0111 暗殺者の受難
アバンの村。暗殺教団本部。
二人の幹部が会話を交わしていた。
「シッカー、首領は何と?」
「ナターリアか。いや、まだ何も……」
ジュー王国のウィリー王子拉致の実行部隊を率いた者たちである。
「前回拉致した時は偽者で、大目玉をくらったんだよね」
「それは言わないでくれ」
ナターリアが、シッカーの前回の失敗をあげつらう。
「だから今回は、バガビスの部隊に襲撃させて、飛び出した奴はバガビスの部下にだけ追わせた。俺たちは追わずにな。そしたら案の定、本物らしき奴がいやがったわけだし」
「でも、それだって私が合流しなかったら、あの護衛たちを倒しきれなかったでしょ」
「合流してくれると信じていたさ」
ナターリアが押しつけがましく指摘し、シッカーは心の内では渋面を作りながらも表面上は感謝の言葉を口にする。
最終的に、三十人以上動員されたのである。
王子の身柄確保は、それだけ重要だったのだ。
だが、そんなシッカーには、気になることがあった。
馬車を飛び出した影武者を追ったバガビスの部隊など十二人が、未だに戻ってこないことである。
確かに、任務の関係上、必要なタイミングだけ駆り出され、それが終わったらそのまま次の任務へということはままある。
バガビスは、シッカーやナターリアに比べればまだ低位幹部なため、本部に戻らないであちこち回されることも多い。
それにしてもだ。
(森で魔物にでもやられたか? バガビスを含む十二人全員が? あり得ない……)
魔物にすらやられないであろう幹部を含む十二人である。
影武者ごときに後れを取るなどというのは、頭の片隅にも思い浮かばないのは当然であった。
そこへ、首領の近侍が近付いてきて報告した。
「シッカー様、ナターリア様、首領がお呼びです」
「首領、お呼びでしょうか」
シッカーとナターリアが、首領の前に片膝をつく。
首領の後方にある石の台座の上には、拉致したウィリー王子が横たえられている。
「うむ。今回は本物であったぞ。二人ともよくやった」
身長百九十センチ、長い白髪と髭、だが年齢を感じさせない爛々と輝く黒い瞳。
齢九十を超えると言われるが、五十歳代と言われても十分通る見た目。
そして、未だ幹部の誰も敵わぬ化物……。
そう、ナターリアは、心の中で思っていた。
ナターリアが物心ついて教団に入った時から老人であり、一人前になっても老人であり、そして幹部になった今でも老人。
永遠の老人でありながら、恐らく幹部全員が束になってかかっても……未だに倒せない、それが目の前の首領である。
表面上の忠誠を誓ってはいるが、ナターリアはいわば『反首領派』ともいうべきグループの一員であった。
(さすがに、そろそろ引退してもらいたい)
暗殺教団の創始者にして、最強の男であることは事実だが、半世紀を優に超える期間、トップとして君臨すればさすがに、周りには嫌気のさす者も出てくる。
そんな最強の男が執着したのが、ウィリー王子であった。
何のためなのかは、知らされていない。
隣にいるシッカーは、首領に次いで錬金術に詳しい者であるが、ウィリー王子の血が何やら錬金術で必要であるらしいとは以前言っていたが……。
「わしは、これより儀式の準備に入る。この先、何者もこの長老の間に入ることを禁ずる。よいな」
「かしこまりました」
シッカーとナターリアは頭を下げ、首領の前から下がる。
二人が長老の間から出ると、扉が中から施錠される音がした。
(厳重なことで)
ナターリアは心の中で毒づく。
(この扉にカギがついていたことすら、今初めて知ったわ)
ナターリアはもう一度扉を見つめる。
その耳に、シッカーの呟きが聞こえてきた。
「ついに首領様は長年の悲願を……」
シッカー自身は、感動に打ち震えんばかりである。
「ねえシッカー。首領は、これから何の儀式を行うの?」
「え……」
シッカーの顔は、誰が見ても「しまった」という表情であった。
感動したことが思わず呟きとして口から洩れたことに、今更ながら気づいたのである。
「大丈夫よ、誰にも言わないから。どうせもうすぐ完了するのでしょう?」
ナターリアは更にそそのかす。
「あ、ああ……まあ、錬金術に詳しい奴はわかっているんだけど……。首領様が発展させた錬金術に『不死』というのがあるのだが、それを行われる」
「不死? 不死って、永遠に生き続けるっていう、不死?」
シッカーの言っていることを、一瞬理解できなかったナターリアであったが、理解すると、顔色は蒼白になっていた。
だがシッカーはナターリアの方は見ておらず、その表情に気付くことはなかった。
「そう、その不死だ。ついに、首領様が、我らを永遠に支配されるのだ」
(冗談じゃない!)
