0110 失態
ウィリー殿下一行はナイトレイ王国に入って三日目、バーシャムの街を出て、王国第二街道を王都に向かって進んでいた。
「昨夜のあの料理……ハンバーグと言いましたか。あれは絶品でしたね。初めて食べましたが、あふれる肉汁と上にかかったソースの絶妙なマッチング……さすが大国の料理だと感服いたしました」
「そうでしょうそうでしょう」
箱馬車の中では、昨夜、宿の食堂で食べたハンバーグについて、ウィリー殿下が熱く語っていた。
そして涼が、我が事のように、嬉しそうに頷いている。
「リョウさんが勧めてくれて良かったです。もし食べていなかったら、私は長い間、後悔し続けたに違いありません」
「さすがは殿下です。食は王族の嗜みと申します。美味しいものは正義です。ぜひこれからも、王国で美味しいものを食してください」
ウィリーの感激に、涼も調子に乗ってうんうん頷きながら話している。
だが、そんな平和な光景は、突如として破られる。
涼の<パッシブソナー>に反応があった。
涼は馬車の窓を開け、すぐ傍らを馬に乗って護衛しているコーンに言う。
今回、護衛、冒険者、全員が騎乗している。
もしもの場合に、速度を上げて逃げ切れるようにである。
だが……、
「コーンさん、全方向からの襲撃です」
全員騎乗していることを知っているとでも言わんばかりに、逃げ道を絶っての包囲網の収縮が始まっていた。
「くそっ。人数は?」
コーンは小さく悪態をつき問う。
「包囲は十人。それ以外に奥の森に五人進出してきました。そっちの別動隊は伏兵か予備戦力か……包囲には加わっていません」
「合計十五人か……多いな」
涼の報告に、苦々しい顔して考えるコーン。
涼は五人の別動隊が気になっていた。
全体の動きを指揮しているかのような場所に……。
こういう所に、指揮官がいることが多いと。
「リョウ、すまんが、敵を少し引き離してもらえるか。倒す必要はない。再合流できなそうなら、そのまま去ってもらってもいい。国境は越えたからな」
「大丈夫です。襲撃されたらタイミングを見て、殿下のふりをして離脱します、敵を引き連れて。そのまま森の五人も……。その時は、合図をお願いします。敵が減ったら、速度を上げてウイングストンの街に逃げ込んでください」
コーンは、自分の提案もあんまりだと思っていたが、涼からの再提案はさらにハードなものであった。
「いや、それはさすがに……」
「僕は大丈夫です。絶対に止まらずに、ウイングストンまで行ってください」
「……わかった」
しばらくすると馬車列の左側から聞こえてきた。
「敵襲!」の声。
涼はいつものローブの、フードも被る。一見、誰かは分からないはずだ。
ウィリー殿下もロドリゴ殿も、もはや何も言わない。
この後の展開は、先ほどの涼とコーンの会話で分かっているから。
涼は窓からちらりと外を確認する。
襲ってきた者たちは……、
「暗殺教団?」
そう、例の暗殺教団の黒ずくめの服装に見えたのである。
だが……世の中、襲撃者みんながみんな、暗殺教団だとは思えないのだ……他にも襲撃を生業としている者たちはいるだろうと。
「リョウさん……」
そう呼びかけるウィリー殿下の目には、涙がたまっていた。
死なせてしまった、前の影武者とだぶっているのかもしれない。
「殿下、僕は大丈夫ですから。ウイングストンまで走り切ってください」
そして、ついにコーンの声が聞こえる。
「殿下、お逃げください」
「では、行ってきます。ご武運を!」
涼はそう言うと、馬車の扉を開けて外に飛び出る。
その際に、後ろ手に扉は閉め、中は見えないようにした。
そしてそのまま街道を外れ、森の方へ走る。
<パッシブソナー>で、追ってきている人数を確認する。
(七人か……)
十人の襲撃者のうち、半数以上を引き離した。
ウィリー殿下の護衛は四人、冒険者はC級六人。
十人で暗殺者三人相手なら、十分に勝算はあるだろう。
あとは、森の中にいる五人の動きがどうか……。
この時、涼はそう判断した……。
馬車から、二キロ程は離れただろうか。
追ってきている人数は十二人……森の中の五人もこちらに食いついていた。
これは、馬車で確認した時に、森の中にいた五人の傍らを、あえて涼は逃げるルートに選んだというのもあるかもしれない。
