむ。正確にはウィリー王子でなくともよいのじゃ。あの国、ジュー王国王家直系の人間の血であればな。あの王家の血を材料の一つとして、錬金術を使うと『不死』になれる薬が生成できるのじゃよ」


「不死? つまり死なない、と?」

「そうじゃ。しかも致命傷を負っても、安静にしておれば死なずに治る。破格の性能であろう?」

「いや、確かに破格ですけど……そんな理由で殺そうと?」

「うむ、そんな理由じゃ」


そういうと、男は少しだけ笑った。




男が笑った瞬間、涼は違和感を感じた。




男に対してではない。

男の向こう側の……壁?


涼は明確に知覚する前にとっさに唱えていた。



「<ウォータージェット1024>」



頭の先から踵まで、身体のいわゆる背面全てから噴き出す水の推進力。

今まで、練習では一度も成功しなかった、高速機動。

それによって、涼は一瞬でウィリー王子の元に辿り着く。


涼が感知した違和感は、一瞬で部屋全体に拡がり、同時に壁という壁から矢が放たれ、火の槍、石の槍、そして不可視の風の槍が発射される。

数百を超える攻撃魔法が部屋全体を切り裂いた。


本来であれば、数百が数千であっても、涼や男ほどの実力があれば毛ほどの傷もつくまい。

だが、最初に涼が感じた違和感、それは……、



(魔法無効化だ……)



片目のアサシンホークの時に初めて経験し、アベルの護衛の時に見たベヒちゃんことベヒモスで二度目を目にした、あの魔法無効化。

あの『違和感』だったのだ。



そして案の定、涼は魔法が使えない。

飛んでくる矢や、攻撃魔法を全て村雨で切り伏せる。


運が良かったのは、部屋の真正面の壁、つまりウィリー王子が寝かせられている台の奥の壁からは、何も飛んでこないことであった。

さすがに涼であっても、これほどの数が四方八方から襲って来れば、全て捌ききる自信はない。


しかも寝ているウィリーの身体も守りながらとなれば、不可能であったろう。

だが、三方向からであるならなんとかなる。


天井が、涼のアブレシブジェットで破壊されていたのも大きかったかもしれない。

これで、天井からも攻撃魔法が降り注いでいたなら、状況は絶望的になっていたであろうから。



だが、天井から来なくとも、厄介な状況である。

これは、四方から降り注ぐのを凌ぐのは、さすがにあの男であっても……。



だが、男は凌いでいた。

魔法が使えないこの状況で、体捌きと刀一本で凌いでいた。



「凄いな……」

思わず涼の口から洩れる感嘆の言葉。

人の身体というのは、極めれば、これほどまでに凄い能力を発揮するのか。

心の底から、涼は感心した。



だが、一際攻撃魔法の密度が上がり、涼が自分とウィリーへの攻撃を防ぐために集中した瞬間、今までとは異質な、細い、本当に細い石の槍が男の胸を貫いた。


「ぐはっ」


それによって男の凌ぎに隙ができ、不可視の風属性の攻撃魔法が男に突き刺さる。

そして、その高密度の攻撃が終わると、嘘のように静かになった。




「<アイスウォール10層パッケージ><アイスウォール10層パッケージ>」

魔法が再び使えるようになったのを確認して、涼はウィリー王子をアイスウォールで囲い、さらに部屋全体も囲む。

そうやって、とりあえず安全を確保した。


そうしておいて、男の元に駆け寄る。


「おい、しっかりしろ」

心臓を貫いているのは、細い石の槍であった。


涼が駆け寄って声をかけると、その石の槍は消え、消えたところから血が湧き出ている。

涼は男の胸に手を当てて、心臓の穴を塞ぐように氷の膜を張る。

同様に、風の魔法が突き刺さった右の脇腹、その傷ついた血管も氷の膜で囲う。

とはいえ、これらは回復魔法ではない。


穴を塞いだり、切れた血管をコーティングしているだけである。

さすがに心臓の傷が致命傷であることは、涼でも理解できていた。



「ぬかったわ……自分の部下に殺されるとは、わしも老いぼれたものじゃ」

「血は止めたが、おそらく……」

「ふっ、自分の身体じゃ、理解しておる。間違いなく致命傷じゃ。この傷は、ポーションでも治らんわい」


涼が言いにくいことを、男ははっきりと言い切った。



「それはよい。今まで数限りない人を殺めてきたのじゃから、その報い……にはまだ全然足らぬか。……が……自らが仕掛けておいた罠を部下に奪われ、その罠で死ぬのは……なんとも情けない」

男は自嘲した。


「罠?」

「うむ。この広間で敵を一網打尽にするために仕掛けておいた罠じゃ。二十年以上前の罠じゃが……メンテナンスをきちんとしておいたから、見事に発動したな」

男はクククと笑った。


「だが、あんたの胸に刺さった石の槍だけは、他と違っていたように見えたが……?」

「ああ、あれはナターリアの魔法じゃ。どうせ『黒』あたりにほだされて利用されたのであろうよ」

その嘲りはナターリアに向けたものではなく、自分に向けたものに、涼には見えた。




「おお、そうじゃ、お主に一つ頼みがある」

男は涼を正面から見て、言った。



「わしの錬金術を引き継いでくれぬか?」



「引き継ぐ?」

涼は首を傾げた。


「ああ。とはいえ、地球のアニメやコミックみたいに、スキルの継承みたいなことができるわけではないぞ。わしがまとめた錬金術に関する資料や開発した技術、そういったものをお主に託したい」