シッカーと別れたナターリアは、苦虫を噛み潰したような表情で、何度も何度も心の中で叫んでいた。
(そんなことがあってたまるものですか! どうしよう……私一人で判断できることじゃない。そうなると……できるだけ使うなと言われたけれども、これは指示を仰がないと取り返しがつかないことになる)
ナターリアは急いで自室に戻り、特殊な錬金石を始動する。
これで、部屋の盗聴は不可能になった。
そして、鍵のついた引出しから手鏡大の石板を取り出し、右手を置く。
それによって石板のロックが解除され、特定の相手への通信が可能になる。
先ほどの盗聴防止の錬金石も、この通信も、全て元は首領が開発した錬金道具である。
それを、この通信相手が改造して、ナターリアとの遠距離会話が出来るようにして渡してきたのだ。
「『黒』だ」
「『黒』様、ナターリアです。至急にお知らせすべきことが発生いたしました」
相手は『黒』と呼ばれる教団ナンバー2。
また、幹部たちには、ウィットナッシュでの襲撃を主導した人物でもあると知らされていた。
「言え」
「首領がジュー王国の王子に執着していた理由がわかりました。王子の身体を用いて、自身が『不死』になるようです」
それまで抑揚なく聞いていた『黒』の雰囲気が、ナターリアのその報告で激しく動揺したのが通信機越しでも分かった。
そして、『不死』になることが可能だと思っていることも、ナターリアにはわかった。
「これからその儀式に入るとのことで、長老の間に籠られました。いかがいたしましょう」
ナターリアは指示を仰いだ。
これは、反首領派とも言うべき者たちにすれば悪夢とも言える状況である。
正直、『不死』というのがどれほど『不死』になるのかはわからない。
普通に生きていれば死なない状態なのか、あるいは殺しても生き返るのか……。
それら不確定要素も含めて、自分はどうすればいいのかがナターリアには判断がつかなかったのである。
だが……、
「ナターリア、その儀式を全力をもって阻止せよ。準備すらも簡単な儀式ではない。儀式そのものに入るまでに十二時間はかかる。だが、儀式が終わってしまえば、我らの未来も終わるぞ。そなたに与えた全ての力の使用を許可する。よいな、必ず阻止せよ」
「はっ。かしこまりました」
ナターリアがそういうと、石板はただの石板に戻り、通信が終了した。
(『黒』様は『不死』の儀式をご存じだった……。その上で、必ず阻止せよと……。十二時間以内に、か)
ナターリアは、作戦を考えるために思考の井戸に落ちていくのであった……。
(準備は整えた。だがどうしても、もう一手足らない……)
ナターリアは、自室を歩き回りながら頭をかきむしった。
(あと一人、誰か高い戦闘力を持つ幹部でもいれば……そいつが首領と戦っている間に私がやれるのに……。ああ、もう! なんでこんな時にシャーフィーがいないのよ! あいつがいれば捨て駒に出来るのに!)