それで五人も、涼を追ってきた。
やはり別動隊であったらしい……。
(ここまで引き離せば十分でしょう)
涼はそう思うと、森の中の少し開けた場所で、足元をとられて転んだ風を装い立ち止まる。
そこに追いつく十二人の襲撃者。
途中から追ってきた五人の中の指揮官らしき男が、涼の正面にいる。
おそらく、最も腕がたつのであろう。
雰囲気が、他とは少し違う。
半包囲に涼を囲み、そこからじりじりと両翼を拡げ、全包囲で涼を囲むように動き始める。
涼を拉致しようとするのであれば、退路を断つのは当然の動きである。
(<アイスアーマー>)
極薄の氷の鎧をまとう。
そうしながら、涼は襲撃者たちをしっかり観察した。
(やはり暗殺教団の一味……)
襲撃者たちの格好は黒ずくめであるが、その黒ずくめな格好も、シャーフィーたち暗殺教団に共通の『格好』である。
(ロー大橋を落としたり、街を壊滅させたり、ゲッコーさんを襲ったり、挙句の果てには王子様の拉致……暗殺教団、手広く活動してるなぁ)
涼は状況にふさわしくないのんびりとした思考を展開している。
そうこうしているうちに、襲撃者たちの全包囲が完成した。
(よし。<アイスウォール>)
心の中でアイスウォールを唱える。
透明な氷の壁が、襲撃者たちの『外』に生成される。
「これで逃亡できませんね」
襲撃者十二人は、袋のネズミになった。
ここまで引っ張って来て、逃がしてしまっては元も子もない。
涼は村雨を抜き、氷の刀身を生成する。
「いざ参る」
涼は、正面にいる指揮官らしき男に突っ込んだ。
男は、氷の剣をナイフで受けるのは危険と見たのか、身体ごと避ける。
涼が振り降ろした村雨は、地面に当たる寸前に方向転換し、ほぼ左手一本で左斜め上に斬り上がる。
男は一合も受けることなく、胴を下から斜めに切断され、地に落ちた。
いわば、燕返し(未熟)である。
「スピード足りないよね……こんなのを物干し竿でやってた佐々木小次郎、凄い」
人ひとりを自らの手で斬り倒したのであるが、特に感情の起伏はない。
「やはり襲撃者というか暗殺者だからかな? むしろ、あの片目のアサシンホークを倒した時の方が、いろいろ感じた……」
涼がそんな独り言を言っている間、残り十一人の襲撃者たちは動くことが出来なかった。
完全に『気圧され』ているのだ。
想定外の凄まじい剣。
『剣はからっきし、魔法は使えるが水を出せるだけ』
それがウィリー王子に関する情報。
そういう情報だったはずなのに、一合も合わせずに仲間を切り殺した手並み。
気圧されるには十分であった。
その状況のまま、涼は次の襲撃者の元へ駆け寄り、突く。
首、胸、また首への三連突き。
三連目の突きでは刃を横に向けて突き、相手がかわした方向にそのまま横薙ぎ。
力ずくで首を刎ね飛ばした。
「ダメだね……新選組の人って、ホントにこんな突きをやっていたのかな……」
涼の適当知識に基づく剣である。
新選組で知られる天然理心流と言えば、三段突きが有名であるが、実際は四段、五段といくつも技が連続していくのである。
だが、涼がそんなことを知るはずもない……。
「やはり付け焼刃はダメと。そして、自分の手で人を殺しても、動揺することもなさそうだということは確認できた」
あえて口に出して言っている辺り、実は心理的に負担になっているのを多少誤魔化しているとも言えるのであるが……それでも深刻な問題にはならなそうである。
「残りは全員捕虜。<氷棺10>」
そう言うと、生き残った襲撃者十人は、たちまち氷漬けとなる。
「生きてはいるから……忘れなかったらそのうち解凍するよ……一カ月後くらいにね」
一カ月後なら、さすがに王都に着いているであろう。
涼は襲撃者を倒し、あるいは氷漬けにした後、とりあえず馬車のあった場所に戻ることにした。
おそらくは上手く逃げており、誰も残っていないだろうとは思いつつも、確認は必要である。
だが、ある程度近付いたところで、異変に気付いた。
涼の<パッシブソナー>は、動かないものには反応しない。
時間によって変化する、動くものを捉えるからである。
それによると、ほとんど動かないのだが……そう、『ほとんど』である。
襲撃者たちは、死体すら焼却して始末する者たちだ。
襲撃者の生き残りが残っているはずがない。
ではウィリー一行は?
