0011 持久力
涼は、今日も走っている。
あるいは、今日も歩いている。
とにかく、動き続けている。
太陽が出るのが早いため、午前中だけであっても、かなりの時間を動き続けることになる。
そう、だいたい地球の時間にして五時間ほど。
とはいえ、マラソンの様に常に一定の速度で走るわけではなく、時々インターバル走が入ったり、逆に歩いたり。
結界外縁は全周六百メートル程度だが、それを二周急走で、次の一周を緩走で、その次の二周を歩行で、みたいな。
そうやって、歩きも入れながら、だが、少なくとも五時間、止まることは無い。
そして、動き続けながら、魔法の練習も行う。
午前の訓練が終わると、もう涼の身体は疲労のピーク。
だが、ここで倒れてはいけない。
まずはアイシング。
高くなっている筋肉の温度をクールダウンするのだ。
これはまさに、水属性魔法使いの面目躍如。
氷を散りばめた水の膜が身体に貼られ、筋肉を冷ましていく。
十五分ほどのアイシングで血管が収縮。
アイシングが終了すると、リバウンドで血管が拡張し、疲労物質がいつもより多い血流によって、効率よく流されていくのだ。
そして、整理運動としての柔軟体操。
これで、怪我の予防にもなっている……多分。
お昼は、朝ごはんの残りを食べる。
朝ごはんを作る段階で、二食分作っておく。一食分作ろうが二食分作ろうが手間は変わらないから。
そしていよいよ、狩り。
狩りであるのだが……最近は、ほとんどルーチンワークと化していた。
レッサーラビットやレッサーボアが相手では、当然ピンチに陥ることは無い。
ノーマルラビットやノーマルボアでも、ほとんど変わらない。
もちろん、だからと言って油断することは無い。
もしアサシンホークと遭遇すれば、何が起こるかわからないからだ。
そう考えると、本当にアサシンホークというのは、人間にとって厄介な敵だと言えるだろう。
今はまだ午前の訓練メニューに四苦八苦している状態なので、それが午後にまで影響しているが、もう少し慣れてきたら、少し行動範囲を広げてみたいと涼は思っていた。
とりあえず東か北へ。
そしていずれは、南西……海へ!
そう、いずれは海にも行かねばならない。
それは、塩を調達する必要があるからだ。
人が生きていくのに絶対に必要なもの、水と塩。
水はそれこそ無尽蔵に生み出せるが、塩はそういうわけにはいかない。
創世記に出てくるような、ロトの妻を塩に変えてしまうような神の奇跡……はさすがに涼には出来ない。というか、できたら怖い。
素直に、海に行って塩田なり別の方法なりで塩を手に入れるのが無難であろう。
ミカエル(仮名)が準備してくれている塩は、今のペースで使っても、優に一年以上もつほどの量がある。
だが、塩田などやったことのない涼としては、塩を手に入れるのがどれほど手間のかかることなのかを知っておきたい、というのがまずある。
無くなる直前になって、焦ったりするのは嫌なのだ。
それに、海の幸も久しぶりに食べてみたい、とかになる可能性もある。
お肉大好きな涼ではあるが、海の幸が嫌いと言うわけでは決してないのだから。
持久力をつけるための訓練メニューに取り組んで二カ月ほどたっただろうか。
ようやく、午前のメニューをこなしても、午後の行動には響かなくなってきていた。
「よし、今日は少し先まで行こう。まず目印が必要」
そう言うと、涼は結界内に氷の塔を建て始めた。
外観は塔というよりは、旗の掲揚台というべきだろう。高さは百メートルほどあるが。
少し離れたところから見ると、太陽の光が反射して綺麗である。
「この高さなら、大抵の場所から見えるよね」
ロンドの森は鬱蒼とした森ではあるが、それでも森の切れ間とも言える場所はけっこうある。
これだけの高さであれば、二キロ先からでも視認可能……かな?
とりあえず、これを目印にすれば、帰る方向を間違うことは無さそうである。
百メートルという高さではあるが、適当にスピード重視で造ったためにいろいろかなり適当だ。
塔の太さは直径三メートル程、いちおう円柱である。
よく倒れないものだが……涼の魔力が通じている間は倒れない、なぜかそのことが『分かる』。
「こういうのは、僕が知っている物理法則とは違うと思うんだよねえ」
涼の魔法技術が上がってきて、地球との違いを感じるようになってきたのだ。
いや、地球では起こせない現象を起こせるようになってきた、という表現が正しいのかもしれない。とは言え、涼にはそのあたりの自覚はまだ希薄である。
遠征道具はいつも通り。
いつもの腰布とサンダル。
いつものナイフ付き竹槍と麻袋。
毎日竹刀みたいな竹を素振りしてはいるが、剣として使える武器は無い。
しばらくは、物理武器としては、ちょっと新調したこのナイフ付き竹槍となるであろう。
何度折られても、ナイフ部分さえ無事なら付け替えが効く!
