0105 ぜったいぜつめいの涼
シャーフィーの胸からタトゥーを剥ぎ取った翌朝。
意識のあるまま<氷棺>に囚われていた賊は、マックスらによって情報を引き出されていた。
これまでの暗殺者たちは、口を割る気配も無かったのであるが、一晩氷漬けになったのが効いたのか、問われたことには素直に答えた。
だが、得られた情報は多くは無かった。
まとめると……、
自分たちはレッドポストに拠点を持つ部隊である。
昨晩の侵入は、タトゥーが発動したという知らせを受け、その者がタトゥーによって死んだことを確認するのが主目的。
ただし、その場に現在のところの最優先目標であるゲッコーがいたために、そちらの襲撃も同時に行った。
ゲッコー暗殺の理由は知らされていない。
王国東部地域の活動として、ロー大橋崩落、スランゼウイ襲撃後は、最優先目標がゲッコー暗殺となっている。
レッドポストに現在いるのは、自分たち三人だけである。
他の街、どこに何人いるのかは知らされていない。
以上。
これで全てであった。
街中での襲撃ということもあり、情報を引き出した後、治安を司る守備隊に引き渡された。
「だいたい予想通りでしたね」
「ゲッコーさんの命が最優先……」
「タトゥーにはいろんな機構が組み込まれていますね」
ゲッコーの感想、マックスの決意、涼のタトゥーへの感心……ひいては錬金術への感心。
とりあえず、何事も無かったかのように、大盛り朝食を食べるシャーフィーを、三人三様に見つめるのであった。
ゲッコー商隊は、宿で朝食を食べ、国境の街レッドポストを出立した。
レッドポストは、ナイトレイ王国最東端の街で、南東に、インベリー公国との国境がある。
レッドポストを出る時から、隊列に少しだけ変化があった。
涼とシャーフィーが、先頭の荷馬車脇に配置が換わったのである。
先頭の荷馬車は、御者台にゲッコーがおり、歩きながらの護衛にマックスがいる。
要は、約束通り命を救ったシャーフィーから、ゲッコーが情報を貰うための配置転換であった。
涼は、そんなシャーフィーのお目付け役である。
「リョウ……さんがお目付け役ってのが……なんか……」
シャーフィーが、横を歩く涼を見ながら言う。
「シャーフィーは、何か文句があるみたいですね」
涼は気にすることなく歩いている。
「俺の心臓って、多分、まだ氷の膜があるんだろ? それって、リョウ……さんがその気になれば、すぐに心臓を握りつぶしたりとかできるんじゃないのか?」
「さあ? 試したことが無いからわかりませんね。ちょっと試してみますか?」
「いや、それは勘弁してくれ」
シャーフィーの確認に、涼も確認してみようかと提案する……ただし交渉はうまくいかず。
「シャーフィー、人間の身体は六割以上は水です。その水は、身体の隅々まで浸透しています。ですから、水属性の魔法使いにとってみれば、わざわざ心臓を潰さなくても、腱を凍らせるだけで、簡単に動きを止めることが出来るんですよ?」
「う……指が動かない……」
涼が言った瞬間に、シャーフィーは指を動かすことが出来なくなった。
「これなら、シャーフィーが突然暗殺者に戻っても、他の人に危害を加える前に制圧することが可能ですね」
涼は満足したかのように、何度も頷いた。
シャーフィーは、そんな涼を、人ではない何かを見るような目で見ている。
それを御者台から聞いていたゲッコーが助け舟を出す。
「シャーフィーが悪いことをしなければ、リョウさんは何もしませんよ。そうでしょう、リョウさん」
「もちろんです」
涼は大きく頷いた。
「よかったですね、シャーフィー」
「ゲッコーさんに感謝しましょうね、シャーフィー」
ゲッコーの笑顔、涼の笑顔。
どちらもシャーフィーには不気味な笑顔に見えるのであった。
移動している間は、常にシャーフィーへの尋問、もとい情報共有の時間である。
もちろんシャーフィーも、タトゥーを剥ぎ取り命を救ってもらった恩義に報いるために、積極的に情報共有に協力している。
その辺りは、悪い奴ではなさそうだ。
元暗殺者だけど。
そもそも、シャーフィーに教団本部から与えられた主目的は、王国東部第二の都市スランゼウイの破壊活動であった。
そのため、このゲッコー商隊を襲ったのも、そのスランゼウイでの襲撃が初めてであり、その前に襲った部隊があるという話は聞いていなかった。