「なぜ僕に?」


「決まっておろうが。あの魔法陣を浮かべての攻撃、カッコいいと言っておったろう? 自分の感覚に似た者に継いで欲しい、そういうことじゃ」

「あれって……錬金術?」

「うむ。じゃからお主でも使えるぞ……もちろん、習得するのは簡単ではないがな。血にまみれたものとはいえ、術その物に罪はないであろうさ」


苦しいのか、男は何度か息を整える。

致命傷を負っているのだから、苦しいのは当然なのだろうが。



「ちなみに、お主、錬金術の腕はどれほどじゃ?」

あのカッコいい魔法戦が行える!?


(暗殺者の錬金術だけど、そうだよね、術に罪はない)

都合よく解釈した涼は、心の中でかなり興奮していた。


「ああ……ポーションとマジックポーションは、上級の物が作れるようになりました……」

「なんじゃ、まだ上級ポーションか!? 初心者じゃったか……それは、相当長い道のりを歩かねばならぬな」

「えぇ……そうなの?」


カッコいい魔法戦が行えると喜んだのに、まだまだ無理と言われれば、やはり落ち込むというものである。


市井の錬金術師としては、平均以上なはずなのだが……。

この男のレベルから見れば初心者らしい。



「まあ仕方あるまい。生きてるうちにどこまで辿り着くか……。して、錬金術に取り組んで、どれほどかかって上級ポーションなんじゃ?」

「ああ……だいたい半年ちょっとですかね」

涼は思い出しながら答える。


「半年か! 本当に初心者じゃったか。じゃが、半年で上級ポーションの生成なら、筋は良さそうじゃ。さぼらずに鍛えれば、ものになろう」



そう言うと、男は起き上がろうとした。

「いや、その傷では動くのは無理でしょう」

涼は慌てて男を支える。


「どうせ死ぬのじゃ。お主に資料を渡さねば。ほれ、あの王子が寝かされている台の奥、正面の壁まで肩を貸せ」

そういうと、男は涼に支えられながら、ウィリー王子が寝かされた台の向こう側、唯一罠が出てこなかった壁まで歩いた。




そして壁の前で何やら唱えると、二メートル四方、壁にぽっかり穴が開く。

そこから二十段ほどの階段を降りると、書斎兼書庫といった様相の部屋に辿り着いた。



男は机の前の椅子に座ると、机の引出しから三冊の黒いノートを取り出した。


「ノート?」

「さて、この二冊が基本。で、この回りを金縁にしてあるのが、いわば奥義じゃ」

基本という二冊は、地球における大学ノート程の分厚さであったが、金縁の奥義と呼んだノートはその三倍ほどの分厚さがある。


「とは言え……お主の実力では、まだこの基本の二冊にも手は届かぬであろう……。焦らず頑張ることじゃ」

その言葉を受けて、涼は基本の一冊の最初のページを開いてみる。



ほぼ理解不能であった。



生粋の文系人間が、数学のミレニアム懸賞問題に挑むかのような……書いてある内容の理解には時間がかかりそうだと感じさせるのに十分な内容である。



「ほれ、そこにある鞄に入れていけ。わしが、かつて陛下に下賜いただいた鞄じゃ……」


そういう男の顔色は、真っ青であった。

さらに、目も開いておらず……、



「あの時は、ハサン、ようやった、と陛下に褒めていただいた……」



男はうっすらと笑う。

意識の混濁が始まっているのかもしれない。

自分は、ハサン・サッバーフであると。


王朝自体は、剣で突き刺した意匠とするくらいに憎しみがあったのだろうが……ハサンが仕えたアルプ・アルスラーンのことは、敬愛していたのかもしれない。



だが、しばらくすると、その表情が歪んでいき、苦々しく、言葉がその口から漏れた。



「だが、奴だけは……奴だけは絶対に許せぬ。奴を殺すまでは死ねぬ!」

男は怒りに身を震わせ、目を見開いたが、ここではないどこかを見ているかのようである。

「まだ死ねぬ……奴を殺すまでは……まだ……」


男の死期が、もう、すぐそこにあるのは、涼にも分かった。



涼は男に近付き、耳元で囁いた。



「ハサン、ニザーム・アル=ムルクは、ちゃんと暗殺したではありませんか」



その言葉は落雷のように男を撃った。

そして、男の表情は今までとは打って変わって穏やかなものとなった。


「そうじゃった……暗殺は成功したのじゃ……」

男の声はそこで途絶え……満足そうな表情を浮かべながら、息を引き取った。


『第七章 インベリー公国』終了です。


次話『0113』~『0115』まで、幕間三連続です。

なので、ちょっと一日二話投稿とかします……とりあえず明日、0113と0114を投稿予定です(12時と21時予定)

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