とってもエコ!
「よし、進む方角としては北東にしましょうか」
北は、かなり広い湿原地帯がある。
その湿原の東端がどのあたりかわからないので、なんとなく北東辺りに向かってみることにしたのだ。
進んでみて、まだ湿原があればまあそれはそれでよし。
かなり東西に拡がっている湿原であることが確認できるわけだし。
出発しても結界から一キロほどの間は、特に変化は無かった。
遭遇した魔物も、レッサーボアが一頭だけだ。
そして回収できた果物は、イチズク十個ほどと、リンゴに似た『リンドー』と呼ばれる赤い果物であった。
「見た目も味もリンゴ! これでアップルパイが作れる……もちろん僕には作れないけどね!」
一人ノリツッコミ……転生して、明らかに独り言が多くなった涼であった。
リンドーも十個ほど確保し、さらに北東へ進む。
家から、二キロ近く離れたあたりだろうか。
パリン
後方のアイスウォールが一撃で割れた。
涼は、ロンドの森の奥まで入る今回の遠征、何があるかわからないということで、薄いアイスウォールを自分の周りに常時配置しながら移動していた。
薄いとは言っても、アサシンホークの不可視の風属性攻撃魔法エアスラッシュなら、二発は耐えられるくらいの強度はあるはずなのだ。
それが一撃で割れた。
考えるより先に身体が動いた。
右斜め前方に飛び込み、肩から地面に落ち、受け身をとりながら一回転。
起き上がって後ろを見ながらとりあえず唱える。
「<アイスアーマー>」
胸部、腰部、手甲、脚甲が氷で作られ装備される。
とりあえず、当たると即死、を回避するにはフルプレートメイルとまではいかなくとも、簡易的な鎧はあったほうがいい。
「コブラみたい……カイトスネークか。尾を鞭のように振るってダメージを与える直接攻撃。その尾の動きから発生するエアスラッシュ。そして極めつけは口から飛ばす毒液。なんて厄介な」
見た目は、涼が呟いた通り、コブラ……。
そしてコブラの様に鎌首をもたげている。
だがその大きさが尋常ではない。
全長は……ちょっとわからない……何せとぐろを巻いているから。
鎌首の位置は地上から三メートルほどの位置。相当、仰ぎ見なければならない。
恐らくアイスウォールを一撃で破壊したのは、尾による直接攻撃であろう。
エアスラッシュはアサシンホーク戦で何度も経験している。
不可視と言うだけで相当に厄介な攻撃であるが、さすがに一撃でアイスウォールを壊せはしないはず……。
少なくとも尾の攻撃がこちらに届いたということは、すでにここはカイトスネークの間合い。
仕切り直して、先手を奪い返さねばならない。
(<アイスウォール コの字>)
アイスウォールが、カイトスネークの前左右をコの字で囲い込む。
本来、撤退用の<アイスウォール コの字>であるが、こういう使い方もできるのだ。
そして心の中で唱え、アイスウォールが生成されると同時に涼は後方へ跳ぶ。
少なくともアイスウォールは、尾の攻撃を一撃はしのいでくれる。その間に後方に下がり、カイトスネークの間合いから出る。
だが、カイトスネークの軌道は涼の予想を超えていた。
アイスウォールを割るのではなく、自分で移動してアイスウォールを迂回し、後退する涼に迫ってきたのだ。
「さすが蛇。草の上での移動速度が速すぎる、だが!」
(<アイスバーン>)
草ごと地面を凍らせて、氷の道路にしていく。
移動の勢いがついたままアイスバーンの上に乗ってきたカイトスネークは、もう自分では止まれない。
(<アイシクルランス16>)
もはや涼の十八番ともいえる、アイスバーン+アイシクルランスである。
アイスバーンから三十度の角度で生えたアイシクルランス十六本が、滑ってくるカイトスネークを迎え撃つ。
バキン
「何っ!?」
ボアなら突き刺さるのに、カイトスネークはアイシクルランスを割ったのだ。
そう、最初にアイスウォールを割った、あの尾の攻撃で。
「<アイスウォール>」
滑る勢いは止まっていない……つまり刻一刻と涼との距離が縮まる。まずはそれを止めるためのアイスウォール。だが……、
バリン
再び、尾の攻撃で割る。
「でしょうね。<アイスウォール5層>」
常時展開していた薄いアイスウォールではなく、幅三メートル、高さ三メートル、厚さ通常の二倍のアイスウォールを5層生成する。
これは完全防御用に編んだ魔法だ。
ガキッ ドゴッ
今まで通り尾で割ろうとしたが、さすがに一撃では割れず、一層目にひびが入っただけであった。そして滑ってきた身体もアイスウォールに当たって止まった。
だが、涼には一息つく間もない。