「スランゼウイの破壊活動と、ロー大橋の崩落は関係があるのだと思いますが、何が目的なのでしょうか」
「ああ、詳しいことは俺も分からな……いや、リョウさん、待て、マジで知らないんだってば。その、手をニギニギするのは、文字通り心臓に悪いからやめてくれ……。ただ、その二つを含めて、この先も王国東部への破壊活動を増やす、って話はあった」
ゲッコーの質問に、素直に答えるシャーフィー。
「それは、どこかからの依頼ですか?」
「ああ、もちろんそうだ。まあ、内容からも分かると思うが、かなり大口の依頼で、支払われる金額も莫大なものだと言っていたな。そんなことが出来る組織となると、そう多くは無いだろ?」
「連合か帝国……」
「デブヒ帝国!」
シャーフィーの説明に、考えられる現実的な候補をあげるゲッコー。
そして、一部の語句に過剰に反応する涼。
「インベリー公国にも、教団の拠点はありますよね?」
ゲッコーのこの問いに、シャーフィーは渋い顔をした。
「ああ……」
仲間を売る、とまで言わなくとも、やはり気が引けるであろう。
自分の手で、先日まで味方だったものを危地に追いやるのは。
「言いづらいですか?」
「いや! 問題ない」
ゲッコーが優しく問いかけるが、それに対するシャーフィーの反応は、何かを割り切ったものであった。
自分が、元の仲間たちからすれば裏切り者と呼ばれる立場になったのは、受け入れていた。
「公国内全ての街に拠点がある。たいてい、詰めているのは三人だ。ただ、公都アバディーンだけはそれなりに大きくて、二部隊、二十人ほどがいるはずだ。場所については、公都に着いてから言う」
その答えを聞いて、ゲッコーは深く頷いた。
シャーフィーを味方にして、最も欲しいと思っていた情報の一つが、公国内の教団アジトだったからだ。
「ちなみに、教団の本部は、どこにあるのですか?」
「本部は、ナイトレイ王国内にある」
ゲッコーの問いに、シャーフィーは何でもないかのように答えた。
だが、その答えは、王国に住む涼には聞き捨てならない答えでもあった。
「王国のどこですか!?」
「いや、言うから、答えるから、リョウさん、その手を握り締める動作はやめて……」
涼の激した質問とそれに伴う動作に、涙目になるシャーフィー。
「王国東部の小さな村だ。東部最大都市ウイングストンから、北に徒歩で一日。山の上にあり、アバンの村と呼ばれている。その村に住むのは、全員教団の人間だ」
「王国東部……まさかそんな近くにいたなんて……」
シャーフィーの答えに、愕然とする涼。
王国東部と言えば、それこそ今日まで通って来た場所である。
ウィットナッシュで十号室のニルス、エト、アモンと戦い、この護衛の最中にも何度も襲ってきた暗殺教団。
また襲ってくる前に叩くべきではないか?
「依頼中じゃなければ、今から行って潰してくるのに! 暗殺教団、運がよかったですね!」
涼が悔しがる姿を見て、シャーフィーは呟いた。
「ホントにやりそうだから怖い」
ふと思い出したように、シャーフィーは涼に言った。
「リョウさん、あんたの水属性魔法は確かにとんでもない。だが、教団の首領も規格外だ。もし対峙することになったら気を付けなよ」
「シャーフィー、ちょっと確認したいのですけど、あなたの胸に彫り込んだタトゥー、あれって錬金術だって言ったじゃないですか?」
「ああ、言ったな」
「その錬金術は、教団の首領が?」
「そうだ。錬金術と土属性魔法に秀でている」
「それはどっちも欲しいスキルですね!」
もちろん、倒したからと言ってスキルを手に入れることなど出来ない。
『ファイ』にはそんな仕様はない。
倒しても手に入れることは出来ないが、錬金術関連の資料とかあるのではないだろうか……。少なくとも、あのタトゥーに使われた錬金術は、涼が図書館で調べた中には存在しなかった。
ちなみに、剥ぎ取ったタトゥーは、氷棺で氷漬けにして、いつもの肩掛け鞄に入れてある。
涼が研究材料にと、ゲッコーに頼んで譲り受けたのである。
今回の『手術』における特別報酬であった。
そんな、いろいろな想像を膨らませてニヤニヤしている涼を、シャーフィーは横目に見ながら再び呟いた。
「倒しても……魔法とかは手に入らないよな? だよな? リョウさんは別、とかそんなこと、ないよな?」
疑心暗鬼に陥った、元暗殺者が一人……。
ゲッコー商隊は、特に問題なくインベリー公国への入国手続きを終えた。