とてもひどいことを平然と考えることが出来る、それがナターリアである。
(うちの部下じゃ、時間稼ぎにもなりゃしないし……)
もちろん部下すらも捨て駒である。
ナターリアがそんなことを考えながら歩き回っている時、扉を乱暴に叩く音と「ナターリア様!」という叫びにも近い部下の声が廊下から聞こえてきた。
「なに? 入りなさい」
ナターリアの声で、部下が転げるように部屋に入ってくる。
「た、大変です。村が襲撃されています」
「……は?」
ナターリアは意味が分からなかった。
襲撃……襲撃の意味は分かる。
だが、そんなものは簡単に排除できるであろう?
村には百人を超える者たちがいるのだ……しかも全員暗殺者。
たとえ十倍の数の騎士団を相手にしても、この村で戦う限り問題なく撃退できる。
これが例えば、何の遮蔽物も無い砂漠であるとか、平原などであれば別だが、この村は防御戦も考え抜かれた地形、構造物の配置となっているのだ。
暗殺を生業とする者たちの村である。
いつ、どこから、誰が攻めてくるか知れたものではない以上、出来る限りの備えがしてあるのは当然と言えよう。
まあ、そもそも、騎士団の様な者たちが、村に易々と近付いてくることが不可能なのであるが。なんといっても、暗殺者の村なのだから。
だが、この部下は「襲撃されています」と言った。
現在進行中なのだ、この村への襲撃が。
近付くことすら難しいであろう村が、襲撃されています?
「襲撃者は何者か。その規模は?」
ナターリアのその問いに、部下は一瞬答えるのを逡巡したが、意を決して答える。
「一人です」
「一人……だと?」
部下の返答を繰り返すしかできないナターリア。
「水属性の魔法使いが一人。正面から突っ込んできています」
「馬鹿な! 迎撃はどうした!?」
「全員凍らされています。あいつです。ゲッコー商隊にいた、あの水属性魔法使いです。ゲーを氷漬けにしたあの魔法使い。あいつが襲撃者です!」
「なぜそんな奴がここに……」
山道を登り切ると、そこには村が広がっていた。
山道を登っている間も、涼は監視されているのは分かっていたのだが、特に何もせず一本道を普通に歩いた。
中身はどうあれ、いちおう『村』である以上、旅人が訪れることもある。
街で何らかの依頼を受けた冒険者たちが、情報収集や道に迷って村に寄ることもある。
騎士団の様な、見るからに武装した集団が近付いてくるのであれば警戒、あるいは山道での迎撃というのもあったのかもしれないが、涼を監視していた暗殺者たちも、まさかたった一人で襲撃を敢行するとは想定していなかった。
村を視界におさめたところで、涼は頭の中でイメージする。
それは全てが凍り付いた世界。
そして唱える。
「<パーマフロスト>」
『永久凍土』と名付けた、広域凍結魔法。
単純な魔法である。
見える範囲の水分子の分子振動を低下させ、凍りつかせる。
ただそれだけ。
範囲と効果が尋常ではないが。
もし、この光景をアベル辺りが見たら、こう言うであろう。「いや、お前、人を救出しに来たんじゃないのか? そいつまで凍っちゃわない?」
ウィリー殿下は、きっと奥まったところにいるはず。
パーマフロストで凍りついてはいないだろう……涼は勝手にそう思っている。
まあ、人間が凍りついても、生きてはいるはずだし……。
村で、屋外に出ていた者たちは全員凍りついていた。
「シャーフィーは、村にいるのは全員暗殺者って言ってたから、民間人虐殺にはあたらないでしょう」
『暗殺者』が、『戦闘員』なのか『民間人』なのか……涼は詳しくは知らないのだが。
「<アイスアーマー><アイスウォール10層パッケージ>」
涼が唱え終えたところで、五本の矢が飛んできた。
もちろん、アイスウォールに弾かれる。
「<アイシクルランス5>」
矢が飛んできた軌道に、そのまま逆進攻でアイシクルランスを飛ばす。
「ぎゃああああ」