無事に走り去ったのであれば、誰もいないだろうし、極わずかな可能性として、とりあえずウィリー殿下の箱馬車だけでも先に逃がし、負傷者はそのまま道に置き去り……。
もちろん、ウィリーの性格には合致しないが、緊急事態であった以上、ままならないこともある。
そもそも東部一と言われる第二街道沿いである。
他の商隊なども通るのではと思うのだが……。
現実は、誰ももめ事には首をつっこみたくないだろう。
利益を最優先するような商人であれば、なおさら……。
涼が辿り着き見たのは、ウィリー一行の護衛、冒険者たちが倒れている光景であった。
見回し、街道に倒れ伏している老人を見つけて駆け寄る。
「ロドリゴ殿!」
「リョウ殿……殿下が……殿下が……」
涼の呼びかけに、ロドリゴ殿がうわ言のように繰り返す。
「ちょっと待ってて」
涼はそう言うと、箱馬車に乗り込み、いつもの肩掛け鞄を持ってきた。
この中には、涼が錬金術の練習で作った上級ポーションや、空き時間に買い込んでおいた店売り標準ポーションなどが入っている。
とりあえず、涼が持つ中でも最も効果の高いポーションをロドリゴ殿に飲ませる。
苦労しながらも嚥下し、切り裂かれた腹部にも直接ポーションをかけ、なんとか命はとりとめた。
もう少しすれば動けるようになるはずである。
だがその時間も惜しいのであろう、ロドリゴ殿は涼に頼み込む。
「リョウ殿……殿下が連れ去られてしまいました……リョウ殿が……賊の多くを引き連れて行って……くださったのですが、その後……増援があり……」
「増援!」
迂闊であった。
別動隊は、森の中の五人だけではなかったのだ。
涼のパッシブソナーでも探知しきれないほど離れた場所にも、配置されていた……。
素直に、この場で賊を倒すべきであったのだ。
コーンらと連携して。
ウィリーの身を守りながら。
涼なら、それは十分にできたのだから。
あるいは、敵を引き離すにしても、極端な話、馬車をアイスウォールで囲んだまま森に入る、とかでも良かったはずなのだ。
そうしておけば、少なくともウィリー殿下が拉致されることはなかったのだから……。
森の中にいた別動隊が気になり、それを倒すために離れた……結果がこれである。
はっきり言って、悔やんでも悔やみきれなかった。
涼は、己の愚かさに唇を噛んだ。
『護衛』依頼なのだ……『護衛対象者』の傍を離れるのが、最も愚かな行動であったと。
だが、今はもっと大切なことがある。
後悔はあとで!
まずはウィリー殿下を助け出さねばならない!
「リョウ殿……どうか助けを呼んできて、殿下の救出を……」
そこまで言って、ロドリゴ殿は意識を失った。
息はある。脈も正常。大丈夫。
そこまで確認して、涼は辺りを見回す。
護衛四人、冒険者……六人、全員動いてはいる。
とどめを刺すよりも、ウィリー殿下の拉致を優先したのか?
前回の影武者の時も、皆殺しにはなっていなかったらしいし……。
涼は倒れているコーンに駆け寄り、上級ポーションを飲ませ、胸と首の傷にもポーションを振りかけた。
「うぐっ……」
わずかにコーンが呻く。
「コーンさん、わかりますか? 涼です」
ようやくコーンがわずかに目を開き、涼を視界におさめる。
「リョウ……すまん、殿下が……」
「ええ、ロドリゴ殿から聞きました。見たところ、全員息はあります。ポーションを置いていきますので、コーンさんが皆に飲ませてください。僕は殿下を救出に行きます」
「お、おう……」
涼の剣幕に押され、いろいろ疑問もありながらも頷くコーン。
「ウイングストンは、この街道をそのまま進めばたどり着けますよね?」
「ああ」
「では行ってきます」
そういうと、涼は街道を西に走り出した。
ロドリゴ殿もコーンも、おそらくウィリー殿下が連れ去られた先がどこかは知らない。
だが涼にはその当てがあった。
暗殺教団本部。
『王国東部の小さな村だ。東部最大都市ウイングストンから、北に徒歩で一日。山の上にあり、アバンの村と呼ばれている』
暗殺教団の幹部であったシャーフィーが言った言葉である。
もし教団本部にいなかったとしても、本部の人間に訊けばいい。
涼は、そう割り切ることにした。
そもそも、小国の王子でしかも八男であり、正直それほど人質としての価値があるとも思えないウィリー殿下が、今回を含めて二度も襲撃される……しかもあの暗殺教団から。
徳川家康のようにどこかの国が横取りしようとして暗殺教団に依頼したか、あるいはウィリー自身の身体に何らかの価値があって、しかも生きたまま確保する必要があるのか……。
相当に特殊な理由である以上、それなりに高位の幹部の元に送られると考えたほうがいいであろう。
そしてこの周辺で、幹部が集まる場所……涼は教団本部しか思いつかなかった。