滑って涼を捕らえることが出来なくなったとわかるや、カイトスネークは自慢の尾をアイスウォールの外側に回して涼に迫ってきた。
しかもエアスラッシュを放ちながら。
(<アイスシールド>)
テニスのラケットほどのシールドが空中に生成され、エアスラッシュを防ぐ。
だが、その間にカイトスネークの尾の接近を許してしまう。
致命的な選択ミスだった。
「<アイスウォール5層>」
アイスウォール5層は、涼の防御の中でも最高の堅牢さを誇る。
しかし、普通のアイスウォールの生成がゼロコンマ一秒程度であるのに対して アイスウォール5層は一秒近くかかる。
普段なら十分なスピードだと言えるのだろうが、これだけクロスレンジでの戦闘となると、一秒というのは決して速くない。
それが今回露わとなった。
アイスウォール5層を唱えはしたが、生成が完全には間に合わなかったのだ。
カイトスネークの尾は勢いを減じはしたものの、ギリギリ涼に届いてしまう。
「クハッ」
涼の胸部装甲が砕け散る。
自ら後方に跳び、ダメージの軽減を図ったおかげで、胸に穴は開かないですんだようだ。
ひどい打撲、あるいはあばらにヒビが入っているのかもしれない。
だが、涼は痛みを感じなかった。
バトルジャンキーな感じで、脳内にアドレナリンがドバドバ出ているらしい。
間髪を容れずに、左手を上に掲げ唱える。
「<アイシクルランス2>」
左手から発射されたアイシクルランスが弾道を描いて、アイスウォールを超えカイトスネークの頭に向かう。
それを迎撃するために、カイトスネークは尾を急いで引き戻す。
そして迎撃。
涼は、ようやく仕切りなおすことに成功した。
「<アイスアーマー>」
割られた胸部装甲を再構築する。
これが無かったら、間違いなく死んでいた。
状況は、涼とカイトスネークの距離が十五メートルほど。
カイトスネークの前には<アイスウォール5層>がある。高さ幅共に三メートル。
カイトスネークの下はアイスバーン状態。ただし、半径二メートルほど。
カイトスネークは鎌首をもたげている。高さは三メートルほどで、アイスウォールぎりぎりの高さである。
「仕切り直したけど、もう接近戦はしたくないんだよね」
カイトスネークの尾は凶悪すぎる。
遠距離からはエアスラッシュを放ってくるし、近付けば一撃でアイスウォールを破壊する物理攻撃が来る。
だが、次に先手をとったのはまたもカイトスネークであった。
鎌首をもたげた状態から、跳ねた。
「なにそれ!?」
跳ね上がり、アイスウォール5層を飛び越え、涼に迫ってきた。
「<アイスバーン>」
だが、アイスバーンがカイトスネークに届く前に、すでにその技は見た、と言わんばかりにカイトスネークは横に移動する。
直線的な攻撃から曲線的な攻撃に変化したのだ。
移動しながらエアスラッシュを連続で放つ。
「<アイスシールド4>」
涼が四つのアイスシールドを浮かべて迎撃している間にも、フェイントでも入れるかのように左右に移動しながら近づいてくるカイトスネーク。
そしてついに、その口から放たれる毒。
それは、涼が想像した以上の、遙かに広範囲な毒攻撃であった。
とても逃げられる範囲ではない。
普通ならこれで詰みである。
だが、涼は普通ではなかった。そして、水属性魔法使いだった。
「<スコール>」
唱えた瞬間、東南アジアでよく起こるような豪雨が局地的に発生した。
涼の前からカイトスネークの所まで。
その豪雨は、空気中に漂った毒液を地面に叩き落とし、下流に流し去る。
さすがにそんな返し方をされたのは初めてだったのだろう。
種族が違っても、驚いているのが涼にも分かった。
「<お湯沸騰>」
スコールでびっしょり濡れたカイトスネークに向けて唱える。
沸騰させるのは、カイトスネークに付着したスコールの水、そしてカイトスネークの下に水溜りとなっている水である。
以前は数分かかったお湯沸かし技法であるが、今では他の魔法同様に一秒かからずにできる。
つまり一瞬で、カイトスネークは全身に沸騰したお湯を浴びる羽目になったのである。
「ギョエゥエェェェェェェ」
叫び声を上げ、大きく開いた口に
「<アイシクルランス>」
極太の氷の槍が飛び込む。
アイシクルランスが口腔内を貫き……カイトスネークは絶命した。
思わず尻餅をついて、そのまま座り込む涼。
「ふぅ……。お風呂のお陰で助かった……。お湯沸かし技法、お風呂が無かったら身に付けなかった技だもんね。お風呂を準備してくれたミカエル(仮名)に感謝」
ズキン
安心したら、カイトスネークにやられたあばらが痛くなってきた涼であった。