「うぐ……」
飛んで行った先から、いくつかの悲鳴と呻き声が聞こえた。
更に飛んできた攻撃魔法に対しても、同様にアイシクルランスでのカウンターが炸裂する。
「<アクティブソナー>」
脳に入ってくる情報量が多すぎて処理に困るため、普段はあまり使わないアクティブソナーを発動。
パッシブソナーと違い、涼自身から『刺激』を発し、それが何かに当たって反射してくるものを分析することによって、周囲の状況を掴むことが出来る。
動きがない物すら掴むことが出来る点が秀逸で、非常に優秀な魔法なのだ。
そんな<アクティブソナー>で多くの情報を得ながら、村の入口正面から堂々と進んでいく涼。
村中央の一際大きな館前に辿り着く頃には、涼に向けての遠距離攻撃は完全に止んでいた。
代わりに、館前に残存兵力が潜伏している。
「最後は近接戦、ですよね」
わずかに口角を上げ、まっとうな戦闘の流れを喜ぶ涼。
涼が近付くと、潜伏した暗殺者たちから一斉に何かが投げられた。
投げられた物が地面に落ちると、多量の白煙が立ち上る。
「またそれか!」
正直、もう少しオリジナリティが欲しい、などと勝手なことを頭の中で考えた涼。
だが、これがただの煙ではなく、毒などが混じっている可能性もあるため、手を抜くことはもちろんしない。
「<スコール>」
一帯に、瞬間的な大雨が降り注ぎ、宙に舞った煙を全て地面に叩き落す。
いつもならその瞬間に涼は走り出して敵との距離を詰め、相手が驚いている間に無力化するのであるが……今回はスコールで煙を消し去っただけで、そのまま歩き続ける。
一歩ずつ館に近付く涼。
(本当なら、散って、もう一度別の方法での攻撃、とかをやるべきだと思うのですが、暗殺者たちがそれをしないということは……やはりこの館が最重要拠点ということですね)
<アクティブソナー>でも、ウィリー殿下の反応はみつからない。
どこにいるかわからないが、重要拠点内に確保しているのではないかと、涼は思ったのである。
もし、そこにいなかったとしても、重要拠点にいるであろう一番偉い人間に訊けばいいかな、とも考えたのだ。
そして、暗殺者たちの行動から、目の前の館が最重要拠点であることが確信できた。
「よし。それでは全員氷漬け。<氷棺13>」
結局、近接戦は発生しなかった……。
一度村の外に出て、そこから襲撃者の戦闘を見ていたナターリアは驚愕した。
(なんだあの化物は!)
全ての攻撃を防ぐ見えない氷の盾。
その氷の盾の外側から放たれる氷の槍。
(この二つだけで無敵じゃないか!)
しかも煙幕を張って接近戦を挑もうとしたら、一瞬でその煙幕を無効化される……。
悪夢でしかない。
「あれが、ゲッコーのところにいた魔法使いなのかい」
ナターリアは、横にいる自分の部下に尋ねる。
部下の半数は、ゲッコー襲撃を行い、その時失敗した。
「ええ。遠くからでしたが、確かにあのローブ男、いやした」
部下は頷いて答えた。
(ウィリー王子とゲッコーが繋がっていたってことか……あるいは、インベリー公爵がウィリー王子の救出を頼み、ゲッコーがあの男を派遣した……?)
ウィリー王子一行は、確かにインベリー公国を経由してナイトレイ王国に向かった。
公国では、元首たる公爵にも謁見してはいる。
「いや、今はそれどころじゃない」
あえて、ナターリアは声に出して言いきる。
「あの水属性魔法使いの狙いはウィリー王子の奪還だ。ということは、長老の間に行く。長老の間に設置されている罠で倒すよ!」
「ですが、あの罠は、首領様しか発動できないのでは?」
「私ならできる。半分は準備も終わっている。残りの準備をするから、お前たちはあいつから目を放すんじゃないよ」
(首領からもね)
ナターリアは、水属性魔法使いと首領、両方を一網打尽にすることにしたのだ。
どちらも、残しておいては厄介なことにしかならない存在。
ならばこのタイミングで消す!