ゲッコー自身、公国で最も有名な商人であり、非公式に公爵の貿易顧問とすら言われているほどの立場である。
その商隊なのだから、ほとんどフリーパスである。
「元暗殺者が国境フリーパス……」
「あくまで、『元』だからな、『元』。今じゃまっとうな、商隊の護衛だからな」
涼の呟きというには大きすぎる独り言に、激しく反論するシャーフィー。
それを御者台から微笑みながら見ているゲッコーと、しかめっつらで首を横に振りながら歩き続ける護衛隊長マックス。
「あ、そうだ、シャーフィーに聞きたいことがあったのですけど……ゲッコーさん、今聞いてもいいですか?」
「いいですよ。私は、とりあえず聞いておきたいことは、だいたい聞きましたので」
ゲッコーの質問がやはり最優先である、それくらいのことは理解している涼。
雇い主の意向は大切。
「リョウさんの質問とか、恐怖しか感じないんだけど……」
シャーフィーのそんな言葉を聞いて、劇画調の顔で愕然とする涼。
「今まで、めっちゃシャーフィーのために尽くしてきたのに……なんという言い草。やっぱり一度心臓を潰した方が……」
「ほら、それ! それが怖いっつーの! そもそも、なんでタトゥーを剥ぎ取ったのに、心臓の周りに氷の膜が張ったままなのさ」
「裏切った時に、すぐ対応できるように」
「あ、はい……信用されてないとは思っていたけど……リョウさんが、俺を全く信用していないということは嫌というほど理解しました」
うなだれるシャーフィー。
「で、質問なんですが?」
「ああ、はいはい、俺が沈んでいるのに空気読まないで質問、どうぞ!」
涼の問いかけに、半分やけになって答えるシャーフィー。
「暗殺教団って、どうしてウィットナッシュであんな襲撃を行ったの?」
「え?」
涼の問いに、演技ではなく顔の表情が抜け落ちるシャーフィー。
その変化は、マックスもゲッコーも驚くほどのものであった。
「り、リョウさん……なんでウィットナッシュの件、教団がやったことだと知っているんだ?」
「あれ? 何か変なこと聞いた?」
「あれは、教団でも、実行した奴ら以外だと、俺ら幹部じゃないと知らないはずなんだよ。それを、なんでリョウさんが知っているんだ?」
シャーフィーの表情が、畏怖と怒りがない交ぜになったものに変わっていた。
畏怖は、知られるはずのないものを知られていることから。
怒りは、それを誰かが漏らしたのか……漏らした者への怒りだろうか。
「何で知ってるかというと、現場にいたから。帝国の皇女様を狙ってたでしょ。おかげで僕のルームメイトが巻き込まれてしまって……。まあ、暗殺者、倒してましたけどね」
涼が何でもないという感じで答えを披露する。
「皇女様を狙ったことまで知ってるのかよ。だがすまんが、俺は詳しくは知らないんだ。あれは、側近の『黒』が中心になってやった作戦でな……かなり大規模なやつだったが、結局どれくらい成功したのかも俺らには知らされなかった……」
シャーフィーは申し訳なさそうに答えた。涼が見たところ、嘘をついている様には見えないが……。
(王国東部で破壊活動をし、ウィットナッシュでは帝国の皇女様含め各国要人を襲撃し……めちゃくちゃなことをやってるようにしか思えないや……)
その後、十日間かけて、一行はインベリー公国の公都アバディーンにたどり着いた。
不思議なことに、インベリー公国に入ってからは、一度も襲撃されなかったのである。
まるで、別の優先目標でもできたかのように。
とはいえ、涼、ラーたちにとって、二十二日間にも及ぶ護衛依頼は、終わりを迎えようとしていた。
公都アバディーン、ゲッコー商会本館前。
「無事、辿り着くことが出来ました。リョウさん、『スイッチバック』の皆さん、本当にありがとうございました」
そういうと、ゲッコーは丁寧に頭を下げた。
雇い主に、そんなに頭を下げられては、涼もラーたちも若干困ってしまう。
「私共は、このまま公城に荷物をお届けに上がります。そのため、たいしたおもてなしも出来ませんが、商会の方にわずかばかりの心づけを準備しておりますので、お受け取り下さい」
そういうと、ゲッコーは、マックスと、なんとかその部下に収まったシャーフィーを率いて、公城へと向かって行った。
ちなみにシャーフィーの心臓周りの氷の膜が、きちんと消去されたことはここに明記しておく。
消去された時、シャーフィーが喜んだのは言うまでもない。
涼と『スイッチバック』の面々は、ゲッコー商会で心づけ、つまりちょっとした臨時の報酬をもらい、ホクホク顔であった。
「よかったわね、ラー。あんたリーダーのくせに、ギルド口座からお金下ろさないで国外に出ようとしてたでしょ。危なかったわぁ。あのままだったら、私たち、この心づけだけで王国まで戻る羽目になってたんだからね。そんなの絶対無理じゃん、ねぇ」
「悪かったよ。ギルド口座の金は、自国内でしか下ろせない……つい忘れちまうんだよな。あぶないあぶない」
スーとラーが喋っている声が涼の耳に入り、涼はその内容を理解すると、まるでギギギギギギという音でも立てるかのように、二人の方を見たのである。
その目は大きく見開いていた。
「リョウ……まさかその表情は……おろし忘れたのか?」
「ソ、ソンナワケナイデスヨー」
涼の表情は無表情になっていた……。
「リョウ、手持ちのお金は?」
「金貨一枚と大銅貨二枚……」
「一万二十フロリン……。国境、越えられないわね」
ラーが問い、涼が答え、スーが結論を下す。
だが、そこでラーが思い出して問うた。
「あれ? リョウ、ゲッコーさんから、『よくやった』って、特別報酬貰ったって言ってなかったか?」
ラーが思い出したのは、涼が最初に暗殺者を氷棺に捕らえ、マックスがその胸のタトゥーをえぐり取った件である。
「はい……大金貨一枚……」
「おぉ、十万フロリン! で、それは……?」
涼が答え、スーが感心して問う。
「……次の街ですぐに口座へ」
「ああ……」
うな垂れて答える涼。
異口同音に悲しみの言葉を発するスイッチバックの面々。
十万フロリンもの大金を持ったまま、護衛依頼なんて怖すぎる!
涼のその気持ちは、冒険者なら誰しもわかった……。
だから、誰も責めない。
「す、少し貸してやろ……」
「いいえ! それはダメです! お金の貸し借りは、良好な関係性を破たんさせる毒物です!」
「お、おう……」
ラーが貸してやろうとするのを、涼は止めた。
そのあまりの剣幕に、ラーも引き下がる。
「まあ、借りないで国境を超える一番現実的な方法は、王国への護衛依頼を受けることよね」
「なるほど!」
スーが、涼が最も求めていた答えを示してくれた。
「公国は、王国との関係は良好だし、この二国は交易も盛んだから、護衛依頼はあると思う。ただ、行先が……」
「まさかデブヒ帝国?」
「そんなわけないでしょ。前から思ってたけど、リョウってかなりな帝国嫌いよね。まあ、行先は多分、王国東部最大都市ウイングストン。私らが通って来た東街道よりも、少し北の方にあるの。だから、そこから南部のルンの街に帰るのも、また少し厄介だけど……」
「ええ、背に腹は代えられません。王国内に入れるのなら、何の問題もないです!」
スーは、少し申し訳なさそうな顔であったが、涼としては多少の地理的な問題など、たいしたことはない。
王国内に入りさえすれば、お金はどうにかなるのだから!
「でも、一つ大きな問題があるわ」
「なんですか?」
「それは、国境を越える護衛依頼が、D級でも受けられるかということよ」
スーの言葉に、完全に言葉を失う涼。
「私たちや、ルンの街であればリョウの実力は知って……いや、正確には実は知らないけど、C級以上あるというのは知っているから、いろいろ口を利いてもらえる。今回みたいにね。でも、他国であるインベリー公国だと、そういうのはないと思うのよ」
スーは顔をしかめていた。
スーだって、こんなことは言いたくないのだ。
だが、事実は事実である。
「スーさん、ありがとう。まあ、とりあえず、ギルドに行ってみるよ。D級で受けられる、国境を越える護衛依頼を探しに」
涼はそう言うと、歩き出そうとした……が……歩き出せなかった。
「……そうよね、ギルドの場所知らないもんね。私たちも知らないもん」
そう、ここにいる誰もが、公都アバディーンの冒険者ギルドの場所は知らなかったのである。
この後、涼と『スイッチバック』の面々は、ゲッコー商会でギルドの場所を聞いてから、向かうのだった。
次話『0106』は短めの幕間(いわゆるSS)です。
そのため、明日(21日)9時に投稿します。
そして、21時に、本編である『0107 連続護衛依頼』を投稿します。
よろしくお願いいたします。




